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守銭奴、迷宮に潜る

きー子

18.クマー

 気を取り直して探索を続行する。

 山道を進み続けて、ひとつわかったことがある。この地下二階層では、どの場所を狩場にするかによってずいぶん具合が変わるということだ。山の裾野で狩り続けるならば比較的安定した稼ぎが行えるうえ、安全である。道はある程度開けていて、他のクランと鉢合わせすれば一時的に協力することもむずかしくはない。戦利品の分け前で揉めるような真似さえ避ければ、危険は最大限に減らされる。

 一方で細くけわしい山道は、端的にいってろくなことがない。まずもって地形が悪いので、上を取られればそれだけでも不利を強いられる。道も細い。ただでさえほそい山道に溶岩なぞわき出ていたら最悪だった。さらに"ヒノトリ"などの空を縄張りとする魔物はそれらの地形的条件をことごとく無視して襲ってくる。普段は大したことのない魔物に厄介を強いられることもある、というわけだ。先のようにわけのわからない魔物を見かけることもたまにあるが。おかげでびっくりするくらいクランとすれ違うことも減った。

「ぐ……る、るッッ」

 しかしそれでも、山に挑み続ける理由を求めるとするならば──今、目の前にある魔物のようなやつを獲物とするためだろう。

 出来るかどうかは別としても。

「"くろいあくま"──ですッ」

 まさに頂きに至らんかという道を目の前にしての接敵。ただただ、でかい。熊だ。漆黒の毛並みは逆立たんばかりに野太く逞しい。その全長はゆうに3mをこえているだろう。細い山道のうえに立ちはだかるかのごとくしてそれはそびえ立つ。頭上を取られていた。ただでさえ身の丈では相手に長があるというのに、厄介なことこの上なかった。それは毛深い両腕をいっぱいに広げて、威嚇の姿勢を取りながら重低音のうなりごえを上げる。その四肢をさながら冷え固まった溶岩のような装甲が覆っていた。

「やれる、か!?」
「ウィルさま、なれば。脚に"強撃"をッ」
「了解」

 まずは馬を射よ。なるほど、騎乗した人間を相手取ったことはないがそれくらいの高さは余裕である。先んじて、"くろいあくま"の一撃をかわす。ほとんど落ちてくるような腕の振り。風をうならせる大振りがすぐ横を通り抜けていくのは冷や冷やものの一言。返す刀で抜剣。納刀時すでに刃へと精気をのせていたからタイムラグは一瞬もない。装甲を避けるようにして刃を払う。その巨体がかすかによろめくも、まるで揺るがない。立て続けに一閃。もう片方の脚を刈る。吹き出した血が黒毛を濡らしていく。

 剣先から伝わる感触がとてつもなく硬い。打撃であったら完全に衝撃を殺されていたところだ。

「隙を縫って首を────いえ、腹を全力で。近づきすぎませぬよう、一撃ずつ!」

 おうと頷いて飛び退く。つまるところ、狙うべきは首であったが位置関係上からどう足掻いても届かない。また届いたとしても十分な威力を発揮できないし、飛びかかるなど自殺行為だ。あの腕なら掠めるだけでも肉を持っていかれるだろう。

 この魔物ならばいい。道中はクロが意識して配分してくれていたのか、残した精気量にはかなりの余裕があった。今なら少なくとも三度は持つだろう。だから言葉通りの全力でいく。全力でやるだけだ。これまで機会がなかったが、クロにもまた知っておいてもらったほうが賢明だった。明確に体内から大量の精気を"持っていかれる"その代償を感覚しながら、精気の数倍にも及ぶ威力効率を誇る"竜精気"を引き出す。

 剣先へと竜精気を集約させる。いつもの精気を爆発的に上回る威力へと転ずる。そのまま、左上から右下への斬り下ろし。対して、"くろいあくま"の左腕がかざされる。構わない。走る刃が、そのまま呆気無く通り抜けた。頑強で分厚いその肉を半ば断ちながらいまだ勢いは留まらず、吸い込まれるように腹へと至る。

