お狐さま、働かない。

きー子

二十二話/悪霊祓い

 翌日。ユエラたちはクラリスに案内され、〈闇の緋星〉跡地にやってきた。
 周辺の治安は良くもなければ悪くもない。街の西側――迷宮街一等地と外縁部のちょうど半ばほどにあり、各所への交通事情は割合良い方だと言える。

「ふむ。外から見ただけでは分からんようになっておるのだな」

 その建物は一見して小規模な酒場にも見えた。一階部の内装も外観を裏切らず、酒場のホールにも似た開けた空間が広がっている。入り口扉には公教会の証文入りの看板が打ちっぱなしにされている――――『許可無くして立ち入ることを誰人にも禁ず』。

「クラリスよ。もう中に入っても構わぬかえ――」

 ユエラが伺いを立てるために後ろを振り返る。
 そこでは二人の若い女がいがみあっていた。

「……どうしてあなたがここにいらっしゃるのですか?」
「そいつは私のほうが聞きたいよ。公教会の連中がどうしたってユエラの傍にいるんだい?」
「私は公教会より任じられた代表監察官ですから、ユエラさんの傍にいるのは当然のことです。あなたがここにいることこそよほど不自然では?」
「護衛対象が居を移すって言うんだからその居場所くらい把握しとかないと話にならんだろうに。それともなにか、私が一緒にいたら不都合でもあるのかい?」

 ユエラの後ろで喧々諤々とやりあうフィセルとクラリス。
 フィセルとは先ほど合流したばかりだが、顔を合わせた瞬間から二人はこの調子だった。面識があったのは特に意外ではないが、これほどの犬猿の仲であろうとは。

「不都合などあろうはずもありません。しかしアルバートが仰ったように、あなたとユエラさんの関係には少々解せないところがあります。以前は私共のほうに非がありますから退きましたが……」
「そんなことはあんたに関係がない。監察とかなんとか言ってるけどね、どうせお偉いさんにあることないこと吹き込むつもりなんだろう?」
「そのようなことはいたしません。私のなすべきことは、ユエラさんの資質を適切に、そして正確に見極めることです。それを評価するためには、ユエラさんがあなたに与えた影響も決して無関係とは言えません」
「……あんたがそう思ってるのは本当かもしれないね。でも、あんたを監察役に命じた奴は本当にそう考えてるのかい?」
「……っ!」

 クラリスが一瞬声をつまらせる様子を見てユエラは考える。彼女は敬虔な公教会の信徒には違いないが、公教会という組織に全幅の信頼を寄せているわけではないようだ。

「鍵、開いてますね。入りましょう、ユエラ様」
「……さっきまで閉まっておったよな?」
「いえ、開いていたのです。ユエラ様を立ちっぱなしにする不敬に耐えられず自ずから鍵を開けたのでは。実に殊勝な扉ですね」
「……テオ、きみ、何か仕舞わなかった?」
「いえ、何も」

 鍵を強引に解錠するための錐形の刃。リーネが目ざとく見咎めるが、テオは表情ひとつ変えずに真顔で言い放った。彼女が先導するように扉を開け、その後にユエラとリーネが続く。

「あっ……ちょっと! お待ち下さ――――えっなんで? なんで開いてるんです……?」
「どうせ開けるんだから同じことだろうさ。ほら、後がつっかえてんだから早く行きなよ」
「わっ、ちょ、押さな……押さないでください、行きます、行きますから!」

 仲が悪いのか良いのかさっぱり分からない連中である。
 案の定というべきか、建物の中は真っ暗だった。

「いでよ、〈狐火〉」

 ユエラの言霊に応じ、赤黒チェックのフリルスカートから伸びる二尾の尻尾の先端にちいさな火が灯る。

「ユエラ様、わざわざ御力を使わずとも灯りのご用意はございますが」
「……煙いのはあまり好かんのだ」

 この時代、建物の中の照明はほとんどが魔具でまかなわれている。周囲の魔素を取り込んでちいさな光を起こすだけの極めて簡素な器具。普及率は高いがエネルギー効率は著しく悪く、明るさでは圧倒的に火に劣る。利点は煙が出ないこと、入れ替えの面倒が無いことだ。

 そしてこの魔具は据え置き式のものしか無い。携行式も製造できないわけではないが、エネルギー効率が低すぎて役に立たないのだ。ゆえに持ち運びできる照明としては、いまだにたいまつやランプが現役なのだった。

