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守銭奴、迷宮に潜る

きー子

23.竜殺し〈前〉

「生きてる、みてェね」

 その声はエリオ。いざ逃げる決意を固めていたところに聞こえて、振り返る。端正な顔立ちが泥やら煤やらにまみれて台無しである。弓だけは手放していないのがなんとも抜かりのない男である。

「なんとか、な」
「逃げッか?」
「死にたくないならな」
「んなら、町を出るのを考えといた方がいいぜ」
「なに?」

 立ち上がりながらエリオを急かす。クロの手を引く。悠長に話し合いをする時間はない。空を翔ける竜を相手に果たして逃げ足は通用するだろうか。甚だしく難しいだろう。いっそ山を飛び降りてやった方がまだ生き残れる可能性は高いかもしれなかった。ダナンじゃあるまいのだから御免だが。

「ここは迷宮都市だ。町が出来るまでに迷宮がまずある。つまり迷宮がなければ成り立たねェ」
「──生態系が、こわれる?」
「ご明察」

 不意に夜の暗がりより深い影が落ちる。それは竜の前足だった。振り被られる爪の大きさはそれこそ掠めるだけでも一巻の終わりだ。必死に山を降りる方向へ飛び退る──だが、竜の狙いは別であった。竜の前肢がまるで包み込むようになにかを掴みあげている。3m超の熊型の魔物──"くろいあくま"であった。休息していたところをこの騒ぎにたたき起こされてしまったのだろうか。"くろいあくま"は必死になって竜の手の中で藻掻くが、びくともしない。

 そして、竜は"くろいあくま"を自身の口に放り込んだ。まるで何でもないことのように、いともたやすくその巨体を乱杭歯で噛み砕く。咀嚼する。そこにただの食事以上の感慨は見られない。ぼうっと吐き出される竜の吐息はまるで太陽のように明るい。おかげで視界が良くなるのは皮肉な話だった。

 一匹、二匹。食事の手は絶え間なく続いた。図体がでかいだけまるで遠慮がない。食うものがなくなれば餓えて死ぬかもしれないが、こと迷宮内に限ってその心配はなさそうだった。いくらでも奴の餌は湧いてくることだろう。

「破綻した生態系の跡地を竜が居着く。生業が成り立たなくなりゃあらかたの探索者は廃業だろォよ。さてどうなる?」
「言われるまでもない、な」

 探索者がいなくなれば、迷宮のおかげで得られていた経済的な恩恵は全くなくなる。探索者全員がまとめて去っていくわけはもちろんないが、それでも緩やかな減少が続くのは間違いない。今は地下二階層にしか影響を及ぼしていない竜だが、あれほど強大な魔物が階層という境界をこえてこない保証はどこにもなかった。それどころか、迷宮の外にまで出てくる危険性も考えなければならないだろう。

 今は市場をなすほど賑やかな人の活気も、迷宮の現状が広まってしまえば必ず絶える。迷宮の存在に代わる産業があれば万々歳だろうが、なにせ町の周りは暗い森ばかりだ。どこまでやれるかは怪しい所。いつかは経済的な破綻をきたし、連鎖的に治安の荒廃を呼び寄せることは想像に難くない。ゆくゆくはならず者の漂着場か、戦火にでも巻きこまれるか、あるいは何事も無く穏やかに地図上から消え去るか。いずれにしてもあまり愉快な末路ではなさそうだ。率直にいって知ったことではないが、稼ぎ場を荒らされるのは大いに困る。無論、金とは命あってのものだが。それでも困る。

 考えながらも逃げ足は止めない。だがだめだ。人の足では山道を降りるしかない。翼がほしいと思ったのははじめてだった。空に憧れる人間は少なくないというが、これほど切実な理由で空を飛びたいと思うのもあまりない気がする。翼がほしい。

「てめェらッ、ヘタってんじゃねェ死ぬぞ! 死にてェのか! 一人になるな二人一組で散開しろ! 鎧も荷物も捨てちまえッ! 死んだら全部終いだろォが!!」

 天まで届くような高き咆哮に負けじとエリオが必死に大声を張る。散り散りになった騎士団員を何とか統率しようとしているようだった。恐怖と驚愕で足腰が立たなくなっているのを無理矢理に引っ張りあげる。それは騎士長マリウスの仕事ではないかと思ったのだが、あの男の姿は見当たらなかった。死んだのかもしれない。あるいは先んじて逃げ出した可能性もある。どちらでもいい。今は構っている場合ではない。

