お狐さま、働かない。

きー子

二話/迷宮街ティノーブル

「……薄い」

 夕暮れ時。ユエラは串焼きの岩魚をかじりながら物憂げにつぶやく。

「塩もありませんので」

 と、生の岩魚を樹の枝に突き刺しながらテオ。彼女は川原で焚いた火に魚を晒し、焼き加減を見る作業に従事する。二人が釣り上げた岩魚はゆうに十尾以上もあった。

「悪くはないが……味気ないのう」

 噛みしめるほど肉身が歯と歯の間で柔らかくほぐれ、熱された脂が唇を湿らせる。パリパリに焼けた皮を噛み砕き、こくんとちいさく喉を鳴らす。

「やはり山からは降りるかの。雨が降ったら出歩けもせんし読み崩す本もありゃあせん」
「それがよろしいかと。この山の中ではユエラ様をお世話するにも限界がありますから」
「おまえは道を知っているのだったな?」

 迷宮街ティノーブル。
 信徒の男から読み取った情報は断片的だが、おおまかな位置は心得ている。ただしこの山中からの道筋はかなり曖昧だ。

「この辺りの地理はおよそわきまえております。道案内はお任せください」
「うむ、うむ。頼りにしておるぞ」

 それで明日の朝にも出発し、街を目指すことになった。現在位置から半日もかからない道のりであるという。
 ユエラはなんだかんだ言いながら岩魚を五尾も平らげた。復活して初めての食事という事情もあろう。テオは対照的に小食で、一尾だけ食べて済ませてしまった。

 食後にさっさと水浴びを済ませ、日が沈んできたところでねぐらに戻る。ユエラがまだ野狐だったときにつくられた閨なので内部はお粗末極まりない。綺麗にならした土穴に藁が敷き詰めただけの代物。
 ユエラがそこで身を丸めて眠っていると、夜半にテオがやってきた。

「……様子をうかがいにきたのであろう?」

 そういって身を起こすと慌てて逃げようとするからたまげた。
 そもそもただの獣に警戒する必要も無いから、今夜は見張りなどいらぬのである。

「のう、テオ。……同衾もしてくれやと言うたであろう?」

 ユエラが切ない声で呼びかけると、テオはやむを得ず彼女のそばに寄り添った。息がほのかに乱れているのは、少女の色香にあてられたか。年でいえばほんの十かそこらにしか見えないユエラだが、当時は〈災厄の神狐〉などとあだ名された傾城傾国の美貌は伊達ではない。

「脱いでおくれ? ……布擦れはあまり好かぬでな」

 ここまで来るとテオも諦めたようだった。お仕着せ服の長スカートまでも脱ぎ落とし、肌着ばかりの姿でユエラのそばに寝そべる。まだまだ少女の範疇だが、半ばは女に差しかかった華奢な身体。年の頃は十五、六といったところだろう。上気した薄褐色の肌は体温が高く、抱枕にすると大変心地が良い。

「……ゆ、ユエラ様。あまり近づかれては……私の理性が、いえ、あまりに恐れ多く」
「なにを言いやる。おまえの身体は抱き心地がいい。毎日こうさせよ」

 びく、と細い身体がちいさく跳ねる。ユエラはテオの首筋に鼻先を埋める。ほのかな汗の匂いが不快ではない。むしろ甘いようにすら感じられる。早まる胸の動悸につれて体温も高まり、それを直に肌で感じながらユエラはぼんやり目を閉じた。
 それで、いつの間にか寝ていた。傍仕えとしては堅物に過ぎるので及第点だが、抱枕としては満点だった。

 ◆

 翌朝、目が覚めるとユエラは一人で眠っていた。
 あれは夢? まさか。狐が化かされるなど笑い話にもならぬ。そう思いながら土穴を出ると、テオが土に頭を付けんばかりに跪いていたから夢ではなかったとわかった。

「ゆ、ユエラ様。先日はなんと恐れ多きことを。いまだ信用をあずかるに足らぬ身の上でありながらあのような……」
「うむ。よい夜であったな」

 そういってユエラが肩を叩くと、テオの薄褐色の頬は火が出そうなほど真っ赤になった。最初に見た時は思いもしなかったが、これが意外なほど初心だから面白い。
 昨晩から残っていた岩魚を食べきって出発する。歩く途中、テオからまた新しい黒衣を渡される。今度はびりびりになっていない――昨夜のうちに他の男から剥ぎ取って洗濯し、焚き火の近くで乾かしたらしい。

