異世界八険伝

AW

20.理想と現実との狭間で

 宿屋に到着したとき、ボクはもうクタクタで意識はほとんど飛んでいた。約40時間も起きっぱなし、動きっぱなしだったからね。

 隊長さんも疲れきっていたらしく、すぐに護衛隊に割り当てられた部屋に直行したようだ。ギルドへの報告やドロップアイテムの分配(チャイルドドラゴンの肉、7色の花はボクのアイテムボックスに収納してある)は、明日、みんなが起きてからになるだろう。

 ミルフェちゃんはと言うと、ギルドマスターへ簡単に報告しに行ってくれたみたい。疲れているのにごめんね。



 日が沈みきってから、さらに数時間経っただろうか、疲れ果てた様子で部屋に入ってきた。ボクは先に寝るのが申し訳なくて、頑張って起きて待ってたよ。本当は別の用件で待ってたんだけどね! それは内緒にしておくね――。

 ミルフェちゃんは、ボクが起きていることにびっくりしていたみたい。早く寝なさい!とお姉さん気取り。

 一緒にお風呂に入ろうと思って誘ってみたけれど、しばらく口をパクパクさせて悩んだ後、残念ながら断られてしまった。下心がバレちゃった?


 1人で入るお風呂は、この世界に来て初めてだったりする。

 何だろう、この身体にも慣れてきたのかな。何だろう、最近、心が身体に引っ張られているのか、ボクの中の男心が希薄に感じられる。最初は気のせいだと思っていた。しかし、召喚から3日を過ぎたあたりから、徐々に確信に変わりつつある。明日起きたら召喚からもう5日目、その頃にはボクの中の心はもう男女半々くらいになっているのかもしれない。それが、悔しいのか、嬉しいのか、嘆くべきか、歓喜するべきか、感情も思考も沸き起こってこないんだ。

 そんなことをぼんやり考えながら、ボクは倒れ込むように、深い深い眠りに落ちていった――。




 闇の中で悪魔に囲まれた。

 ミルフェちゃんが、隊長さんが、ボクを守ろうとして……あぁ!

 ボクは、恐くて恐くて逃げた。闇の中を走って走って。ひたすら必死に前だけを向いて走り続けた。だけど闇から抜け出すことができず、ボクも――力尽きた。



 ひどく長い夢を見た。最悪の夢だった。
 ミルフェちゃんが触手に弄られた夢を見たって言ってたけど、そういう類いの夢ではなく、精神的に打ちのめされるような夢だった。

 その後しばらく、布団の中で泣いた――。




 ★☆★




 ドアのノックが鳴った。

 顔を出したのは宿屋の女将さん。アイリスと言う名の若い女性だ。細身の身体ながら、じつにキビキビよく働く。

「リンネさん、お客様がお見えです。お部屋に通させていただいて宜しいでしょうか? 」

 ボクに用事? 誰だろう?

 ミルフェちゃんの顔をチラッと見る。彼女が頷くのを確認して女将さんに許可を出す。



「突然女性の部屋に押し掛けて来て悪いな」

 ギルドマスターだった。そう言えば、フィーネに戻ってから1日近く経つのに、ボクはまだ報告に行ってなかった! 叱られるかな?

「ご報告遅れてす――」

「構わない。今朝ランゲイルと話したから大丈夫だ。疲れているところ悪いが、話さねばならぬと思ってな――」

「わざわざ来ていただいてありがとうございます、お話って何でしょう? 」

 叱られるのかと思い、緊張しながらも話の続きを促す。

「リンネ、『西の真実』という本を知ってるか? 」

「いいえ? 西とは、西の王国ですか? 」

「そうだ。西の王国、かつて勇者アルンが建てた、アルン王国だ。大陸に2つ、いや正確には3つある国のうちの1つだな」

「国は東西の2つではないのですか? 」

「あぁ、エリザベート様から聞いているのか。それはちと情報が古いな。今から3年前、ある宗教結社が南部に国を興した。今はまだ小さいが、いずれ関わることになるだろうな」