 一瞬、手を引いているはずのクロのちいさな身体が立ち止まる。立ちすくんでいる。ためらわずに振り返る。地獄を見た。

 燃え盛る炎のような双眸が天からクロを射すくめている。ぴんと来る。ダナン・ド・ヴォーダンがクロを狙っていたのはよもや自分の意志でなく、奴の持っていた『竜枝りゅうえ』がそうさせていたのではないか。なぜそうするのかは勿論わからないし、相当どうでもいい。とにかく、まずい。ほとんど無理やりにその身体を引っ張る。ちいさくて、軽いはずのその身体が、今は石のようにかたくなだった。

「クロッ!」
「──ウィル、さま」
「なんだ!?」
「あれは、"竜王"種、です。名は、"赤王竜"────」

 どういう理由にしても、クロが竜に狙いをつけているのは明らかだった。手を引く。ぱし、と払われる。────虚を突かれたように、反応出来なかった。そのちいさな歩幅をつかって、一歩遠退く。

「逃げて、ください」

 クロ自身も悟っているように、確信的にいった。竜に立ちはだかるように背を向けた。その眼の色はうかがえなかった。

 雄叫びをあげ、竜がはばたく。圧倒的な精気と魔力、あるいは何とも知れぬ力に満ちた存在が唸りを上げて近づく。対面から突風が吹き抜けていく。クロのちいさな身体が吹き飛ばないのが不思議なくらいだった。そこにしっかりと立ちはだかるように、地を踏みしめている。いっそ以前の靴のほうが良かったと、一瞬の思考の中で考える。世界がほとんどスローモーションに見える。竜の爪が迫る。考える前に走りだしていた。

 竜の前肢の先端には四つの指、つまり四つの爪がある。そこから根本に辿っていけば、途中に関節がある。きめ細かいいかにも強靭な朱い鱗に包まれてはいるが、関節部だ。俺の腕よりもよほど太いような代物であったが、縦横に駆動する関節部であることに変わりはない。

 地を蹴り、飛ぶ。向かい来るそれと激突しかねない軌道だった。頭の中で剣の軌跡を思い描く。クロの身体を掴み上げるべく広げられた爪先が、今にも捕らえんと迫る。その爪が引き裂くどころか、掴み上げられただけでも竜の握力でクロの内臓は滅茶苦茶になるだろうなと思った。

「──ウィル、さまっ!?」
「死ぬぞ、馬鹿!!」

 させるわけにはいかない。クロは金では買えない。竜精気を纏わせた刃は抜刀とともに、竜の肉体を通り抜ける────竜精抜刀。想起した通りに剣閃をなぞる──すり抜けざまの横薙ぎ。思っていたよりもずっと簡単に、駆けた刃が肉の向こう側へと通り抜ける。

 前脚が、落ちる。クロの身体を捕らえないまま、横ずれして落ちるがままに地を転がる。傷口から夥しいまでの血流が吹き出す。竜の血は赤い。その水面はまるで溶岩のように沸騰していた。まるでしばらく傷に気づかないように、関節から先を失った前脚が振り子のように宙空を揺れる。そして一拍。

「GLUUUUUUUUAAAAAAHHHHHHHHHHH──────!!!!」

 咆哮が天を打つ。竜の巨躯が空でのたうつ。錐揉みしながら山の峰にぶち当たり、轟音とともに岩山の一角を崩落させた。頭から突っ込む様は存外間抜けに見えたが、笑い事ではない。尋常ではない震動が今も俺の足元を揺るがしているからだ。すかさず剣を払って片手に収め、もう片方の手でクロの手を引く。もうその身体は重くはない。

「ウィル、さま」
「おう!」
「どう、してッ」
「これまでにいくら突っ込んだと思ってる。これからいくつの機会を失うと思ってる!」

 端的にいって、駆け出す。自分でいうのもなんだが、後付けみたいな理由だった。というか実際、後付け以外のなにものでもない。考えるよりも先に行動が先走らなければ間に合わなかっただろう。理屈をつけるのは後でいい。今、生きていることが肝心だった。

