お狐さま、働かない。

きー子

三十四話/交渉締結

 聖騎士長レイリィ・アルメシア。
 彼女は礼拝堂で一人、高く掲げられた十字架を前に膝を突いていた。

 ――――偉大なる主よ。

 レイリィはアルバートにひとり表立って立ち向かい、そして敗れた。命こそ取られはしなかったが、ティノーブル支部長代行のヨハン司教からは謹慎を命じられている。

 いつも白銀の重鎧に覆われている身体は意外なほどに華奢。兜に鎧われてしかるべき髪は水色にも近いブロンド。175suにも及ぶ痩躯を今ばかりは白の法衣に包み、ほっそりした指を絡ませて祈りを捧げる。その姿から、先日見せた女武者振りの面影はうかがえない。どこからどう見ても敬虔な公教会の信徒そのもの。

 ――――我が選択は過ちだったのでありましょうか。

 レイリィの心の声にいらえはない。主はただ彼女の懊悩を受け入れるのみ。
 只人に告解を受け入れる責務などありはしない。一部の聖職者と偉大なる主こそ、自らそれを受け入れる役目を負うたのだ。

 レイリィは今なお自らの選択が、行動が過ちだとは思っていなかった。否、心の内では他の聖騎士も同じ気持ちだったろうと断言しうる。でなければ聖堂騎士団の宿舎が通夜のように静まり返っているわけはない。レイリィもまた亀のように礼拝堂――信仰の場に閉じこもり、選ぶべき答えを求めている。

 今回の件で、ティノーブル支部長の座から追い落とされたキリエ・カルディナ枢機卿。彼女が優秀な指導者であったことは論をまたない。それはひとえに、聖堂騎士団が出動を余儀なくされることはほとんど無かった、という事実に集約されるだろう。

 キリエ枢機卿は極めて自制的な指導者だった。武力の行使を決して良しとはせず、交渉と対話を信奉しているように思われた。聖堂騎士団という懐刀を秘めながら、それを抜く素振りを見せることすらもめったに無かったのだ。
 この点は先日、ユエラ・テウメッサの存在が明らかになってからの対応に顕著に現れている。

 この姿勢はあまり好評とは言いがたい。多方面との組織的癒着は保守派からの批判の的であり、逆に急進的な勢力からは弱腰外交であるとの批難を浴びる。どの立場からも良い顔をされない立ち位置だったのだ。

 だが、それゆえにこそレイリィは彼女を支持していた。混乱と不安定を嫌い、かといって聖堂騎士団を邪険にしなかった点も大きい。武力行使を容認しないのは前提として、いざという時の防備を整えることについては寛容だった――これがまた保守派の批判を受けることになるのだが。

 ――――今は良い。ユエラ・テウメッサを討伐するというのならそれも良い。だが、その後は?

 レイリィの懸念はまさにそこだ。
 今回の革命に手続き的な問題があることを棚上げすれば、ユエラ・テウメッサの討伐は選択肢としてアリだろう。命じられれば聖堂騎士団はそのために出動する他はない。

 だが、その後は? キリエ枢機卿が復帰する可能性は万に一つも無いだろう。ヨハン・ローゼンクランツ司教がそのまま頂点に居座るのは自明の理だ。

 彼は果たして、キリエ枢機卿のように上手く立ち回れるのか。まさに彼女が危惧したように、混沌の種をあちこちにばら撒くことにはならないか。そしてその時、聖堂騎士団は彼の者の急先鋒と成り果てるのではあるまいか。

 公教会ティノーブル聖堂騎士団。それが侵略者の汚名を引っ被ることを、どうして危惧せずにいられよう?

