お狐さま、働かない。
十六話/イブリス教団原理主義派襲撃事件・破
イブリス教団原理主義派拠点。その正面入口から真っ向突入を果たしたフィセル隊。
「抵抗の意志無きものは武器を捨てて床に伏せろ!!」
フィセルは玄関口で慌てふためく教団兵らを一瞥し、凛とした声で力強く宣言する。だが投降しようという教団兵はほとんどいなかった。
「怯むな、迎え撃て! 異教徒どもの襲撃に相違ない!!」
現場を預かる指揮官が命ずるが、教団兵の混乱は一向に収まらなかった。無理もない――彼らは別口の襲撃を鎮圧しに向かうところだったのだ。
これを好機と見たフィセルはすかさず傭兵たちに指示を飛ばした。
「行こう。一対一ではやり合うな。遠慮はいらない。降伏の機会はもう与えた。存分にやっていい」
「了解!!」
「殺せ!」
「皆殺しだッ!!」
六人の傭兵たちが、統制の取れた動きで教団兵を一人ずつ潰していく。二人がかりで一人を囲み、確実に仕留めてから次へ向かう。ことさら痛めつけるような真似はしない。的確に、最小限の労力のみで戦闘員を無力化する。
その最中、フィセルは一人突出して指揮官の元へ飛ぶように疾駆する。
「くそっ、貴様ら何をやっているのだッ! たかだか数人に何を手間取って――ぐッ!?」
「よそ見をしている暇があるのか?」
フィセルは長剣を抜き払い、指揮官の首に刃を滑らせる。
驚愕のままに振り返った敵指揮官。彼の素っ首がごとりと落ち、赤い絨毯と白い床をにわかに湿らせた。
「お終いだ」
フィセルは男の髪を掴みあげ、教団兵らの視線に晒す。彼らの戦意が見る見るうちに底まで落ちていく。
「おまえの隊長はもう死んだぜ、観念しな!!」
「ひっ……た、助け……ッ!」
一方、フィセルの実力を目の当たりにした傭兵たちは先程以上に奮起する。十人以上いたはずの教団兵は、最後まで混乱状態から立ち戻ることなくフィセル隊の手によって壊滅した。
フィセルは隊員に負傷がないことを確認し、唯一と思しき投降兵に歩み寄る。フィセルが一歩近づくたびに男は肩をこわばらせて震え上がった。
「……いいのかい? 戦う気はないんだね?」
フィセルは剣呑な眼差しで男の顔を覗きこむ。掌が男の頬に触れ、べっとりと血のりがこびりつく。
男は声もなく、何も言えないようにぶんぶんと首を縦に振る。恐怖に震える表情から思惑はうかがえない。ただ死にたくないという一心しか伺えない。
「……あんたは賢明な選択をした。せっかく拾った命、大事にするといい。こんなところに二度と寄り付くんじゃないよ」
フィセルは目を細めて薄く微笑み、男を視線から解放する。彼は恐怖に震えながらぐったりと脱力し、ほとんど這いずるように屋敷から逃げ出した。
その光景を傭兵たちは畏れ、あるいは見惚れたように視線を注ぐ。ある種の敬意にも近い感情が向けられる。
「それじゃあ、進むとしよう。訓練通りにね。テオたちが頑張ってくれているみたいだから、私たちは訓練の時より楽ができるかもしれないよ」
「了解す」
「おう!」
「うっす!」
調子よく応じる傭兵たち。彼らはフィセルを先頭にして二列の隊列を組み、階段に続く通路を進んでいく。
おおむねフィセルの予想通り、敵の勢いや数は訓練時より手緩いほどだった。テオがやり過ぎているのではないかと心配になるが、危なくなったら逃げるだろう。心配するほどのことではない。
階段の踊り場に辿り着いたところで警備の教団兵と遭遇する。数は十八人。上階への道が塞がれているのは当然だろう。フィセル隊はすかさず二人一組で散開して各個撃破を試みる。
「――報告にない侵入者だ! おいお前、上から応援を呼んでこい! 今すぐにだ!!」
「は、はっ!」
指揮官の命令に応じ、階段を駆け上がる教団兵。フィセルはそれを一瞥し、長剣を一度鞘に収めた。
「……フィセル隊長?」
「あれを刈るよ。ゲオルグ、ちょっとそこに屈んで」
「は、はい――ぐぅッ!」
声をかけられた傭兵は困惑しつつも大人しく屈みこむ。フィセルはすかさず彼の肩に手をかけ、踏みつけ、そして飛んだ。艶やかな金の髪が風になびき、華奢な身体が宙を舞う。