「ウィル、お前、何やったってんだ。無謀にも程があらァ」
「無謀のつもりじゃない。賭けではあったが」

 ──それは以前、クロが発した疑念にまつわるもの。"彷徨う火蜥蜴"に、なぜ俺の剣は特別の効力を発揮したのか。推測するにあの魔物は小型の竜、ひいては爬虫類や名のごとく蜥蜴に分類されて然るべき魔物なのだろう。"人喰"の流派が人を斬るためにあるように、"獣殺"の流派が獣を狩るためにあるように。俺の剣もまた、有鱗の魔物に力を発揮するそれではないか。

 "彷徨う火蜥蜴"が小型の竜種なのだから、そのまま竜種を想定することも考えないではなかったが──普通、それはありえない。剣術の特別な力とは、つまるところ仮想敵を何かに定める──いってしまえば限定することによって生じる。そして竜は、魔物の中でもかなり珍しい部類に入る。それこそ、伝説か何かで知るばかりになるほどに。クロのお婆様が資料の集積に難儀していたことからも、間違いない事実だった。

 要するに、竜なんかを相手取るための技──"対竜"の剣術など、編み出される意味が稀薄なのだ。『屠龍の技』が無用の長物の代名詞であるのと全く同じ様に。にも関わらず、俺の剣は"赤王竜"を斬りえた。なぜかは分からない。予断は出来るだろうが。だが、だとすればあの爺さんは一体どうしてそんな剣術を──やはり答えはない。爺さんはもう、死んでいた。

「ウィル、さま」
「ああ」

 クロが一瞬、振り返る。その目は鋭く"赤王竜"を見ていた。正確には、あの巨大な魔物の──その傷口を見て取っていた。すでにその瞳に諦めの色は一片もない。垂髪をかき上げさえして、蒼い視線がさえざえと輝いている。竜を、ただの魔物を見るように観察している。

「今のは、どれほどに」
「"全力"で」
「余力は、どうです」
「全速で動きながら、四回って所だ」

 質問の意味を考えることはしない。分析、指揮の観点においてはクロに一切を任せる。俺は俺の仕事をすべきだった。つまり、今はクロを安全地帯にまで逃がすということに集中するのだ。

 下山中のエリオが騎士団員を激しく叱咤する。道中で死んでいた斥候役の騎士を担ぎ上げようとしていたからだ。死体のために死ぬ気かと端正な顔立ちを怒気に歪めて背中から追い立てる。甚だしく似合わないなと思いながら、クロの身体をほとんど背に負った。もう離すわけにはいかなかった。背後の様子を肩越しにうかがうと、山岳に埋まるように突っ込んだ竜がその巨体を引きずりあげて宙を舞っていた。その前肢──右足の切り口からは灼熱した血がしたたり、すでにして緩やかな肉体の再生を開始している。化け物め。

「──ウィルさまの剣は、"彷徨う蜥蜴"を相手にするとき、数倍する力を発揮しています」
「やぶからぼうになんだ!?」
「それをあてはめても、"赤王竜"には、足りない、です。足らないはず、です」

 その姿を見るばかりで看破できるほど、果たして竜についての情報があったのだろうか。考えるのは後だ。ただ頷いて先を促す。

「しかるに。ウィルさまの、剣は──"竜王"種に数十倍する、"竜殺し"の剣術と、考えられます」

 ただ、頷く。驚くべき言葉であるはずなのだが、まるで実感がなかった。本当にそんな力を持っているのかという確たる疑念だけがあった。それを払拭できるのは、実際に切り飛ばした竜の前脚。そしてその言葉が、クロの口からつむがれたという事実であった。俺には、それこそが何よりもの証左であるように思われた。

 転がっていた斥候の死体が、岩山ごと竜の大顎に食い千切られる。エリオが歯噛みして舌打ちする。しかしそれをどうにか出来るわけはないと背を向ける。まだ生きているものを生かすために背を向けている。不安定な大地に足を取られた騎士団員のひとりがにわかによろめく──横から支えるように引き上げる。俺もまた、クロの身体を巻き込みながら逃げるのを止めずにいる。逃げた先、どこにいく? 迷宮の外、町の外、世界のどこか。どれも悪くはないように思った。だが、割り合い順調に稼ぎ続けた日々と比べられるものかは分からなかった。少なくとも、保証はない。