「それはいけません。是非もなく実用可能な携行式採光魔具を開発するよう推し進めませんと――」
「……照明用の魔術なら使えるよ」
「おお、そうか。ならば持っていけ」

 ユエラはリーネに向けてしっぽを突き出す。しっぽの先で燃え盛る〈狐火〉には熱がない。光を発する魔素の塊のようなものである。リーネはそれに手を伸ばし、改めて熱を持たない火を熾した。

「来たれ灯火のほの……ひっ!」

 詠唱。刹那、リーネが短く悲鳴を上げる。
 ユエラのしっぽに触れるリーネを、テオが凄まじい目付きで睨んでいた。視線で人を殺せるならばリーネはすでに死んでいるだろう。

「やめい。せっかく役に立ちおったのに萎縮させてどうする」
「申し訳ありません。つい嫉妬と殺意が……どうして私には魔術の才が……」
「……しかしまぁ、誰でも扱える便利な魔具を作るという発想は良いな」

 販路を確保するのが面倒だから一時は考えもしなかったが、今は足元も落ち着いてきた。安定した収入を得るためには悪くない考えかもしれない。

「『光あれ』」

 後ろからも短く聖句が聞こえ、建物内はすっかり明るく照らし出される。これはクラリスの力だろう。
 照らし出された内装は一見して酒場のよう。これは察するに〈闇の緋星〉拠点――つまり地下階層を隠蔽するための偽装だろう。

 テオとリーネは勝手知ったる様子で部屋の隅っこへユエラを先導する。二人ともここが古巣なだけはある。少し見ただけでは全く分からなかったが、床の一部を引っぺがすと、地下に繋がる階段が姿を表した。

「な、なぜその階段のことをご存知で?」
「そういえば言っておらなんだか。こやつは組織の生き残りでな」

 と、ユエラは困惑するフィセルにテオのことを説明する。

「……ユエラ、あんた、そんなことまでぺらぺら喋っちまって良いのかい?」
「特に話して問題があるとは思わんが。……ま、ちょいと所属が怪しいというくらいであろう?」

 フィセルは一瞬瞑目し、目を眇めながら言葉を選ぶ。

「……実を言えば、私は別にクラリスに問題があるとは思っちゃいない。むしろ誠実なくらいさ。公教会の中ではとびっきりにね。でも、こいつが報告を上げる連中までそうとは限らない――どんな報告でも、あんたに都合が悪いように捻じ曲げられかねない」
「なんだ、なら私が何を言おうと同じこと。いちいち気にかけることもなかろう?」
「……あんたがそう言うならそれで良いんだけどさ。……いや、あんたの楽観主義は今に始まったことじゃないか」
「よく分かっておるではないか」

 ユエラはくつくつと喉を鳴らして笑い、テオとリーネに先導されながら階段を降りていく。

「足元、お気をつけてくださいね。それと、外よりもだいぶ魔素が濃いはずです。もしかしたらまだ悪霊が発散しきらずに残っているかもしれませんから、どうかお気をつけてください」
「何度も言われんでも分かっておるよ。私が悪霊なぞに屈するものかえ」

 ユエラの耳がぴくぴくとちいさく震える。こつ、こつ、と石階段が硬質な音を響かせる。

「あの、フィセルさん」

 ユエラの後ろに続きながら、クラリスはふと振り返って呼びかける。突然のことにフィセルはぱちぱちと目をしばたかせた。

「……なんだい。いきなり」
「あの。――――ありがとうございました」

 クラリスはフィセルをじっと見つめ、楚々とした仕草で深く頭を下げる。

「…………は?」

 全く思い当たるふしがなく、フィセルはいよいよ呆気にとられた。彼女は口をぽかんと開け、クラリスを見下ろしながら立ち尽くす。

「いえ。あなたの口から私を庇うような言葉が出るとは思いもよらなかったもので」
「……馬鹿にしてんのかい」

 フィセルは脱力したように肩をすくめる。が、クラリスを嫌っていると認識されても仕方がないのは確かだろう。

「あんたの能力が、名声が、人柄が嘘っぱちだなんて思っちゃいない。あんたの功績は誰にも真似できないものだ。……だからこそ、あんたは必ず誰かに利用される。それが疎ましいことに変わりはないよ」
「……だとしても、私は私が正しいと――いえ、そうすべきだと思う行いを成し遂げます。その他に私の道は無いでしょうから」
「……だから、そういうところがさ……」

