異世界八険伝

AW

89.天界の終焉

 白い世界が次第に色彩を帯びていく。青く澄みきった空が、舞い散る桜の花びらが、そして――ボクに向かって駆けてくる仲間たちの顔が見える。

「リンネちゃん!! 良かった――」
「ア……うわっ!? 」

 飛び込んできたアユナちゃんを抱き止めようとしたけど、押し倒されてしまった。ボクの顔に滴る大粒の涙……心配させちゃったよね……。

 シルフィに肩を貸すサクラちゃんと、その横で治癒魔法を施すミルフェちゃんが、こっちに歩いてくる。笑顔で手を振ってくれている。シルフィも無事そうだ。本当に良かった。

 見回しても、竜たちの姿は既になかった。あの歌が見せてくれた幻だったのだろうか……。



 邪神は滅んだ。

 でも、本当にこんな結末で良かったのか、自信が持てない。安心よりも、もっと他に良い手段があったのではという後悔の気持ちの方が強い。どうしても、守護神として生きた兎が死なずに済んだ方法があったのではないかと考えてしまう。

 ぼーっとしていると、お腹の上に馬乗りになったままのアユナちゃんが、ボクのほっぺを引っ張ってきた。

「大丈夫? 」
「うん。色々あったんだよ」
「私の勇者様の英雄譚、全部聴かせてくれる? 」
「あはは、その前に……ちょっと重くなった? 」



 ★☆★



 庭の見えるあの寝室で、ボクは皆に真実を余すことなく伝え始めた。

 邪神がその内に異質の悪意を抑え続けていたこと、それが解放された先で見た世界――果て無き殺し合いの未来。そして、天神に救いを求めたが叶わなかったこと、犠牲を伴いつつもボクに会おうとしていたこと。

 天神――ユニコーンの黒い瞳が見開かれている。既に光を失っていて何も見えていないと思うけど、それでも、全てを聴き、感じようとしているようだった。

 邪神の中にあった“次元の存在”――その力を使って邪神誕生を阻止しようとしたこと。因果が強く、3度も失敗をしたこと。その間、皆の声が、ミルフェちゃんの歌声が聴こえたこと。竜のブレスによって魂を削られながらも、内なる憎悪とも戦い、必死に耐え続けていた邪神。

 ミルフェちゃんはじっと目を閉じていた。
 ミルフェちゃんを責めるつもりはないけど、自分の力が邪神を滅ぼし、世界を救ったと思い込んでいたミルフェちゃんにはショックが大きかったかもしれない。こんな言い方しかできなくてごめんね。でも……あの優しい兎を、どうしても助けたかったボクの気持ちに偽りはない。

 そして4度目にして、最後の挑戦。妖精姫ミールが連れてきた青い髪の精霊と銀髪の少年。彼の魔法――銀色の光がもたらした奇跡。
 彼がボクの名前、さらには“レイジング・スピリット”と言ったことも。そして、死から蘇った白い兎は、邪神なんかではなく、世界を守る大地の守護神となったことを伝えた。

『すみません、覚えていません』

 いつの間にかボクの隣に居た裸姫ミールが、静かに首を振る。ミールに続き、アユナちゃんの隣には紅い髪の少女、フェニックスも顕現している。

『青い髪の精霊……妾に心当たりがある。恐らく、時空を司る上位精霊クロノスじゃろぅ。あの婆ならば時空を越えることは可能じゃが……世界の因果を断ち切る程の力は持たぬはず』

『ちょっといいかな。あの森のことを説明するね。ぼくたちの森は精霊界との親和性が強いんだ。精霊界の最深部には深層精霊界と呼ばれる世界がある。精霊界では物質は形を留め得ないし、深層精霊界は完全に精神世界に至るんだ。あの森の中で起きた真理は想像することしか出来ないけどね、人の力を深層精霊界まで及ぼすのは、人間界と精霊界の中間世界である妖精界に生きる者――その中でも最上位の者のみに許された特権なんだ。きっと、その場に居た妖精姫が、その少年の神聖なる力を使って、相即不利である邪神の因果を断ち切ったんだと思うよ』

 魔神が説明してくれたけど、なんだか難しい。当事者のミールも口をぽかんと開けているし、その場に居たボクにも理解出来ないし。とにかく、ミールとクロノスさんと少年が力を併せて奇跡を成し遂げたんだね。あの森に満ち溢れた銀色の光、あの力を信じよう。そしてあの少年の笑顔を信じよう。きっとあの兎は救われたんだ。きっとこれでいいんだ。これしか方法はなかったんだ。