 肩越しにクロを一瞥する。目が合う。ただひとつ、問うた。

「やれるか」
「ウィルさま、なれば」
「──了解」

 また別の保証は、得た。元より、クロの判断に全幅の信頼をおいた身の上である。今さら翻すことはすまい。巻きこまれるクロがなにより運の尽きだな、と思った。なぜだか分からないまま狙われているのだからたいがいだ。後押ししてくれてしまった分のつけを払ってもらうとしよう。空に見上げる"赤王竜"の巨体は今もなお健在であったが、不思議と震えはなかった。

「クロ、背に」
「はい」

 もはや背は向けないのだから構わない。離すまいとするほうがいくらか大事だ。背にとりつくクロの身体をベルトでしっかりとくくりつける。全身へと精気を行き渡らせれば負担にもならなかった。足を止め、空に居座る"赤王竜"と相対する。

「死ぬ気か、お前ら、ンの馬鹿がッ!!」

 エリオの罵詈雑言が飛ぶ。無理はない。しかし、今さら一目散に逃げ出しとしても無事にすむ気はあまりしなかった。先ほど前肢を刎ね飛ばしたせいで、狙いが俺に変わっている可能性は大いにある。それはよくない。逃げることが目的ならばとてもよくない。ヘイトを稼ぎすぎた。

 だが、今となっては好都合だった。俺の稼ぎ場を荒らしてくれる奴だと思うと殺意も満ち溢れてくる。殺そう。

「──ウィル、さまッ」

 瞬間、"赤王竜"が唸りをあげて地上に迫る。それは聴覚を鎖してしまいそうな咆哮のみならず、風を切る翼が大気を滅茶苦茶にうねらせている音でもあった。急降下してくるその大口にはなみなみと紅蓮の海が煮え滾って吐き出されるのを待ち構えている。察するに、放射する炎の速度は決して早くない──そうでなければはるか上空から狙撃するほうがよほど得策だ。だからこそクロも「やれる」と言ったのだろう。

「着弾地点を、よくみて、大きく避けてくださいッ!」

 肩越しに、振り返らずとも頷くだけで応じる。開かれた"赤王竜"の口腔──山岳の岩壁をえぐるように。

「LUAHHHHHHHHHHHHHHHH────!!!」

 薙ぎ払っていく、極熱の火炎が放射される。それはすなわち逃げ道を塞ぐように放たれた一撃であり、大地を火の海に変える空の王者の洗礼でもあった。炎を動かずやり過ごそうとすれば、それ以上の逃走を阻まれるという按配。獣のような大音量の哮りを上げてはいるが、奴にも知性はあるらしい。"赤王竜"はそのまま崖側によりそって滞空し、今にも追い打ちの第二射を放たんとしている。エリオら騎士団員を追いかける様子はなく、まずはこちらをと狙いを定めている感じだった。

 幸い、一撃目を避けるのは難しくなかった。炎の稜線をかい潜るように大きく一歩踏み出せば問題ない。直に浴びずともはっきりと焼き付きそうなほどの熱を感じさせるのは大いに問題だが、生きている。生きていることが肝心だ。しかし第二射は問題だ。一撃目が逃走経路を殺した以上、続くは本命に他ならない。しくじれば死ぬ。今さら少しだけ後悔する。少しだけだ。背中にはクロがいる。耳朶の近くに囁くようなちいさな声が聞こえる。

「────懐、に」
「おう」

 精気をのせた脚力をもって崖を踏み切る。吐き出される炎の反動からか"赤王竜"がノックバックするが、問題ない距離。さらに応ずるべく、右前足が振るわれる。

 馬鹿め。それは俺がたたっ斬った部位だ。もちろんそこを狙って飛んだのだが、寝起きだけあって寝ぼけているのかもしれない。そもそも、身体の一部を失うことが念頭にあるような生態ではないのか。いずれにしても迂闊であることには違いない──球に似た前脚の関節部へと着地、そこから巨体を登りにかかる。