「……っ」

 頭を刺すような痛みが走り、レイリィは低く呻きながら突っ伏す。
 先日から飲まず食わず、まともに睡眠も取れなかったのだ。したたかに胸を打たれた痛みが疼き、彼女はかすかに息を荒げる。

 ――礼拝堂の扉が軋むような音を立てたのは、まさにその瞬間だった。

「ちぇりゃぁッ!!!!」

 裂帛の声が上がるやいなや、閂が外からの衝撃によって弾け飛ぶ。
 真っ二つにへし折れた木材。扉がバンと勢い良く開かれ、その向こうにふたつ分の人影が見える。

「なんじゃその掛け声」
「少し気合が必要でしたもので」
「まぁ、うむ、上出来だ。器用にやったものよな」

 閂はへし折れたにも関わらず扉は無傷。小柄な狐人テウメッサの少女はその手口を賞賛し、悠然と礼拝堂に踏み入る。

「……貴殿は、」
「おう。やはりここにおったかえ。ちょうどおぬしを探しておったところでな」

 何のために。どうしてここに。何の用で。
 様々な疑問が生まれては消えていく。レイリィが問いかけるまもなく、彼女は平然と言い放つ。

「――――おぬし、ちょいと反乱なんぞ起こしてみる気はないかえ?」

 まるで散歩にでも行くような気軽さで。

 ◆

「失せよ雌狐!!」
「……私、なんか悪いことしたかのう」
「無断侵入はしていますが」
「左様であった」

 全くもってその通りであった。ユエラは得心して頷き、テオに命ず。

「入り口、閉めといておくれ。外から見つかったらいかにも面倒だからな」
「はい。そのように」
「ち、ち、近寄るなッ!!」

 元の通りに扉を閉じるテオ。これでひとまず見つかる心配はない。
 ユエラは彼女――レイリィ・アルメシアに歩み寄る。と、レイリィも慌てて立ち上がってちいさく後ずさった。

「人心を惑わす雌狐よ、いかに幼娘の仮面を被ろうとも私の目までは誤魔化せぬぞ!」
「……えらい嫌われとるな」
「もしかして人違いなのでは?」
「いや、クラリスから聞いた分には間違いないはずなのだがな……」

 レイリィは気丈にユエラを睨めつける。その額には眉根が寄り、まるで痛みを堪えるような表情。
 しかしクラリスの名を耳にした瞬間、ほんのわずかに彼女の警戒が緩んだ。

「クラリス? ……クラリス司祭殿か?」
「ああ、うむ。今は私の監察をやっておるんだがな。あやつから聞いてきた。今のおぬしならここにいるのではないか、とな」
「……クラリス司祭殿をどうした!? この私を脅す気か!?」
「どうしてそうなる」

 ユエラはぴくぴくと狐耳を揺らして頭を掻く。状況からすると無理もない糾弾ではあるが。
 敵の敵は味方などとよく言うが、そう上手くはいかないものだな。ユエラは嘆息し、いくらか距離を開けたまま口を開く。

「クラリスは今回の件で私の側についた。正確にいえば、キリエ枢機卿とやらの肩を持った、ということになるのう」
「……貴殿が彼女を操っている可能性が当方には考えられる。この点についてはどのように考える?」

 レイリィが口にするのはある種当然の懸念。クラリスとの関係は定かではないが、クラリスが公教会から多大な信頼を得ていることは自明である。

「ならば逆に聞くが。私がクラリスを一切操っていないとして、彼女はどうすると思うかえ?」
「換言するならば、キリエ枢機卿と、現在支部長の座にあるもの――ヨハン司教のどちらを支持するか、ということでもありましょう」

 テオが付け加えた一言に、レイリィは一瞬黙りこくる。
 それはつまるところ、ユエラの干渉の有無に関わらず、クラリスの決断は変わらないということ。

「だが、向こうには彼がいる。……アルバート・ウェルシュ。彼はクラリス殿の仲間だ。それを敵に回すという選択をしたと、貴殿は言うのか?」
「その通り。敵対というのは正確では無いがのう。向こうに回れば否応なく拘束される、そう考えるのが自然であろう?」

 キリエ枢機卿の処遇を鑑みれば、批判的な態度を示すものがどう扱われるかは自明の理。
 レイリィはしばらく沈思黙考。顔を上げればユエラに問う。

「貴殿の目的は」
「話が早いのは良いな」

 くく、とユエラは喉を鳴らして笑う。レイリィの顔に浮かぶ表情はすでに戦士のそれだった。

「――ずばり、キリエ枢機卿の救出。ついでに革命軍とやらを叩き潰し、首謀者も再起不能にする。実に分かりやすい話であろう? あとはキリエ枢機卿に返り咲いてもらえれば万々歳だのう」
「そのために、私たちを利用するというのだな」
「まさに。内部事情に精通しているおぬしらほど、破壊工作に適した人材はおらんだろう?」

