お狐さま、働かない。

きー子

五話/孤独の女剣士

 硬貨の両替、事件現場の通報などを済ませたあと、三人はフィセルの宿を訪ねることにした。
 迷宮街の中心地から近くもなければ遠くもない裏通り。個人の商店が軒を連ねる一角にその宿はある。

「また、えらくこじんまりとしたところだのう」
「質素と申しますか……」
「私にはここで十分だよ」

 傍目にも突貫工事とわかる木造の二階建て。入り口扉から漏れ聞こえる声はやけに賑やかで、外からでも中の喧騒がしのばれた。

「……おぬし、稼げておるのか?」

 ユエラの心配はそこだった。先ほど見せた剣筋からして実力は確かに思われる。だが、金があるならもう少し良い宿に泊まれるのではあるまいか。
 狐耳をぺしょんと寝そべらせて懸念を述べるユエラ。が、フィセルの返答は事も無げだった。

「……稼ぎは母に送っている。何かと苦労するだろうから」

 ほう、とユエラは感心する。嘘を言っている口ぶりではないから、その辺りも彼女の事情とやらに関係するのだろう。

「それより早く中に入りましょう。ユエラ様をいつまでも歩き回らせるのは私にとって本意ではありません」
「……あんたたち、本当に、どういう関係なんだい?」
「分かりやすく言えば、主従であろうな」

 第一、それを言うならわざわざ二人の後をつけてきたフィセルもたいがい奇矯である。ユエラの幻魔術をわずかながら察知したというが、それでわかるのは力があるということだけだ。信用できるという証明にはならない。

 ともあれ、フィセルは安宿の扉を押し開く。中は一階部が酒場になっていて、中は予想通り大変な賑わいだった。さして広くもないフロアに所狭しとテーブルが並び、探索者と思しき男たちがひしめき合う。非常にむさ苦しい光景である。
 フィセルがカウンターまでの通路を横切る間、一瞬男たちの視線が集まる。彼女の堂々とした立ち居振る舞いと剣呑な眼差しは男を寄せ付けないが、容貌はなかなかのものだった。相応に着飾り、髪を整えれば、十分に美女といって通じるだろう。

 ――だが、後に続くユエラとテオの二人組はそれ以上に耳目を惹きつけた。ユエラは幼童そのものの姿だが、器量は必要以上に麗しい。彼女に付き従うテオの折り目正しい所作と外見は、性的なものが含まれないためにかえって扇情的な想像を喚起させた。

「……どうした。珍しいな、おまえが他の誰かを連れてくるとは。こんなところにガキどもを連れてくるのは感心しねぇが……」

 フィセルが通りすぎようとしたその時、カウンター内にいた強面の男が声をかける。この宿、そして酒場の主人。四十歳そこそこと思しき彼は木椀を磨きながら、奇妙な三人組を一瞥した。

「私はこやつと話があるだけでな。なに、騒がしくするつもりはないから気にせんでくれ」
「ガキのくせに一丁前の口利きやがる。……だが、そうか。やっと相方でも見繕ってきやがったかと思ったんだがな」

 男はフィセルのほうをちらっと見ながら深くため息をつく。が、彼女は構わず手を突き出して部屋の鍵を催促する。

「私は誰かの面倒までは見切れない。自分のことで手一杯だよ」
「……一人でなんかやってたらな、そのうち死ぬぞ。お前はうちでも数少ないつけがない客だからな。あんまりあっさりくたばられたら困るんだ」

 宿の主人の真剣な物言い。酔客のほうから「そりゃねえぜ」「こっちにも毎日のように通ってやってる上客がいるじゃねえか」とやじが飛ぶ。「黙ってろ呑んだくれども!」と喧々諤々やってる間に、フィセルは部屋の鍵を受け取った。

「まさか、本気で一人で迷宮攻略に挑むつもりじゃねえだろ。本当に本気ってんならよ、あれだ、勇者パーティやらの力を借りてでも……」

 宿の主人がそう言いかけた刹那。
 フィセルは射殺さんばかりの鋭さで彼を睨めつけ、鍵をぎゅっと握りしめた。男はその気迫に呑まれ、反射的に息を止めてしまう。絶大な緊張感が男を支配し、一瞬だが呼吸すらもままならなくなったのだ。

「わ、わる、かった。そう、睨むな」
「……すまない」

 フィセル自身も無意識だったのだろう。視線を切って威圧を収め、彼女はユエラとテオに向き直った。

「待たせた。行こう。……つまらないところを見せたね」
「いや、なかなか面白い余興だったぞ」

 からからと笑いながら歩き出すユエラ。テオもその後ろに続きながら、フィセルの本質を見極めんとするかのように視線を片時も離さなかった。

 ◆

「狭い」
「狭いです」
「安いからね」

 部屋に入って開口一番、彼女らが口にしたのはそれだった。
 ユエラが飛びきり小柄だから余裕があるが、三人も並んで寝そべればそれだけで床面積の半分以上が占められる。そういう狭さである。寝具はベッドなのがまだしも救いといえるだろう。