「肩へ"強撃"──血を被りませぬようッ」

 了解と一言。果たして"全力"でなくとも通用しようものかとかすかに危ぶまれるが、今はやるのみ。信じることだ。それがやるべきことだった。最適の精気を伝わせて刃を一閃──存外あっさりと龍鱗を貫いて肉を抉りながら肩へと接地する。けたたましい叫び声をあげながら竜がのたうつ。近いだけあってとんでもなくうるさい。クロの指揮まで聞き逃してしまいそうなのがおそろしい。肩部へと突き立った刃を掴み、支えにして耐え忍ぶ。流れ落ちていく竜血がわずかに跳ねて頬にかぶる。それだけでも火傷の痕を残してしまいそうな熱量だった。声は押し殺す。

「きこえ、ますか、ウィルさまッ」
「なんとかな!」
「翼を、"全力"でッ」

 竜の片翼を落としたら、どうなる。自明のことだが、それを理由にためらうのは俺のやるべきことではない。魔女クロは罪を赦す十字であるならば、俺が罪をなす剣だ。それが『クルセイド』だ。たった今考えた。

 竜の熱を宿した血を夥しく浴びても、剣はいまだ歪まずたわまず健在である。全く働かせすぎといった感じだが、まだ止めるわけにはいかない。剣先に"竜精気"を集約させ、龍翼をなぎ払うように刃を滑らせる──刃渡りが寸足らずであったため、真っ二つにすることかなわず。返す刀で縦一閃、十字傷を刻み込んでやる。飛行能力に支障をきたすのも構わないでずたずたにする。

「──このまま、先ほどの道へッ」

 続けざまの指示を受け、戦果確認もそこそこに向き直る。炎の海をなしているおかげで元いた場所はすぐにわかった。来たときと同じ要領で竜の肩を蹴り飛ばしその巨体を後にする。

「GLAAAAAAAAAAAAAHHHHHHHHHHHHHHHH────!!!!」

 受けた咆哮ではなく、暴れまわる最中に泳いだ"赤王竜"の両翼が突風を巻き起こす。音でわかった。急激な風と大気の流れに身を巻かれる。空中で身体の制御を失いかける。狙いがそれ、先ほどより下の山道へと向かう。まずい。このままでは地面にまともに叩きつけられる。地面が迫り来る。衝撃を無理やり精気で生じさせる力で相殺すべく手を伸ばす────

「────がァッ!?!?」

 瞬間。予想していたよりもずっと柔らかい衝撃を受ける。否、衝撃はほとんど殺され切っていて行動に支障は全くない。気遣わしげに吐息を漏らす様子からしてクロも無事だ。ゆっくりと立ち上がり、何が起こったと下方を見る。エリオが下敷きになっていた。道理で面白い声がしたはずだった。

「こんなところで、どうした」
「俺が言いてェよそれは……!」

 頭を押さえながら起き上がるエリオは存外に平気そう。この男もやはり相当の精気量を誇る探索者であるに違いない、と確信する。先をゆくようにエリオが歩き出すのをよそに、俺は"赤王竜"の様子をうかがう。巨躯が錐揉みしながら大地へと真っ逆さまに落ちていく──引き続いて、轟音。大地を揺るがすほどの凄まじい地鳴り。まともに落ちたかもしれない。下に誰かがいたら、間違いなく死んでいるだろう。悪いことをした。掌を合わせながら歩む。

「クロ、今のでどうだ」
「未だ健在。けれど、飛行能力は、ほとんど喪失です」

 確信的な言葉に頷く。自重じじゅうなんかでそれなりの傷を負ってないかと期待したものだが、そんなに甘くは無さそうだった。追撃をかけるべく急ぎ足で山道を駆け下りる。その後をエリオがついてくる。意外と律儀なやつだった。

「他の人らは?」
「逃した。お前らが馬鹿やって引きつけてる間にな。ありがてェ話だ」
「その後、わざわざ戻ってきたわけか」

 律儀なんてものをこえていた。変なやつだった。妙なやつ、といってもいい。いまいち計り知れないところがあるので距離を置く。利益を度外視して動ける人間は少々怖い。つまるところ、立場が明確でないからだ。エリオの行動はいささか傭兵の分をこえている。何より、今はあからさまに手に余る状況である。

