お狐さま、働かない。

きー子

三十三話/突撃交渉

 翌朝早く、ユエラたちはスヴェン邸におもむいた。情報共有と方針を固めるためである。
 ユエラが引き連れてきたのはいつも通りのテオを除けば四人。公教会監察官クラリスと、アルマ・トールを代表とする三人の祓魔師だ。

「単刀直入に言わせてもらうぞ、スヴェン。私が目指す達成目標は次の三つ――聖堂騎士団を此方側に引き入れること。キリエ枢機卿を救出すること。そしてヨハン司教とやらを叩き潰すこと、だ。異論はあるかえ?」
「異論はないが質問はある。それらが実現可能かということだ――特に一つ目は疑問に思われるが、どうか?」

 スヴェンの隣には常のごとくフランが付くが、ユエラの言葉に限って通訳を介する必要はない。
 それに応じたのはユエラにあらず、公教会の内部に通じる四人のほうだ。

「まず、聖堂騎士団――特に彼らを率いる聖騎士長は、革命軍に対し一貫して抵抗を続けました。現状でも革命勢力を認可しているとは考えがたく、十分に引き入れる余地があるかと思われます」

 と、アルマ。祓魔師たちはキリエ枢機卿救出のため、ユエラの思うように知識と知恵を絞ってくれていた。

「公教会という組織に背くことになるが良いのかえ?」と尋ねもしたが、「現在の公教会にキリエ枢機卿以上の指導者を望むべくはありません。あの方であるからこそ、ティノーブルは危うくも均衡を保っていたのです」とのこと――どうやら決意は堅いようだ。

「聖堂騎士団は公教会が有する最大戦力ですから、彼らさえ味方につければ革命軍などは問題にもならないでしょう。キリエ枢機卿救出が十分に現実的な選択肢となりえます」

 と、語るのはクラリス。それもキリエが生きていればの話だが、しばらくは生かされる可能性が高いとのことだった。
 それらの言葉を余すところなく手話で伝えるフラン。スヴェンは全ての情報を勘案し、そして結論付ける。

「承った。聖堂騎士団が無力化するならば傭兵らを動員しても無駄にはならないだろう。気がかりなのは、無力化が確約されるか、そして……彼だ」

 そういってスヴェンは一枚の人相書きを机に並べる。
 彼の姿は、その名前は、迷宮街であまりにも有名だ。
 ――――アルバート・ウェルシュ。

「結局のところ、問題は彼を無力化できるかに尽きるだろう。ユエラ嬢、あなたが彼に劣るとも考えられないが……方策はあるかね?」
「……ふむ」

 ユエラはクラリスを一瞥する。
 彼女を盾にすれば楽に仕留められようか――無理であろうな、と首を横に振る。おそらくアルバートは止まらないだろう。

「いざとなれば私が直接やろう。それで問題ない。保険は用意しておくつもりだがの」
「……そうか。私としてもユエラ嬢には世話になっている。あまり無理は言うつもりはない」
「そうかえ? 迷惑ばかりかけておる気がするがな」
「ははは、ユエラ嬢、考えてもみたまえ。もし今回の件が成功したとすれば?」

 そう言われてユエラは思い至る。多くの有力者が革命勢力に与した一方、スヴェン――即ちユエラの主人である彼は、囚われのキリエ枢機卿を見事に救出したという恩を売ることになる。これがティノーブルにおいてどれほどの意味を持つことか。

「……おまえもまたずいぶんと悪よなあ?」
「すっかりあなたに当てられてしまったよ」

 くくっ、と二人して笑みを交わす――まごうことのない悪党どもの笑み。
 二人に対する従者の反応はまさに対照的だった。フランはいささか不安げに眉を垂らす一方、テオは瞳をきらきらと輝かせ、主人へ視線を注いでいる。

「で、もうひとつ。聖堂騎士団の件についてはどう考える、ユエラ嬢?」
「それならば当てがある。……のうクラリス?」
「……私ですか?」

 突然水を向けられ、いぶかしむように眉をひそめるクラリス。

「聖堂騎士団とやら、どこに駐屯しておるか分かるかえ?」
「確実なことは言えませんが……」

 クラリスはメモとペンを所望し、公教会の敷地図を簡単に描き出した。

「まず、公教会ティノーブル支部はこのように生活域を内包しています。各地の教会のように農作や果樹栽培をする土地はありませんが、宿舎などは十二分。後方には簡素な礼拝堂があり、この周辺が聖堂騎士団の宿舎となっています。……ただし」
「ただし?」

 ユエラが先を促すと、クラリスはかすかに眉をひそめながら続けた。

「……ユエラさんの目的は、聖騎士長ですね?」
「うむ。その通り」

 聖騎士長レイリィ・アルメシア。
 勇者アルバートを前にしてなお抵抗を続けたという彼女にこそユエラは目をつけた。

「……独房という可能性は低いかと思われます。おそらく処分は謹慎が妥当かと。おそらくは礼拝堂に通っていることかと思われますが」
「わかった。では、会いに行こうかえ」

