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守銭奴、迷宮に潜る

きー子

24.竜殺し〈後〉

 彼我の距離は近くはない。しかし数歩の踏み込みで猶予はたやすくゼロになる。問題は、つまり竜だ。竜に特有の間合いである。巨躯を誇る"赤王竜"の攻撃範囲は、当然ながら人のそれをはるかに凌駕する。

 数歩、竜を見上げる間合いに達する。踏み切りざまに抜剣。狙いは違わず左肩。しかし"赤王竜"もまたそれを察したように左掌を振りかぶる。その指先には凶悪なまでの爪が四つ輝いている。そのひとつひとつが剣の一振りを上回りかねない凶爪だ。叢をなす炎を照り返して白銀に輝く様子は事実、刃のそれと全く変わりがない。その脅威に一瞬迷う。行くか、行かざるべきか。答えは是だ。すでに大地を踏み切っている。

「────ィッ」

 呼息と咆哮が重なる。そして、俺の間合いの遥か外側から振り被られた爪が一手早い。凶爪が空を切り裂いて迫る。"強撃"相当の一閃をもって交錯する。夜闇に響く甲高い金属音。それに引き続き金属の擦れ合うような不快な音色が響き渡る。如才無く爪と爪の合間に噛ませた刃のおかげで、俺の身体までもが引き裂かれることなく留まっていた。すなわち、水際での鍔迫り合いだった。竜の右脚が健在であったならば間違いなく死んでいる。

「ごめんなさい修正します、ウィルさまッ」
「おう!?」
「数十倍するにあらず、防護を貫いたうえで、数倍するものが、妥当です」
「──了解ッ」

 精気での底上げブーストとあいまって威力が数十倍にもなっているのならば、今この爪を押し返すことが出来てもおかしくはないはず。"竜王"種に特別有効であるというより、こいつらの防御力があまりに常軌を逸しているせいでそう錯覚してしまったというわけだ。失敗したが、早いうちに誤解が解決されたのは幸いだった。しかるに、力比べはなんとしても避けねばならない。

 機をはかって二度目の"強撃"──迫り来る爪先を弾いていなすとともに飛び退り、その間合いから逃れる。ぐずぐずしていては牙か炎による挟撃に見舞われてしまう。それはうまくない。これを相手に取るべき戦術がぼんやりと見えてくる。

「絶えず、動いてください。機動力を、活かしますようッ」

 クロの囁き声に頷いて応じる。まさに我が意を得たりといったところ。当意即妙でもある。付け加えていえば、その手の戦闘機動は"ヘルムート流"にとり全くの得意分野だった。

 竜爪を打ち返した拍子、巨大な掌が地に突き立つ。そこに狙いをつけるよりもなお早く、空に第二の太陽が生じたかのごとく輝きを増す。口腔──竜舌を起点に火炎が生じる。先ほどまでの放射される炎とは少し様子が異なった。すぐさま炎が織り込まれるかのごとくして球をかたどる。理由をはかりかねた瞬間、その意味をクロの囁きによって知る。

「火球──続けて、来ますッ!」

 それに答える暇はなかった。ほとんど同時に降り落ちるのは、人の身をゆうに上回る直径をほこる火弾。咄嗟に横っ飛びして大回りに避ける──砂礫と火の粉を撒き散らかし、着弾地点にはまるでクレーターのような大穴ができる。周囲に被害は及んでいないだろうかと思うが、気にかける暇はまるでない。"赤王竜"の口中にはすでに次の弾が装填されていて、紅蓮の双眸が狙いをつけるようにこちらを睨みつける。それを気にするのがなにより先だった。周りは適当に逃げてくれるだろうと考える。

 第二射──今から踏み込むのはうまくなかった。射角からして正面からまともに巻きこまれる可能性が高い。反復するようにまた横っ飛びで避ける。窪地へとまともに足を突っ込む形だった。ところどころ地下からわき出した溶岩が溢れ出ていて、おまけに足を取られそうになる。このまま好きに地形を荒らされていたら勝ちの目はかなり薄くなりそうだった。考えながらも脚はほとんど自動的に前へと踏み出している。"赤王竜"にもまた三打目がチャージされている。肩越しにクロへ是非を問う。