着地点は階段の手すり――その突起物を足蹴にし、教団兵の頭上を飛び越える。ほとんど飛翔するにも等しい軌道で、フィセルは階段を駆ける教団兵の目の前に接地した。
「……ひっ、な、なッ……!?」
「行かせないよ」
ひゅん。
無拍子で抜き放たれたフィセルの一閃が男の首を刈る。
これで連絡は届かない。応援が駆けつけることもない。新たに応援を呼びに行くこともままならない。
おまけに教団兵たちは上と下から挟み撃ちにされる格好だった。まさに絶体絶命としか言いようもない状況。
「く……くそっ!!」
「ど、どうすれば」
「あ……あの女だ! あの女をやれッ! あれは異教の化物だ!! 後は烏合の衆に過ぎん!!」
指揮官が咄嗟に下した指示はある意味、他のどのような判断よりも的確だった――――実行するには困難を極めるが。
指揮官と他二名の教団兵は剣を抜き、フィセルに向かって突きかかる。
瞬間、フィセルは一歩退き、返す刀でお供を切り払う。そのまま流れるように切り上げ、もう一人の腹を真っ二つに切り開く。
「く……な、なっ……!」
指揮官は青ざめた顔でわなわなと震える。戦慄するあまりに後退し、フィセルと数歩の距離を取る。
それはさながら、フィセルの刃が達する間合い――〈剣の結界〉に気圧されたかのよう。
「……退いたね」
フィセルの剣呑な眼差しが指揮官を射すくめるやいなや、彼の命運は決した。
ひうん。
風が哭くほどの魔力を帯びた剣閃が走り抜け、男の上半身と下半身を切り離した。胴体が腰の上から転げ落ち、階段の段差を滑っていく。
フィセルは男の下半身を蹴り飛ばし、自らの隊を睥睨する。
「皆よ、私たちは烏合の衆か?」
「否」
「聞こう、おまえたちは烏合の衆か?」
「否」
「……仮に私を失ったとて、おまえたちは烏合の衆か?」
「断じて否!!」
傭兵たちが雄叫びをあげる。覇気を浴びた教団兵らはなすすべもなく硬直する。
彼らはこのわずかな期間で誇りを得た。兵の命を容易く刈り取る戦女神のごとき上官を戴くことを。その指揮下にある兵であることを。フィセル・バーンスタインの兵であることを。
だから彼らは、彼ら一人一人がフィセル隊の兵だ。
「さぁ、やろう。蹂躙する」
「応ッ!!」
フィセル隊の傭兵たちは数的劣勢ながら奮戦し、圧倒的な戦意をもって敵を撃滅した。狭い場所であったことも有利に働き、各人が二人以上を仕留めるほどの戦果を上げた。
◆
フィセル隊は最短ルートを通って二階を駆け抜ける。一方、奥に進むほど敵の抵抗は激化しつつあった。
「総員、道を塞げッ!」
「ここを通すなッ!!」
要衝となる通路を封鎖するように詰めかける教団兵。だが、勢いづいたフィセル隊の前進を止めるには全く及ばなかった。
「邪魔すんじゃねえ!」
「皆殺しだ!」
「皆殺しにしろ!!」
教団兵一人一人の実力も先ほどと比べてやや高い。傭兵たちもそれを肌感覚で理解したのか、三人がかりで無力化する戦術を徹底する。そのおかげで今のところは負傷者も出ていない。
これ以上長引けば傭兵たちの疲労が気がかりだが、幸いなことに目標はすでに近かった。
作戦の目標地点――教祖の間は三階に上がってすぐの部屋。つまり、そこに至るための最終関門は三階に続く階段ということになる。
フィセル隊は一様に通路を抜け、大階段前の大広間を目の前にする。そこにはすでに、これまでで最も大きな規模の教団兵部隊が集っていた。一人の総指揮官を筆頭にして、総数は三十人を下らないだろう。
「来たぞ!」
「そこまでだ賊共め!!」
「何としてでも教祖様をお守りせよ!!」
彼らの主な武器は長槍。広々とした空間を利用し、最優先で防御を固めているのだろう。後方には魔術師らしきものも控えており、これを力尽くで押し通るのは相当困難なように思われた。
「方陣を組め。ここは虫けら一匹たりとも通すまい」
彼らの後方より総指揮官――僧兵長が命令を下す。黒い僧衣をまとう教団兵の中でもひときわ目立つ屈強な大男。フィセルは彼を一瞥し、そして自らの隊に視線を巡らせた。
