異世界八険伝

AW

88.邪神との闘い2

 視界に広がる白い世界――そこは邪念が渦巻く場所、ではなかった。

 憎悪の念を宿しているであろう不気味な塊が地面からせり上がったかと思うと、悲鳴を上げて消えていく。じっと何かを耐え忍んでいるかのような、緊張感のある世界だった。


『ふぅ……初めまして、だね。私は……いいえ、昔の名前は関係ないわね。今は、邪神と呼ばれている存在よ。私は……リンネ、君に会いたかった。君に会うためにあらゆる手段を尽くしてきたんだ。お願い……私の中に渦巻く怒り、憎しみ、それが齎す破壊衝動を取り除いてほしい! 』

 キィキィとざわめきが木霊する白いドームの中、どこからともなく聴こえてくる声の主を求め、ボクは周囲を見回す。しかし、それらしき姿は見当たらなかった。

「どういうこと⁉ 邪神はボクと会うためにこんなことをしたって言うの……じゃあ、シルフィをあんな目に遭わせた原因は、ボク自身の存在ということ? 」

 邪神と名乗る声は、ボクの疑問を否定せず、答えることもせず、ただ黙々と話し続けた。

『君が魔界に行くと知り、魔王カーリーを襲った。しかし、運悪く君に会う前に消されちゃったけどね。それから、君が天神を探していると知って、天神を捕まえようとした。天神は私の育ての親も同然の存在……なのに、私をゴミのように棄て、さらには自ら与えた力さえもごうとした。だから、天神の周りに居た存在の中で、最も扱いやすい者に憑いたの。ただそれだけのこと――』

「何がそれだけ、だよ! 」

 命を物のように扱い、無感情に話す邪神に対して怒りが込み上げてくる。

『だって、私を早く殺さないと世界は滅ぶもの。今は何とか私にも抑えることができているけど、この異質の悪意は私の内にある憎悪を解き放てと暴れ狂っている。これがもし溢れでもしたら……世界で起こるのは果て無き殺し合いだ。もう時間がない、助けてほしい! 』

「異質の悪意……って、またウィズか! ウィズも邪神もボクが呼び込んだということか。だから、責任はボクが取れと言いたいんだね――」

『違うよ! 見てみれば分かるよ、この未来を! 』

 滝を落ちるような感覚が問答無用にボクに襲い掛かる。これは、魔神に過去を見せられた時と同じだ。邪神はボクにどんな未来を見せたいというのか……。



 ★☆★



 眼下には荒れ狂う大海が見える。いや、これは……人の波、憎しみの波――戦争だ。

 でも、何かが違和感が……これは……国同士の、種族同士の、あるいは宗教間の戦争ではない! 自分以外は全て敵……目に映る全てを殺し尽くす憎悪に満ちた争いだった……。


 空中に浮遊する自らの意識を操作し、混戦の地に降り立つ。この場に自分は存在しない、その安心感がそうさせた。

 しかし――。

 迫りくる憎悪は際限を知らず、ここに存在しないはずのボクにも襲い掛かってきた。

 地に伏し、頭を押さえて混沌なる暴力にひたすら耐える。

 フィーネでの苦い記憶が甦る。

 仲間を、大切な友達を傷つけられた悲しみが、ボクの怒りの導火線に火を点ける。



 気付くと、魔力の雷撃を宿した杖を握り、人垣の中央に立ち尽くしていた――。



 ボクの周りに転がる黒く焦げた物体――。

「うわぁーーー!! 」

 天高く吼えるボクに、ひたすら群がる悪意の壁。復讐、制裁、応報……これが憎しみの連鎖、留まることのない悪意の輪廻――。


 その高い壁の前にボクは跪く。

 罵られ、殴られ、蹴られる……地に伏しても、嵐は止むことなく吹き荒んだ。

 苦しみ、もがき、暴れ、人を傷つけたという紛れもない事実が、身体だけでなく、ボクの心を激しく打ちのめし、ボクはやがて気を失った……。




 目が覚め、周囲を見渡すと、白い空間が見える。

 次第に意識が明瞭になっていく中で、さっきまでの辛い感覚が現実ではないと気付く。胸元を鷲掴みにし、何度も何度も胸を撫で下ろす。あれは単なる夢、幻なんだと自分に言い聞かせる。それに伴い、限界まで高まっていた鼓動が、徐々に落ち着きを取り戻していく。