「この町にゃ、縁ありでね。打てる手がありそうなら尽くしてみようと思ったわけだ」

 つまるところ、それが執政院から直々に雇われていた理由ということか。内訳は定かではないが、そこは興味の範疇外である。何はともあれ彼が先に語ったような惨禍に、この町が呑まれることをよしとはしないのだろう。当のエリオはといえば、さながら見定めるように俺を見ていた。俺を、というよりは手にしているその剣を。

 竜の血と肉にまみれてなおも曲がらぬその剣は間違いなく特別の業物だが、特別な細工はない。付与加工エンチャントのたぐいも施されていない。際立って頑丈で、ごくありふれた幅広の剣だ。

「────やれるンだな?」
「ウィルさま、なら」
「クロがいるなら」
「オーケイ、オーケイ」

 皆まで言うなとばかりに制される、その間も足を止めない。そのうちに竜の姿を闇夜の中に捕捉する。かなり平たくなった大地に"赤王竜"は陣取り、鎌首をもたげて周囲を睥睨していた。巨体を横たえ、そのくせ瞳は凶暴なまでに鋭く輝く。下敷きになったものの痕跡は幸い見当たらなかったが、探索の最中だったらしいクランの姿がちらほらある。あるいは逃走中かもしれない。巨躯の周囲には夥しいほどの"彷徨う火蜥蜴"がわき出していて、まるで従僕のごとく"赤王竜"に付き従っている。大量の魔物に足止めを食って、逃げを打とうにもなかなか背を向けることが出来ない様子であるらしい。

「厄介、だな」
「露払いくれェは手伝ってやる。任せっからな」
「あまり任せられたくはないが」
「嬢ちゃんがいるなら、だろ」
「あー……」

 渋々と首肯する。自業自得ならぬ自縄自縛であった。やってしまったと思いつつ、すでにやることは決まっている。頷く間にもエリオが一矢を射掛けて"彷徨う火蜥蜴"を葬り去る。そこに込められた精気のたかは、雑魚を一撃で葬るには十分であるようだった。問題は何発もつかだな。

「ウィル、さま」
「おう」
「"弱撃"での各個撃破、消耗を避け、警戒は"赤王竜"から、逸らさないで!」
「──了解ッ!」

 駆け出して、"彷徨う火蜥蜴"の腹を剣の腹でしたたかに打つ。あるいは貫き、または切り裂く。そこが弱点であることはすでに知悉していた。おまけに奴らが吐き出す炎は、"赤王竜"のそれと比べれば児戯にも等しい。

 だが、あまりにも数が多い。正確にいえば、倒した端からわき出しているふしがあった。夥しく流れる竜の血に宿る魔力が、この地の魔物を活性化させているかのようだった。終いには生じた魔物を"赤王竜"が餌として食らい、傷を癒やすための力を得るというわけか。よくできた話だった。

 一定の領域にまで踏み込んだ途端、ほとんど溜めもなく"赤王竜"の頭が肉迫してくる。忌まわしく睨めつける紅蓮の瞳は先程よりも輝きを増しているように見えた。血肉をこびりつかせる乱杭歯が迫り来る──咄嗟に飛び退いてかわす。それと同時に背後で大気がうなる。巨木か何かのような野太い尻尾が鞭のようにしなって強襲──返す刀で"強撃"、叩きつけるようにして相殺、反動を殺さず跳ね飛ばされるようにして退避。重量差からすれば威力がかち合ったのがほとんど奇跡だと思った。

 竜の攻撃をいなしている間にも当然のように"彷徨う火蜥蜴"は増える。エリオの射撃だけでは追っつかない。一瞥するにその面差しには冷や汗が滲み始めている。

「まだ、いけるかッ!?」
「ハハ、あいつらも働かせりゃあ良かったなッ!」

 冗談をいえる余裕はあるらしい。ならばまだ働いてもらおう。吹き出される炎息の隙間を縫いながら二匹、三匹と刈り取っていく。射掛けられる矢がそれに続く。一発放たれた後に二の矢、三の矢、四の矢と立て続き───いや、多すぎる。違和感を覚えて一匹を切り飛ばしながら飛び退ったその瞬間、だった。

