お狐さま、働かない。

きー子

二十一話/クラリス・ガルヴァリン

 結論から言えば、クラリス・ガルヴァリンは無害な女司祭にしか見えなかった。
 ユエラに探りを入れるような素振りはまるで無し。強引に物件探しに巻き込めば、彼女は流されるがままに手伝ってくれる始末である。

 現在はユエラの対面に座り、テオが煎れたお茶になんの警戒もせず口をつけている。ここまで来ると、無防備を通りこしてくそ度胸の持ち主なのではないかと疑ってしまうほどだった。

「……ご事情は理解がいきました。ここはスヴェンさんの持ち家だったのですね」
「左様。スヴェンは気前が良いがな、甘えておるのも気が済まん」
「なるほど、それで――って、あれ……?」

 クラリスは不意にきょとんと目を丸くする。大人びた美しい顔立ちが不意に子どもっぽく見える。

「ああ、あやつとは気易い間柄でな。普段は"あるじ様"などとは言っておらんよ」
「……そういうことでしたか」

 クラリスは音も無くカップを傾け、ほっとちいさく息を吐く。クラリスの無防備さは度を過ぎていたが、ユエラの杜撰さも大概だからおあいこと言えた。些細なことに手間を掛けるのがとにかく性に合わないのだ。

 茶の席にはテオとリーネも同席している。テオはいつもの冷静さを保っていたが、一方でリーネはやけに落ち着きがなかった。少し休ませれば体調は戻ったが、クラリスへの苦手意識に変わりはないようだ。

「空いている家でしたら、公教会の管理下にもいくつかご案内できる土地がございますよ。事情が事情ですから、少々訳ありの物件も多くなりますが……」
「おぬしらが管理しておるのか……いまいち気が進まんなあ」
「管理、といっても特別なことはしていません――というより、管理し切れていないと言いますか。持ち主が亡くなられたのに相続する相手も無く、そのまま便宜的に接収しているのが実情です」
「ふん。上手いことやりおるわ」

 ユエラは鼻を鳴らして笑う。クラリスもそこに異論はないのか口端を吊り上げ、薄く微笑むばかりだった。

「……だとすると、〈闇の緋星〉の拠点も、公教会の管理下にあるのかな」

 その時、リーネが不意にぽつりと呟く。ユエラに何かと縁があり、もはやこの世には存在しない組織の名。

「〈闇の緋星〉……確か、一度は聞いた覚えがありますが」
「宗教団体の襲撃事件ですね。イブリス教団内の内輪揉めという話だったかと」

 当事者でありながら他人事のようにあっけらかんと話すテオ。もはや何の感慨も無いように。

「……ああっ、あれは……酷い事件でしたね。なにせ現場が地下でしたから、逃げ場もなく……」
「邪教同士の争いであろう。おぬしらにとって都合が良かったのではないかえ?」

 ユエラがからかうように言うと、クラリスは一瞬むっとして神妙に眉をひそめる。

「彼らは確かに異教徒でした。しかし、あれほど惨たらしく殺されるいわれはありません」

 褒めているのか貶しているのかさっぱり分からないが、公教会の司祭にしてはかなり控えめな表現だろう。ユエラは面白半分に突っついたことを少しだけ反省する。
 クラリスはこほんとちいさく咳払いして話を戻す。問題は事件ではなく土地のことだ。

「……あそこはあまり勧められません。決して少なくない死者が出たばかりですから。……こういってはなんですが、曰くつきと申し上げましょうか……地下というのも相まって、祓えや浄めが十分に功を奏していないのです」
「なるほどのう。面白そうではないか」
「話を聞いていましたか!?」
「聞いておったからそう思ったんだが?」

 ユエラは大真面目に言い、テオとリーネに目配せする。

「私は一向に構いませんが」
「……条件はご主人様の希望に合うと思う。それに、結構静かだよ」

 襲撃事件を手引きしたリーネはさすがに複雑そうだが、特に気にかける様子もない。テオに至っては「勝手も心得ておりますから良いですね」と言わんばかりに頷いている。女三人雁首揃え、素晴らしいほど信心が欠けていた。