「フィセル隊長」
「命令しろよ」
「俺たちはあんたに付いていくぜ」
実に威勢のよいことだった。フィセルは口端を歪めてちいさく笑い、敵方に向き直る。
「無駄に死ぬもんじゃないよ。後方で警戒待機。挟撃なんてされたら笑い話にもならないからね」
「……そ、それだけかよ?」
「隊長、ここまで来たらいっそのこと……」
フィセルの指示に傭兵たちは困惑し、翻意を促す。それはすなわち、彼女一人で敵に立ち向かうということだから。
だがフィセルは振り返りもせずに首を横に振る。この程度の兵数は訓練時にも想定されていた。そして、全員で向かえば死傷者を出す可能性が高いということも。
「おまえたちの役目はなんだ? 思い出しな。私がここに辿り着くまでの露払い、弱敵の排除、背後の守り……違うかい?」
フィセル隊の傭兵たちは無言でそれを聞く。命を賭けて勇猛果敢に戦うことは彼らの契約内容にはない。それをなさしめたのは、ひとえにフィセルの指揮にある。
「余力を残しておきな。帰り道があるんだから。……以上。その場で待機、後方の警戒に従事せよ」
「――――了解」
野太い声がそれぞれに応じるやいなや、フィセルはとん、と地を蹴った。
道中の傭兵たちの働きのおかげで余力は有り余っている。
フィセルの足運びとともに空気中の魔素が渦を巻く。螺旋を描きながら彼女の四肢にまとわりつき、結合する。魔術を使わずして魔術をも凌駕する莫大なエネルギーを発揮する。
――――その身はさながら放たれた矢。
「か、構えッ!!」
一瞬唖然とした教団兵らは、僧兵長の叱咤に慌てて槍を向ける。
彼女の機動はそれほどに常軌を逸していた。静止状態から瞬時に最高速度へと達する超加速。最高速度は軍馬のそれをも超え、フィセルは方陣の一角に牙を剥いた。
「――――行くよ」
ひゅん。
フィセルの痩身が穂先の手前でふわりと浮かび、教団兵の頭上を軽々飛び越える。同時に一筋の光が鞘走り、下方の兵に到達する。
――――アズライト礼刀法・飛燕――――
一瞬後、フィセルは方陣の中心に鮮やかに着地した。
「ぐ――ぎゃあああああッ!?」
遅れて教団兵の一人が絶叫する。頭頂から血飛沫と脳漿をぶちまけ、槍を取り落として昏倒する。
彼は運悪くフィセルの真下にいた兵だった。飛び越えざまに空を薙いだ一閃が、男の頭を真っ二つに割ったのだ。
そしてフィセルは方陣の中心から――すなわち教団兵の背後から攻めかかる。隙間なく組まれた方陣をすぐに反転させられるはずもない。
「ぎゃッ!!」
「があッ……!」
「た、助けッ……!!」
フィセルが長剣を振るうたびに血潮が舞う。一人、二人、三人、四人。方陣の一角が瞬く間に食い破られていく。響き渡る絶叫、悲鳴、断末魔。死の恐怖はすぐにも伝染し、残る教団兵らを恐慌状態に追いやっていく。
「ひっ……!!」
「無駄だ」
闇雲に突き出された槍の穂先を斬り落とす。即座に踏み込んで切り捨て、フィセルは次の標的を捕捉する。
自らの動きのみならず、今のフィセルには相手の動きが手に取るように読めた。魔力の流れを見極める力の副産物であろうか。ただ、相手が得物を振るうときの筋肉のこわばりが直感的にわかるのだ。
「残るもので包囲して押さえよ! 魔術師が止まったところを射て! 詠唱の時間を稼ぐのだ!!」
僧兵長が必死に指示を叫び、混乱を収めようとする。しかしひとたび崩れた集団は脆いもの。どれだけ冷静な指揮官でも失った統率を取り戻すことは不可能に近い。
「……そっちか」
フィセルは及び腰の包囲を簡単に食い破り、魔術師のほうに目を向ける。直撃する心配はまず無いだろうが、種がわからないのは気味が悪い。フィセルは発動が近い魔術師を的確に見極め、優先的にその方へ矛先を向けた。
「……ッ! ひっ……!」
「集中を乱すなッ! 迎え撃つのだッ!!」
フィセルの剣気に身を打たれ、魔術師の詠唱がかき乱される。一流や超一流ならまだしも、魔術師を護衛無しで運用するのはほとんど不可能だ。強力な魔術には相応の集中と詠唱、時間を要し、大気中の魔素を集約しなければならないのだから。