「ねぇ、リンネちゃん。本当にレイジング・スピリット? 」
「え? うん、間違いないと思う」
「私のあの魔法って、薄れた魂を呼び覚ますだけで、蘇生なんて無理だよ? 」
「そうなの? でも確かに――」
「ねぇ、リンネちゃん。私は神様を、守護神を殺しちゃったのかな……」
「ううん、ミルフェちゃんは悪くないよ。最後に彼女――守護神が言ってたの。次元の存在のごく一部の力では、自分だけを改変するのが限界だって」
「だけど――」
『若き人の王よ。ぼくも君が間違っていたとは思わないよ。その兎の記憶は恐らく書き換えられたのではなく重複していたようだね。後から加えられた記憶――大地の守護神として生きた証が邪悪な魂を浄化したとしても、もう1つの記憶は永遠に心を貪り続けただろう。そして、きっと神のみに認められた権能――自ら命を絶つ権利を行使しただろう。その場合、魂は完全に消滅することになる。しかし、竜の力で滅ぼされた魂は大地に還る。それはぼくらが望む理想、守護神が求めた以上の結末に相違ないはずだよ』

 魔神の前に泣き崩れるミルフェちゃんの背中を、サクラちゃんが優しく撫でている。そうだ、サクラちゃんも書き換えられる以前の辛い記憶を背負っているんだった。

『皆さん……私はその権能を使いました』

「「えっ!? 」」

 今まで沈黙を貫いていた天神が、強い意思を感じさせる口調で切り出した。

『白よ。ぼくだってリーン様に合わす顔がなかったんだよ。魔王を生み出し、あまつさえリーン様を傷つけ、知らなかったとは言え、ぼくの魔人序列に組み込んでいたんだからね』

『黒……聴いて。私は邪神を救えなかったばかりでなく、危うく世界を滅亡させるところだった! 合わせる顔がないなんて次元では語れない! 』

『ぼくだってそうだよ。魔王はぼくにも制御できないし、世界を滅ぼす力を持つそうだからね。しかも、その危機はまだ終わっちゃいないんだ。そんな状況なのに、リンネ様がぼくを無理矢理にリーン様の所に連れて行ったんだ。リーン様はきっと君もお許しになられるさ』

 黒い鳥がボクの方を向いて笑いかける。
 困った顔を返すボクを見て、クスクスと皆の笑いが起きる。

 でも、天神にだけは笑顔がなかった。そして、沈痛な面持ちで話し始める。

『しかし……私は……自らの弱さ故に、既に天界の礎を解いてしまった。この世界の崩壊は……もう、始まっている』

「崩壊って……まだ天界にはたくさんの人が居るのに!? 」

『えぇ。申し訳ないけど、私が皆の魂を連れて逝きます』

「ダメっ! そんなの絶対にダメ!! 」

「アユナちゃん……」

 アユナママとアユナパパの、エリ婆さんの、そしてギルドマスターやかつての英雄たちの笑顔がボクの頭を過ぎる。この世界での死は、魂の完全なる消滅を意味する。それは、もう2度と会うことが叶わないと言うことだ。絶対にそんなの嫌だ!!

『しかし……既に手遅れ――』
「まだ間に合う! ボクに作戦がある!! 」



 ★☆★



 暗黒の大海に沈み往く天界――ロンダルシア大陸を見下ろす霊峰ヴァルムホルンの頂上、その神殿の中にボクたちは居る。

 泣け無しのマジックポーションを使い切り、転移魔法を連発した。
 白樹の塔、聖樹結界、大都ヴァイス・フリューゲル、そして城塞都市ローゼンブルグ……世界中の人々が、今ここに集結している。


 大地が大きく震える。
 震度計で計らないと分からないけど、震度4以上の揺れが、もう5時間以上も絶え間なく続いている。

 この神殿は、霊峰の抱く魔力を集約して造られた頑強な砦だ。その上で、フェニックスやイフリートという上位精霊が作る結界により、外界からの圧力を遮ってもいる。

 その中央に横たわる天神を囲むように、皆が肩を寄せ合い、励まし合いながらその時を待つ。
 アユナちゃんは両親と、ミルフェちゃんはエリ婆さんや祖父のヴェルサスと、サクラちゃんはシルフィたちと、祈るように手を繋いでいる。


 天界の崩壊――それがどのように起こるのか、想像すら出来ない。

 でも、水圧を最大限に高めた水の膜で包み込めば……もしかしたら、いかなる衝撃からも皆を守ることが出来るかもしれない。

 ボクは精神を研ぎ澄まし、杖を両手に握り締める。
 今は少しでも長く魔法を継続出来るように、魔力の回復に努めるんだ。


 涙も声もかれ果て、泣き叫ぶ声は既になく、人々の目には希望の光すらも見当たらない。
 時折、震度6を超えるような強震が襲うと、神殿内に子どもたちの甲高い悲鳴が木霊し、大地の震えよりも恐怖による身震いの方が増していく状況だった。


 そして、世界をつんざく轟音と共に、崩落が始まった!