 ユエラはすぐさま立ち上がり、テオを除く全員は度肝を抜かれた。スヴェンにしても話の流れを理解していなかったわけではない。

「い、今からですか!?」

 愕然とするアルマ。

「気にするでない、おぬしらは留守番だ。テオ、おまえが私を連れて行ってくれるであろう?」
「お任せください。いかなる障害をもことごとく沈め、望まれた限りはどこへでも、ユエラ様をお連れ致しましょう」

 胸に拳を当て、当然と言わんばかりに頷いてみせるテオ。

「あまり派手に暴れるでないぞ。本攻めは明日以降だ」
「ご心配なく。目撃者は全て消せば良いのですね?」
「まぁ、別にそれでも良い」
「かしこまりました。では、今すぐにでも出発できます」

 テオは恭しく頷く。
 こうなっては止められまい、と観念したのか。スヴェンは呆れ混じりに笑って言った。

「では、こちらは君たちから証言をうかがうとしよう。もう少し細かな情報が欲しいのでな」
「はい。可能な限りは協力させていただきます」

 クラリスを筆頭にして頷く四人。
 と、その時――今の今まで無言を守っていたリーネがふいにおずおずと手を上げた。

「あの、ひとつだけ、良いかな」
「どうした?」

 砂色の髪に覆われた片目を押さえ、彼女はつぶやくように静かに問う。

「ヨハン・ローゼンクランツ司教。その男がどんな人物か、知りたいんだよ」
「……ヨハン?」

 そんな男なぞどうでも良かろう、どうせ担ぎ上げる神輿の類であろうに。ユエラは一瞬そう考え、ふと違和感を覚えた。
 ヨハン。どこかで耳にした覚えのある名前。別に珍しくも何ともないが、それは、確か。
 クラリスは慎重に言葉を選びながらリーネの問いに答える。

「何かと毀誉褒貶が著しいのですが、やや理想に寄ったキリエ枢機卿に対し、現実的な……悪く言えば功利主義的なお方です。この街には昔からいらっしゃったようですね」
「……昔から」
「ええ。第一次迷宮遠征の経験者とお聞きします」

 ローブに覆われたリーネの腕がにわかに震える。
 そこにアルマが忌々しげに言い添える。

「確かに、あれは腕に覚えがある体格ですね。それと、いつも白手袋をはめていたように記憶しています」
「……白手袋」

 リーネの記憶が正しければ、彼女が垣間見た男は、掌に火傷を負っていた。
 偶然という可能性はあるだろう。二つくらいなら偶然が重なることもあるだろう。
 だが。

「――御主人様」
「ああ。良いぞ。引っ捕らえたらそいつはおまえにやる。好きにしろ。存分にやれ」

 リーネは肩をちいさく震わせ、ただその場に跪いた。最大限の礼を示すかのように。
 その意味を理解できたのはこの場の三人だけだろう。それで良い。そのほうが良い。

「……どういうことです?」
「おまえは気にするでないよ。さて、行くかテオ」
「はい。ご随意のままに」

 いぶかるクラリスを適当にあしらい、ユエラはテオをともなって歩みだした。

 ◆

「のう、テオ」
「なんです、ユエラ様」
「……これ、動きづらくないかえ?」
「いえ全く」

 公教会ティノーブル支部。その壮麗な門前を視界に収めながら、二人は緊張感のないやり取りを交わしていた。
 言葉だけならばまだしも、ユエラはテオに負ぶさられた格好だ。これではまるで乳母に背負われた幼子のようではあるまいか。ユエラの体重はせいぜい30dsといったところだが、それなりに重いことに違いはない。

「むしろユエラ様の体温を感じられ大変に安心感を覚えます。なんなればいつもこうしていても良いほどです。ユエラ様にもご足労をかけず大変よろしいのではないかと」
「やめえ。逆に面倒くさいわ」
「そうですか……」
「左様」

 大変に残念そうに肩を落としながら、テオはしっかと両手でユエラを抱えこむ。

「しっかりとしがみついておいてください。離れないように」
「ああ、うむ。わかっておる」

 ユエラはそっとテオの首筋に腕を絡め、頭を傾け、身を委ねる。これでまともに潜入などできるのかと思いもするが、できるというならユエラはそれを信じるだけだ。

「良いですね。良い具合です。ユエラ様の心臓の鼓動が伝わりとても良いです」

 何やら物言いが不穏ではあるが気にしないでおく――そばにいてほしがる子どものようなものであろう。

「……それで、どうやって行くつもりかえ? かなり見張りが多いようだが」

 ユエラはテオの肩越しに公教会支部の様子をうかがう。周辺には多くの傭兵が哨戒しており、装備にまとまりは無いが士気は高い。〈勇者〉の末裔が指揮官となれば無理もないことか。