「そんなに服を着てほしいか」
「その姿で街道に出られたら結構な騒ぎになります」
「……それもそうだの」

 やむを得ない、ということでユエラは黒衣一枚に身を包んだ。裾から灰色の尻尾がぴょこんと出ており、歩くたびにふりふりと毛並みが揺れる。テオはそのすぐ後ろをついて歩きながら、尻尾に注いでいた熱い視線を不意に切った。
 山を降り、森を抜けて街道に出る。ユエラの外見は十かそこらの子どもに過ぎないが、体力までそれに準じるわけではない。

「……ここは南方――商業都市連合から続く道です。最も往来が盛んですので、馬車にはお気をつけて」
「賊の類は出んのか?」
「連合は護衛を惜しみません。その上で襲撃をかけるのは危険が大きいので、一番安全な道と言い換えても良いかと」

 ほう、とユエラは素直に感心した。千年の昔は治安などあってないようなものだから、道のあちこちに山賊の類が跋扈していた。人間は多少なり進歩したというわけだ。
 二人が道なりに進んだ先に、建築物の密集地というべき景観が見える。街道と街に明白な境界線はない。しいて言うなら、あちこちに立っている歩哨が境界の役割を果たしている。

「……本当に城壁が無いのだな」

 そのことは信徒の男から引き出した一般知識で知っていた。が、正直なところ半信半疑だったのだ。大規模な都市に城壁が無いなど、普通は考えられない事態である。

「はい。成り立ちが少々特殊な街ですので。ご説明しましょうか」
「うむ。頼む」

 テオの説明を掻い摘んでいえば、迷宮街ティノーブルとは次のような場所である。
 地理的には大陸のほぼ中心。三百年前に魔王イブリスが封印された土地であり、その真上に魔物が湧きだす悪意の洞穴――〈封印の迷宮〉が発生したという。
 これを放置することは魔王の復活を意味する。そう危惧した周辺諸国はこぞって迷宮攻略を志し、精鋭中の精鋭を送りこんだ。

 そして失敗した。

 大損害を被った国々は攻略を中止せざるを得なくなる。そこで台頭したのが退役軍人や市井の魔術師を代表とする民間の迷宮攻略者――――探索者である。彼らはあくまで個人的に、粘り強く迷宮に挑み続けた。

 その理由は、端的にいえば金である。迷宮内に湧きだす魔物は魔石――魔力を帯びた鉱石を体内に抱えていたのだ。これの用途は非常に幅広く、大量消費されるため、大きく価値を落とすこともない。
 やがて魔石を目当てにした商人が迷宮に集い、小規模の街を形成した。これが迷宮街ティノーブルの創始期である。

「……で、無秩序に発展するだけ発展した結果があれかえ」
「どの国も領地にしたくなかったんでしょう。迷宮を攻略する責任が付きまといますから。各国の兵が治安維持のために駐留していますが、街自体はどの国にも属しておりません」
「今のところは特に問題は無いのであろう?」
「はい。魔物はほとんど無限に湧きますが、迷宮の外に出ることはありません。魔王の封印がまだ有効だから、と言われていますが」
「ふぅむ」

 ユエラは今の説明を頭の中で咀嚼し、ひとまず結論付ける。

「つまり、街の治安は悪いのだな」
「良くはないです」
「探索者とかいうごろつきの類が迷宮での稼ぎを食い扶持にのさばっているのであろう?」
「……ぐうの音も出ないほどその通りです」

 そういうわけで、二人は心して進むことになった。
 ティノーブルは迷宮を中心として同心円状に拡張された街であり、外縁部がちょうど住宅地にあたる。ここの治安が最も優先されるため、各国駐留兵や街の自警団の多くがこの地区に配置されることになる。

「そこの二人、止まれ」

 そこを通ろうとした二人が呼び止められたのも、いわば必然の成り行きだった。
 が、ユエラは構わず通りすぎようとする。主人が止まらないのだからテオも止まるわけにはいかない。

「ちょ、ちょっとま、待てッ!!」

 それで見逃されるはずもなく、声の主は二人の進行方向に回りこんだ。
 皮の軽装鎧に身を包んだ髭面の中年男だった。正規兵には見えないからおそらくは自警団員だろう。

「止まれと言ったろう!!」
「頭が高い。止まってくださいと言い直せ」
「が……」

 ユエラの尊大な態度に自警団の男は絶句する。ガキ、と言い損ねたのやもしれぬ。

「ユエラ様。あまり目立つのは……」

 そういって灰毛の狐耳を指差すテオ。

「安心せえ。おまえ以外には見せておらん」

 ユエラは小声でそっけなく言う。これも幻魔術の力である。実際、眼前の男はユエラの異貌に微塵も気づいていなかった。

「何をぶつぶつ言っている、怪しい奴らめ! この街に何の用だ?」
「怪しいか?」
「僭越ですが、怪しいかと」

 テオは控えめに提言する。
 お仕着せ服の若い少女と、それよりもさらに幼い黒衣の娘の二人組。旅人にしてもあまりに怪しい風采である。ユエラに至っては靴すら履いておらず、旅に向いていないこと甚だしかった。

