異界に迷った能力持ちの殺人鬼はそこで頑張ることにしました

鬼怒川 ますず

30話 習わし

ナナシと呼ばれる前は名前もない殺人鬼だった。

暗殺者として雇われた仕事を淡々とこなしていき、困難な状況でさえも持ち前の能力を使って切り抜けてきた。
誰も気づけない。
交友関係も無い。
殺してきた人間の数など分からない。
驚くほど情報がない暗殺者であり、殺人に快楽を感じている殺人鬼だ。

そんな凄腕の暗殺者である彼は今、経験したことのない修羅場にいた。

「さて、話していただきましょうかナナシさん…」

「この変態め…」

パーランド住宅区。
一括で購入した一軒家の広間にある大きなテーブル。
ナナシが座っている目の前に対して向かい側に座り怒っているシャデアとテラス。
そして。

「あぁ…旦那さま〜」

酒場『マリエル』の一人娘の茶髪の気弱な少女コローネがそんな2人の鬼気迫る表情もモノともせずにナナシの腕に自らの腕を組ませる。

「いや〜まさかこんな破廉恥なものをまざまざと見せつけられるとは…体さえあればこの不誠実な欲望に対して断罪を決行するというのに…これも試練でしょうか♪」

コローネの横には顔をこちらに向けて出会った時と同じ禍々しい雰囲気を醸し出している生首だけの『伝説の殺人鬼』、切り裂きジャックがナナシを睨んでいた。

この修羅場の争点でもあり当の本人ナナシは、昔突きつけられたアメリカFBIの本部とロシアのKGB施設で能力が効かない監視カメラを潜り抜けた時のスリルと危機を感じていた。
彼は天井を仰いでから一言。

「どうしてこうなった…」

それは4時間前のことだ。

フェルド街で偶然出会ったコローネにいきなり結婚しようと言われた。
ナナシの見た目はスパイマスクでできた仮の姿で歳は30後半の見た目のはずだ。そんな容姿のナナシが見た目がまだあの小さいフィンと同じ少女に求婚を求められて理解できなかったが、コローネから理由を聞かされて自分の浅はかさに顔を覆いたくなった。

コローネは正確には人間とエルフのハーフだ。
人間であるマリエルはデザールハザール王国の出身だが、父の方はオータニア国の商人でエルフだ。
そしてオータニア国のエルフ族にはある風習がある。

「エ、エルフ族は自分の裸を見て触った相手と結婚する習わしがあるんです。だからあの時おじさんにお願いしたんですよ。オータニア国にいる父に挨拶しに行くために一緒に行こうって!」

街中で、本当なら恥ずかしいはずのことをナナシに面と向かって言うコローネ。
対してナナシは全力で能力を使い周囲の認識を変えて聞かなかったことにさせる。

能力をフルに使おうと思ったのはこれが初めてかもしれない、ナナシは自分がとても動揺しているんだなと心で呟くとコローネに一言。

「お嬢ちゃんならいい奴は他にいるよ…」

「それでも…」

コローネがなにか言いかけて急に止まり、クルリとナナシに背を向けて歩き出す。
そして再び群衆に混じって消えていく。

「おや? 例の能力で家に帰して差し上げたのですか?それは男の逃げではないでしょうか」

「子供に求婚されて『はいそうです』って言うヤツはいねぇよ…いたらお前と同じイカれてるやつだろ」

腰についているジャックがナナシを見ながら、まるで顎に手をつけて考える。

「しかし…今の話を聞く限りではあの子の肌に触れたのは貴方ではないですか?」

「テメェを誘き出して殺すためだろうが、バレないようにするには化ける相手に直接触れねぇといけないんだよ」

ナナシが白髪を掴んで首を持ち上げる。
ジャックは自分のせいだと思うと、ナナシに片目を閉じて言った。

「ご愁傷様です♪ザマーミロですね♪……おブッフェッ!?」

地面に叩きつけてボコボコと生首を何度も踏み潰す。
バラバラになった頭部を持ってきた麻袋に入れてフェルド街の買い物を続けることにする。
その日はそれで終わる……わけなかった。

夕方になってパーランド住宅区に戻り自宅のドアを開ける。すると奥のリビングから見覚えのある茶髪の少女が歩いてくる。

「あ、お、お帰りなさい旦那さま…」

「………」


ナナシはハァと一息ついてからコローネをスルーし、彼女が出てきた部屋、大きなテーブルが置いてあるリビングに向かう。
そこには見知った顔が待ち受けていた。
赤くサラサラの髪の毛をした美女シャデア。
金髪の偉そうに椅子に座る普段着の少年テラス。