「いけそうか」
「足を、取られませぬよう。弾速を鑑みても、潜れます──いけます、か」
「なら、やるさ」

 そもそも一撃離脱を主とする"ヘルムート流"の最たる移動手段は、飛翔だ。翔ぶが如くして身を駆ることだ。踏み切りさえ除けば足元の影響は最小限ですむ──ただ一歩で抜けだせさえすれば、着地は考えずともよい。クロがうなずいて瞑目したあと、じっと"赤王竜"を睨めつける。恐らくはずっとそうしている。竜のあらわす一挙一投足、そして垣間見せる変異を一切逃すまいとするように。

 俺は狙いがあわされるよりも早く地を蹴り、大穴の縁を飛び越えて接地。そのまま速度をあげ、肉迫すべく疾駆する。巨大であるだけ、射角の修正は困難にならざるをえない。放たれた極大の熱量が頭上高くを通り抜けていく。クロが小柄であってよかったと心の底から思う。吹き抜ける向かい風にあおられながら二度目の飛翔。かざされかけた掌にとりつくと共、剣をかかげて竜の前肢を登りつめる。

 三度目の"竜精気"を刀身へと行き渡らせる。残すは二度。すれ違いざまに一閃──肩から抉るように切り落とす。切断面から滑る左前脚が地に落ちるよりも早く肩の根本へと駆け抜ける。こちらを狙っていた竜の頭があらぬ方向を向き、聴覚を狂わせかねないほどに猛り狂いながら遥か天へと火球をぶちまける。宙空で弾けたそれはさながら火の雨のごとく無尽に火の粉をふり散らしていく。

「帽子、外れんようにな」
「は、はいッ」

 それをいちいち避けている暇はない。巨体をうねらせのたうち回るその瞬間をはかって肩を蹴り、宙に身体を翻す。見下ろせば地に這いつくばって藻掻く"赤王竜"の姿がよく見えた。そのまま落下する軌道に乗って不規則に揺れ動く左翼に接敵する──行き違う。そのすれ違いざまが、すなわち好機だ。一直線に刃を走らせる──"強撃"。残った二度を使い切る真似はしない。保険は残しておく。飛膜に深々と傷を刻んで、火の粉にまぎれて竜の血を空に吹き上げながら接地する。

「GUUUUUULUUUUUUUUUUHHHHHHHH────!!!!!」

 びりびりと空を震わせる叫び声。そして制動を失った巨体の暴走にまぎれ、大ぶりの尻尾が唸りを上げる。迫り来る竜尾をいなすべく刃の腹を前にして構える。貫くことも無理ではなさそうだったが、巨体の膂力に振り回されてしまう公算が高い。その野太い径を真っ二つに出来ないならば避けるべきだし、俺の剣の刃渡りでは物理的にほとんど不可能である。

 しかるに"強撃"にて峰を叩きつけ、しなる龍の尾を弾き返す。その被害を俺の手の中に押しとどめる。いくら倍する力を発揮できるとはいえ、手にしびれが残るくらいは当たり前だった。その間隙に竜の攻撃範囲から逃れるべく飛び退き、地を擦る。

 今や竜は前脚を切り取られ、その巨大な頭を地に垂れるかのような姿であった。翼も半ば以上にもがれ、回復を待てどもしばらく飛翔はままなるまい。残す後肢で姿勢を保つのが精一杯であり、巨体はほとんど真っ赤な竜の血に沈むようなていを晒している。警戒すべきは竜頭から繰り出される炎、そしていまだなお健在な竜の牙のみ。