「こんな情勢で……? 」

「こんな情勢だからだよ。まぁ、良い。『西の真実』という本はな、およそ30年前にアルン王国を出奔した重臣によって書かれた、いわゆる暴露本だ」

「暴露本……? 」

「そうだ。内容は、異世界勇者召喚に関しての実験と検証」

「えっ!! 」

「ミルフェ王女は知っているようだな。元勇者アルンは、世界から魔物を殲滅するための力を欲した。彼個人の力だけでは、魔素から半永久的に産み出される魔物と戦い続けることは不可能だったからだ。彼自身の平和を渇望する尊い意志に、誰もが熱狂した。当時、エリザベート様も含めて大多数が賛成だった。
 だが、途中から風向きが変わる。異世界召喚は大陸を挙げた大事業で、大陸中から集めらた召喚士により、毎日10人もの勇者達が召喚された――」

「毎日!? 10人も!? 」

「そうだ。その結果、何が起きたか想像できるか? 誰もが想像しえないことが起きたんだ。力を持った者たちの暴走――数々の侵略と暴挙だ。ある者は権力に溺れ、ある者は金と性に溺れ、またある者は暴力に溺れた。勇者への敬意は地に落ちた。畏怖と疑念、羨望と嫉妬が人々の心を支配することとなった。
 最も早くからアルンに反対したのはエリザベート様だった。意見を違えた2人は、それぞれ東西に別の国を建てた。誰があの仲の良かった恋人同士の結末を予想できただろうか」

「勇者アルンとエリザベートさんが恋人!? 」

「やはり、聞いておらんかったか……。
 まだ話には続きがある。アルンは建国後も死ぬまで召喚を続けた。彼の平和を求める強い意志は、だが、決して報われることはなかった。そして彼の死後、この暴露本が出されることになった訳だ」

 ギルドマスターは、分厚い黒塗りの本を取り出し、おもむろにページを繰った。

「暴露本――」

「召喚された勇者は総勢37,536名にも及んだ。それだけの勇者がいれば、世界は平和になると思うか? 否、そうはならなかった。勇者は総じて短命だったからだ」

「勇者は――寿命が、短いんですか!? 」

「違うのだ、リンネ。実は、37,536名の死因も暴露されていた――。

 自殺、餓死……13,675名
 処刑、殺害……21,803名
 魔物による死……2,058名

 暴露本は最後にこう結んでいる。
『勇者の敵は魔物にあらず、真実の敵は人間であり己自身である』と――」

「イヤッ! イヤァッ!! 」

 ボクは耳を塞いで頭を振り続けた。信じたくない、信じたくない、信じたくない!

 自分の嗚咽しか聞こえない。溢れる涙で何も見えない。涙は、止まることがなかった。

 やっと分かった、全部思い出した!!
 認めたくなくて、信じたくなくて、現実から逃げていたんだ!!



 昨日、ボクたちは、迷宮からの帰り道、凱旋パレードや祝勝パーティが行われることを期待して盛り上がっていた。

 しかし、意気揚々とフィーネの町に帰還したボクたちを待っていたのは、全く別の現実だった――。




 浴びせられる罵声、雑言。容赦のない唾棄、投石。汚水も掛けられた。ミルフェちゃんがボクを庇って何度も何度も投石を身体に受けて泣き叫んでいた。棒や農具を持った人々に取り囲まれた。隊長さんが身体を張って助けてくれた。隊長さんは、頭を抱えて地に伏していた。叩く、蹴る、踏む人々の波――。やめて! 死んじゃう!