彼らが言うにはルーヴァン街で仲良く買い物をしていた時に、あの後家に帰ったコローネが親にお使いを頼まれてルーヴァン街にきていたそうだ。
そこで偶然テラスを見つけて先日のお礼を言っているうちに、付き添いのシャデアに気付いたそうだ。
シャデアが生きていたことに驚いていたが、事情を説明すると納得して誰にも言わないと約束してもらえたそうだ。

いつも思うが順応が早い子だ。

で、その際にシャデアがナナシと同じ場所に住んでいると言うと一緒について行くと言いだし、その理由を2人が知ったので怒りわざわざナナシの家にコローネを連れてきたわけだ。

そして冒頭の修羅場に戻る。





ナナシが弁明する。

「俺は悪くない、悪いのはこの首がめんどくさいこと起こしたからだ。だから全ての元凶はこの首が悪いから」

ナナシはくっつくコローネの向こう側にいた生首の髪を掴むと持ち上げる。だが当の生首はふーんと知らんぷりする。

「貴方が清純な少女の体に触ったのと私が不純な人間を殺してきたのでは何の接点もないですよ♪」

「そうですよ、この魔獣さんだって私を食べようとしただけですし」

「お嬢ちゃん、お前誰に賛同してんだ!?」

「え、それはこの魔獣さんですけど」


そう言ってなぜか自分を殺そうとした魔獣を擁護するコローネ。
この論議の前にコローネの生首に対する認識の能力を切り、生首を見せてビビらせて帰そうと試みた。
驚いたのは最初だけで何も出来ないのと、ジャックが『お嬢さんには悪い事をしました。申し訳ない』と平謝りしたのを見てすぐに「分かったです」と返事してしまう。

そしてこの会話のキャッチボール。

さっきも言ったが何故か順応が早い。
鈍いのか達観しているのか、とにかく物わかりの良さにはナナシも驚きだ。

と、コローネを見ていた時にテラスが意を唱える。

「そもそもどうしてエルフ族だって気づかなかった!? 貴様の世界にはエルフはいないのか!?」

「いないわ!そもそもそんな習わしも知らねぇよ!」

ナナシは元の世界ではいろんな国を渡ってきた。
そこでは擬似的だが交友の紛い物を築いたこともあった。
いろんな部族も宗教も見てきたし潜入もした。
だがエルフもいなければ、そんな習わしも知らない。

ナナシが怒るのも最もだった。
だが今度はシャデアが意を唱える。


「女児の体を触るなんて…ナナシさんはやっぱり特殊な性癖をお持ちの方なのですか?そもそも、いくら私の仇打ちがしたかったからって、そんな事をしてまで魔獣を殺しても私は死んでも死にきれませんよ!」

「生き返った女が言うと説得力が無いな」

「さすが脳筋ですね♪」

「生首さん後で稽古の的になってもらいましょうか」


シャデアが笑顔でジャックに言うとジャックはおっかないと諦めた表情になる。
とりあえず、ナナシはこのままだと議論が平行線のままでなんの解決にはいかないと思い、コローネに尋ねる。


「なぁお嬢ちゃん、オータニア国にはお父さんがいるんだっけ?それで俺と一緒に結婚の挨拶にいかないといけないんだよな?」

「はい! ようやく決心してくださいましたか!」


普段は恥ずかしがり屋の少女がパァっと輝くばかりに笑みを浮かべると、ナナシは自分の心にいつも通りの衣をかぶせる。


「あぁ、結婚しよう」

「キャァァァァァァァァァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッッッ!!!!!ヤッッッターーーーーーーッッ!!!!」


頬を赤らめて歓喜の声を挙げてまでナナシの言った一言に嬉しがるコローネ。
当のナナシは背中に冷や汗をかき、三人の冷たい視線を浴びていた。


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「あの少女の認識をずっと変え続ければいいんじゃなかったの?」


コローネが家に帰った後、キッチンで夕食を作っていたシャデアが聞いてくる。
ナナシはシャデアの質問に答える。


「無理だ、俺の能力はずっと使えるわけじゃねぇんだ。最長で5時間程度、範囲も限られているから少しでも範囲から外れたら俺が目で指定して認識しない限りあの子の認識は変わらねぇ」