「……精神修行の類かなんかか?」
「贅沢は敵だよ」
「こんなところで身体が休まるか阿呆。どうせろくなものも食っておらんのだろう」

 ユエラが心配してやる義理はないが、あまりに真面目くさった人間は厄介だ。悪い部類だと他人にまで真面目にやることを強要してくるから質が悪い。面倒臭がりなユエラにとってはまさに天敵といえる。

「どうせですから、夕食にしましょう。ユエラ様に気遣いをさせるなどとは万死に値するといっても過言ではありません」

 というテオの一声で、食事のついでに話をすることになった。宿に来るまでに食料やら何やらを買いこんでおいたのだ。黒パン、ソーセージ、ベーコン、炒り豆、焼き野菜などなど――探索者の嗜好に合わせているのか、味付けは全体的に濃い目である。

 雨風をしのげる住居、美味しい食事、十二分の休息。ユエラが何よりも重視するのはこの三つであり、これらは金を出せば手に入る。ゆくゆくは仮宿ではない家を手に入れたいところだが、今はこの手狭な部屋で我慢することにした。木床で寝るとしても土床で寝るよりは何倍もマシである。
 ともあれ話をするとして、まず口火を切ったのはフィセルであった。

「……結論から言わせてもらうが、私の目的は、家の名誉の回復にある。迷宮攻略はその手段でしかない」
「なぜわざわざそんな回りくどいことをするのです。もっと良い方法があるのでは?」

 と、もっともな疑問を挟むテオ。魔王イブリスの崇拝者としては気に入らないところがあるのだろう。
 没落貴族のたぐいか。ユエラはフィセルをしげしげと眺める。外見からはわからないが、言われてみれば彼女の堂々とした振る舞いには貴族らしさの名残りがあった。
 フィセル自身、その疑問を想定済みだったようにためらいなく答えた。

「……迷宮攻略時の失態。それこそ、私の家が凋落した直接的な原因だったからだよ」

 ――――第一次迷宮攻略遠征。

 それは遡ること二十年前。
 迷宮の存在が確認された当初、周辺各国はこぞって迷宮の攻略に乗り出した。選りすぐりの最精鋭を集めた攻略部隊を組織し、迷宮内部へと送りこむ。この計画はほとんどが失敗した――事前準備や偵察などのノウハウがまだ存在しておらず、部隊間での情報共有もほとんど無かったからだ。当時の国々は互いを出し抜くことばかり考えており、協力や連携といった試みはほとんど実行されなかった。

 もっとも、失敗しただけならまだしも良かった。取り返しがつかない大失敗に終わることも決して珍しくはなかったからだ――攻略部隊の壊滅という結果で。

「……私の父も、アズラ聖王国の攻略部隊として参加した。……そして、戦死した」
「残念な話だが、名誉あることだな。なぜそれで没落する?」

 ユエラはチーズの塊をかじりながら尋ねる。名誉で腹はふくれないのだから全くどうでもいいと思ったが、奇妙な話には違いない。

「……父が率いた攻略部隊は半壊状態に陥った。詳しいことはわかってない。生き残りは『何やら得体のしれない、恐ろしいものに追われていた』とだけ残している。それの犠牲になったのは父の部隊だけではなく、他の国の部隊も含まれていた。父はそういう生き残りの人たちをまとめながら、一人でも多くの人を地上に生還させようとした」
「立派な御仁ではないか」

 水だけを口にしながら瞑目するフィセル。その表情には一片の嘘偽りも、誇張の色もうかがえない。当時の彼女はまだ幼少のはずだから、誇張された話を聞かされた可能性はあるだろうが。

「……いささか信じがたい話です。極限状態にある人々がかくも都合よく協力しあえましょうか?」
「誰かを犠牲にする決断は危険だからのう。次に犠牲にされるのは自分かもしれない、という疑心の種をまくことになる。特に極限状態ではな」
「……見捨てなかった、というより、見捨てられなかった、というわけですか」
「想像に過ぎんがな」

 ユエラはちょっと眉を伏せながらフィセルに続きをうながす。彼女は水で唇を湿らせてから頷いた。

「……結果は酷いもんだ。生き残りより死んだ数のほうが多いくらいだった。部隊の中でも年長者が盾となり、足止め役を買って、若い人を優先的に生還させた。……国や所属を問わずにね」

 ……ああ、とユエラはちいさく嘆息する。ことのなりゆきをおおよそ理解したのだ。
 理解できてしまった。

「生き残りが全てを報告して、そのあと……父には売国奴の烙印が捺され、爵位を剥奪された。何よりも優先すべき部隊の生還を放棄して下らない義侠心を発するなど甚だしい義務の放棄だ、と」
「それで、迷宮攻略か」