「────シィッッ」

 幅広の刃が腹へと食い込み、突き進む。一閃して刃を振り切れば、"くろいあくま"の巨大な胴に溝のような傷痕が残った。それでなお、巨体は倒れることがなかった。まさに驚異的な生命力と言うほかない。クロの言葉にしたがい、咄嗟に一歩飛び退く。

 まさにその瞬間、"くろいあくま"の右腕が襲いかかる。むしろひときわ怒声を張り上げて向かい来る攻撃にはよどみがない。まさに死に物狂いといったところ。しかし、どうしようもなく単純だ。かわして、連続する左を放たれる前から予期して掻い潜る。左はすでに落ちかかっているにも関わらず、驚異的な執念だった。

 そのまま懐へと潜り込む。"くろいあくま"の傷口をすり抜けるようにして切り抜ける──"強撃"。すでに装甲を半ば剥ぎとっていた巨体を上下のふたつにわかち、上半身を跳ね跳ばす。その大質量が宙を舞い、滑るようにして地に落ちた。岩肌にぶち当たり、ひしゃげた肉が湿った音を立てる。血の雨が降る──頭から引っ被った。失敗した。明らかな、やりすぎであった。

 刀身をかざる血を綺麗に拭い取ってから鞘に納める。

「クロ。大丈夫か」

 振り返って見る。さすがに血を頭からかぶらせるのはあまり気が進まない。なぜなら汚れる。2500ENがよごれる。俺の心ほどではなさそうだが汚れる。運良くクロは範囲外にいて、血溜まりに沈んだ"くろいあくま"の下半分を見るばかりであった。まずは一安心。

「ウィル、さま」
「ああ」
「今の──は」
「全力だ。消費がきついから、あまりやりたくない類の」

 クロが帽子の下の瞳をぱちぱちと瞬かせる。困惑と驚愕が入り混じった果てにかえって何も浮かばなくなってしまっている感じだった。しげしげと前髪をわけて"くろいあくま"の断面を観察する。さすがに怯えた様子は全くないあたりがさすがだと思う。というかおかしいと思う。

「"強撃"に数倍する威力──いえ、十倍にも」

 傷をみて、そして魔物の強度を勘案して威力のほどを弾き出しているのだろう。その白いひざに血がつくのも構わないで屈んで見ていたかと思うと、ふいに視線をかかげた。俺の顔をじっと見ている。

「知りませんでした」
「教えてなかった」
「な、なぜ、でしょう……」
「機会がなかった。必要がなかった。クロのおかげでもある」

 弱点となる部位、またその強度を十分以上に知悉しているクロの指揮があるからだ。わざわざ消費の激しい大技を使う理由がなかった。クロが唇を引き結んでひどく複雑そうにしている。

「喜べば、いいのでしょうか」
「誇っていい。さもなきゃこうは稼げない」
「はい」
「そもそも、人前でやるのは初めてだ」
「えっ……は、はい」

 なぜか恥ずかしそうにして、麦わら帽子から垂れるおさげの髪をくるくると回すみたいにもてあそんでいる。なぜそうしている。解せぬ。

 なにはともあれ、"くろいあくま"の部位を収獲することにした。なにせ大きすぎるものだから、有用な部位を選別するだけでもちょっとした一仕事である。しかしこれがそのまま金になると思えばまるで苦ではない。硬すぎる毛並みに尋常ではなく分厚い皮と、脂肪分。そしてその下に秘められた、丸太のような筋肉。熊肉とかいう話ではない。というか、話にならない。クロによると、舌がイケるらしい。魔物の肉にも関わらず値がつくというのだから余程のものなのだろう。黒革の防具も良質なものが出来るということで、悪くない。もちろん頂いていく。

 主に稼ぎとなる部位は、両腕と両足に備わった四つの装甲。これはただの冷え固まった溶岩ではなく、紅炎石と呼ばれる特殊な宝石の結晶が抽出できるのだという。つまり、金持ち向けの需要であろう。状態は無傷のまま残っているので、しっかり戦利品に放り込んでおく。わざわざ山登りをしてきた甲斐があると思った。しかし何度もやりたいといえる相手ではない。判断をひとつでも間違えたら即死であると思われる。怖すぎる。