「聖騎士の姿は見当たりません。雑兵ばかりかと」
「しかし案山子ではなかろうよ。これを見つからずに潜り抜けるには、ちとな――」

 大人しく幻術を使うのが吉であろうか。任せられる限りはテオに全て任せるつもりであったが。

「案ずるには及びません」

 テオは事も無げに言い、前方に歩み出す。
 逃げも隠れもせず、自ずから見張りの視界内に姿を晒すかのように。

「初めから隠れようなどと考えねば良いのです」
「こゃ――――んっ!?」

 まさか、と思ったことを本当にやってくれおった。
 テオは背中の重しなど物ともせず、風の速さで疾駆する。少女の薄褐色肌が渦を巻く魔素をまとい、地を蹴るたびに爆発的な推進力を生む。

「――そこの貴様!?」
「誰だ、止まれッ!!」

 見張りの傭兵たちに目視され、呼び止められようがテオは止まらない。
 見つかってしまったなと嘆息するが、これはこれで悪くない。相手に守ることを意識させれば、攻めの手を遅れさせる効果もあろう。

「……こーなっては止むからぬ。存分にやりや」
「無論のこと。穏便に済ませる方策はございますので」

 この状況からか。そうまで豪語するならば、ユエラもテオのお手並みを拝見することにした。

「くそっ、止まれと言ったろう!!」
「侵入者だ、応援を呼んでこ――――いッ!?」

 入口のほうに声をかけていた見張りの男は、振り返った瞬間に愕然とする。
 すでに彼の目の前にはテオが迫っていたのだから。
 テオはその場で跳躍し、男の肩を踏み締める。間髪入れずもう片方の足で脳天を足蹴にし、テオとユエラは飛ぶように空を跳ねた。

「お……おおッ!?」
「ユエラ様、どうか離されませぬように」

 いつもは技術面に用いられる魔素が出力に全振りされた結果だろう。男の首が嫌な音を立てた代わりに、テオは凄まじい跳躍力を得て公教会支部――その壁面に飛びつく。
 見た目にも壮麗な構造のため、壁面の取っ掛かりや出っ張りは数知れぬほどにある。テオはそれらを悠々と飛び渡り、地上の見張りを翻弄した。

「く、くそっ! 降りてきやがれ!!」
「弓を持ってこい!」
「馬鹿野郎、当たるか! 上から狙うんだよ!」
「二階から侵入されるかもしれん! 警戒するように伝えろ!!」

 次にテオはどう出るか。あらゆる可能性が考えられるため、傭兵たちはてんやわんやの有様だった。こちらは侵入するつもりなど微塵もないというのに、相手はすでに侵入されたかのような恐慌状態を晒している。

「このまましばらく撹乱します。地上が掃けたところで例の礼拝堂に向かいます」
「……なるほどのう。上手くやるものよな」

 見つかったのならば見つかったで、相手を徹底的に掻き乱してやれば良い。テオがその機動力を全身全霊で発揮すれば、それだけで相手の命令系統は事実上の麻痺状態に陥る。これは実に良い発見と言えるだろう。本攻めの時に採用するのも悪くはなさそうだ――が。

「あまり時間をかけすぎるでないぞ? 大物を釣り上げてしもうたら面倒だ」
「承知しております。適度に揺さぶりをかけていきましょう。つきましては、攻撃を激烈に見せかけてくだされれば」
「よし任せろ」

 テオは次々に短剣を抜き放ち、壁面の窓にいくつも投擲する。ユエラは割れていない窓までも割れたように見せかけ、侵攻の可能性を増やしていく。
 三階近くの取っ掛かりに飛び移ったところで、一気に地上の見張りが掃けていく。上層階からの侵攻と読んだためだろう。
 地上の見張りを疎かにしてでも、上層階を手隙にするわけにはいかないという状況判断だ。

「……そろそろ、良いかの」
「はい。見つからぬうちに降りるとしましょう」

 幸い、ぐるりと回り込むように飛び移ったおかげで後方に迂回する手間も省けた。礼拝堂は道なりに真っすぐ行けばすぐそこだ。

 公教会ティノーブル支部の建物とは対照的な、小ぢんまりとした村の教会のような木造建築。
 ユエラはテオの背中から降り、入り口の扉をこんこんとノックする。
 反応はない。
 扉を引いてみるも、開かない。鍵があるようにも見えないから、内側から閂がかけられているようだ。

「……いかがなさいます? 宿舎のほうを探しましょうか」
「いや、中に誰かおるということであろう?」

 クラリスは"礼拝堂に通っている可能性が高い"と言っていた。ならば、通うにとどまらず中に篭もっている可能性もある。
 ユエラはちょいと扉を指差し、言った。

「やっとくれ」
「是非もなく」

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