「しがない旅芸人だとも。買い物に来たのだ、さっさと通してくれんか」
「貴様らが? 道具も無しにか?」
「道具? 芸をやるにはこの身一つあれば十分ではないか」

 ユエラがぶっきらぼうにそう言うと、男はユエラとテオを交互に見た。そしてふと、テオの姿を上から下まで舐めるように見下ろす。
 芸という言葉を見当違いの方向に勘違いしたのか、男は下卑た目付きを隠しもせずに言った。

「そうか、それならボディ・チェックと行こうじゃないか。ちびのおまえはいい。そっちの嬢ちゃん、こっちに来な」
「武器の一つくらいあるに決まっとるだろう。戯け」
「ガキは黙ってろ!」

 男が怒鳴り声をあげた瞬間、テオは主人にちらりと一瞥をくれる。唇が音もなく言葉を描く――『消しますか?』
 ユエラはちいさくため息を吐き、首を横に振った。治安を維持する側がこのざまとは呆れたが、自警団も手隙の探索者が持ち回りで務めているに過ぎないから無理はない。

「おい、さっさと――――」

 男はテオを引き寄せようと手を伸ばす。その掌は彼女のはるか手前で空を切り、

「し、ろ――――おッ!?」

 そのまま勢い余ってつんのめり、すっ転んだ。
 ユエラはふんと鼻を鳴らし、男を避けて歩き出す。テオはその後を付いていく。

「お、おい! おまえら、何しやがった、待ッ――――」
「やかましい。私の芸をくれてやるから大人しくしとれ」

 ユエラはそういって、黒衣の内ポケットからきらきらと輝くコイン――銀貨を取り出す。
 男の視線が釣れたのを確認し、ユエラはそれをぽいっと地面に放り投げた。
 石畳を打つ金属音がにわかに響く。跳ね返ったコインはあらぬ方に飛び、道横の茂みにまぎれこんだ。

「……ッ! あ、ああ、しょうがねえな、勘弁してやる! 通りな!」

 この時代、銀貨一枚は一般的労働者の稼ぎに換算しておよそ十日分の給料に当たる。心付けとしては十分すぎる額である。
 這いつくばって茂みを漁る男を尻目に、二人は迷宮街ティノーブルに足を踏み入れた。

 ◆

 丘の上からも見たように、ティノーブルは十字路に貫かれた街である。中心部――迷宮に近づくほど賑わいを増す一方、住宅地はさほど騒がしくない。側道に露店を構える商人がちらほら見え、時には武器を携えた柄の悪い男などと行き違う。
 そんな風景を見るともなく見ながら歩く。と、テオが横から不意に言った。

「ユエラ様」
「うむ?」

 どこか怪訝そうな表情のテオ。ユエラはちいさく首を傾げる。頭の上の狐耳がぱたぱたと風に揺られてなびく。

「銀貨などいつ手に入れられたのでしょう」
「ああ」

 なんだそんなことを気にしておったのか。ユエラはちいさく含み笑いを漏らし、肩をすくめた。

「あれな、ただの石。幻術で銀貨に見せただけだ」
「えっ」
「なかなか分からんもんだろう? 誰があのような輩に金なぞくれてやるものか。金を使うならおまえに褒美でもやるほうがよほど良い」
「……ですがユエラ様、後から面倒事の種になるのでは」
「その時は、まあ、おまえの出番かの。私の役に立てることを光栄に思うが良い」
「無茶を言いますね」

 そろそろ慣れてきましたが、とテオは苦笑する。二日目からすでにこれである。順応が早いのはいいことだ。

「一番大事なのは面白おかしく過ごせることだからのう。ゆえに面倒事は一向に不要であるし、働くのも御免こうむる――だが、そのためにいちいち頭を下げておったら何が何やらわからぬではないか?」
「理解はしますが、騙したのはいかがなものかと」
「これは奇妙なことを言う」

 テオが懸念を述べるも、ユエラは悪辣に口端を釣り上げて笑う。

「私は芸を見せてやっただけ。金をやるなどとは一言も言っておらぬ。それであやつは納得した。であろう?」
「……きっと通じませんよ、それ」

 そう言いつつ、あまりの詐欺師振りにテオも釣られて苦く笑った。

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