それを聞いてテラスが不思議に思う。


「貴様はあの首との戦いの際に私以外の騎士が来ないように能力を使ったではないか?貴様が視認しないと発動しないはそれと矛盾するのではないか?」

「それは応用だ、あん時はお前と生首に能力を使ったまでだ。お前らを認識出来なきゃ近くにいても気づけないって事だ」

「なるほど…確かに理にかなっている」


テラスが感心していたが、ここでナナシはさらっと嘘をついた。
範囲は本当だが『視認して』は嘘だ。
確かに特定の認識を変えるのに視認して能力を使うがそれは疲れる。
ただ単純に『ここいらに来ないように認識を変える』ことを周囲の騎士に使ったまでだ。
詳しくすると疲れ、簡単にすると疲れない。

ナナシが能力を使う基準はそこだった。
今回は範囲外に出れば自分の元に戻ってくるのが面倒だからやらないだけ。そもそも解決策が見つかっていた。

「それにしてもひどい方だ、まさか父親の認識を変えて結婚を無かったことにさせようなんて♪」

ジャックがニマニマと笑いながらナナシを見ていたので。首をくるりと向こうに向けて黙るナナシ。

ナナシには考えがあった。
それはこの面倒な状況の打破だ。
エルフ族のコローネの習わしなら、先に父親にあって習わしに関する認識を変えておく。
習わしにならって都合が良いものだと『ただし歳が近いもの同士』と刷り込ませるのが良いだろう。
そうすればエルフ族の父の言い分を信じ諦めてコローネも引き下がるはずだ。
真面目で恥ずかしがり屋のコローネが勇気を出してナナシに言ったこと、もちろん体を触ったことも悪いと持っているが、だからこそナナシはやろうと思う。

(どこの世界でも、殺人鬼は結婚なんてしないからな…)

当たり前のことを前提にして。
と、そう思っているうちにシャデアが大きな鍋を軽々と持ってきた。


「はいフェルド街で買った野菜を牛乳で煮込んだものです!」

「……つまりシチューだな」

「はいその通りです。そこの生首から嫌々ですがレシピを聞かされたので試しに作ってみました」


シャデアはそう言ってテーブルの真ん中に鍋を置き、またキッチンに戻る。
テラスもシャデアの手伝いでキッチンに向かったのでナナシはこっそりとジャックに聞く。


「お前がいた時代にシチューなんてあったのか?」

「いいえ、仲間の持っていた料理本を拝読し覚えていただけです。いやはや日本のレシピ本は奥が深いですね♪味付けを変えるだけで不思議と美味しくなるのですから」


ジャックの顔は見えないが、ドヤ顔しているとナナシは悟った。
するとテラスが3人分のスープ皿とスプーンを持ってきて、シャデアは切り分けたバケットを持ってくる。
各自にそれらが行き渡り、シャデアとテラスは手を合わせてデザールハザール王国が信仰している宗教にお祈りを始めた。
ナナシはとりあえず目を閉じて「いただきます」と何回も言っておく。
同時にジャックが神の賛美歌を歌い出してうるさかったので叩いておく。