 作業が一段落したところで、"くろいあくま"の立ちふさがっていた道を見上げる。ここより向こう側の彼方には空しか見えない。"逆陽"が燦々と輝いている。本当ならばこのまま下山してしまいたいところであったが、山頂に何があるかは見届ける必要があった。俺が先んじて進み、クロがそのすぐ後ろに続く。

 坂をこえた先。視界が開けると、そこには広々とした空間があった。山の上に大きな皿が乗っているような感じ。これまでは岩肌一色だった地面が、途中から石畳に転じて敷きつめられている。まるで天然の要害を取り入れた要塞か、自然に呑み込まれかけた遺跡といった印象だった。だが、何よりそれ以上に目を引くものが皿の中心にあった。

「……わ」
「なんだろうな、あれ」

 ──真っ白の、卵。あるいは繭ともいうべきか、判然としない。高さにして3Mほどもありそうな球体が、まばゆいばかりの白を照り返し、微動だにせずそこにある。

「近づいて、大丈夫、でしょうか」
「俺らが初めてじゃないだろうし、これといった痕跡もない。大丈夫だとは思う」

 とはいえ、警戒は忘れずに置く。山頂に届く高みに至ればさすがに上空を徘徊する"ヒノトリ"などもほとんど見受けられず、これといった危険はなさそうだった。卵もちょっとした日陰になりそう。ふたりしてゆっくりと繭に向かって歩みよるが、やはり変化はない。

「……硬い、です」

 クロがこつこつとその表面を叩く。ちょっとひやひやするが、何も起こらない。倣って触れてみると、どちらかというと卵より繭のほうが近い気がする。幾重にもがちがちに固められている感じ。意外とひんやりしている。おまけに下方では地面に根を張っているようで、どうあがいても動かせそうになかった。宝のひとつでもないかとほのかな期待をしていた俺にとっては全くのはずれである。クロが興味津々にちょっと帽子をかたむけて耳をあてがったりしているのを大人しく眺める。

 思い切り叩いて壊してみたらどうだろう、と一瞬脳裏に浮かぶ。考えるだけでやめた。寝た子を起こしてもいいことはない。少なくとも、儲かるまい。くたびれ儲けがいいところ。クロが楽しそうにしているので今はそれでよしとする。情報はお金になるだろうか、と考える。何かがわかったらしかるべき場所に売り込むのも悪くはないような気がした。

 まるで周囲から切り離されたかのように隔絶した静かな山頂。その静寂が、ふいに破れた。つらなる軍靴の音がする。すぐ近くだった。クロをちょっと一瞥したあと、俺の身体を壁にするようにして振り返る。

 山頂に訪れたのは、鎧姿の男達だった。いずれも画一的な姿をしていて、誰も彼も兜とマントを欠かしていない。そのうち何人かは荷物持ちと思しかった。騎士の従弟か何かだろうか。ちょっと入り口の衛兵さんたちを思い出す姿形だった。そして迷宮の中ではあまり見ることのない姿でもある。彼らは登り口近くで散開すると、それ以上近づくことなく視線ばかりをこちらへ寄越した。

「悪いな。邪魔してる」

 軽く掌をかかげて会釈。反応はなかった。どことはなしに張り詰めた感じ。すると後から、散開する彼らの真ん中を行くように堂々とやってくる男がいた。銀に輝く鎧、鮮やかな紅のマント、見るからに映える腰に帯びた剣。鞘のこしらえが高そうだ。兜は身につけておらず、茶髪をオールバックに流している。鷹のような鋭い眼光をしていた。年は三十を少し上回るくらいだろうか。上昇志向が強そう、という感想をわけもなく抱く。彼は後のものに控えるよう告げると、口をひらく。

「ぶしつけに失礼する。我々は執政院直属第四騎士団、私が騎士長マリウス・アーレウス。貴殿らはなにものかお答え願う」

 厳粛な声が朗々と響いた。いきなりか。一歩踏み出て応じる。クロが向き直るのを見て、後ろにいるようそのまま制する。

「探索者ギルド所属クラン『クルセイド』、名はウィル。こちらがクロ。照会願う」

 マリウスが傍らにつくものに何かを命じる。文官だろうか。頷きあう様は、おそらく確認が取れたのだろうと思う。厄介なことになったと空を仰ぎ見る。余計なことをしたつもりはないが、くたびれ儲けだった。

