お狐さま、働かない。

きー子

二十三話/新居にて

「……ユエラさん。本当によろしいのですね?」
「良いもくそもあるかえ。もうサインしてしもうたわ」

 クラリスの厳かな問いかけに、ユエラは羽ペンと契約書を突っ返した。
〈闇の緋星〉跡地の売買契約書。金貨一枚にも満たない安価での一括払いと聞き、ユエラは即座に購入を決めた。

 わざわざ地下で商談を始めることもあるまいが、話は早いほうが良い。リーネは先に別室で休ませ、念のためフィセルに見張ってもらっていた。

「第一、本当に問題があるならわざわざ契約書を持ってこんだろう」
「……いえ、正直なところ、悪霊が人に害をなすほど膨れ上がっていたのは私としても想定外でした。ですから、購入されるのでしたらぜひ念入りにお祓いを、と思うのですが」
「ちょっとした調度品みたいなもんではないか、残しておいても構わんよ。今のままではちょいと殺風景だからな」
「そうまで仰るなら私としてもお断りはしませんが、起こったことに責任までは取りかねますよ。お祈りや浄めが必要ということでしたらいつでも承りますが」
「それは別にいらぬから、なんか、照明でもおまけしてくれんか。魔除けでもなんでも良いから」
「……その程度のものでしたら構いません。ほんの慰み程度ですが、悪霊避けの効力もありますので、後日お届けさせていただきます」
「うむ、なればありがたい。良い取り引きであったな!」

 ユエラは口端を釣り上げてにこやかに笑む。クラリスは苦笑しつつも丁寧に契約書を丸め、前払金を受け取った。

「というわけで、テオ。早速模様替えと行くかのう!」
「是非もなく。以前ここにいた時より家具が減っていますが……おそらく襲撃事件の際に破損したのでしょうね。どうせ古いものばかりでしたから、まとめて新品に替えてしまいましょう」
「うむ。ついでに向こうの家からもいくつか持ち込んでくるか……」

 ユエラとテオはおもむろに室内を見渡す。地下階の壁や床は打ちっぱなしの木張りで、殺風景なこと極まりない。心安らぐ環境のためには機能性のみならず、外観も温かみのあるものにしたい。

「それでは、ユエラさんたちは明日以降、こちらに?」
「とは限らんのだが……うむ、主にはこっちであろうな。行き来したり出掛けたり、ちと忙しくするだろうが、まあ、堪忍しとくれ」
「……かしこまりました。では、また明日以降もお伺いさせていただきますので、よろしくお願いいたします。まかり間違っても悪霊に乗っ取られるようなことの無きように……」
「ふふ、心配性だな、おぬしは」

 ユエラは笑って否定する。そのような事態には決してならない。ユエラが意味もなく悪霊祓いを拒むはずはない。
 悪霊どもにも使い道がある。物は使いよう、というわけだ。
 そんな思惑を露わにすることもなく、商談は何事もなく終わった。その後一日経過を見たが、リーネが悪霊に憑かれるようなこともなかった。

 ◆

 スヴェンに新居を構えると伝えたのが翌日のこと。
 その日から元〈闇の緋星〉拠点――――もとい、ユエラの家のリフォームが始まった。
 もちろんユエラが力仕事に精を出すわけはない。方針を定めて仕事を振り分け、後はテオとリーネの報告を待ちながら進捗確認を怠らないだけの簡単な作業である。

 なにせ部屋数が多いので、今すぐに全ての部屋を整理する必要はない。使いそうにない部屋は掃除だけしておけば良いのだ。たまに血まみれの品物が出てきたりしてリーネがただでさえ青い顔を青くしていたが、おおむね片付けは順調に進んだ。

「……片付け始めてみると意外に広いものですね。ここにいたころはそうは思わなかったのですが」
「まあ、少なくとも組織のていは整えておったようだしな」

 地下は多くの部屋を内包する居住区画。そして一階は玄関口に接する区画を食堂、そこから通じる奥の区画をリビングに区分けした。これは「日が当たる部屋で寛げるほうが良かろう」というユエラの判断によるものだ。