「ウィル、さま」
「ああ」
「────首を」
「是非もなし、だ」

 竜の咆哮にまぎれてクロの囁き声を聞く。今、他にはなにも聞こえそうになかった。

 真っ直ぐと"赤王竜"を見据える。その首に狙いを定める。わずかに宙で揺れた竜頭が首をもたげ、地上を見下ろす。竜の双眸と視線が重なる。"赤王竜"はいまや満身創痍といっていい姿にも関わらず、その眼の色にはまるで変わったところがない。怨嗟の色を浮かべるわけでもなければ弱みを見せるわけでもなく、ただ純然たる敵意がそこに残っている。いっそやりやすい。そう思った。

 ──踏み込む。その瞬間に呼応するかのごとく、"赤王竜"の後肢が大地を踏み鳴らす。竜尾が地面を打ち据える。その動きに喚起されたように、土を夥しく濡らした竜血が激しく明滅する。闇に沈んでいた暗色が瞬く間に夜を照らす明るみに転ずる。俺の足元とてもそれは同じこと。怖気と戦慄がいっぺんに襲いかかってくる。クロの声がして、ほとんど弾かれたように踏み出した。背後にもまたその光が迫っているのを気取ったからだった。

 血塗れた大地を起点にして、あちこちから極大の光の柱が吹き上がる。それがどれほどの高みにまで届いているかもちょっと見ただけでは計り知れない代物。近くにあるだけでも感覚できる熱量からして、触れればただではすまないだろう。おまけに活性化した竜血を呼び水にしてか、息を潜めていたのか──"彷徨う火蜥蜴"の群れまでも続々とわき出す始末だった。魔物どもが進行方向を塞ぐように列をなす。退路は、すでに絶たれている。

 そこへ駄目押しのように、"赤王竜"が膨大な熱量を口中に溢れかえらせる。大顎は半ば閉ざしたままでも、その縁からは紅い熱波が確かに漏れだしていた。八方塞がりにして、薙ぎ払う。単純極まりないが、このうえなく有効な一手だ。避けるすべは、なんとしてでも疾く駆け抜けるのみ。出来るかどうかではなく、やるしかなかった。白火の柱の合間を縫って駆け抜ける。"赤王竜"が、鎌首をもたげる。

「────ウィル、まっすぐ、前にッ!!」

 一瞬、誰の声かわからなかった。耳元のすぐ近くで聞こえたということに気づいて、それでようやく理解する。前に突っ込めばまともに"彷徨う火蜥蜴"を激突する。そう考えながらも止まらずに加速、刹那に横合いから空を駆った矢が列の一匹を撃ち抜きせしめた。誰かはわからないが、感謝は後だ。空いた穴からこじ開けるように身体を強引に割りこませる。そのまま突っ切る。魔物の群れが一斉にこちらの背に向き直る。それは構わないが、クロを狙わせるわけにはいかなかった。つまり、間に合わせるほかはない。

 ────業と唸りを上げてぶち撒けられる炎が大地を這っていく。"彷徨う火蜥蜴"をさえも一切の呵責無く灼き尽くして周囲を瞬く間に劫火の海と化させる。天を穿つ火柱に加え、大地を払う炎の二段構え。全ての逃げ場所を奪った後での仕儀というわけだ。掠めればそれだけでも死を垣間見そうになる極熱は、ほんの間近に感じるだけでも名状しがたいまでの汗が吹き出す。

 だが、これで終わる。

「────おおおおおォォォッッッ!!!」

 裂帛、一声。ほんの刹那に振り放たれる炎とすれ違うかのごとく懐へ潜り込む。抜き払った刃の剣先へと精気を集約。"竜精気"の発動と共にその威力を跳ね上げ、至上の一閃へと高め得る。下方からの、切り上げ。竜頭と巨躯を分かつように刃を滑らせる──半月の弧をえがく銀の軌跡。龍鱗を抜いて皮を引き裂き肉を滑りながら勢いのまま向こう側へと斬り抜ける──竜血をまともに引っ被る。それだけで身を灼かれるような痛みに苛まれるも、背後のクロには至らせるまいと止まらない。