 フィセルは顔に掌をあて、ちいさくため息。彼女は諦めたようにクラリスの前を行き、階段を降りていく。

「あっ……ま、待ってください! まだユエラさんにどのような影響を受けたか聞いていませんよ!?」
「話してやる義理はない。後にしな」

 後から追いかけるクラリスを追っ払うようにフィセルはひらひらと軽く掌を振る。

 ◆

「おお。こりゃあひどい」

 地下階の木床に降り立ち、ユエラは開口一番つぶやいた。
 天に昇ることなく地の底を這う死人の思念。それに力を与えるように渦巻く魔素。魔力を帯びた思念は悪霊と化し、あてどなく天井近くをさまよい続けている。

「……流石です、ユエラ様。私にはほとんど何も感じられないのですが」
「それはな、テオ、おまえが健康な証であろうよ。悪霊はたいがい精神的に弱ったやつから狙いおるからな――――ほれ、あのように」

 と、ユエラはリーネを指し示す。彼女は部屋の隅っこで頭を抱えてうずくまり、胡乱な言葉を延々とつぶやいていた――――「ごめんよ」「私が全部悪いんだ」「やめて」「言わないで」「許して」「おねがいだから」。

「ユエラ様、あれ、放っておいて良いのですか」
「カナリア代わりになるかと思ったんだが、うむ、思ったよりずいぶん影響が早いのう」

 普通、魔術師が悪霊の餌食になることはめったにない。あるとすれば、それはよほど未熟な魔術師か、あるいは規格外の悪霊が現れたかのどちらかだ。
 しかしユエラが見た限り、今回はどちらでもなさそうだ。リーネはかなり追い込まれているように見えるが、照明の魔術はしっかり維持し続けている。

 その時、後からフィセルとクラリスも降りてくる。フィセルは何も感じないように平然としていたが、クラリスは困惑したように眉をひそめた。

「う……妙ですね、以前より悪霊の勢力が増しているようです。確かにお浄め、祓えは行われたはずなのですが……」
「そうかい? 別に私はなんともないけど」
「あなたはどこでもそう仰せられるでしょう……」

 クラリスの口振りから察するに、元から隠れ潜んでいたものが噴き出たか。あるいは突然の闖入者に反応して姿を表したのか。

「……ふん」

 ユエラはずかずかとリーネに歩み寄り、彼女に群がる悪霊をしっしと払った。ユエラがまとう魔力に押され、悪霊どもはあっという間に天井近くに追いやられる。

「……っ、う……ごめん、なさい……っ、ぅ……また、手間を、かけて……」
「良いからさっさと立て。わざわざ悪霊に耳を貸すやつがおるか阿呆」

 リーネが狙われた理由。それは弱っていたこともあるだろうが、〈闇の緋星〉壊滅を手引きした張本人でもあるからだろう。そして彼女は悪霊に耳を傾けた。
 仕出かしたことはろくでもないが、意外に人並みの感性を持ち合わせているらしい。ユエラはむしろそのことに驚いた。

「……でも、ここのやつは、私が……」
「人間、死ねばそれまでよ。悪霊は悪霊、死んだ本人では決して無い。こやつらの戯れ言に耳を傾けること、それもまた死人の冒涜に過ぎぬ。おまえがすべきはこやつらに頭を下げることなどではない」
「……私が、するべき、こと。……どうしたら、いいの。どうしたら、許してもらえるの。私には、もう、わからないんだ」

 リーネは縋るようにユエラを見上げる。それがまた気に入らず、ユエラはちいさく鼻を鳴らした。"許してもらう"などという言い方はまさに彼女の弱気の証拠であろう。

「どうやったら許されるか? 簡単だ。――――許されぬよ。人を殺して許される道理などあるものか。唯一許しを与えられるものは、殺された本人は、とっくに死んでおるのだからな」
「……っ!」