「……往時なら二十人くらいは収まってたよ。地下だし、多少の無理をしたら拡張性もあると思うな」

 というのはリーネの証言である。彼女は〈闇の緋星〉副教祖として実務を担当していた以上、組織の運営実態には詳しかろう。
 テオとリーネの懸命な仕事振りやフィセルの手伝い、律儀にユエラを訪問するクラリスも強引に巻き込んだ甲斐あって、作業は急速に進められた。

 そしてリフォーム開始から五日目の夜。作業が一息ついたと見て、ユエラはフィセルをリビングに招き入れた。この時クラリスはすでに帰路についており、フィセルは迷宮を探索した帰りであった――すなわち、積もる話をするには丁度いいタイミングだったのだ。

「どうかしたかい、ユエラ。聞かれたら困る話でも?」
「困るというほどでも無いのだがな――フィセル、おまえ、こっちに居を移す気はないかえ?」

 ユエラが気楽な調子で話を切り出すと、フィセルはいぶかしむように額に眉を寄せた。

「その話、妙にこだわるね。別に私は逃げやしないし、あんたの傍にいるからってあんたのものになるってわけでもないよ?」
「……それはわかっておるがな」

 ユエラとて何も、つまらない独占欲でフィセルを誘っているわけではない。ただ、彼女にはひとつだけ懸念していることがあった。

「あんたとの付き合いがなけりゃ、私は今ほど順調に探索を進められちゃいないだろうね。そのことは身にしみて分かってる。だから、私とあんたが切れることはない。……それだけじゃあ不満かい?」
「いいや。……おまえがそう思っておるからこそ、だからこそ不安なのだ」

 ユエラはソファにどさっと座りこみ、ぺしょんと狐耳を寝そべらせる。重くならないようにできるだけ軽く話すつもりだったが、フィセルはそうは取らなかったようだ。

「……私があんたの身内と見なされることによるリスク、ってところかい?」
「……察しが良すぎるのも考えものだのう」

 ユエラは思わず苦笑し、それでも静かに頷いた。
 そう。たとえクラリスの報告がユエラに好意的であろうと、そうでなかろうと、究極的には関係がない。そもそも公教会という組織自体が信用ならないのだ。ユエラやその一派を危険視する勢力は遠からず出てくるはず。

 ユエラの傍にいるものは問題ない。フィセル自身が傷つけられることもまず無いだろう。だが、フィセルの周辺人物はどうだろう。彼女に仲間や同志と呼べる存在はいないが、彼女が世話になっている人たちはいる。

「……まさか。それこそまさかじゃないかい。私がねぐらにしてるってだけで?」

 あのこじんまりとした安宿――〈ひよどりの羽休め亭〉。

「おまえに夜襲をかけるなら、火を点けるくらいは厭わんよ。少なくとも私ならやる。ユエラ・テウメッサなる厄介な魔物の四肢を一本切り落とせるのなら、間違いなくやるだろうよ」

 ユエラはちいさく息を吐き、断じる。
 無論、それはユエラが相手の立場ならという話だ。相手が絶対にそうするとは限らない。
 公教会がそんな非道な手を打つはずがない。そう信じられるのならば――ありえない、と判断することもできるだろう。

「……そいつはね、ユエラ、あんたが私を高く見積もりすぎてるからだよ。私があんたに匹敵するような怪物ならまだしも、私はただの探索者だ。私一人にそこまで手間暇かける価値は、どう考えたって無い」
「ただの、"単独行動では最強の"探索者、であろう?」

 聞いた話ではいよいよ地下六十層に到達したという。これは単独行動の探索者としてはまさに前代未聞だろう。

「……同じことさ。殴られれば痛いし斬られれば死ぬ。所詮は同じ人間の範疇さね」

 人間。確かにそうだろうとユエラは首肯する。
 だが、ユエラは人間の恐ろしさを知っている。

「まあ、今すぐにとは言わぬが、早いほうがいい。出来るかぎりの対策はしておくが、私の手の長さにも限界がある」
「……前向きに考えておくよ。少し、あそこにも長居し過ぎたからね。身辺整理には良い頃合いだ」
「すまぬな。迷惑をかける」