「まだ、何か?」
「ある。ここで何を?」
「探索だよ。他に何があるわきゃない」

 答えながら、目の前の男を見る。マリウスにはあからさまな警戒心があった。今は真っ直ぐと立っているが、いつでも剣を抜けるようにと気を張っている様子が見て取れる。なので、こちらから剣を手に掛ける。ばっと彼らの手が一斉に柄へと伸びる。

 俺はそのまま剣を床に置いた。いまだ剣は誰も抜いていない。

「ずいぶん気が立ってるな」
「────失礼した」

 そういって姿勢を改めるが、どうもかえって警戒させてしまったようだった。目付きが鋭すぎる。マリウスは文官らしい男から一枚の羊皮紙を受け取ると、それを俺に向かって突きつけてくる。

 そこには人相が書かれていた。ひとりの男で、たいそうな年寄りであった。身なりの良い老人で、服装はいかにもな官人──執政院の人間だろうか。頭にも白い髪が残り、白い髭をしっかりとたくわえている。

「我々はこの男を捜索している。一週間前、この地下二階層山岳近辺で目撃情報があった。面識はないか」
「知らないな。だいたい、一週間前なら俺はまだ二階層に届いてない」

 一瞬、マリウスが目を見開いてぎょっとする。かたわらの文官が静かに頷く。おそらくはギルドから伝わった功績についての情報を受け取り、把握しているのだろう。文官というのはすごいやつだと感心する。俺には絶対にできないだろう。武官でも勘弁願いたいが。お国のために働こうという気持ちがまるでないからだ。

「ウィル、さま」
「大丈夫。心配ない」

 ふいにクロに袖を引かれる。ゆっくりと首を横に振っていた。なんだろう、と俺が首をかしげる羽目になった。

「実は、この繭が」
「わかった! 後で聞く! 後でちゃんと聞くから!」

 実のところ途中までいわれると果てしなく気になったが、あまりにも場にそぐわない。というか、集中しすぎである。それほどの執心がなければ魔物生態学者などつとまらぬということだろうか。瞳を輝かせていたクロがちょっとしゅんとしていて死にたくなる。俺はクズだな。聞く時間を金で買いたい。このひとたち賄賂とかで見逃してくんないかな。向き直って、口を開く。

「他には、なんだ」
「──いや、構わない。下がってくれ」

 俺のほうが下がるのか。困惑する。なんだか地味な腹立たしさである。どうも無意識でやっているのがたちが悪そうだった。肩をすくめて、剣を拾い上げる。地べたに置いてしまったことに心のなかで謝罪する。すまないRDアルディ。あの人に謝ってるみたいで微妙な気持ちになる。

「それはいいんだが。ひとり隠れたままなのはやめてくれないか」

 剣をベルトに差しながらいう。マリウスの肩がかすかに跳ねる。わかりやすいやつだと思う。

 誰か他に人がいるという確信があったわけではもちろん無い。単なるかまかけである。だが、彼ら第四騎士団がやってきたタイミングがあまりにも良すぎた。ちょっと偶然ではありえない。最低でも誰かが単騎で見張っていて、そして矢文などの連絡手段を用意しているはずだ。だが、彼らの中に目立った道具を持っているものはいない。ならば誰かが隠れていると考えるしかない。

「何を言うか、伏兵など。それは我々に対する侮辱であると──」
「あー。オーケイオーケイ」

 ふいに、マリウスの言葉をさえぎるようにして軽やかな声が響いた。それは岩場の影からひょいと身をひるがえし姿を表す。細身で長身。わりに長めの金髪と鮮やかな碧眼が輝かしい。端的にいって容姿端麗な、若い男だった。冷たい眼差しと皮肉げに笑った口元が特徴的である。たぶん、これは暴挙なのだろうな。マリウスが目を剥いていた。

「やるな兄さん。あの熊を始末したのも驚いたけどよ」

 ひょいと長い腕をあげる。うさんくさい笑みを見せる。周りの騎士然とした男とはまるで違う。身につけた軽鎧は率直にいってボロく、頭には緑色のスカーフ。背中に木製の弓を背負っている。なるほど、弓兵だ。足元の革ブーツにもかなり着古した印象がある。整った見た目に反して、全体的にずいぶん泥臭い感じ。