そう。ユエラ・テウメッサのような怪物は、魔術師の中でもごく一部の例外に過ぎなかった。
「きっ……『来たれ糾える業火』――――」
「やらせないよ」
肉迫するとともに刺し貫く――発動は許さない。
絶命した魔術師の喉から剣先を抜けば、断末魔の代わりに血の泡がごぽりと音を立てた。
さらに近くの魔術師を撫で斬りにする。発動がすでに間近であり、矛先はフィセルのほうに向いていた。それだけで殺すには十分だ。
フィセルはすかさず残りの魔術師を射すくめる――次はあんただ。
「うっ……」
「ま、待てっ……頼む、投降するからっ!」
「助けっ……!」
「ば……馬鹿な、何を言うか、お前たちッ!!」
僧兵長の激昂。フィセルは一瞬考える。
投降の証には武器を捨てさせればいい。が、魔術師はそうもいかない。魔術師が魔術を捨てることはできない。
「そいつを撃ちな」
「……は?」
フィセルは剣先で僧兵長を示す。
残る魔術師は五人。どれだけのことができるかは分からないが、人ひとりを殺すくらいは簡単だろう。
「残りのもの。助かりたいなら武器を捨ててとっとと失せな。ただし、今日限りでこの教団はお終いだよ」
フィセルがそう宣言すると、教団兵らは次々に槍を打ち捨てて逃げ出した。本能のままに。ただ生きたいという一心で。
「ま……まて、お前たちっ!! やめろ、戻れっ!! 脱走など教祖様が許されないぞ!!」
「……やれるかい?」
フィセルは僧兵長の叫び声を無視し、魔術師たちを一瞥する。
彼らは僧兵長とフィセルを交互に見て、そしてお互いに頷き合った。
「……まて、お前たち、まさか……」
にわかにわななく僧兵長。
瞬間、魔術師たちは彼に向かって詠唱を開始した。
「バカな真似をッ!!」
僧兵長は腰の剣を抜き放ち、怒りのままに魔術師たちのほうへ向かう。激的な状況変化の前に、彼は本来の敵を見失っていた。
フィセルは近くに落ちていた長槍を拾い、僧兵長の後ろから投擲する。
「ぐ――――あああああッ!?!?」
穂先が大腿部に突き刺さり、僧兵長の肉体を床に縫い止める。
その間も魔術師たちの詠唱は止まらない。淡々と紡がれる呪文が魔素を練り上げ、結合する。そこから生じたエネルギーを転化し、生み出されるは紅蓮の球体。
「『灼き尽くせ』」
――――炎魔術・収束コロナ――――
球体は放射線を描いて投射され、僧兵長に直撃する。瞬間、球形に束ねられた熱と炎が着弾点を中心にして撒き散らされた。
僧兵長は全身を炎に巻かれ、声も発せず絶命する。言うまでもなく即死である。効力範囲こそ狭いが、威力は申し分なかった。
「――投降を認める。ただし、一時的に私たちの監視下に置かせてもらう。いいね?」
「……やむを得ません」
教団兵――先ほどまで教団兵だった魔術師たちは、息を乱しながら了承する。反発や後悔は意外にもなかった。すでにやってしまった後だからか。
ともあれ、これで大広間は片付いた。多少時間を食ってしまったが、後は目標の〈魔具〉を奪うのみ。
フィセルは傭兵たちを招集し、彼らに魔術師たちを見張るよう命じる。待機を強いられていた彼らは喜んで任務を引き受けた。
「しかしとんでもねえな、フィセル隊長」
「俺たち何人分の働きだよ?」
大階段に脚をかけながら、いささか興奮気味に話す傭兵たち。
フィセルは苦笑して言った。
「後ろを気にしないで戦えるのも悪くないね。それに、一人じゃこう早くは片付かない」
他の探索者とは目的が異なるために、単独での迷宮探索を余儀なくされたフィセル。だが、目的さえ一致していれば共同戦線を組むのもやぶさかではないと思う。
本命の迷宮探索ではないが、それでもフィセルは仲間がいるありがたみを思い知らされていた。
一行はそのまま何事もなく三階に到着し、教祖の間を目の前にする。
「私が部屋に突入する。万が一にも取り逃がさないように全員で入り口を押さえときな。……逃亡を助けでもしたら、わかってるね?」
フィセルは傭兵たちに命じ、ついでに魔術師たちを脅しつけておく。黒フードに覆われた顔を青ざめさせながら頷くのがやけに印象的だった。