 そんなボクを見ていたのか、邪神はそっと話し掛けてくる。

『本当に怖いのはこれが現実になることだよ。鬼は人の心の中にだけ住んでいる。人は他者を簡単に裏切る。戦争という言い訳で、簡単に命を奪うんだ。悪い夢から逃れて現実と明確に区別するのも、良い夢ばかりを追いかけて現実と混同するのも君の自由だよ? でもね、これだけは覚えておいてほしいな。どんな夢でも、それは必ず現実の延長線上にあるんだ。夢は現実に成りうるんだ……たった一つのきっかけで。それは君自身に掛かっているんだ――』

 ボクは両手で耳を塞ぎ、銀の髪を激しく振って拒絶した。最後まで聴きたくなかったのに、邪神の声はボクの脳裏に突き刺さってくる。

『私は絶望の中、救いを求めて天神に身を寄せた。結局……創造主である彼女にすら私を救えなかった。彼女は世界を救うことを諦め、私を棄てたんだからね。でも、彼女の中に在るとき、私を……いえ、世界を救うことのできる唯一の存在を知り得た。天神が、魔神が、そして秩序神が求めて止まぬ存在――そう、それが君だよ』

「嘘だっ! ボクにはそんな力なんてない! 」

『ふぅ……君は知らないんだね、君がどれだけ皆に希望を与える存在なのかを。世界には神々の力を超えた意思がある。君には、その意思の力を感じるんだ――うっ、何でこんな時に……ウゥ、この力は……⁉ 』


 その時、世界が大きく歪んだ。

 白く覆われた壁が一部薄くなり、その向こうで必死にボクを助けようとする仲間たちの懸命な姿が見えた。


 魔神や天神の身体を必死に支え、こっちに向かって叫んでいるサクラちゃんの姿が見える。

 シルフィを抱き寄せ、凄い泣き顔で叫び続けるアユナちゃんが見える。

 でも、その声は全く届かない――。

 その奥で、腕を胸の前でぎゅっと組み、天に向かって歌うミルフェちゃんが見える。そして、澄んだ空に歌声が朗々と響き渡る!


 災厄の日 人の王は竜の王は
語り合った
 この世に災厄が訪れたとき
力を合わせ 戦うことを
 ルールルー ルールルー
我々は 竜を護り
 ルールルー ルールルルー 
竜は ララ 勇者を護る

 そして 勇者は言った
その優しい瞳で
 辛く絶望の窮地に遭っても
ラララ 決して諦めるなと
 ルールルー ルールルー
竜は 勇者を護り
 ルールルー ルールルルー
勇者は ララ 世界を護る

 私たちは その魂に平伏し
そして心に誓った
 最後の一人となっても
必ず 約束を守る
 ルールルー ルールルー
勇者は 世界を護り
 ルールルー ルールルルー
我々は ララ 勇者を信じる――
人々は ララ 勇者を信じる――
 ルールルルー ルールルルー
 ルールルルールル ルールルルールール―


『これは……この力は私を、私の魂を貫く力。でも……今私が滅んでしまえば、世界に悪意が溢れてしまう。世界が滅んでしまう……時間が、本当に時間がないんだ――』

「邪神……お前は死にたくなくて嘘をついているんじゃないか――」

『嘘だったらどれだけ気が楽か! 私がただ死ねば良いのなら、とっくに自分で自分を殺している! それができないから、私は君に会うためにあらゆる手段を尽くしたんだ! どうか頼む! 私の中には次元の存在の一部が残っている……どうか、その力で邪神が生まれるのを止めてくれ―― 』



 ★☆★



 次元の存在⁉

「あっ⁉ 」

 まさに、一瞬だった。

 世界が暗転し、魂が捻じれるような感覚が走ったかと思うと、目の前に広がる光景はあの白い空間ではなく、深く暗い森の中だった。

 邪神が生まれるのを止めてくれ、か……。

 天神の話を思い出す。

 人間の子どもたちに命を弄ばれた白い子ウサギが、その憎しみを糧にして白鬼になったんだよね。と言うことは、それを邪魔すれば良いんだよね?

 ボクの自問自答に応える声はない。ただ、森の声――鳥や虫、動物の鳴き声だけが聴こえてくる。


 鬱蒼と茂る下草を掻き分け、森の中を彷徨うこと1時間……とうとう見つけた!

 高さ2mほどの木の枝に逆さ吊りにされた白いウサギ――まだ生きている!

 警戒して暴れるそれを優しく抱き、肢に食い込んだ縄を切り捨てる。ウサギはきょとんとした眼をボクに向け、甘えるようにひさふさの耳を寄せてきた。

「ちょっと待って。ヒール! さぁ、もう大丈夫だよ。もう二度と捕まらないよう、遠くに逃げて! 」

 まるでボクの言葉を理解したかのように、その白いウサギは時々名残惜しそうに振り返りつつも、森の奥深くに消えていった……。

これで良いのかな――。


「うわぁ⁉ 」

 意識が遠のくと同時に、時間が早送りのように進みだす!