 傷口から、竜頭がずるりと滑る。血をひきずったような痕を残して、地面を転がった。そして大顎を一時震わせたが、ついに物も言わずに絶息した。

 おまけに俺も転がった。そのまま突っ伏しそうになる。クロを背負っていなければ事実そうしていただろう。咄嗟に周囲を見渡すが、"彷徨う火蜥蜴"の群れはまとめて竜の炎の餌食となっていた。残敵はない。首を落としてなおも輝きを残した"赤王竜"の瞳が、じっと虚空を睨めつけていた。


 ふと、覗きこんでくるクロの視線を感じた。気遣わしげなそれ。流石に疲れていたが、笑って応じてみせる。存外平気なのが不思議だった。──ひとりでないからかもしれなかった。

「ウィル、さま」
「様は、なしでいい」
「です、が」
「さっきみたいにだ」

 肩越しに言ってやる。クロは視線を伏せてしきりにおさげの髪を弄んでいた。往生際の悪い女だと思った。クロを降ろすとそのまま力尽きそうな気がしてならないので、このまま行く。改めて"赤王竜"へと向き直ると、実際死んでいた。あまり実感はなかったが、とにかくやったらしい。達成感よりも安心感のほうがどっとわいてくる。しかし依然として迷宮内であるため、つとめて気を張りながら竜の骸を検分する。

 なにせ、今までに例のないような巨体である。どうしたものだろう。思えば、助けられてしまったような気もする。分け前も考えなければならなかった。八割は貰いたいと思う。しかし、それにしたって運び出すだけでもかなり難儀しそうだった。そう考えていると、ふと背後から声がする。

「ウィル──やったんだな、おまえ」
「らしい、な」
「どォよ、"竜殺し"。今の気分は」
「切に休みたい」
「同感だ」

 ハハとエリオの笑い飛ばす声。我ながら気の抜けた感じだが、どうも獲物が大きすぎて戸惑っている。とても剥ぎ取り用の短剣が使えるようなやつではないから、この剣でやるしかあるまい。竜血を払い改めて検分を再開しようとすると、さらに近づく足音がいくつか。『ライラック』の面子だった。

「連れて行ってやらんでいいのか、その人」

 フィリアが支えている騎士を見ていう。ぱっと見、すでに顔色や容態はそこまで悪くはなさそうだった。先ほどまでにも治癒を続けられていたのかもしれない。

「いや。──い、いえ、自分は結構であります。それよりも貴殿の御身こそ気遣われるべきでありましょう」

 馬鹿に丁寧に返されてしまった。率直にいって気持ち悪い。その目にどこか据わったものがあった。普通に話せ、普通に。これはこれで無理をいっているような気はしないでもなかった。

 彼は実際もう大丈夫であったようで、すでに一人で立てるよう。騎士の青年は篤く礼を述べると、踵を返してこの場を辞した。おそらく、事の次第を報告するためでもあるのだろう。職務に忠実なのはいいことだ。余計なことまで言わなければなおいい。事実関係はいずれにしてもギルドを経由して知れることだから、大したことはないだろうと考える。

「こない大仕事の後に人の心配もあらへんやろうに。フィリア、治癒したりや」
「はっはい!」

 フィリアのかざす杖先にともる光を浴びるようにして治癒を受ける。散々に吐き出したリソースが緩やかに立ち戻っていくような感じはした。めちゃくちゃな熱ではなく、ほのかに暖かい。そういえば今は男が苦手なのは大丈夫なんだな、と胡乱に考える。騎士の彼しかり、怪我人という括りであるならば問題ないのかもしれない。もっとも大した怪我ではないが。というよりも、まともに食らっていれば一撃で死ねるわけだから傷になりようがなかった。生か、死だ。