「抵抗の意志無きものは武器を捨てて床に伏せろ!!」
フィセルは玄関口で慌てふためく教団兵らを一瞥し、凛とした声で力強く宣言する。だが投降しようという教団兵はほとんどいなかった。
「怯むな、迎え撃て! 異教徒どもの襲撃に相違ない!!」
現場を預かる指揮官が命ずるが、教団兵の混乱は一向に収まらなかった。無理もない――彼らは別口の襲撃を鎮圧しに向かうところだったのだ。
これを好機と見たフィセルはすかさず傭兵たちに指示を飛ばした。
「行こう。一対一ではやり合うな。遠慮はいらない。降伏の機会はもう与えた。存分にやっていい」
「了解!!」
「殺せ!」
「皆殺しだッ!!」
六人の傭兵たちが、統制の取れた動きで教団兵を一人ずつ潰していく。二人がかりで一人を囲み、確実に仕留めてから次へ向かう。ことさら痛めつけるような真似はしない。的確に、最小限の労力のみで戦闘員を無力化する。
その最中、フィセルは一人突出して指揮官の元へ飛ぶように疾駆する。
「くそっ、貴様ら何をやっているのだッ! たかだか数人に何を手間取って――ぐッ!?」
「よそ見をしている暇があるのか?」
フィセルは長剣を抜き払い、指揮官の首に刃を滑らせる。
驚愕のままに振り返った敵指揮官。彼の素っ首がごとりと落ち、赤い絨毯と白い床をにわかに湿らせた。
「お終いだ」
フィセルは男の髪を掴みあげ、教団兵らの視線に晒す。彼らの戦意が見る見るうちに底まで落ちていく。
「おまえの隊長はもう死んだぜ、観念しな!!」
「ひっ……た、助け……ッ!」
一方、フィセルの実力を目の当たりにした傭兵たちは先程以上に奮起する。十人以上いたはずの教団兵は、最後まで混乱状態から立ち戻ることなくフィセル隊の手によって壊滅した。
フィセルは隊員に負傷がないことを確認し、唯一と思しき投降兵に歩み寄る。フィセルが一歩近づくたびに男は肩をこわばらせて震え上がった。
「……いいのかい? 戦う気はないんだね?」
フィセルは剣呑な眼差しで男の顔を覗きこむ。掌が男の頬に触れ、べっとりと血のりがこびりつく。
男は声もなく、何も言えないようにぶんぶんと首を縦に振る。恐怖に震える表情から思惑はうかがえない。ただ死にたくないという一心しか伺えない。
「……あんたは賢明な選択をした。せっかく拾った命、大事にするといい。こんなところに二度と寄り付くんじゃないよ」
フィセルは目を細めて薄く微笑み、男を視線から解放する。彼は恐怖に震えながらぐったりと脱力し、ほとんど這いずるように屋敷から逃げ出した。
その光景を傭兵たちは畏れ、あるいは見惚れたように視線を注ぐ。ある種の敬意にも近い感情が向けられる。
「それじゃあ、進むとしよう。訓練通りにね。テオたちが頑張ってくれているみたいだから、私たちは訓練の時より楽ができるかもしれないよ」
「了解す」
「おう!」
「うっす!」
調子よく応じる傭兵たち。彼らはフィセルを先頭にして二列の隊列を組み、階段に続く通路を進んでいく。
おおむねフィセルの予想通り、敵の勢いや数は訓練時より手緩いほどだった。テオがやり過ぎているのではないかと心配になるが、危なくなったら逃げるだろう。心配するほどのことではない。
階段の踊り場に辿り着いたところで警備の教団兵と遭遇する。数は十八人。上階への道が塞がれているのは当然だろう。フィセル隊はすかさず二人一組で散開して各個撃破を試みる。
「――報告にない侵入者だ! おいお前、上から応援を呼んでこい! 今すぐにだ!!」
「は、はっ!」
指揮官の命令に応じ、階段を駆け上がる教団兵。フィセルはそれを一瞥し、長剣を一度鞘に収めた。
「……フィセル隊長?」
「あれを刈るよ。ゲオルグ、ちょっとそこに屈んで」
「は、はい――ぐぅッ!」
声をかけられた傭兵は困惑しつつも大人しく屈みこむ。フィセルはすかさず彼の肩に手をかけ、踏みつけ、そして飛んだ。艶やかな金の髪が風になびき、華奢な身体が宙を舞う。
着地点は階段の手すり――その突起物を足蹴にし、教団兵の頭上を飛び越える。ほとんど飛翔するにも等しい軌道で、フィセルは階段を駆ける教団兵の目の前に接地した。