食事を終えてしばらくしてからナナシはいつも通りに外に出る。
その手には大きな剣が握られている。

バスターソード。

いわゆる大剣と呼ばれるもので、対魔獣の専用武器だ。
彼はそれを軽々と持って庭である人物を待つ。

それはシャデアだ。

「お待たせしました!今日も稽古よろしくお願いします!」

食器を片付けていたシャデアは鎧と剣を装備して来る。

もちろんさっきシャデアが言っていた通りにジャックの生首も掴んで。

彼らは食事が終わると決まって稽古をする。
シャデアからお願いされてしている稽古だが、これはナナシにとっても結構都合が良いものだった。

魔獣。

1週間ほど前の戦いで魔獣を倒したナナシではあったが、今後自分の能力が効かない者が現れてもおかしくない。

そもそも神という存在と対峙するかもしれない。

そのため、人外となったシャデアと剣を交えるのは好都合であった。

威力も人間とは違って大きく、普通の剣が耐えられないほどだ。
そこでナナシは大剣を扱うことにした。

対魔獣なだけあって耐久力も切れ味もとにかく強力。

しかも相当な重さでナナシはトレーニング代わりにと、この稽古中のみ多用している。

最も彼が好むのは暗器なので、まず使わないし持ち歩かないのだが。



ナナシはようやく来たシャデアに「おう」と一声かけてから大剣を構えようとする。

だが、今回はテラスも自身の愛刀を持って一緒について来ていた。


「おい、テラスもやるのか?」

「勘違いするな、私はただ見学するだけだ」


言いながらテラスはシャデアのすぐ後ろで立ちながら見学しようとする。

それは丁度大剣が届く範囲であるので、ナナシはすぐにテラスをどかそうと彼に向けて手を横に払う仕草をする。

しかし彼は退かずにナナシの事を注視する。


「良いからやってくれ」


テラスがいつも通り偉そうにいうので、ナナシとしても不本意だが行う。
いつも通りにスパイマスクを脱ぎ捨て、顔のない顔を曝け出す。
こうした方が仕事の時を思い出すことができ、ナナシ自身も本気でやれるからだ。

シャデアもナナシの様子を見てを見てジャックの頭を放り投げ、すぐに両手で塚を持ち直剣を構える。
ナナシはそれとは反対で右手で大剣を持ち構える。

一瞬だがその場が静まり返り、風の音しか聞こえなかった。


「行きますよナナシさん!」


静寂を破って先に動いたのはシャデアだ。
彼女は人とは思えない瞬発力で地面を抉り、一瞬にしてナナシの目の前まで来ると直剣を振るう。

ガキン

しかし、シャデアの剣はすぐにナナシに弾かれる。

素早さの前に普通の人間であるナナシでは敵わない。

常人を超えたシャデアの方が強いのは明らかだ。
けれどそこに負ける文字はない。シャデアの動きが見えていた時に把握すれば良いだけだ。

シャデアが一瞬で近づいてくる前に、ナナシは大剣を盾のように自身の体の前に置いたのだ。

これは元の世界でも使用した技術。
主に銃撃戦などの認識が関係ない乱戦で用いていた。

相手の銃口が動く向きを見据える。普通の人なら無理だがナナシの能力『認識を変える』能力の付属能力であるソナー機能があった。半径7kmの人間の動きを確認してそこからどう動くかを予測することができる。

