お狐さま、働かない。

きー子

十三話/躾と準備は滞りなく

 ――――数秒後。

「すいません……」
「調子に乗りました……」
「許してくださいなんでもしますから……」

 無力化された十人の男たちは山と積み上げられ、まるで屍のようなうめき声をあげていた。

「身の程を弁えなさい下郎共。あなた方はユエラ様の前にいるのです」

 テオは掌に付着した埃や汚れを打ち払い、冷たい目で彼らを一瞥する。
 実に見事な手際であった。殺到する男たちを受け流し、放り投げ、したたかに地面に叩きつける。全体重をかけて尻に敷き、足蹴にし、あるいは関節を極めてやる。

 全員を行動不能に追いやりながら再起不能に陥ったものは一人もいない。まさにユエラの注文通りであった。

「発言の前か後にユエラ様バンザイと言いなさい。私はあなた方を指揮しますが、あなた方が仕えるのは私にあらず、仕えるべきはユエラ様なのです。分かりましたか? 分かりましたね? 分かりましたらユエラ様バンザイと言うのです、さぁ」
「ゆ、ユエラ様バンザイ!」
「ユエラ様バンザイ!!」
「バンザーイ!!」

 ――物分りが良くなるにしても、いささかやり過ぎの気はあったが。

「おい、あまり気合を入れて調教しすぎるな。私もそいつらから何人か率いるんだろう」
「……おっと、そうでしたね」

 横から制止されてこほんと咳払いするテオ。もっとも、フィセルの元にはすでに傭兵が二人いた――テオの力量を察して首尾よく乱闘から逃れたものだ。

「仕方ありません。上から動ける四名、フィセルの指揮下に入ってください。残りは私の受け持ちになります。よろしいですね?」

 指定された四人はあからさまに安堵の息を漏らしつつ、力無くフィセルのほうに歩いていく。

「ユエラ様バンザイの声がありません」
「……それ、要るのかい?」

 フィセルは思わず真顔になってユエラに伺いを立てる。

「士気高揚になるなら使えば良い。そうでないならまあ、どうでもよい。私は偉いが崇めるのを強制することは誰にもできん」
「了解」
「では、それでやっていきましょう」

 テオに止めるつもりは全く無さそうだ。むしろお墨付きを頂いたとばかりに乗り気であった。
 無事に編成を終え、次にユエラは全員を並ばせるよう言った。訓練のためである。フィセルとテオは監督役として置く。

「さて、今日はこれで解散としても良いのだが……簡単な試験だけやっておこうかの。結果がかんばしくなかろうが、金を払わんとかそんな真似はせん。どの程度習熟しているかを試すだけのこと。慣れておらねば慣らすまでだ」

 ユエラの笑みは否が応でも不吉なものを感じさせる。傭兵たちの表情がにわかにこわばる。

「なに、基本的な体力なんぞはすでに基準を満たしておると考えている。それについては細々問わん。力尽きれば困るのはおぬしらのほうだ。それはおぬしらが誰より分かっておろう。であるからして、おぬしらにやってもらいたいことは実に簡単――――」

 ユエラはそう言って前方にちいさな掌を突き出した。

 ――――幻魔術・夢幻泡影マホロバ――――

 瞬間、傭兵たちの眼前に出現する十二人の幻。
 それらはちょうど一人ひとりと向き合うように、対となる位置に立っていた。

「なっ……?」
「ど、どっから湧いて出やがった」
「騒ぐでない。ただの幻よ」
「……こ、これがかァ……?」

 ユエラはぴしゃりと言いつける。が、幻の人影は依然として彼らの前にある。

「そう。そやつらは幻だ。私が生み出した幻に過ぎぬ。だが、それは限りなく現実に近い。追えば逃げ惑い、斬られれば悲鳴を上げ、死ねば血を流して骸を晒す――人間と見分けの付かない、限りなく現実的な、幻影よ」

 淡々として言うユエラの言葉に、男たちは一様に息を呑む。今さらながら不安と、そして得体のしれないものを感じずにはいられない。
 この幼気な娘はいったい何者なのか。自分たちに何をさせようとしているのか。

「――――殺せ。そいつを殺せ。人の形をした幻を殺せ。人の形をしたものを殺せるか? 殺したことがあるか? 私に見せてくれ。おぬしらが単なるハンターではなく、人を殺す力があるということを私にやってみせてくれ」