 その薄まる意識の中で、ボクは確かに見た。

 一輪の綺麗な花を口に咥え、再びあの場所に戻ってきた白い子ウサギ。子どもたちの投げ縄に捕まり、面白半分で蹂躙され……そして、白鬼となる悪夢の光景を!

 酷い……これは酷すぎる!



『同情は必要ない! まだ辛うじて私は耐えられる。早く、早く邪神の誕生を止めてくれ……』

 薄れゆく意識の中、白い布をまとった女性が見えた気がした――そう思った瞬間、再び世界が暗転し、魂が捻じれるような感覚の後、ボクはまた、あの森の中に居た……。


 あれが邪神の姿? いや、今は何とか彼女を救う方法を考えないと。さっきのは失敗だった。まさかあのウサギ、同じ場所に戻ってくるとは……。ウサギを逃がすんじゃなく、子どもたちをどうにかすべきだね。

 前に1時間も歩き回ったお陰で、白いウサギが罠に掛かっている場所まではすんなり来れた。

 再びウサギを罠から解放し、両手に抱く。そしてそのまま子どもたちが現れるのを待った。


 森の中で待つことおよそ2時間、口笛の音が森に響き渡った。

 やがて姿を現したのは10代の少年5人。手には剣呑な棒だけでなく、ナイフや弓を手にしている子まで見える。

『おい、女の子だ。女の子が居るぞ』
『結構可愛いじゃん! 』
『1人? 悪戯しちゃわねぇ? 』

 何を言ってるんだ、こいつら……。

 ウサギを抱くボクを囲む少年たち……軽く睨みつけて牽制した瞬間、脚に向けて弓矢を射ってきた。

「わっ、噓でしょ⁉ 」

『うわ、マジ? 避けられた! 』
『太腿はダメだぞ、膝より下を狙えよ』
『分かってるって! 』

「君たち、反省が必要だね! 」

 弓矢を構える子に向かって飛ぶと、慌てたのか狙いを大きく外す。懐に迫って鳩尾にグーパンチを撃つ。ナイフで迫る男の子には、躱しざまに股間に膝蹴りをあげる。覆いかぶさってきた大柄の少年の腕を掴み、大木の幹に向かって殴り飛ばす。様子を見ていた2人のうち、1人は走って逃げ去り、もう1人は土下座して謝ってきた。

「君たち、命を何だと思ってるんだい! もう二度とこんなことをしないでね、次は警察に突き出すから! 」

 謝ってきた細い子は、他の怪我人を連れて逃げていく。途中、負け犬の遠吠えが聴こえた気がしたけど、これで邪神は生まれないよね――。

 再び走りだす時間の流れ……その中で見たものは、大勢の仲間を引き連れたあの大柄な男の子、そして狩りだされた白兎……繰り返される暴虐と白鬼の誕生だった……。



『ウゥ……竜神の巫女の力か……私の魂を削り落してくる……次こそ、頼んだぞ! 』

 三度みたび暗転する視界、そして見慣れた深い森が目の前に広がる光景……。

 ウサギを助けてもダメ、子どもを追い払ってもダメ……恐らく、ウサギを他の森に移してもダメだよね。この連鎖を解くにはもっと特別な何かが必要なのかもしれない。

 もう、思い切ったことをやるしかない!

 ボクは白ウサギを罠から外して抱き締めると、静かに目を瞑って魔力を練り上げる。

 イメージするのは大洪水、この森ごと押し流すほどの大量の水だ。森の植物や動物には悪いけど、なるべく優しく流すから他の場所で頑張って生きてほしい……。

 魔力を精一杯使い、一番高い木の上から滝のように水を撒く。森が流されて離島のように散っていくと、空には綺麗な虹が浮かび上がる。


 小1時間ほどの作業で、森は壊滅した。

 見渡すと、横倒しになった木もあるが、この罠のあった周囲3km以内には林すら存在しない。この“場所”ごと消し去れば、邪神の誕生に関わる運命の連鎖も必ず――。

 薄まる意識の中、動物だけでなく、植物さえもが怒り狂い、憎悪を剥き出しにした白鬼が大量に生まれるのを目にする。何、この呪われた森は……。



『君……真面目にやってほしい……。見よ、外の光景を! 私の魂も残り少ない、次が恐らく最後のチャンスよ……』

 ミルフェちゃんの歌声に合わせ、地面から、そして空からと次々にドラゴンが召喚されてきていた。その数、見えるだけでも10匹を超えている……。轟々と浴びせられるブレスに、白いドームは辛うじて耐えている。そんな中、再びボクの意識が暗転する……。