銃口が向けられる前にそれに適した避け方や回避行動をとり、自分を認識出来ていない敵を全員殺す。

それもまた彼の一興だった。

だがナナシは今はその能力を使ってはいない。
慣れれば相手の太刀筋もその次も能力無しで読めてしまうからだ。

シャデアの剣を弾くと今度はナナシが動く。
大剣を持ち直して今度はナナシが大剣を横薙ぎに振るう。

ブォン! と空気を切る音とともに向こう側にいるテラスの髪が巻き上がった。ジャックの生首はゴロゴロとテラスの横を転がっていく。

それを見ていたナナシはいつも通りに上を見上げる。


そこには剣を下に向けてこちらを見ているシャデアがいた。

薙ぎ払う瞬間、またしても常人離れした跳躍力で跳び上がって大剣を避けたのだ。


ー勝った!ー


いつも通り、勝利に少しだけ心踊るシャデアだった。

それはナナシも同じだ。

すぐにでもナナシに剣が届く瞬間、ナナシは一言だけシャデアに言っておいた。
シャデアはそれを聞いて目を見開く。


ーまだ、甘いなー


聞いてからシャデアはいつのまにか視線をナナシの左手に向けていた。
その手には短刀……ナイフが握られていた。
対魔獣用の一回り大きいナイフが。

ナナシはすかさずナイフをシャデアの直剣に当てて攻撃をそらし、ついでにシャデアに頭突きをかましておいた。

シャデアが顔を真っ赤にして地面に落ちていくので、ナナシは横にそれて回避する。

ドサリと地面に倒れるシャデア。


「いててて……」


地面に転がり顔をおさえながら呻いていたシャデアだったが、いつの間にか自分が手放してしまった直剣に気付いて慌てて探そうとする。
直後に自分の後ろから剣が差し込む。

シャデアの剣を拾って突きつけたナナシだった。
シャデアはそれを悟って息を吐くと、うつ伏せながら両手を上げる。


「…降参です」


それを聞いてナナシは剣を引っ込めて地面に置くとシャデアに手を差し出す。


「アホかお前、跳んだら次の攻撃の回避ができないだろうが。あん時は素直に伏せて体勢を立て直すのが正解だ。つかいつもいつもなんで一撃必殺を狙おうとすんだよ」

「ナナシさんは分かってないですね。一撃で敵を再起不能にするには頭部が一番なんですよ。まぁナナシさんなら上手くかわせると思ってましたし、良かったじゃないですか」

「始めて1週間だが、お前からは一撃も食らったことはない」


ナナシの手を取って立ち上がるシャデアは地面に置いてある自分の剣を拾うと、もう一度構える。


「もう一度お願いします」


シャデアは真剣な顔で再戦をお願いする。
いつもだったら何回も剣を交えているが、ナナシはさっき取り出したナイフをしまうと大剣を担いで背を向ける。


「今日はこの1回で終わりだ。俺も疲れたしな」

「えー!! そう言われても私はまだ満足していませんよ!?」


シャデアがそう言うのでナナシはテラスに指をさす。

テラスは今の2人の打ち合いに唖然としていた。
シャデアはナナシがどうしてテラスに指をさしたのか察して、言いにくそうに告げた。


「いやー、テラスでは無理ですよ…満足できないって言うか…」


頭をかいて言ってはいけないことを言うシャデアにナナシはハァと息を漏らしながら地面に放ったスパイマスクを被って家に入る。

それから2分後、ナナシがお茶を飲んで一息入れていた時に外から若い男女の言い争いが聞こえた。


仲が良いな、と適当に感想をつけて彼は体を洗うために風呂場に向かう。

脱衣所で服を脱いで風呂場に入る。風呂場には元の世界と同じでシャワーと浴槽がついている。
しかしやり方が違う。
蛇口などはいついていない。

ナナシはまだ不慣れな感覚で呪文を唱える。


「あーと……ぬるま湯」


呪文ではなく命令だったが、それに反応してシャワー口からお湯が出てくる。

黒い肌で覆われた皮膚に心地いいお湯が当たり、ナナシは少なからずホッとしてしまう。


この世界の必需品、魔法石というものだ。

デザールハザール王国が主な成石国であり、魔法使いとやらによって丁寧に作られたそれは世界中に売られて使用されている。
この魔法石には様々な属性がある。
火や水などが主に使われており、それらはどの家庭でも使われる生活必需品だ。
使用方法は簡単で、石に命じるだけでそれに応じた量や威力が出てくる。
ナナシもこの家に来るまでこの石の存在を知らなく、少し戸惑ったが今では慣れたものだ。


便利なものだが、使用期限が半年ほどで交換のために一万ユルを払わないといけない。

安いものだと思うが、石の数×一万ユルなので高くつく。
しかしそれに反して使用量は莫大で、石の限界を超えない限り無限に使えるそうだ。

ナナシはシャワーを浴び終わって身体を洗い、温かいお湯にあたりながら今日の事を思い返す。
色々あった。本当にそう思えるほどに。


あの任務をしくじって本当に良かったと思う。
あれで失敗したおかげで、最底辺の最強の人殺しが異世界でこんな生活ができるのだから。

その反面、人が殺せない疼きが出てきた。
さっき剣をシャデアの背後から突きつける際に、シャデアの首をはねて殺してしまいたかった。
そう考えると早くなんとかしないとと思う。