 ユエラはくつくつと喉を鳴らして微笑み、命じた。

 ◆

 ユエラは幻影――仮想敵のパターンを二軸に従って分類した。

 好戦的であるか否か。
 戦闘員であるか否か。
 この二つである。

 このうち傭兵たちに対処してもらいたいのは〈好戦的な非戦闘員〉のみである。〈非好戦的な非戦闘員〉に関しては放っておけば良い。
 問題は〈好戦的な戦闘員〉だが、これは相手をしなくていい。むしろ見かけたら逃げろと徹底的に叩きこむ。いくら使い捨ての傭兵とはいえ無駄死にされたら困るのはこちらなのだ。大駒はテオやフィセルが請け負えばそれで良い。

 この考えにのっとって行われた初日の訓練は、実にとどこおりなく済んだ。
 傭兵のうち半数ほどは元軍人。残り半数も魔物を殺すのに抵抗がない男たちばかり。〈好戦的な非戦闘員〉など弱い魔物のようなものだから、何度も繰り返させればすぐに慣れた。

「うむ、感心感心。なかなかようやったようではないか。どうだ、あやつらの体調などに問題は無いかえ?」

 スヴェン・ランドルート邸の応接室。
 ユエラは彼の招待に応じ、ふかふかのソファに腰かけてスヴェンを待っていた。隣には常のごとくテオが付き従う。

 姿が見えないフィセルはというと、いかにも探索者らしい――有り体に言えば小汚い――格好をフランに見咎められ、浴室に案内されていた。

「訓練後の傭兵たちの精神状態ですが、これといった傷害は見受けられません。高揚感が覚めた後――つまり明日どうなっているのか、経過は継続的に観察するべきかと。なお多少ですが、ユエラ様に対する崇敬の念を抱かせることに成功したのではないかと考えます」
「それはまあ別にいらんが。真面目に働いてくれるならそれに越したことはないな」

 スヴェンによれば相場以上の金額をきっちり払う手筈らしい。しかも半分は前金だ。一日の拘束時間もたった五時間と、訓練だけなら実にクリーンな勤労条件である。業務内容は極めてダーティだが。

「となると、明日にも突入訓練がやれそうだのう」
「……内部の構造が分からなければ想定訓練を行う意義は薄いのでは?」
「うむ。そのためにここに来たのだ――――情報源を掴んだ、とあやつが言うておったのでな」

 イブリス教団原理主義派拠点の内部構造。それを知っているものなら誰でもいいと、ユエラはあまり期待しないでスヴェンに依頼した。
 その結果、たった一日で連絡が来たのだから何でも言ってみるものだ。

「すまない。待たせたようだね、ユエラ嬢」

 と、その時。スヴェンが一人の人影を連れて現れる。
 人影、としか言いようもない何者か。脳天から足元まで完全に黒衣で覆われた小柄な〈影〉が、人間大のズタ袋を引きずっていた。顔は面頬に覆われて露出が一切ない――性別から何から何まで正体不明。
 そのちいさな〈影〉はズタ袋をスヴェンに引き渡し、音もなく通路の向こうへと消えた。

「……密偵でも組織しておるのかえ?」
「深くは突っこまないでおくれ。私の協力者だとも」

 耳元でテオがそっと囁きかける。「……歩法は帝国のそれでした」ユエラは頷くのみに留めた。それは今考えることではない。

 スヴェンはまず袋を縛っていた紐を緩め、中身を床にぶちまける。
 それは人間だった。年の頃はおよそ五十ほどの年老いた男。肥えた身体を黒い僧服に包み、綺麗に剃り上げられた禿頭がよく目立つ。

「ふぐっ! う、ぐ、うッ……!」

 ロープで雁字搦めにされた男は身動きもままならない。彼は必死に逃れようと身悶えするが、その努力も虚しいばかりである。

「これだよ。ユエラ嬢が来るまでにも多少の尋問を試みたのだが、かんばしい成果は得られなかった。が、この男はかねてから補足していた教団原理主義派の関係者でな。頭の中に情報を溜めこんでいることはまず間違いがない」
「……拷問などしておらんであろうな?」

 あまり激しい拷問はしばしば脳を壊す。被害者自身が記憶を改ざんしてしまう例もある。そうなっては正確な情報が得られなくなってしまう。

「ああ。あれはあまり有効な尋問方法とは言えない」
「よかろう」

 ユエラはにっこりと満足気に微笑み、ソファからゆっくりと立ち上がった。
 こつ、こつ。倒れたままの男に歩み寄り、そのつるりとした頭に手を触れる。

「ぐ……ぐ、う、ぐッ!!」

 嫌な気配を感じ取ったのか、男は突如激しく暴れ出す――縛られたままでは大した意味もない。
 瞬間、ユエラはかすかに狐耳をそばだてながら男の頭を撫でた。

 ――――幻魔術・鏡花水月ミナモノツキ――――

「……くく」

 瞬間、ちいさな掌の下で男の身体がガクガクとおびただしく痙攣した。
 スヴェンは固唾を呑んでその様子を見守る。ユエラの怪物性を改めて目に焼き付けんとするように。

 ユエラは構わず記憶の深層まで潜り続ける。求める情報を貪欲なまでに探索する。
 少なくとこの男がイブリス教団原理主義派であることは疑いようがない。冠位は司教。飛び抜けて上位というわけではないが、周囲の信頼は得ていたという立ち位置。