「あんたは」
「エリオ・ウッドマン。騎士じゃあない。しがない雇われもんさ」

 うさんくさい。そしてきざだ。だが、何もかもどうでもよさそうな投げやりさが垣間見えるところがあった。傭兵というよりは、道化師とでもいったほうがずっと似合いそうなくらいだ。

「貴様、私の命令を」
「細かいこといいなさんなって。一度警戒されちゃ野伏はおしまいさ。騎士ってんならフェアにいこうぜ。まっ、俺は騎士じゃねえけどね」

 ははと軽やかな笑み。掴めないな、と思う。善悪はさておいても雇われているうちは、といったところだろうか。どう見ても扱いにくそうだが、だからこそ腕は十分以上に立つと考えるべきだ。同時に、支払い以上の働きはしなさそうでもある。まるで俺のようだった。少しだけ親近感を覚える。

「ウィル、さま」
「うん」
「あれは、どちら、でしょう」

 袖を引かれて向き直る。クロがいけない目になっていた。具体的にいうと、死にかけのドーソンを見ていたときの目になっている。虫けらを見る目ともいえるが、クロが虫を見る目は結構優しいのでちょっと当てはまらなかった。声をひそめて囁きあう。

「あの弓手は、掴めないな」
「私も、そう、思います」
「要警戒ってところだ」
「はい」

 頷きあう。つまり、あの騎士のほうは敵味方いずれに回すにせよ、うんこ野郎である。堂々と嘘を言いかけたところからも明らかだ。そういう次第でクロと意見の合意を見たのだった。

「じゃ、いいか」
「はい、今は」

 下がれといわれては仕方がない。クロが名残り惜しむように白い繭の表面を撫でたあと、俺の袖を引くようにして立ち上がる。騎士たちが左右に道を開くあいだを歩いていく。

 そのとき、その途上を不意にひとりがさえぎった。マリウスだった。

「貴女は、"魔女"の御息女様。私を覚えてはおられぬますか」

 マリウスが一瞬、瞑目する。クロが見返す。なぜか裾を引かれた。そうされるまでもなく傍らにいるつもりだった。

「いえ」

 一言でたたっ切った。静かに首を振る。マリウスが一瞬、絶句している。すぐに気を取り直す。気が早い男だ。

「弟子、です。ただの」
「しかし、エルヴェイル様より受け継がれし知見。そのような男の元にあって果たして活かされましょうか。その御力、我ら執政院の元でどうかお役立て下されまいか」

 木剣を抜こうかと思ったが、木剣はもう無かった。俺の木剣どこ。

「使い所は、自分で、決めます。決めました」

 端的にそう言う。袖を引かれたので、剣は抜かれなかった。頷いて、歩き出す。

「隊長、それ越権行為でしょうよ、文官の仕事じゃないですかい」
「────黙っていろッ」
「ハハハ」

 刺すような視線を向けられた気がする。後にはさっぱり黙る気のないエリオの笑い声が響いていた。

 そのまま登り口を降りる。背中の警戒は怠らないが、さすがに実際に刺されるような真似はなかった。そのまま崖際へと至り、下を見下ろす。かなりの急斜面で、これを下りていくのは自殺行為以外のなにものでもない。だからといって素直に下山するのもあまりに疲れる。というわけで、まずくさびを打ち込む。上の方に丸い穴が開いた金具である。これまでの視察あっての準備だ。金具を固定して、ロープをしっかりと巻きつけていく。かなり長めのそれを垂らすと、一番近い足場まではなんとか届いたらしい。

「さて」

 見下ろす。

 これ、楔外れたら死ぬわ。

「ウィル、さま」
「うん」
「ふつうに、帰りましょう」
「俺もそう思っていたところだ」

 クロの顔がにわかに青かった。というか、青いを通り越して白かった。ただでさえ白いというのに。それでゆっくりと歩き出した。ふと思い立った言葉が口をつく。

「ありがとうな」
「な、なにが、でしょう……?」
「いや」

 わからずとも、それでいいと思った。そのほうがきっとありがたいのだとも。

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