早く人を殺さないといけない。
そうでなければ、シャデアやテラスを殺してしまうからだ。


「…止まれ」


石に向けて言ってお湯を止めると、ナナシは身体を拭いて風呂場から出る。

いつも通りの寝間着に着替え、庭の方を向いている窓を開けると口論しているシャデアとテラスに言った。


「おーい、俺はもう寝るから。テラスは早く帰れよ、シャデアはどっかいったジャックの生首忘れずに家に入れろよ」


二人はナナシに「わかった」と答えるともう一度お願い向き合って口論を開始する。

内容は自分が強いとかどうとかだが、ナナシには一切関係ない事だった。

自分の部屋のベッドに横になる。

宿屋のベッドよりも良い素材で出来ているのですぐに熟睡できるが、ナナシはそこに少し厚めのベニヤ板を敷くとそこで横になってから掛け布団を被る。

もし強襲された時にと浅い眠りを維持するためだ。

最近警戒心が緩くなっている自分を戒めようと思って行っている。

元の世界では自分の能力が効かない人間は大勢いた。
その教訓を生かしている。


ジャックの仲間が襲ってこないとも限らないのでこれはこれで正しい判断だろう。
ナナシは四日前に胸中で思った事を思い返すと眠りに入る。

その日起きたコローネの習わしを頭の片隅に置きながら。



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デザールハザール王国領
【フェギル草原】


ここは広大な草原と色鮮やかな花が咲き誇ったことで有名な場所だ。問題があるとすれば隣の森の中から巨大な魔獣が出て来ることだけだ。

それを除けば、緑豊かで静かな草原であり、草が風になびいてサァーーッと鳴る音は風流を感じさせる。

その草原、花畑の真ん中でいそいそと動く人影があった。


「これで最後だな。穢らわしい雑種が」

そういって、ドイツ軍の将校の姿をした男が何かを蹴り上げ、それが地面に落ちて静止する。

ちょうど空を覆っていた雲が晴れて月明かりが照らされる。

それは犬と同じサイズの大きな蜘蛛の魔獣だ。

同時に遠くにいる彼らにも月明かりが照らされる。

鉄製のヘルメット。
茶色い軍服とその手に持つライフル銃や短機関銃がキラリと淡い光を放つ。
極め付けはマンジの腕章だ。

月明かりに照らされて続々と月光の下に照らされる。
1人…2人…7人…24人…。

広大な草原を覆うように大勢の武装した兵士が月明かりの下に現れた。

数はおそらく500以上。

だが、彼らの顔や体格は全員おかしかった。
1人を除いて全員が同じように顔が青白く変色しており顔色も一切変化が無い。

中にはどう見ても人間では無いものもいた。オークやゴブリンが軍服を着ている。しかしそれも腕がなかったり首がありえない方向を向いていたりしている。


全員が全員まともではなかった。
彼らには一貫性がない。
共通しているのは彼らが付き従う統率する者だけだ。



蜘蛛を蹴ったドイツ軍将校の男は軍帽をかぶり直して蹴り飛ばした蜘蛛の魔獣を見下す。


「全く全く、我が偉大なる総統も意地の悪い方だ。総統のお考えは我が民族の再興と世界を統一するというものでしたが、それではいけない」


そういって男は白い手袋をした両手で蜘蛛の死体を覆う。

さっきまで動かなかった蜘蛛の足がピクリと動く。


「全ての民族は生から始まっている。そこから平等が付きまとう、総統は始まりを誤っていたのだ。私たちは最後を見据えるべきだったのだ」

蜘蛛は全ての足を動かして仰向けだった状態から起き上がって歩き周る。
その姿に二マリと笑みを浮かべるドイツ軍の男。


「これが本当の最高の民族。生という概念がない場所に現れた『死』という民族こそ総統、あなたが望んでいたものだと思っております。あなたの思想は最高であり至高で崇高であります。貴方の夢は私が叶えてみせます」


彼は胸元のポッケから白黒の写真を取り出し、目の前に移動させてから右手を掲げて宣言する。


「総統万歳!!」


それにならって背後で控えていた者たちも同じように右手を掲げる。



「総統万歳!!」

「総統万歳!!」

「総統万歳!!」



フェギル草原の花畑を軍足で荒らす彼らの声が風に乗ってどこまでも響く。

それに満足した彼は写真を元の場所にしまうと、彼らに命令する。



「これからジェノサイド作戦を開始する。目標はデザールハザール王国だ。密偵の情報では明日の朝方にジゴズとやらが幾千もの騎士を連れて他国の救援に向かうという。我々はそれを強襲して吸収する。戦力が強大になればデザールハザール王国を血の海に染めることも可能だ。生きてるものは全て殺せ。これが我が総統の教えを汲んだ私の崇高な作戦だ!」


彼が手を掲げて宣言する。
それに呼応するように兵士たち、死体たちも銃を掲げて雄叫びをあげる。
マンジの旗も夜風になびく。

場所に似合わない喝采も起き、ドイツ軍の将校の姿をした男は喝采を浴びてご満悦になる。

そして再び彼らに背を向け前を見据える。
彼が見る先にある国、デザールハザール王国の方を。

彼はもう一度帽子をかぶり直して呟く。
彼が尊敬し敬意を表す人の名を。


「…ハイル、※※※※」


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酒場『マリエル』

酒気を浴びたお客が賑やかに騒ぐ。

コローネはそこでウェイターと料理の両方をこなしながら忙しく動く母に明日にも父に会いにオータニア国に行くといって、快く了承した母におやすみの挨拶を言ってから自分の部屋に行く。

長旅にはならないと考えたので、用意も手短に済ませてからコローネは自分のベッドに潜る。

ふとここで自分の裸体を見られたことを思い出し、母にまだ言っていない事も踏まえ、ナナシに対して申し訳ないと思った。

しかし。習わしなので仕方がない。
コローネはそう自分に言い聞かせて眠りに入る。

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