「――――ちょうど良いな」

 あらかた必要な情報をさらったあと、ユエラは続けて魔力を渦巻かせた。

 ――――幻魔術・生生流転マロバシ――――

 と、壊れたように痙攣し続けていた男の身体が不意に停止する。
 そこでユエラは手を離し、まるで何事も無かったようにのしっとソファの上に尻を下ろした。

「うむ、大体わかった。内部の構造も、肝心な魔具の在り処もな。これで断じて私に失敗はないぞ、スヴェン殿。紙とインクはあるかえ?」
「……ここで書くというのか?」
「うむ」

 自信満々に頷くユエラ。スヴェンは部屋の隅にある机の引き出しからインク壺と羽ペンを取り出し、そして羊皮紙の巻物を端からいくらか千切り取った。
 ユエラはそれらを受け取るやいなや、手早くペン先を走らせる。みるみるうちに地図が描かれる。俯瞰図と簡素な断面図、そして詳細な位置関係を記した構造図の三点セットである。

「テオ、おまえもこれを覚えておきや。必要になるでな」
「はい。無論のこと」

 一見すればでたらめに描かれたような速さだが、三つの図に食い違いは見当たらない。実際の外観とも一致する。間違いのない情報であることは明らかだ。
 スヴェンはその三面図に視線を落とし、にわかに瞠目しながら言う。

「……つかぬことをうかがうが、ユエラ嬢」
「なんだ?」
「今、あの男に何を?」
「あやつの記憶を読んだ。で、ついでに偽の記憶を摺りこんだ」
「……なに?」

 これにはスヴェンも流石に驚きを隠せず目を見開く。

「そやつはな、内部告発のため自主的におまえを訪ねてきたのだ――――ということになっておる。そやつの中ではな」

 スヴェンの表情が徐々に引きつったような笑みになる。深く深く息を吐き、そして自分のすべきことを口にする。

「……なるほど。つまり、私はこれを始末するより、保護しておいたほうが都合がいいというわけだ」
「左様。なんでも喋らせられるぞ? おまえが証拠を作れば後は自由自在というわけよ」
「正直なところ驚いたよ、ユエラ嬢。私は自分がここまでの悪党とは思いもしなかった」
「何を言うか。おまえは唯一私に――わるい雌狐に言うことを聞かせられるよき飼い主とならねばならんのだぞ?」
「……ここに彼女がいなくて良かったと、そう思ったのは、初めてのことだろうな」
「なぁに。どのような聖人であろうが糞を垂れるしマスを掻く。それと何が違う?」

 とてもとても悪辣な――最低に悪どい笑みを浮かべ、ユエラはくつくつと喉を鳴らす。
 彼女とはすなわちフランのことだろう。ああいかんなと思う。従者と穏やかに過ごしていた主人を悪の道に誘い出すのがこんなに愉しいとは。これではフランに刺されても一切文句を言えそうにない。

「聖人が糞を垂れるのは尻からだけだ。どうだ、これは結構な違いではないか?」
「……後悔しているかえ?」

 ユエラは笑う。テオは自らの主を恍惚とした眼差しで見つめる。
 スヴェンが指を弾いて合図すると、〈影〉はおもむろに動かない男を回収していった。その様子を最後まで見届けたあと、スヴェンは深く息を吐いて言う。

「いいや。言っただろう。私にも欲がある。私は少しでも多くをこの世に遺したいのだよ」
「……くく」

 この世の、誰に? 言うまでもない。
 性悪な雌狐に負けず劣らず悪辣な笑み。ユエラは思わず愉快げに喉を鳴らして微笑する。

 ――その時、部屋の扉がかすかな軋みをあげて開かれた。

「すまない。遅くなった。お湯まで頂いてしまって」
「おお、客人を案内してくれたそうだね。御苦労、フラン」

 フィセルはフランに案内されて部屋に入る。と、スヴェンは即座に微笑をたたえて穏やかにねぎらいの声をかける。
 その変わり身の速さに思わず椅子から転げ落ちそうになるユエラであった。

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