 攻略失敗とともにかぶせられた汚名。それをすすぐには確かにうってつけに思われたが、そう上手くいくだろうか。ユエラは先ほどの、階下でのやり取りを思い出す。

「ですが、あなたは仲間が欲しいわけではないのでしょう。むしろ人とつるむことを嫌っているようにも見えます」
「……私は本気で攻略する気だ。それに付き合ってくれる相手なら、その限りじゃない」
「それは――――望むべくもないでしょうね」

 あっけらかんと断じるテオ。ユエラにもその理由はぼんやりとわかった。
 結局のところ、迷宮は多くの人々に魔石の恩恵をもたらしている。魔王の封印が解き放たれる兆候はうかがえない。迷宮があって困る人は誰もいない。

 だが、もし迷宮が無くなったら? その時、多くの人々が計り知れないほどの経済的損失をこうむるだろう。死人も少なからず出るはずだ。
 迷宮を攻略することによってそうならないという保証はない――――迷宮攻略を望むものなど、この街にはおそらく誰もいない。

 目の前の彼女。フィセル・バーンスタインを除いては。

「だからですか。勇者の方々を嫌うのは」
「……勇者?」

 ユエラは聞き慣れない響きにいぶかしむ。古代にも英雄と呼ぶに値する人間はいたが、勇者とは一体何者か。

「魔王様の封印を果たした英雄、その筆頭が勇者と呼ばれていたことが由来です。彼は武勇ではなく人間性を見初められ、それゆえに神々の恩寵を授けられたからだと」
「神の愛人のようなものか。贔屓の引き倒しというやつだな」
「……その解釈は斬新ですが、間違ってはいません。ともあれ、その勇者の末裔がこの街に留まっているのです。迷宮に挑むために」

 勇者の子孫が祖先の意志を継ぎ、魔王の完全な討伐を志す。そう考えれば、迷宮に挑むのは自然なことのように思われる。

「話はわかった、が……ふむ」

 ならばなぜ、フィセルは勇者とやらに接触しないのか。
 少し考えれば、現代世相に疎いユエラでも理由は察せられた。

「勇者とやら、どこぞの紐付きか」
「……勇者の家名は今や、アズラ聖王国の騎士爵位だ。紐付きでないわけがない」

 フィセルの補足で合点がいく。国の紐付きだとしたら、迷宮攻略を望むはずはない。むしろ現状利益の維持を望むはずだ。それに、英雄の威名が高まりすぎるのを望まないのは国家の常である。

「迷宮攻略こそ望み、さりとて同志のあてはなし。だのに、私なぞに声をかけてきおったのは……」

 ……おおかた、単独での挑戦に行き詰まりでも感じたか。

「あんたの音に、私は妙な高揚感を覚えた。私にはあれが、"魔術と気づかないほど高度な魔術"に思えた。……あんたの魔術で、少しでも、私の力を強くすることはできないかい。一緒に挑んでくれとまで言うつもりは、はなから無い」

 フィセルは身を乗り出して本題を切り出す。真剣極まりない表情で剣呑な眼差しを輝かせ、一心にユエラを凝視する。

「無い」
「……えっ」
「そんな都合の良い力があるものか。私の力はいわば、ちょっとした詐術に過ぎん」

 幻魔術によって恐怖心を麻痺させれば、純粋な戦闘能力は高まるだろう。しかしそれは貴重な警戒心とのトレードオフだ。
 フィセルが覚えた高揚感も、結局は彼女自身の心の働きに過ぎない。ユエラはあくまで特定の音律を聞かせただけなのだから。

「なんならテオを貸してやってもよいが」
「えっちょっユエラ様」
「魔王とやらに近づける機会を得られるかもしれんぞ?」
「…………し、しかしですが、今の私はユエラ様の従者にありますれば」

 羊の腸詰めをカットしながら慌てて言いつくろうテオ。フィセルはその様子をいぶかしむように見る。

「……ユエラ。気になっていたんだが、彼女は……」
「イブリス教とかいうカルトの信者だったようだの。今は私のものだが」
「イブリス教普遍派〈闇の緋星〉と言います」
「……よしんば下のほうに行けたとして、魔王の側につかれたら私が困る。勘弁してほしい」
「私がありながらさような裏切りを犯すはずが無かろう、なあテオ。なあ?」
「ううう」

 テオは目端に涙を浮かべ、ぷるぷる震えながら唸り声を上げる。
 いかんな、と自戒するユエラ。こういうことばかりしていたから以前も生け贄に捧げられた子供に好かれなかったのだ。「すまん、遊びすぎた」と、ユエラは掌を振る。