「……ひっ、な、なッ……!?」
「行かせないよ」
ひゅん。
無拍子で抜き放たれたフィセルの一閃が男の首を刈る。
これで連絡は届かない。応援が駆けつけることもない。新たに応援を呼びに行くこともままならない。
おまけに教団兵たちは上と下から挟み撃ちにされる格好だった。まさに絶体絶命としか言いようもない状況。
「く……くそっ!!」
「ど、どうすれば」
「あ……あの女だ! あの女をやれッ! あれは異教の化物だ!! 後は烏合の衆に過ぎん!!」
指揮官が咄嗟に下した指示はある意味、他のどのような判断よりも的確だった――――実行するには困難を極めるが。
指揮官と他二名の教団兵は剣を抜き、フィセルに向かって突きかかる。
瞬間、フィセルは一歩退き、返す刀でお供を切り払う。そのまま流れるように切り上げ、もう一人の腹を真っ二つに切り開く。
「く……な、なっ……!」
指揮官は青ざめた顔でわなわなと震える。戦慄するあまりに後退し、フィセルと数歩の距離を取る。
それはさながら、フィセルの刃が達する間合い――〈剣の結界〉に気圧されたかのよう。
「……退いたね」
フィセルの剣呑な眼差しが指揮官を射すくめるやいなや、彼の命運は決した。
ひうん。
風が哭くほどの魔力を帯びた剣閃が走り抜け、男の上半身と下半身を切り離した。胴体が腰の上から転げ落ち、階段の段差を滑っていく。
フィセルは男の下半身を蹴り飛ばし、自らの隊を睥睨する。
「皆よ、私たちは烏合の衆か?」
「否」
「聞こう、おまえたちは烏合の衆か?」
「否」
「……仮に私を失ったとて、おまえたちは烏合の衆か?」
「断じて否!!」
傭兵たちが雄叫びをあげる。覇気を浴びた教団兵らはなすすべもなく硬直する。
彼らはこのわずかな期間で誇りを得た。兵の命を容易く刈り取る戦女神のごとき上官を戴くことを。その指揮下にある兵であることを。フィセル・バーンスタインの兵であることを。
だから彼らは、彼ら一人一人がフィセル隊の兵だ。
「さぁ、やろう。蹂躙する」
「応ッ!!」
フィセル隊の傭兵たちは数的劣勢ながら奮戦し、圧倒的な戦意をもって敵を撃滅した。狭い場所であったことも有利に働き、各人が二人以上を仕留めるほどの戦果を上げた。
◆
フィセル隊は最短ルートを通って二階を駆け抜ける。一方、奥に進むほど敵の抵抗は激化しつつあった。
「総員、道を塞げッ!」
「ここを通すなッ!!」
要衝となる通路を封鎖するように詰めかける教団兵。だが、勢いづいたフィセル隊の前進を止めるには全く及ばなかった。
「邪魔すんじゃねえ!」
「皆殺しだ!」
「皆殺しにしろ!!」
教団兵一人一人の実力も先ほどと比べてやや高い。傭兵たちもそれを肌感覚で理解したのか、三人がかりで無力化する戦術を徹底する。そのおかげで今のところは負傷者も出ていない。
これ以上長引けば傭兵たちの疲労が気がかりだが、幸いなことに目標はすでに近かった。
作戦の目標地点――教祖の間は三階に上がってすぐの部屋。つまり、そこに至るための最終関門は三階に続く階段ということになる。
フィセル隊は一様に通路を抜け、大階段前の大広間を目の前にする。そこにはすでに、これまでで最も大きな規模の教団兵部隊が集っていた。一人の総指揮官を筆頭にして、総数は三十人を下らないだろう。
「来たぞ!」
「そこまでだ賊共め!!」
「何としてでも教祖様をお守りせよ!!」
彼らの主な武器は長槍。広々とした空間を利用し、最優先で防御を固めているのだろう。後方には魔術師らしきものも控えており、これを力尽くで押し通るのは相当困難なように思われた。
「方陣を組め。ここは虫けら一匹たりとも通すまい」
彼らの後方より総指揮官――僧兵長が命令を下す。黒い僧衣をまとう教団兵の中でもひときわ目立つ屈強な大男。フィセルは彼を一瞥し、そして自らの隊に視線を巡らせた。
「フィセル隊長」
「命令しろよ」
「俺たちはあんたに付いていくぜ」
実に威勢のよいことだった。フィセルは口端を歪めてちいさく笑い、敵方に向き直る。
