守銭奴、迷宮に潜る

きー子

25.それからと、これから

 それからのこと。

 剥ぎとった竜の部位はなんだかんだではけた結果、少し時間は食ったものの総計して金貨30枚に達した。ちょっと気が遠退きかけた。

「──なんってえか……」

 行き着くところまで来やがったな、とはゲルダのお言葉。まさか本当に竜を獲ってくるとは思っていなかったようだ。俺だって考えもしなかったのだから当たり前の話。

 だが、面白い話を聞くことは出来た。なんでもかつて竜をあの地に封印したのは、若かりし頃の"魔女"と無名の剣士の二人組であったとのこと。どうりで魔女の弟子であるところのクロがよく知られているわけだった。同時に、"赤王竜"についての詳細な情報があったことにも合点がいく。これはクロにとっても意想外のことだったよう。第三者視点の目撃情報として資料が集積されていたせいで、その経緯までをも探り当てることは出来なかったらしい。お婆様はとやらはクロを巻き込みかねたのか、あるいは単に悪戯好きだったのか、徹底して学者であったということか。いずれにしても、墓の下にいる人の考えがわかるわけはなかった。

 さて、この金がどれくらいの価値かというと、土地を買って家を建ててそれでも余裕でお釣りが来るとのこと。家か、と少し考えたものの、やめた。この土地を離れられなくなると思ったし、置いていくにしても誰が管理するのかという話である。そして何より、メリアさんの料理が恋しく思われたこともあった。これは割りかし切実な問題であった。食糧事情を自分の手間で改善しようと思えば仕入れをやらなければならないわけで、調理人を雇う必要も出てくる。結果、あの宿からはまだ離れられずにいる。なんだか改まって頭の下がる気持ちなので、少しはメリアさんに還元するべきだなと考える。その方が家を建てるよりもずっと効率がよさそうだった。

「クロ」
「はい」
「料理って、できるか」
「──が、がんばれます」
「左様か」

 つまりそういう次第だった。俺にしたって煮るか焼くかの二択であるため、どっこいどっこいである。そのうち真剣に頑張るべきかもしれない。いつか巣立ちする日のために。

 ダナン・ド・ヴォーダンの案件は翌日にはもう綺麗さっぱり取り下げられていた。初めからそんなものなど無かったような手際。表向きには行方不明として片付けられたようで、騎士団の姿を迷宮内に見かけることもなくなった。この際、いっそ普段から哨戒するようにしたらいいと思うのだが。あくまで探索事業を"迷宮探索者クロウラー"に委譲するという形態は変わりがないらしい。この辺り、探索者ギルドの方からも働きかけがあるのだろうなと思う。そうして見るとゲルダも中々後ろ暗いところがありそうだった。

 ところが事件のこともすっかり忘れたころ、メリアさんの元に差出人不明の包みが届けられたのこと。彼女いわく、「顔も見せないで無理やり押し付けていったのよねぇ~、失礼しちゃうわぁ」とのこと。警戒しつつ開けてみれば、その中身は金貨5枚と簡素な走り書き。『ダナンについては他言無用』と、ただそれだけ。つまり、口止め料ということらしい。どんな魔術がかかってるかもわからないし率直にいって気味が悪かったので、半分足らずは『ライラック』の四人に酒を奢るのに費やした。アカネは泣き上戸で、アオイは浴びるように呑んだあとぐうすか寝た。フィリアは見事なまでに下戸。フラウが最悪で、絡み酒と見せかけて実は全く酔っていないというやつだった。俺の隣、涼しい顔でやっているクロの大人しい飲み方を是非とも見習ってもらいたい。

 残る半分は、彼女の剣には大いに世話になったこともあってアルディに奢ろうと思った。いざ訪れたときにはたいそうな渋面を向けられたものだが、酒と聞くとまばゆいまでに表情が変わった。そういうわけで酒場に連れ立っていくと、今度はゲルダの表情が物凄い勢いで変わった。続いたアルディの言葉で俺の表情もたぶん変わった。

「店にある酒、全部だ」
「えっ」
「どういうつもりだ、ウィル、お前、このうわばみ連れて来やがって!」
「どういうことなの……?」
「言っとくが、いくらお前が"竜殺し"っつったって、こいつには勝てねえぞ、絶対だ」

 そんな馬鹿なと思った。馬鹿は俺のほうだった。アルディはひどい笑い上戸かつ人を酒に付き合わせるたちで、いつの間にか俺の意識は飛んでいた。残りの金貨もすっかり飛んでいたので、口止め料とやらは綺麗さっぱり無くなっていた。面倒の種は早いうちに使い潰すに限る。しかし代償は大きかった。俺は盛大に吐いた。クロに介抱されて肩を支えられながらなんとか帰ったものの、思いきり熱をこじらせて一日寝込んだ。本当に死ぬかと思った。ドヴェルグとは、いやあの人とは二度と呑むまい。

 結局あの後、エリオの姿を見かけることはもうなかった。一通だけ矢文が届いて、その文面には『またな』とだけ。結局、最後まで本当に掴みどころがないやつだった。騎士団員を生かして帰った手並みからするに、ある程度の報酬は貰ってそう。またどこかに流れれば、いつか会うこともあるかもしれない。