 ユエラがそういって頭を下げると、フィセルはにわかに目を丸くする。

「……なんじゃ?」
「いや。あんたも真面目に謝ることがあるんだと思ってね」
「おまえはちょくちょく私に喧嘩売りおるな!?」
「……そもそも、ユエラの謝ることじゃあないさ。この程度は迷惑のうちにも入らないよ。私があんたの世話になった分に比べたら、ね」
「褒めるのなら初めからそう褒めよ」

 ユエラはソファの上で尻尾を跳ね回らせて大いに憤慨した。
 ともあれ、話はこれで終いである。フィセルは宿に戻るべくリビングを出て、ふとユエラを振り返った。

「ああ、そうだ。私からも一個、言い忘れてたことがあってね」
「……ほう?」
「クラリスのこと。あいつ、あんたには結構友好的だろう?」
「まあ、この一週間接した限りではそう思えるな」

 クラリス・ガルヴァリン。彼女はおよそ世間の評判と齟齬がない人物のように思われた。くそ真面目ではあるが極めて誠実で、それなりに話がわかるし融通がきく。ユエラの無茶振りにも応えてくれる。

「あいつが〈勇者〉の末裔の仲間ってことは?」
「うむ。それも聞いておるが」
「……その勇者様本人が、一時期、あんたと私の繋がりを警戒してたんだ。ちょうどあんたが手配されたのと同じころかな。だからさ、クラリスが監察官になったのはどうにも偶然とは思えなくってね」
「……ああ、そういえば、そんな話を聞いた覚えがあるのう……」

 時期で言うと、ユエラがイブリス教団原理主義派襲撃の計画を立てていたころか。そのことを前提にして考えれば、クラリスが勇者に入れ知恵されている可能性は大いにある――あるいは、クラリスが推薦される過程にも関わっているかもしれない。

「そう。あいつ自身は割り合い善良だけどね、背後関係を疑っておくに越したことはない。気をつけたほうがいいよ」
「言われずとも。……フィセル、おまえ、あやつを好いておるのかえ?」
「……どうしたってそんな話になるんだい?」

 ユエラの突拍子もない問いにフィセルは眉をひそめて問い返す。

「おまえ、勇者連中は毛嫌いしておったろう。その割に見る目が甘いように思ったのでな?」
「……馬鹿言ってんじゃない。相手が誰でも認めるところは認めるべき、それだけだよ。あいつにとってのそれは、馬鹿正直なところだって話さ」

 フィセルはちいさく鼻を鳴らして視線をそらす。ユエラとしてはちょっとからかうだけのつもりだったが、意外に的外れではなかったのかもしれない。

「左様かえ。……ならば、少なくともおまえのお墨付きとは認識しておこうかの」
「あんまり私の人を見る目を信じないほうがいいと思うけどね……じゃあ、また」

 フィセルは神妙にそう言い残して家を出た。
 彼女を見送ったあと、ユエラは地下に降りていく。先ほどフィセルにも言った"対策"を用意するためである。

 探しものはすぐにも見つかった。天井の隅っこでうずくまるように淀む悪霊ども。昇天することも消え去ることもできず、彼らは静かにたたずんでいる。

「ユエラ様、いかがなさいましたか」
「……ほ、埃でも残っていたかな?」

 ちょうど廊下の掃除にあたっていたのか――テオとリーネはユエラを見つけるやいなや駆けつけてくる。

「そんなみみっちい文句はつけんよ。……なに、悪霊どもにも役立ってもらおうと思ってな」

 ユエラは口元に薄く笑みを浮かべ、悪霊の群れに手を伸ばす。
 悪霊の中核をなす死者の思念。それに干渉することなど、生者の精神を操るのに比べればはるかに容易いこと。
 ユエラはひとつひとつの思念をかき集め、その全てを強引に混ぜ合わせる。彼我の境が曖昧な死者の思念は、少し引っ掻き回すだけで簡単に融け合ってしまう。それはさながら別色の絵の具が混ざり合うかのように。

「……ご、ご主人様。その大きさは、少し、私たちにも害が及ぶと思うんだ」
「私は特に何も感じませんが」
「おまえも一度は撥ねつけたではないか、リーネ。今さら何を怖気づいておる?」
「あなたたち精神状態おかしいよぉ……!!」