「あ。ウィルくんだぁ」

 状況にまるでそぐわない、聞き覚えのあるおっとりとした声。続けざまにその方向から矢が射掛けられ、"彷徨う火蜥蜴"を葬り去る。ふわっとしたブロンドの髪。フラウだった。その片手には女性でも扱えるような大きさの連弩。引き金を絞るたびに放たれる矢が魔物を撃つ。そして撃ち漏らした魔物の群れが、フラウの元へと殺到していく。

「えらいおおききの相手にしとうね?」
「蛮勇も程々に────なッ!」

 三つ編みに編まれた赤髪を振り乱し、手甲をはめ込んだ右から放たれる裏拳──アカネ。涼しく堅い声色を戦意に乱し、拳に飛ばされた魔物に振るわれる剣の縦一閃──アオイ。その背後で、人に肩を貸すようにして立つ少女、フィリア。よくよく見れば、彼女が支えているのは山の中腹で見掛けた斥候その人である。つまり、息があるにも関わらず俺が放っておいたやつだ。

 いかなる奇縁か。つまるところ、『ライラック』の面々が一揃いしているのであった。

「なんでここに!?」
「それはこっちの言葉やない?」
「け、怪我人と聞きましてっ」
「その護衛、ってえわけやね」

 アカネが親指でフィリアを示す。その背には杖を負っている。それで得心した。果たして彼女にどういう力があるのかたいがい謎だったのだが、治癒術のたぐいを使えるのかもしれなかった。つまり、俺が医者なりなんなり呼ぶようにいった結果だった。迂遠ではあるが俺のせいだった。謝ろうかと思ったがもちろんそんな余裕はない。手近な一匹を切って払う。

「解せんことはあるが、話は静かになってからでいいだろう」

 アオイが"赤王竜"を一瞥する。より具体的にいえば、竜に負わしめた手傷を見ているようでもあった。おまけに"赤王竜"の双眸は、まるで睨めつけるように俺とクロのふたりを一心に見据えている。察するというにはいぶかしむ気配が色濃かったが、あいも変わらず話が早い。

「ウィールッ! この美人方はッ!?」
「最悪でも敵じゃあねえよ!」
「ハハ、十全だッ」

 余力を十分に残した『ライラック』が加わることで、徐々に戦況は好転。殲滅速度はいや増し、やがて"彷徨う火蜥蜴"の生ずる速度を上回ってみせる。"彷徨う火蜥蜴"の総数が減ることによって他のクランもまた戦列を立て直し、場を支配していた魔物の群れは着実に趨勢を覆されていく。

 エリオの一矢が、"赤王竜"の真ん前に陣取っていた"彷徨う火蜥蜴"を穿つ。刹那、"赤王竜"が首をもたげて地を見下ろす。前肢がいまだ再生を続けている。取り戻させるわけにはいかなかった。そう考えた刹那、大顎の内に宿る極熱が闇夜を切り裂く光を放つ。

「──散開、して、くださいッ!」

 クロが背中でありったけの声を張る。はっと打たれたように、竜が撒き散らす災厄から逃れるべく総勢が飛び退る。土を、岩を、そして魔物の血を燃やし尽くして周囲を炎の海へとただ一撃で塗り替えていく。ただの一人さえも寄せ付けまいとするがごとく煉獄を生む。紛れるようにフラウの弩から打ち出された矢が、その巨躯に届かずして燃え尽きる。風の通り抜けた後を続けざまにエリオが射掛けるが、矢は龍鱗に突き立つことなく地に落ちた。

「見掛け倒し、じゃあないのねぇ」
「見ての通り、ってわけだァな」

 熱波にあおられながらエリオが悪態をつく。しかし矢をつがえるのを止めてはいない。露払いは続けるつもりでいるらしい。

 コートの襟を引かれる。当たり前のようにクロだった。頷いて応じる。

「ウィル、さま」
「おう」
「首を落とすに、まずは、前脚。左翼を潰す、なら、牙の範囲外から。尻尾には、くれぐれも、気をつけてください」
「了解」

 答えて、ふと考える。この状況下、無理にクロをともなうよりも降ろしたほうがいいかもしれない。幸いなことに信頼できそうな御仁もいる。そして襟を引かれる。

「ここに、置いてください。声が、とどきますように」
「──了解ッ」

 瞬間、竜が天を仰ぐ。怒号が轟く。耳朶をしたたかに打って衝撃波さえともなう極大の咆哮。

 そして同時に、駆け出した。

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