 風のうわさによると、騎士長マリウスは生きていたらしい。騎士団員を置いて逃亡をはかった罪から査問にかけられ、数年間の都市追放が決まったとのこと。どこに流れるかは知らないが、つくづく国や都市に剣を捧げるものではないと思った。

 ──これからのこと。

 俺の"赤王竜"討伐を機に、迷宮内は一気に様変わりした。なぜか。"竜の卵"があった場所から、迷宮地下三階層への入り口が発見されたからだ。長い間ずっと全二層の小規模な迷宮と考えられていた迷宮都市"フヴェル"の進展はわりと大きな事件だったようで、以前よりも行き交う人が増えたように思う。探索者ギルドにも新人やよそから移ってきた熟練の探索者が流れこんできているようで、ゲルダはかなり忙しそうだった。供給が増えるだけ魔物の部位の価値が下落するかと危ぶんだが、実のところひとつの階層における時間単位の魔物数はあまり変わらないよう。つまり、単価は変わらないものの競争が激しいせいで取り分は減少傾向にある。これまで以上にうまくやる必要がありそうだった。

 そんな情勢ではあったが、俺とクロは相変わらずして迷宮に挑む日々を続けていた。"赤王竜"の討伐で派手に稼いだのだからそこでやめるという手もあるにはあったのだが、そうはしなかった。稼ぐには事欠かないからであり、"竜殺し"と"魔女"の名が少しばかり売れたせいで舞い込んできた仕官話をノータイムで切り捨てる方便にもちょうどいい。というか、そちらの理由が結構大きい。

「クロは」
「はい」
「この生業、続けてていいのか」
「お婆様のを、引き継ぐには、これが最良です」

 地下三階層──二階層とは打って変わったような雪原を踏み分けながらの答え。それに合わせてクロの装備も中々にもこもことしている。見ているだけで若干暖かい。内側に着こむたぐいの防具も仕込めるため一石二鳥である。

 引き継ぐ。慮外の考え方だったが、俺にしたって能があるのは剣くらいのもの。そして、その剣術はつまるところ爺さんから引き継いだようなものだった。

「仕官も、考えてました、が──広め伝えるには、適さない、みたいです」
「全くだな」

 それを体制側からやるには、まず内部の改革から必要そうだ。やれる保証もないうえに面倒くさすぎる。

「ですから、蓄積を、続けて──また、誰かに。伝えていければ、と」
「次の世代か。孤児でもとるか?」
「え、あ。は、い」

 クロがおもむろにおさげ髪をもてあそぶ。伏せた頬がかじかむでもなく薄っすら赤らんでいる。なぜそうなる。

「私達のような、子も。います、から」

 ふと伏した目は、物寂しげなそれ。不意に得心がいく。そもそもの元を辿れば、俺もクロも奴隷か何かとして売り飛ばされかけた立場である。下手したら──というより、運がなかったら死んでいたはずだ。

 以前は無かったことだが、この迷宮都市"フヴェル"でも最近はそういう暗い商売の兆候が見かけられるようになった。つまるところ、経済の活性化の弊害である。探索者が増えることで柄が良くないのも増えて、酷い例だと人を肉盾に使うようなやつもしばしばあった。法整備は急務だと思われるが、どうしても後手後手に回りがちなのは仕方のない話。騎士団が現場判断で取り締まるようになってはいるが、わざわざ店先に人間を商品として並べるような馬鹿は滅多にいないので限界がある。

「教えは、続かずとも。少しでも、救えるのなら」
「なるほど、な」

 頷いて、考える。なんとも気の長い話ではあった。人ひとりが育つのに、いったいどれだけの時間がかかるだろう。俺の例でいえば、十年。しかもあれだけのことをやって、十年だ。ついでに言えば、今の俺に物を教えられるような技術があるとはあまり思わない。しかしそうなると、剣に能があるというのもちょっと怪しくなってくる。最低限、狩りに類する生きるための技術くらいならなんとかなりそうだが。

「ウィルは、どうなのです、か」
「剣ってのも考えものだな。潰しはきくだろうが、どう足掻いても荒事一択ってのはどうにも」
「そ、そちらでなく」

 一瞬、疑問符が浮かぶ。そろそろとうかがうような双眸に見上げられていた。ちょっと考えて、それでようやく気づく。つまりこの生業を続けるかどうか、俺がどう考えているか、ということらしい。正直いって執着はないが、稼ぎには事欠かない手だった。そして金はありすぎても困ることがあるが、やはり無いよりはあるにこしたことがない。使い道が明確であるならばなおさらに。

「俺は……あー、あれだ」
「は、はい」
「大切な人を支えられれば、それでいい」

 切実にこっ恥ずかしいが、クロのほうがだいぶこっ恥ずかしそうなのでよしとする。そこはかとなく勝ったような気持ちになる。何にかはわからなかった。

 ──あの日に死んだ母も、ついでにほとんど自棄で死んだ俺もどうにもならないが。今の自分を生かすことはできるし、隣にいる人を支えることも出来る。なら、今はそれでよかった。金があれば、どこまでこの手を伸ばすことが出来るだろう。つまり、江戸の敵を長崎で討つようなものだった。

「そういうわけだ。またよろしく、クロ」
「……はい、ウィル。────末、永く」

 それはどうだろう。思いながら、手の甲を重ねる。向けられた淡い笑みに、笑って頷く。手に浮かぶ十字はいまだ健在だった。

 ──かくして俺たちは今日も、迷宮に潜る。

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