 またこの森か……。

「もうっ! どうすればいいか分かんない! 誰か教えてよ!! 」

『それにしても、さっきのは酷いです』

 ボクの自問自答に応えたのは、蒼い髪の花の妖精――普段は髪紐の姿のミール――だった。

「なんで裸⁉ 」

『そんなことは良いのです。それより、神木の森を消すとは……』

「ご、ごめん。でも、邪神誕生の因果関係を壊すくらいのインパクトがないと――」

『お任せください、リンネ様! 』

 蝶の姿となって森の中へと消えていく妖精姫ミール。邪神はこれが最後のチャンスだと言った。それを1匹のミールに任せてしまって、世界の命運を任せてしまって本当に大丈夫だろうか……。



 ★☆★



 森の中で待つこと3時間……虫に噛まれた箇所が10を超えたとき、ミールが帰ってきた。

 なぜか、エンジェルウイングの“天使の衣”を着ている。白銀色をベースに赤い刺繡が織り込まれた自慢のデザインだ。意外とミールの蒼い髪にも似合う。多分aサイズの“天使の衣”を堂々と着こなす妖精姫ミールは、白いウサギに向かってまっすぐ歩いていく。

 そして、その後ろに付いていくのは水色の髪の少女と、銀色の髪の少年だった。

 少女の方はどことなくフェニックスに似ている。精霊、それも高位の精霊かもしれない。

 それ以上にボクの目を惹いたのは、銀髪の少年だ……。ミールと同じデザインの、つまりエンジェルウイングの軽装を身に纏ってはいるけど、いかにも頼りなさそうに見える。でも……何故だろう、魂が騒いでいる。

 離れた大木の枝に座るボクに気付いていたのは水色の精霊だけだった。ボクの方を見て手を振り、優しく微笑む姿からは敵意を感じないどころか、安心感さえ抱かせる。


 そんな中、予期せぬ事態が起きていた。

 白いウサギを囲んだ3人は、悲痛の叫びを上げる。

 なぜならば、ウサギは既に息絶えていたから……。

 今までと違い、今回はウサギが死んだ頃に飛ばされたようだ。この状況でボクに何ができるだろう。ウサギが白鬼に変化した瞬間に葬ることしか……。

 そして、その瞬間をボクはひたすら待った。



『純真無垢な心優しき魂よ……』

 少年の、優し気な声が森に木霊する。


『リンネ様の、聖なる力をもって……』

 えっ⁉


『その深い憎しみを乗り越え、業を解き放て。天より還れ、レイジング・スピリット! 』

 それって……もしかして奇跡の力――アユナちゃんがレンちゃんを引き戻してくれたときの……。



 少年の左手から銀色の光が溢れてくる。それはやがて森一帯を埋め尽くす奇跡の光の奔流となる。

 少年を囲んで、多くの動物たち、それだけじゃない……精霊や妖精たちも集まってきた。

 皆、涙を流していた。

 もちろん、ボクも……。



 皆が見つめる中央、少年の手の中で、信じられない奇跡が起こった……。

 皮を残酷に剥され、目を潰されて息絶えていたはずの白いウサギが……鳴いた。

 その奇跡を目の当たりにしたボクたちは、心の底から温かい涙を流し続けた。



 時間が加速していく――。

 奇跡の少年の姿は、少女たちと共に薄れていく。


「ありがとう! ありがとう!! 」

 ボクの精一杯の感謝の気持ち、ボクの声は届いただろうか。ううん、きっと届いたはず。だって、最後にボクの方を見て微笑んでくれたから……。

 綺麗な森が大地を包んでいく。白きウサギは大地の守護者となり、数々の奇跡を起こしていった……そして神と呼ばれるようになる――その白く神々しい姿は、邪神なんかではなく、大地の守護神だった。



 魂が再び引き寄せられ、ボクの意識は白い世界に降り立つ。

「ただいま! どう? 今度は成功? 」

 今回は、邪神誕生を阻止できたはず! ボクは自信たっぷりに“元”邪神に問いかける。

『えぇ……さすがはリンネ様……君に出会えて本当に良かった……』

 えっ⁉

「もしかして……」

 白が弱まった薄い膜の向こうでは、30を超える竜たちがブレスを吐き続けていた。

「なんで⁉ 運命が変わったんじゃないの⁉ あなたはもう邪神じゃない! 守護神でしょ⁉ 」

『ふふふっ、良いのよ。私の中に眠る次元の力は……ほんの……一部だった。変えられるのは……私自身だけ。貴女のお陰で……世界は救われたわ。今……私の中は……君への感謝しかない。異質な悪意……残念だったわね……』

 それは守護神として生きた白いウサギの最後の言葉になった――。

 ここに、邪神は滅んだ――。

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