「……そう仰られるならご案内するのも私としてはやぶさかではありません。ただし先ほども申し上げたとおりあまり勧められる状態ではありませんので、どうか心身を強くお持ちになられるようお願いします」
「くく。私にそれを言うのかえ?」

 惰弱な悪霊ごときがユエラに害をなせるわけもない。
 悪霊とは言うなれば、死人の思念が魔力を帯びたようなもの。その本質は魔素の集合体であり、同程度の魔素をぶつければそれだけでかき消せる程度の存在である。
 が、クラリスは控えめな所作で首を横に振った。

「……私が言っているのはあなたではありませんよ」

 クラリスはそういって立ち上がり、リーネのほうに歩いていく。彼女はクラリスが近づくほどに、目に見えて全身をこわばらせた。

「……な、なによ?」

 かすかに声を震わせて顔を上げるリーネ。
 クラリスは彼女に顔を近づけ、観察するように眺め回す――吐く息まで重なりそうな距離。

「……ユエラさん。この街に奴隷を禁じる法はありません。公教会の司祭として是とは言いがたくも、あなたの行いにどうこう言える筋合いはありません。……ですが奴隷であるというのなら、あなたの財産であると主張するのなら、リーネさんの健康状態はいかにもかんばしからぬものでしょう?」
「……あぁー……」

 クラリスは気遣わしげにリーネの肩を撫で、非難するようにユエラを見る。
 それをユエラのせいとするのは全くの誤解だが、そう思ってしまうのは無理からぬことか。

「そやつの顔色が悪いのは端からでな。おまけにどうにも食が細い」
「……そうなのですか?」

 クラリスは楚々として膝を突き、覗きこむようにリーネを見つめる。至近距離から視線を受け、もはやリーネの顔色は蒼白だった。彼女は無言でこくこくと頷くばかりである。
 ユエラはその様子を見ながら確信を深める――おそらくだが、リーネは公教会の人間を極端に苦手としている。クラリスとの面識は無いだろうから、そう考えなければ彼女の拒絶反応に説明がつかない。

「あまり私のものを圧迫するでないよ。誤解はやむを得んだろうがな」
「……いえ、私の不当な思い込みでしたのならまことに申し訳ありません。咎無き罪を責められるいわれは誰にもございませんから」

 クラリスはすっくと立ち上がり、身を引いて深々と頭を下げる。その途端にリーネはほっと息をつき、ひそかに胸を撫で下ろしていた。
 やはり公教会に苦手意識があるのは確かなのだろう。しかり仮にそうだとすると、一点だけ腑に落ちないことがある。

 迷宮街ティノーブルは公教会の勢力が強い街である。リーネはどうしてそこにわざわざ留まったのか。公教会の司祭や信徒に出くわすのはそれほど珍しいことではない――彼女はそのたびに拒絶反応に苛まれることになる。生活するのにこんなに不便なことはない。

「大丈夫ですか? 先ほどから体調が優れないようですが」
「……いや。大丈夫だよ。意外だね、きみはもう私には興味が無いと思っていたよ」
「ユエラ様の所有物として立場を同じくする意識はあります。そしてユエラ様の所有物である以上、私を壊す権利はユエラ様にこそあり、私自身には無いのです」
「……極まっているね、きみは」
「当然です。立場を同じくするとは言いましたが、しかし私が第一の所有物であることはお忘れなきように」
「それでいいよ、というか、争うつもりなんて無いからね、ぜんぜん……」

 テオの気遣いに苦笑するリーネ。かつてと立場が逆転した格好だが、副教祖と最前線の暗殺者ではさしたる接点も無さそうだ。
 その様子を見てユエラはぴんとくる。

 以前のリーネ、つまり権力を有していた頃は問題がなかったのではないか。力がある間は苦手意識がある相手にも相応に接することができた。そして権力を失った今、苦手意識のある人間と接して拒絶反応が噴き出したというわけだ。