 ユエラのしっぽが苛立たしげに荒ぶる。リーネに向けた視線を外し、彼女から一歩一歩離れていく。そうなれば、悪霊どもはまたリーネに狙いを付けるだろうか。

「許されようなどと考えるな。おぬしは人を殺した――――私と同じようにな。そしておぬしはまだ生きておる。死んだやつらとは違ってのう」

 ユエラはそれだけ言って歩を進める。悪霊どもに憑き殺されたいのなら勝手にすればいい。殺した相手に殺されるのだから因果応報というものだろう。

「……よろしいのですか? ユエラ様」
「あまり何回も手を差し伸べるのは面倒だからのう」
「ユエラ様がそう仰せられるのでしたら」

 テオはそれだけ言って引き下がる。が、その代わりにユエラに食ってかかるものがいた――クラリスである。

「リーネさんはあなたの奴隷なのでしょう!? それをあのように突き放して――」
「おぬしが救いたければ勝手に救え。だが、面倒を見るのはおぬしではなかろう。それとも、リーネの今後を引き受ける気があるのかえ?」
「…………いえ」
「なら、そこで見ておるが良いさ」

 ユエラとて何も見限ったわけではない。
 彼女が向ける視線の先。リーネは部屋の壁に手を突いて、ゆっくりと――幽鬼のごとく立ち上がった。
 そこに頭上から降りかかる悪霊の群れ。それらはリーネの周りを取り囲み、彼女を取り逃すまいとする。

 リーネは悪霊どもを見るともなく見回し、つぶやくように小さく口を開く。

「…………みろ」

 意味をなさない掠れた声。うつむき加減の顔をゆっくりと上げ、リーネは前に一歩踏み出す。
 瞬間、うごめく悪霊の群れがにわかに硬直した。

「…………ざまを、みろ」

 リーネのか細い喉首から絞り出すような声。
 それは死者への謝罪でもなければ弔いでも何でもない。

「――――ざまをみろ、悪霊ども!! 私は生きている!! くたばったきみたちじゃ、どう足掻いたって私は殺せやしない! きみたちは死んだが、私は生きている! 死んだ人間が、生きている人間の、邪魔をするな!! ――――死人ごときが、私の前に、立つんじゃない!!!!」

 それは悪罵であり、むき出しの生者のエゴであり、我欲の塊のような言葉だった。
 贖罪の意識など欠片もない。死者への敬意などあるはずもない。そんなものは余裕がある強者の余興、遊び、戯れの類でしかない。

 そしてリーネは弱者だ。尊厳たるものをユエラに剥奪された奴隷だ。それでも彼女の内側には、悪霊に対抗し得る力が残っていた――ただ死にたくない、という悲しいほどに浅ましい欲望。
 まるで悲鳴じみた叫びをまともに受け、悪霊どもは散り散りに追い散らされる。まるで蜘蛛の子を散らすような光景。リーネは青白い肌にびっしりと汗を浮かべ、せわしなく肩で息をする。

「……それで良い」

 ユエラは喉を鳴らして笑い、ぱちぱちとちいさく拍手する。
 相手はすでに死んだものに過ぎない。そしてこちらは生きている。この絶対的優位を弁えてさえいれば、悪霊に屈するなどまずありえない。――ことさらに口汚くする必要は特に無いが。

「ほら、掴まりな」
「……ん、うん。ありがとう……」

 背丈が近いフィセルが率先してリーネに肩を貸す。一気に疲れが来たようだが、もう彼女が悪霊に狙われることは無いだろう。

「ほれ、私が手助けせんでもなんとかなったであろう?」

 ユエラはそういってクラリスに笑いかける。が、彼女はユエラと対照的なほど深刻そうに眉をひそめていた。

「……ユエラさん」
「なんだ、えらく渋い顔をしおって。ちょいと冒涜的なことを言っただけであろう」

 死者への冒涜。公教会の司祭としては看過しかねるだろうが、どうせ他に聞いているものもいないのだ。この場は大目に見てもらいたい。
 しかしクラリスは静かに首を横に振った。

「――あなたは、彼女に、なにをなさったんですか?」
「別に。何もしておらんよ。おぬしも見ておったろう。私はあやつに一言、二言喋っただけだ」
「……そう、ですね。確かに、その通り、なのでしょう」

 その事実は彼女も認めている。だが、どうしても納得はしかねるようだった。

「それがユエラ様の御力というものですから」
「おまえが私の力の何をわかっとるんだ」
「……いえ。とても、よく存じておりますよ」
「えらく自信ありげに言いおるな……」

 ユエラはいぶかしげにテオをじとりと見る。しかし彼女は口元に薄く笑みをたたえ、花開くように微笑をほころばせるばかりだった。

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