 程よい大きさになったところで悪霊を泳がせる。モップで部屋中のゴミを掃き集めるように、拡散した悪霊どもを全てまとめてしまうのだ。
 悪霊の行動規範となる思念にはユエラが干渉しているため、ひとりでに暴れ出す危険はない。

「うむうむ。良い感じに集まっておるな」
「……む。何かひやりとしたものを感じますね」
「これくらいになるとおまえにもわかるのだな。全く感じられないよりはそのほうが良い。まともに襲ってきたらちと危ないからな」
「ですが、殴れるのでしょう?」
「まあ、殴れるな」
「ならば問題はありませんね」
「……頭おかしい……」

 悪霊の代わりにリーネが隅っこで縮こまる。今の彼女が恐れているのは悪霊ではなく他の二人だが。
 実際問題、テオの体術はおおよそ魔力を帯びている。魔力を帯びているということは、すなわち魔素に干渉できるということだ。
 テオやフィセルのように練達した戦士の技は、もはや魔術と区別がつかない。これは他の戦士と決定的な一線を画する事実であった。

「これを、こうして、こう」

 ユエラはいよいよ巨大化した悪霊をおびき寄せ、自らの支配下に置いた。
 ひとつひとつの思念が帯びる魔力は極めて微弱だが、合体させた総量は中々のものだった。一個の思念を十とすればこれは千にも及ぶだろう。〈闇の緋星〉の教徒だけでこの量とは考えにくいから、悪霊が集まりやすい土壌があったのかもしれない。

「……それをどうするの。わ、私にけしかけないでよ」
「誰がそんな無駄なことをするかえ。やってほしいなら考えんでもないがな」
「……い、いい、やらなくていいよ。本当いいよ」

 リーネは目元あたりの髪を押さえながらおずおず立ち上がる。少しは覇気を取り戻したかと思ったが、ユエラへの畏怖はむしろ増したような気もする。

「……やりますね、リーネ」
「な、なにを?」
「ずいぶん上手くユエラ様に構ってもらうものだと――――私も見習いたいほどに」
「断じてそういうつもりじゃないよ!?」

 しかし元気そうには違いない。
 うむ、とユエラは満足気に頷いて、悪霊に楔を打ちこんだ。

「……良し。おまえたちの名前はこれより〈グラーム〉だ。行け。我が家に寄り付く不届き者を監視、必要とあらば排除せよ。良いな」

 ――――幻魔術・籠鳥檻猿カゴノトリ――――
 名付けとともに〈首輪〉をかけ、解き放つ。渾然一体となった思念の塊にユエラの命令が指向性を与え、悪霊――〈グラーム〉はこの家の猟犬と化した。
 こいつをフィセルの元に送ってやれば、多少は防犯効果もあるだろう。相手が公教会とすれば戦力としては疑問だが、足止めの役には立つはずだ。

「なるほど。これで夜通し見張りに立つような真似は不要、ということですね」
「うむ。やられた時もそれが私に伝わるから問題ない――というわけで多少は安全になったろうから安心しい。作業もだいぶ進んだし、明日は丸一日休みにするとしよう。忙しかった分、ゆっくり休んどくれ」
「……私はむしろ不安になったよ……」

 青い顔を白くしながらも礼を言って部屋に戻るリーネ。彼女にもきちんと個室は用意されていた。
 後はユエラとテオの個室がひとつずつ。もっとも、テオの個室には全く使用された形跡がうかがえない――いつもユエラに付きっきりでいるからだ。

「ではユエラ様、そろそろ入浴にいたしましょうか」
「ああ、今日は別に良いぞ? 休みにすると言ったろう。おまえにはだいぶ働いてもらったし――――」
「いえお構いなくこれこそ私の安らぎに他なりませんので、ささユエラ様どうかご一緒に」
「……う、うむ。そうまで言うなら、頼むかの……」

 テオの気迫に圧倒され、ユエラは狐耳をぴんと立てながらこくこく頷く。
 かくして今日もユエラはテオに付き添われ、ともに浴室へと向かった。

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