「──いったい、どこをどうやったらこうなるのだ? ウィル」

 ふと、アオイのいぶかしげな声。全くもって俺もそう思う。"獣殺"流の手練が巨大な熊を一刀で斬り伏せてみせるのと理屈は同じだろうか。しかし元々理屈などあってないような話である。偶然とかの領域に片足を突っ込んでいるといっても過言ではない。そんな考えは全くよそに、クロがこくりと俺の背中で頷いている。

「竜、"赤王竜"は、ひとつ、陥穽にはまりました」
「ほう?」
「追い込まれた時の、あの状況です。あれは原則、ウィルさまの速力次第で、五分。けれども、竜は、薙ぎ払うように、火を放ちました。おそらくは、確実を期して。それこそが、仇です。火が到達するまでの隙ができ──結果、確実な勝機が生まれました」

 多分、戦術的なことを聞いているのではなくてもっと根本的な話だと思う。にしても、その言葉で合点がいった。だからこそクロはあそこで「まっすぐ、前に」といったわけだ。

「──うまく話をそらされたような気がする」
「そういう流派と思っておいてくれ」

 事細かに説明するのも面倒くさいので流したい。不承不承という様子とはいえ頷いてくれるのがありがたい。むしろ、直接言ってこられるだけまだ良いかと思う。軽く周りを見渡してみれば遠巻きにして観察するような目もちらほらあって、ちょっと人の口に戸は立てられなさそうだった。どうせ竜の部位を持ち帰れば同じことか。そういうわけで、気にしないことにした。もちろん、いくら膨大とはいえここに置いていくという選択肢はない。いくらになるかもわからないのに、あまりにも勿体無すぎる。そういうわけで、本題を切り出すことにした。

「さて、分け前はどうする」
「ウィルくんへの貸しにしておくっていうのはどうかしらぁ」
「やめろ!」

 是非もなく少しでも持って帰ってもらいたい気持ちになる。フラウは策士だった。そして性悪でもある。目を細めて意地悪そうに笑っている。アカネまでもそうしている。とても怖い。

「せやねえ。お酒でも奢ってもろうたらそれでええよぅ」

 一息で安心する。よかった。とても良心的だった。その隣でフラウが口をとがらせている。つまらなさそうな感じ。切実に大人しくしていてほしかった。

「俺は竜枝とダナンの死体さえありゃそれでイイんだが」
「無理だろ」
「んだよなァー」

 諦観混じりにエリオ。なにせダナン・ド・ヴォーダンはとっくのとうに竜の腹の中である。ならば胃袋を掻っ捌けばいいかといえば、もちろんそんなわけがなかった。竜の乱杭歯に噛み砕かれては、ひき肉に成り果てていることは間違いがない。竜枝もおそらくは彼と同じ運命を辿っていることだろう。

「報酬はチャラかねェ──となると、決めてた分も払えんかもしんねえな。悪ィ」
「仕損じたのは俺でもあるし、な。損失分はこっちで埋められるよ。たぶん」
「稀少なんだから精々吹っかけてやれ。んで、俺にも酒奢れ」
「少しは持ってけ」
「横取りは好かねェなあ」
「俺らだけじゃ片付かん」

 そういった瞬間、エリオがそこはかとなく得心したような顔になる。狩りつくせるようならばそれに越したことはないが、手間がかかりすぎる。人を動員しようにも、金の関わることにあまり多くのものを立ち入らせたくはない。金を握らせて使おうにも、その人員を管理しきれる自信がない。そういうわけで、竜の肉は大胆に切り分けて『ライラック』の面々にも山分けすることにした。さすがにこの段に至って、クロも降ろして手伝ってもらうことにする。肉だが、食えるかどうかはわからない。いかにも硬そうな感じがする。流れる血は生きていた時とは違って熱を失いつつあったが、あまりそういう問題でもなかった。なんか呪われそう。