「無駄に死ぬもんじゃないよ。後方で警戒待機。挟撃なんてされたら笑い話にもならないからね」
「……そ、それだけかよ?」
「隊長、ここまで来たらいっそのこと……」
フィセルの指示に傭兵たちは困惑し、翻意を促す。それはすなわち、彼女一人で敵に立ち向かうということだから。
だがフィセルは振り返りもせずに首を横に振る。この程度の兵数は訓練時にも想定されていた。そして、全員で向かえば死傷者を出す可能性が高いということも。
「おまえたちの役目はなんだ? 思い出しな。私がここに辿り着くまでの露払い、弱敵の排除、背後の守り……違うかい?」
フィセル隊の傭兵たちは無言でそれを聞く。命を賭けて勇猛果敢に戦うことは彼らの契約内容にはない。それをなさしめたのは、ひとえにフィセルの指揮にある。
「余力を残しておきな。帰り道があるんだから。……以上。その場で待機、後方の警戒に従事せよ」
「――――了解」
野太い声がそれぞれに応じるやいなや、フィセルはとん、と地を蹴った。
道中の傭兵たちの働きのおかげで余力は有り余っている。
フィセルの足運びとともに空気中の魔素が渦を巻く。螺旋を描きながら彼女の四肢にまとわりつき、結合する。魔術を使わずして魔術をも凌駕する莫大なエネルギーを発揮する。
――――その身はさながら放たれた矢。
「か、構えッ!!」
一瞬唖然とした教団兵らは、僧兵長の叱咤に慌てて槍を向ける。
彼女の機動はそれほどに常軌を逸していた。静止状態から瞬時に最高速度へと達する超加速。最高速度は軍馬のそれをも超え、フィセルは方陣の一角に牙を剥いた。
「――――行くよ」
ひゅん。
フィセルの痩身が穂先の手前でふわりと浮かび、教団兵の頭上を軽々飛び越える。同時に一筋の光が鞘走り、下方の兵に到達する。
――――アズライト礼刀法・飛燕――――
一瞬後、フィセルは方陣の中心に鮮やかに着地した。
「ぐ――ぎゃあああああッ!?」
遅れて教団兵の一人が絶叫する。頭頂から血飛沫と脳漿をぶちまけ、槍を取り落として昏倒する。
彼は運悪くフィセルの真下にいた兵だった。飛び越えざまに空を薙いだ一閃が、男の頭を真っ二つに割ったのだ。
そしてフィセルは方陣の中心から――すなわち教団兵の背後から攻めかかる。隙間なく組まれた方陣をすぐに反転させられるはずもない。
「ぎゃッ!!」
「があッ……!」
「た、助けッ……!!」
フィセルが長剣を振るうたびに血潮が舞う。一人、二人、三人、四人。方陣の一角が瞬く間に食い破られていく。響き渡る絶叫、悲鳴、断末魔。死の恐怖はすぐにも伝染し、残る教団兵らを恐慌状態に追いやっていく。
「ひっ……!!」
「無駄だ」
闇雲に突き出された槍の穂先を斬り落とす。即座に踏み込んで切り捨て、フィセルは次の標的を捕捉する。
自らの動きのみならず、今のフィセルには相手の動きが手に取るように読めた。魔力の流れを見極める力の副産物であろうか。ただ、相手が得物を振るうときの筋肉のこわばりが直感的にわかるのだ。
「残るもので包囲して押さえよ! 魔術師が止まったところを射て! 詠唱の時間を稼ぐのだ!!」
僧兵長が必死に指示を叫び、混乱を収めようとする。しかしひとたび崩れた集団は脆いもの。どれだけ冷静な指揮官でも失った統率を取り戻すことは不可能に近い。
「……そっちか」
フィセルは及び腰の包囲を簡単に食い破り、魔術師のほうに目を向ける。直撃する心配はまず無いだろうが、種がわからないのは気味が悪い。フィセルは発動が近い魔術師を的確に見極め、優先的にその方へ矛先を向けた。
「……ッ! ひっ……!」
「集中を乱すなッ! 迎え撃つのだッ!!」
フィセルの剣気に身を打たれ、魔術師の詠唱がかき乱される。一流や超一流ならまだしも、魔術師を護衛無しで運用するのはほとんど不可能だ。強力な魔術には相応の集中と詠唱、時間を要し、大気中の魔素を集約しなければならないのだから。
そう。ユエラ・テウメッサのような怪物は、魔術師の中でもごく一部の例外に過ぎなかった。
「きっ……『来たれ糾える業火』――――」