 ユエラは一切の誤魔化しもなく率直に言う。お互いの利害はすでに一致を見たのだから。
 レイリィはわずかな煩悶を噛み殺すように振り払った。

「確約はしかねる。我々は総勢にして五十人を上回る所帯だ。同じ信仰の御旗に集った者達といえど、以後の方針や意見では食い違いもあるだろう。よりにもよって、公教会に叛旗を翻すとなればなおさらだ」
「……ごく一部の限られたものでも構わん。独自に行動を起こすことはできんかえ?」

 内部衝突が起これば少なくとも聖堂騎士団が出張ってくることはない。それだけでも上々の成果ではあるが、ユエラからすると物足りないのも事実だった。

「それでは人数が相当に限られる。そして、統制から外れたより多くのものを敵方に回すことにもなりかねない。それは貴殿の望むところではないだろう。……私は聖堂騎士団の長ではあるが、あくまでも戦術的な指揮官に過ぎない。自らの敵を選ぶ権限は、私たちの誰にもないのだ」

 しかして、レイリィの語る言葉もまた道理。
 全くよくできたシステムだった。手足が勝手に動くようでは話にならない。手足はあくまで脳の命令に従って動くべきなのだ、ということ。
 やむを得んな。ユエラは頷き、そして一計を案じることにした。

「わかった。ならば、おぬしらは真っ先に守りに出てこい。どうせ私のほうから仕掛ければ、おぬしらが引き合いに出されるのは既定路線であろう?」
「……その通りだが、つまりそれは――支部長代行への恭順を示せと言っているのか?」
「面従腹背というやつだ。……断言してやるが、おぬしら、せいぜい矢避けか足止めの駒くらいにしか使われんぞ。あるいは逃げ道を塞ぐための壁と言ったところかのう?」

 クラリスがどのような報告を行ったかは定かではないが、ユエラが弱みを見せたことなど一度もない。となれば、ユエラを討伐するためのまともな方策などありはしないだろう。
 彼ら――聖堂騎士団は間違いなく使い捨てにされるはずだ。なまじっか傭兵どもよりも実力があるだけに、使い潰す方法はいくらでもあった。

 レイリィはにわかに瞑目し、そして決断を下した。

「……了解した。だが、私にも団員を抑えておくのには限度がある。貴殿がしかるべき手を打たなければ、我々と貴殿は敵対する他にない」
「うむ。任せておけ」

 やはり部下の安否が決め手となったか。はっきりと頷くレイリィに、ユエラはくつくつと喉を鳴らして微笑する。

 人心を惑わし、かどわかす――これほどユエラが得意とする分野は他にない。特に混沌とした情勢下では、人の心は移ろいやすいもの。なんとなれば、秩序がもたらす平穏と安定こそ、最も有効なユエラ対策だったのだ。

 それを彼らは、わざわざ自らの手で捨て去った。自ら選んだ道で滅ぶのなら彼らも本望だろう。ユエラは一片の容赦もするつもりはない。

「ではな、レイリィ・アルメシア。次会うときにはまた、敵として顔を合わせようではないか」

 ユエラはそのまま踵を返し、扉のほうに歩み出す。命じるまでもなくテオが扉をゆっくりと開け放つ。

「ユエラ殿。貴殿は、ユエラ・テウメッサと言うのだったな」
「うむ。それがどうかしたかえ?」

 呼びかける声に首だけで振り返る。
 レイリィはユエラを一瞥し、そしてちいさく頭を垂れた。

「感謝する。目の前の霧が晴れたような気分だ」
「……そういうことはおぬしらの主にでも言ってやれば良いのではないかえ?」

 ユエラはひらひらと手を振り、テオに付き添われながら歩み出る。
 確約とは言えないが十分な成果は手に入れた。直接出張るはめになったのは少々面倒だが、相応の見返りはあるだろう。

「さて」
「はい」
「帰り道も頼むぞ」
「ではユエラ様、今一度お背中に」
「……またやるのかえ……?」

 かくしてユエラはテオに背負われ、またも公教会の敷地を駆け抜けることと相成った。

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