「それじゃあ、また宿でねぇ」
「約束、覚えときね?」
「今日は、安静ですよっ」
「早い内にな。また魔物がわかないとも限らん」

 先んじて去る『ライラック』の四人をお見送り。投げつけられるような言葉を了解と頷きつつ軽く手を振った。しかし思うに、下手をすれば竜の肉はメリアさんの手へとわたってしまうのだろうか。ひょっとしたら食卓に並んでいることもありえた。大丈夫だろうか。ちょっと戦々恐々としつつ作業を続ける。不思議と周囲は静かで、先ほどのように魔物が一挙にわき出してくる気配はなさそうだった。

 肉とは別に、竜皮や龍鱗をしっかりと頂いていく。これは俺とクロが大半ものにすることと相成った。主に傷の少ない部位に限られるが、それでも相当な分量となる。途中に往復も経て、牙と爪には薬効があるということで、これも同様に刈り取る。そして最後に、竜の眼球。たったふたつきりの瞳は、いざ切り取ってみれば紅蓮の宝石じみた代物だった。美術品としての価値があるかは──ちょっとわからない。ともあれ剥ぎ取りだけでも一日仕事になりそうな有り様だったので、それなりの値がつくことを願いたい。

 ひとつ切りがついたところで眺める竜の遺骸はなおも威容。いまだ消え去る様子もなく残ったままで、しばらくは目立ってしかたがないことだろう。頭の片隅で、"竜の卵"があった場所は今どうなっているだろうと考える。さすがに今から見に行く気力はもはや残されていない。

「じゃあ、俺も報告に行ってくら。また機会がありゃあな」

 エリオはそういって出口へと向かっていった。ふらっと気負わず去っていく姿は、これが最後と思わせてもおかしくないものが不思議とあった。

 ふと、クロの視線を感じる。すでに迷宮内は暗がりではなく、穏やかに"逆陽"が照っている薄闇くらいのものだった。灯りなしでもクロの様子はよく見える。

「ウィル、さま」
「さまは、無しだ」
「──え、あ、はい」
「どうぞ」

 一瞬声を詰まらせるも、頷くのを見て躊躇いなくうながす。かえって焦っていた。我ながら畜生という気がしてくる。しかし今この機を逃すわけにはいかない。花弁のような唇がそっと開かれる。

「う、ウィル」
「おう」
「どうして、信じてくれたの、ですか」

 敬語は変わらないのかと思った。致し方なし。俺としてもそれに慣れてしまっている感があった。頷きながら、考える。

 理由は、色々あった。単純にその能力への信頼が第一にある。大前提としてこれが無ければ話にならない。しかしそれだけではどうにもならない。つまるところ、俺の腕が及んでいなければ意味が無い。その腕を見る目を信じたともいえるが、これも能力のうちと言えるかもしれない。単に欲に駆られたというのもあるかもしれないし、してやられたことに腹を立てていたのかもしれない。結局、明確かつ決定的なこれといえる理由はないということでもある。しばらく考えて、いう。

「二人だから、やれると思った」
「ふたり──だか、ら?」
「同じ情報が得られたとして、一人では無理だ。やれるとは思わなかった。さっさと逃げたか──」

 あるいは、自暴自棄になって一人でくたばったか。つまり、一度死んだときと同じように。同じ轍を踏んでいたという可能性だ。

「ウィル」
「うん」
「私は──助けられ、ましたか」
「違いない」

 俺をというのなら、間違いなく。すっかり大荷物になったのを抱え上げて、歩き出す。ふとクロを一瞥すると、その面差しに見たことのない微笑がさしていた。ちょっと面食らう。零れたおさげ髪をくるくると回しながら、しかし羞じらうでもなし。

「ウィル、ウィル」
「なんだ」
「呼んだだけ、です」
「はよ行くぞ」

 あぁぁ、と敢えない声をもらすのを無理やり手を引いて引きずっていく。もちろん物理的にひきずっているわけはなく、大人しくついてくる。しきりに名前を呼ばれる。ちょっとだけ困る。やっぱり様付けで呼んでもらってもいいんじゃないかな、と若干思い始めている俺がいた。

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