 ――――つまり、私のせいかえ。

 そう考えるとユエラはやけに愉しくなってきた。改めて向かい側に座り直したクラリスを目で追い、くつくつとちいさく喉を鳴らす。

「ま、私も口先だけで信用してもらえるとは思わんよ。どう報告してくれようと構いはせん。明日以降もここに来るのであろう?」
「本日は元々挨拶だけのつもりでしたから、報告するつもりはありませんよ。私の中で保留することにいたします」
「ほう? 良いのかえ、そんな調子で。私に肩入れしているように見られても私は知らぬぞ」
「……心配してくださっているのですか?」

 クラリスは不意に表情を和らげ、カップを傾けながら微笑する。――ユエラにしてみれば冗談にもならない言葉だった。

「まさか。……私の監察官がおぬしでなければならん理由なぞ全く無いが、あまりコロコロ替わられるのも御免こうむる。いちいち面倒くさいからな。おぬしが監察官と一度決まったなら、そのままでいてもらったほうが都合が良いというだけだ」
「……ありがとうございます。是非とも長い付き合いになるよう務めさせて頂きましょう」

 クラリスはにこやかに――艶っぽいほどの笑みを滲ませ、カップを空にして立ち上がった。

「……すっかり長居をしてしまいましたね。本日のところはこれにて失礼します。……お茶、美味しかったですよ。ご馳走様でした」
「褒め言葉はテオに伝えてやっておくれ。……うむ、では、またな」
「お粗末様です」

 粛々と応じるテオ。すっかり緊張しながらも見送るリーネ。
 ユエラとクラリスも最後にはお互いに笑みを交わし、それを本日の別れの挨拶とした。
 そして再び三人だけになった部屋の中。まるで堰を切ったようにテオはぽつりとつぶやく。

「……ユエラ様、あの方のこと、どう思われますか?」
「あやつのおかげで新しい家の候補が見つかったぞ。万々歳だな!」
「そういうことではなく」
「……うむ、冗談だ」

 やはりテオも疑問を覚えたのだろうか。ユエラと同じように。

「正直なところ判断が付かん。単なる馬鹿なのかずば抜けたくそ度胸の持ち主か。公教会の手足に徹しているのか、それとも極めて精巧な仮面をかぶっておるのか……」

 ユエラは考えあぐねたように首をひねる。と、リーネがおずおずとちいさく手を上げる。

「なんだ、どうかしたかえリーネ」
「……あの人は見たままの人だよ。多分、あれが本当に本当の素なんだ」
「何でそんなことがわかる。あれを知っておるのか?」

 ユエラが疑問を呈すれば、今度それに応じたのはテオだった。

「個人的なお人柄については存じあげておりませんが、あの方をご存知の方は珍しくないかと思われます」
「……こゃーん?」

 どゆこと? もしかしておまえも知っておるの?
 ユエラが首を傾げて発した問いに、テオは頬を赤く染めながら頷いた。

「はい」
「はいじゃなかろうが。もっとはよ言え」
「申し訳ありません。先入観なしに観察されたほうがユエラ様に益するかと愚考したもので」
「……まあ、ならば良いか」

 リーネも同じような考えだったのか、ちいさく頷く。
 では、彼女は――クラリス・ガルヴァリンは何者なのか。ユエラの至極もっともな疑問に、テオは端的に答えた。

「いかな派閥にも属さない女司祭。貧者にも無償で治癒の手を施し、この世で最も聖人に近い人とあだ名される〈聖光の癒し手〉――――そして、今代の〈勇者〉の血族の同朋ですね」

 ……そんな一角の人物がどうしてユエラの監察官を務めるのか。その事実が意味するものとは。

「……こりゃ、厄介なことになってきたのう」

 ユエラはぴくぴくと耳を震わせ、言葉とは裏腹に笑った。

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