 床に亀裂が走り、空気が激しく振動する。

 真の恐怖の中では悲鳴すら上がらないのか、それとも余りの恐怖ゆえに、聴覚が麻痺してしまうのか。


 天界に残された僅か500人ほどの命を、ボクの全力魔法が包み込む! 最大出力の水の結界を作る!

 その時、ボクの背中に激痛が走った――。

「リンネちゃん!! 」
「リンネ様!! 」

「リンネ……」


「リン……」



 遠のく意識の中、振り返ったボクの目に映ったのは、見たことのある顔――。

「お前は……」

 ボクの大賢者のローブが赤く染まっていく。
 ローブの持つ異常状態無効や、魔法無効効果を持つ神の祝福すら嘲笑うかのように染まっていく赤――。

 その横には、金髪碧眼の元アルン王国王太子――レオンの、対照的とも言える蒼白い顔。



 水魔法による結界は消滅し、神殿内は荒れ狂う大地と大気の渦と化す。



 その崩壊の中で、まさに天神の命も尽きようとしていた。

 天神の残り僅かな魂が、最後に皆を守りたいと精一杯叫んだのだろうか。彼女の中に残された記憶――あの白い兎、大地の守護神の記憶が再び奇跡を起こしたのだろうか。

 ボクは薄れ往く視界の中で、竜神の祭壇の、その最奥の扉から白く輝く光が飛び出すのを見た。

 その神々しい輝きの正体を、ボクは瞬時に悟った。

 ミルフェちゃんの聖歌によって大地に還った守護神の魂が、天界の扉を通って還ってきたんだ、と。


 その眩いほどの白亜の輝きは、消えそうな天神ユニコーンの身体を抱き締めるかのように優しく包み込む。


 そして――新たな生を与える。
 その姿は、あの白い世界で最後に微笑んでくれた女性――守護神に似ていた。


 そして――ボクの意識は、完全に途絶えた。




 ★☆★




『リン……』



『リンネ……』


『リンネ様……』


 身体が重い。

 ボクの耳元で囁くのは誰?

「――っ!! 」

 目が……開かない。声も出ない……お腹が燃えるように熱い。


『ぼくは魔神です。リンネ様……良かった……そのまま、そのまま安静に、ゆっくり寝ていてください』

 そうか、崩落の中でボクはレオンに刺されたんだった……。
 思い出すと、さらにお腹に激痛が走った。

『ようやく、ようやく目覚められた。希望はまだぼくたちの手の届くところにある。あの小さき人の王が語ったように……。リンネ様、あの日からの12日間の経緯をお伝えします。気を強くお持ちください……』

 えっ、12日って!?



 疑問の声すら出せないまま、ボクの意識が否応なしに切り替わる。意識だけ飛ばされる例のアレだね。


 眼前に居るのは、赤く染まったローブを着たボク、そして蒼白な表情を浮かべるレオンだ。

 轟音と強震が耳朶を引き裂く。

 数秒ごとに爆裂する火山の噴火、流れ込む溶岩流、そして、折からの暴風雨が、激しく鬩ぎ合う。それらはボクの身体を尽く貫き、しかし、何事もなかったかのように再び荒れ狂う。

 その嵐の中、必死に皆を守ろうとする仲間たちの姿が映る。


 その時、白く眩い光が大きく弾けた――。


 大地の裂け目を縫うように、白い木々が枝を伸ばす。全ての人々を包み込むように、白く大きな花弁が何枚も何枚も生まれ、折り重なっていく。まるで、バラの開花を逆再生したかのようだった。

『天神は、ご覧の通り大地の守護神として生まれ変わりました……命の奪い合いを演じたあの兎に、最後にこうして救われようとは……』

 天神に見放された兎だけど、最後は天神を助けてくれたんだね。本当に優しい兎……でも、これってミルフェちゃんが頑張ったからだよね!