「やらせないよ」
肉迫するとともに刺し貫く――発動は許さない。
絶命した魔術師の喉から剣先を抜けば、断末魔の代わりに血の泡がごぽりと音を立てた。
さらに近くの魔術師を撫で斬りにする。発動がすでに間近であり、矛先はフィセルのほうに向いていた。それだけで殺すには十分だ。
フィセルはすかさず残りの魔術師を射すくめる――次はあんただ。
「うっ……」
「ま、待てっ……頼む、投降するからっ!」
「助けっ……!」
「ば……馬鹿な、何を言うか、お前たちッ!!」
僧兵長の激昂。フィセルは一瞬考える。
投降の証には武器を捨てさせればいい。が、魔術師はそうもいかない。魔術師が魔術を捨てることはできない。
「そいつを撃ちな」
「……は?」
フィセルは剣先で僧兵長を示す。
残る魔術師は五人。どれだけのことができるかは分からないが、人ひとりを殺すくらいは簡単だろう。
「残りのもの。助かりたいなら武器を捨ててとっとと失せな。ただし、今日限りでこの教団はお終いだよ」
フィセルがそう宣言すると、教団兵らは次々に槍を打ち捨てて逃げ出した。本能のままに。ただ生きたいという一心で。
「ま……まて、お前たちっ!! やめろ、戻れっ!! 脱走など教祖様が許されないぞ!!」
「……やれるかい?」
フィセルは僧兵長の叫び声を無視し、魔術師たちを一瞥する。
彼らは僧兵長とフィセルを交互に見て、そしてお互いに頷き合った。
「……まて、お前たち、まさか……」
にわかにわななく僧兵長。
瞬間、魔術師たちは彼に向かって詠唱を開始した。
「バカな真似をッ!!」
僧兵長は腰の剣を抜き放ち、怒りのままに魔術師たちのほうへ向かう。激的な状況変化の前に、彼は本来の敵を見失っていた。
フィセルは近くに落ちていた長槍を拾い、僧兵長の後ろから投擲する。
「ぐ――――あああああッ!?!?」
穂先が大腿部に突き刺さり、僧兵長の肉体を床に縫い止める。
その間も魔術師たちの詠唱は止まらない。淡々と紡がれる呪文が魔素を練り上げ、結合する。そこから生じたエネルギーを転化し、生み出されるは紅蓮の球体。
「『灼き尽くせ』」
――――炎魔術・収束コロナ――――
球体は放射線を描いて投射され、僧兵長に直撃する。瞬間、球形に束ねられた熱と炎が着弾点を中心にして撒き散らされた。
僧兵長は全身を炎に巻かれ、声も発せず絶命する。言うまでもなく即死である。効力範囲こそ狭いが、威力は申し分なかった。
「――投降を認める。ただし、一時的に私たちの監視下に置かせてもらう。いいね?」
「……やむを得ません」
教団兵――先ほどまで教団兵だった魔術師たちは、息を乱しながら了承する。反発や後悔は意外にもなかった。すでにやってしまった後だからか。
ともあれ、これで大広間は片付いた。多少時間を食ってしまったが、後は目標の〈魔具〉を奪うのみ。
フィセルは傭兵たちを招集し、彼らに魔術師たちを見張るよう命じる。待機を強いられていた彼らは喜んで任務を引き受けた。
「しかしとんでもねえな、フィセル隊長」
「俺たち何人分の働きだよ?」
大階段に脚をかけながら、いささか興奮気味に話す傭兵たち。
フィセルは苦笑して言った。
「後ろを気にしないで戦えるのも悪くないね。それに、一人じゃこう早くは片付かない」
他の探索者とは目的が異なるために、単独での迷宮探索を余儀なくされたフィセル。だが、目的さえ一致していれば共同戦線を組むのもやぶさかではないと思う。
本命の迷宮探索ではないが、それでもフィセルは仲間がいるありがたみを思い知らされていた。
一行はそのまま何事もなく三階に到着し、教祖の間を目の前にする。
「私が部屋に突入する。万が一にも取り逃がさないように全員で入り口を押さえときな。……逃亡を助けでもしたら、わかってるね?」
フィセルは傭兵たちに命じ、ついでに魔術師たちを脅しつけておく。黒フードに覆われた顔を青ざめさせながら頷くのがやけに印象的だった。
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