 しばらくして、ギルドマスターがボクたちと町民の間に割り込み、事態の収拾を図った。

 ミルフェちゃんがボクを抱えて宿屋に送ってくれた。ボクの代わりに矢面に立ってくれた彼女。顔以外、きっと身体中が痣だらけだろう。昨日お風呂の誘いを断ったのは、痣だらけの身体を見せたくなかったからだろう。分かっていたはずなのに――。

 隊長さんは宿屋に戻って来なかった。護衛の仲間たちが治療所に運び込んだのだろう。どう見ても大怪我は免れない状況だった。チャイルドドラゴンにも立ち向かったのに、一切の反撃もせず、やられ放題だった――。ミルフェちゃんが昨晩遅くまでヒールをしていたのだろう。巻き込んじゃって、本当にごめんね。




 ★☆★




 気付いたら部屋で1人、ベッドに寝かされていた――。

 再び、ノックの音で目が覚める。

 どれだけ寝ていたんだろう。



「リンネちゃん、落ち着いた? 」

 そこにはいつもの笑顔で、何も変わらない笑顔で、ミルフェちゃんが立っていた。

「ミルフェちゃん、本当にごめんなさい! 」

「何で謝るのよ! 私たちは友達でしょ? ランゲイルは友達じゃなくて、ただの仲間だけどね! さすがに、私たちが嫌々リンネちゃんに付き合ってたとか考えてるなら、怒るわよ? 勿論、これからも変わらないからね! 絶対に、どんなことがあっても、信じていてね! 」

「でも、痛い思い、悲しい思いを一杯させちゃった――」

「ヒールがあるし、大丈夫! それに、私たちはそんなに弱くはないわ! だって! 迷宮攻略者だよ? 」

 そう言って元気一杯のポーズで笑った。
 ボクも釣られて笑う。


「でね、話があるの。今夜、これからすぐに、私はここを発って王都に向かうつもり」

「こんなに早く!? じゃあ、ボクも王都に――」

「それはダメ! リンネちゃんには、北の迷宮に行ってほしいの。迷宮の近くにチロルという城塞都市があるから、まずはそこの冒険者ギルドへ行って! 」

「また――」

「大丈夫! 本当に大丈夫だから! チロルはこことは違って王国の管轄都市。西の王国と違って、東のフリージア王国は勇者の味方だから!! フリージアの国教聖神教だって、勇者様を心から助けるための宗教よ! 私たちは、リンネちゃんに2度と昨日みたいな思いは、させない!! 」

 そう言って、ミルフェちゃんがボクを抱き締めてくれた。ボクも抱き締め返す。友達。仲間。とても、温かい――。


「ランゲイルだけど、実は既に王都に向かってる。彼から伝言を預かってるわ。
『焼き肉パーティできなくて悪いな、俺たちは何があってもずっと仲間だ。俺の弟子になりたければ、泣くな、前を向いて進め! 』だって! 」

 弟子!
 2人で笑い合った。


「後ね、これ! 私たちからのプレゼント!! 」

 そう言って魔法書を笑顔で差し出してきた。

「雷の初級じゃない!? 高かったでしょ!? 」

「迷宮の魔結晶とか盾とか売って買った! 」

「あ、お肉とエリクサーの素材、ボクのアイテムボックスに入ってる! 」

「それ、リンネちゃんの分だよ。私たちは余りのお金貰ったから! 盾が、予想外に高く売れたんだ! 」

「分かった! ほんとありがとう! 」

 嘘だっ! ミルフェちゃん、絶対に嘘ついてる! だけど、この好意をしっかり受け止めよう――。


「迷宮探検、凄く楽しかった! 私だって、このままリンネちゃんと冒険したいよ! けど、あまり役に立てない自分にも気付かされたの――。だから、改めて思った。私は、予定通り西の王国に行くよ。今は難しい関係じゃない。きっとリンネちゃんのお手伝いができると思う! 私は、私ができることを精一杯するから! 」

 信じ合える心強い仲間に恵まれたなぁ。ボクはかつての西の勇者たちのようにはならない。力に溺れたり、諦めて自暴自棄には、絶対にならない。


 そして、ボクはまた、独りぼっちになった――。

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