 ボクの視点がぐっと離れる。

 天空の城が崩れるかのように、天に浮かぶ巨大大陸が消滅していく――。

 崩れ落ちる大陸は、何万mもの崩落の末、その大半を消失させた。しかし、およそ1/30ほどの面積が消失を免れ、地上界に……堕ちた。


 地上界と天上界が衝突したことにより、再び起きる轟音と強震……。

 燦々(さんさん)と照らす太陽に向かうボクの目には、山頂を削り取られた霊峰ヴァルムホルンに圧し掛かる天界の地盤が、まるで“元”という漢字のように映っている。ふと、白い塊がボクの目に映る。さっきの白いバラの花だ。ゆっくりと花開く中から、次々と人が出てくる。あぁ……良かった、皆、助かったんだ……。安心した途端、ボクの両目からは一気に涙が溢れ出てきた。

『クルス光国から速やかに救助隊が到着しました。その後、多くの天界人が彼の国で安寧に暮らしています……』

 クルス君……君は何て偉いんだ! 今度会ったら絶対にもふもふしてあげるから、待っててね!



 再び情景が切り替わる。

 荒地と化したヴァルムホルンの頂、そこに……魔界に封じたはずのウィズの姿があった……一体どうやって出てきたんだ……。

 何かを探して彷徨っていたウィズは、目的の物を見つけたのか、嬉々として駆け寄る。

 そしてそれを摘まみ上げ……食べた……。

「うっ! 」

 猛烈な吐き気と嫌悪感がボクを襲う。今食べたのは間違いなく、人間――レオンだった。

 口を押さえながら凝視すると、ウィズの身体を取り巻くように、光を放つ何かが吸収されていった。その時、ウィズの咆哮が空に高々と響き渡った。



 また情景が変わる。

 今度は……建物の中か。

 暗がりに誰かが居る。

『なぜお前がここに居る!? 』

 この声は、メルちゃん!?

『苦労したぜ。カーリーに憑いていた白鬼を覚えてるか? 俺も偶然あいつに襲われてな、危うく意識まで奪われるところだったが、お陰で地上界に転移することが出来たのさ。どういう訳か、その後すぐに力を失っちまったがな! 』

『私は、なぜお前がここに居るのか訊いたんだ! 』

 メイスを構えるメルちゃんに、頭を掻いて余裕を見せるウィズが呟く。

『俺の武勇伝を聴きたいんじゃないのかよ。そうだな、魔王復活にリーチが掛かったから、って答えでどうだ? 』

『なんだって!? 』

 リーチって……。

『笑いが止まんねぇぜ! 俺の愛しいリンネちゃんがレオンごときに殺られるとはな! お陰で労せずして6つの星が集まったぜ』

『嘘だっ!! そんな訳、そんな訳ない……』

 えっ……星!?
 ボクは無意識に胸を押さえる。心臓は確かに動いている。でも、あの時――レオンに刺された時、何かの力が抜けていく感じがした。そして、ウィズがレオンを……あの時に吸収した光、あれは星なのか!?

『俺がここに居ることがその証拠なんだが? それと、残りも貰うぜ!! 』

 なよなよと座り込むメルちゃんを尻目に、後ろに居たヴェローナに飛び込むウィズ。間一髪で手刀を躱し、メルちゃんに何かを叫ぶヴェローナ。

『そうだよね! リンネちゃんは絶対に負けない! 私が信じないでどうするんだ!!! 』

 メルちゃんの絶叫……同時に身体中が蒼い炎に包まれ、黄金色の角が現れる――鬼化。



 建物が全壊し、周囲が焼け野原に成り果てる程の激闘の末、メルちゃんがウィズを地に伏せた……。

 激しく吐血を繰り返し、必死に命乞いをするウィズに、メルちゃんが止めを刺そうか悩んだその一瞬――両手を広げたヴェローナが間に入ってきた。

『もう勝負は付いたでしょ、メルさん。ウィズはこの世界から去ると言ってる。許してあげ――うっ……うそっ!? 』
『なっ!? 』
「えっ!? 」

 メルちゃんの目に、そしてボクの目に映ったのは、ヴェローナの心臓を掴み取るウィズの手――背後からの手刀、容赦のない一撃がヴェローナの命を一瞬にして毟り取った……。

『ひゃあ!! 揃った、揃ったぜ!! どうだ、俺の勝ちだ!! 』

 呆然と立ち尽くすボクの目の前で、メルちゃんの渾身の一撃がウィズの頭蓋骨を撃ち砕く!!

 そして、そのまま気を失うように前のめりに崩れ落ちていった――。



 うつ伏せに倒れるメルちゃんの前で呆然と佇むボク。

 その意識が掻き消え、現実の意識と同期する。

『以上が、リンネ様が気を失っていた12日間の出来事です。先ほど、封じられし魔王の魂に変化があったとの報告を受け、他の者たちはリーン・ルナマリア様の元に向かいました……』

 メルちゃん!? 嘘でしょ、起きてよ……星が7つ揃ったってことは……魔王が……魔王が……。


(リンネさん! やっと繋がった!! )

 その時、混乱するボクの脳裏にアイちゃんの念話が聴こえてきた――。

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