「今少しお時間をください」

 と、テオはしょぼくれるばかりであった。多くの神性を祀り上げる宗派はこういう時に不便である。
 さておき、ユエラは改めてフィセルのほうに向き直った。

「ま、他に手段が無いではない。要は強くなれたら良いのだろう?」
「ああ」

 フィセルがこくりと頷いた瞬間――――
 ひゅん、と空を切って彼女の顔面に短刀が飛んだ。

「ッ」

 フィセルは短く息を吐き、片足で床を蹴りながら長剣を抜き放つ。
 座った姿勢から即座に抜き放たれる抜剣術。閃く一太刀がみごと短剣を叩き落とし、彼女は立ったまま残心する。

「な、ゆ、ユエラ様――?」
「落ち着きや」

 ユエラはそう言いながら立ち上がりもせず、フィセルのほうに手をかざす。彼女を囲う十重二十重の短剣が突如空中に出現、すぐさま高速で殺到する。
 フィセルは眼光鋭くそれらを一瞥しざま、囲いを破るように円弧を描くような斬り払いを発す。前方の短剣ばかりを払い落とし、こじ開けた最小限の空間に彼女は身体を割りこませた。

 だん、と力強い足音が響く。フィセルはユエラの眼前に立ち、幼気な娘をじっと見下ろした。

「ようやった、テオ」
「……急にもほどがありましょう」

 テオは先ほどまで広げていた食べ物を咄嗟に確保していた。おかげで食料に被害はない。
 瞬間、フィセルはふと違和感を覚えたように部屋の中を見渡す。
 払い落としたはずの短刀は影も形も見当たらない。

「……幻、術……?」
「言ったろう。詐術のようなものだ、と」
「……幻術だとしたら、手応えがあるわけがない。今さっき具現化したものを消した、というほうがまだ現実味がある」
「並大抵の術師ならそうであろうな――――そして私は並じゃあない。傷こそ負わんが、刺した痛みは本物だぞ?」

 ユエラはいつの間にか持っていた短剣を差し出す。その質感は本物となんら変わりがない。
 フィセルは長剣を鞘に納めたあと、半信半疑に短剣を受け取り――そっと自らの胸に刃を食いこませた。

「……く……ッ」

 フィセルは歯を食いしばり、呻きながらすぐ刃を抜く。
 血は流れない。胸に残るはずの傷跡もない。痛みだけが彼女を貫き、いつしか手の中の短剣も消えている。

「血だの傷だのも見せられるが、死ぬことは無かろうよ。ショック死だけはどうにもならんが。……それで、信じる気にはなったかえ?」
「……ああ。正直、狐に化かされたような気分だけど……テオ、あんたにも見えてるのかい?」
「ええ。全て、間違いなく」

 もっとも、フィセルは今なお幻覚を見せられている。ユエラに人の耳があるという幻覚。ユエラの狐耳を目視できる人物はまだ彼女自身とテオしかいない。
 ユエラは口端をかすかに釣り上げ、フィセルに言った。

「フィセル。私の力さえあれば、おまえに最高の修行環境を提供してやれる。それも、命の危険を感じること無くな。実戦にはちょいと劣るが……一人で迷宮に挑むようなおまえのことだ。今さら死線に臆することも無かろう?」

 にやり、と艶やかに微笑する。十かそこらの子どもが浮かべる表情にはとても見えない笑み。

「……見返りは。魂、なんて言わないだろうね」

 フィセルが思わずそう聞き返してしまうほどの悪い顔だった。

「まさか。おまえが迷宮で稼いだ魔石の一割か、まぁ、無理がないくらいに納めてくれればそれで良い。あと私が困ったときには力になれ。……そんなところかえ?」

 先ほどの咄嗟の挙動からして、フィセルの力量はかなり高い。先の先を取ることを得意とする剣術の型。個々の技が魔力を帯びており、テオと戦っても良い勝負になるだろう。特に初手で見せた居合い抜きは眼を見張るものがあった――あの技を鍛え抜けば、神代の英雄に匹敵し得るやもしれぬ。

 後になって得られる見返りを鑑みれば、多少の投資には目を瞑るべきだった。
 ユエラがひそかに並外れた期待を高めているのもつゆ知らず、フィセルは少し考え、頷いた。

「……力になるといっても、あいにく私には剣しか能がないが」
「護衛なら私で間に合っておりますから一向に問題ありません」
「もしもということがあるのでな……」

 かつてユエラ――テウメシアが仕出かしたことを思えばこそ、警戒するに越したことはない。
 ひとまず話がまとまったところでユエラは久々の美味な食事にありつき、フィセルのベッドで勝手に寝た。抱枕もといテオまでベッドに引きずりこんだものだから、その日、フィセルはかつてない寝苦しさを味わう羽目になったという。

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