守銭奴、迷宮に潜る

きー子

09.知らない女に知っていると言われる

 どこに行くべきかと迷って、結局のところギルドへと足が向いた。宿に帰れば、まず間違いなくメリアさんの強烈な追及を受けることになるだろう。俺には逃げ切る自信が全くない。というわけで、ギルドだ。正直なところベッドが恋しかったが、今はすっぱり諦めよう。

 扉を軋ませて中に入る。いまだ腕にはほとんど力が入らなかった。精気は少しずつ立ち戻りつつあるが、それらは全て身体の回復へと回されている。それでもまだ血が全く足りていない。

 夜半とあってはさすがに静かだったギルド内がにわかにざわめく。ほんの一瞬のことであったが、わざわざ俺にただそうとするものはなかった。言わんこっちゃない、といった空気も少なからず。彼らにいわれた覚えはちっとも無いが、ゲルダから散々警告されていたのは事実である。同業者からの直接的な襲撃を想像していなかった俺はとんだ間抜けだ。

「ウィル」

 ゲルダがけわしい目で俺を見ていた。責めるふうではないが、戒めはいささかならずあった。頷いてカウンターに着く。内側のズボンに突っ込んであった紙幣をつまみ上げる。しわくちゃな上に血塗れの10EN紙幣。今の俺のようにボロクズであったが、金であることには代わりがない。

「これ、使えるか」
「────お前」
「今日のぶんはないんだ。これで何か食うものを。精がつくものがいいな。あと、とびっきりキツい酒を」
「お前は、つくづくしょうがないやつだ」

 ゲルダががしがしと頭を掻きむしりながらも紙幣を受け取ってくれる。ありがたいことだった。たとえ金でも受け取ってもらえなければ意味は無い。金の価値は、相手がその価値を認めてくれてはじめてある。

 調理場の方に注文を伝えて戻ってくる。10EN相当ならどんなものだろうと俺は考えていた。一般的な宿代に相当するならば、飯代としては決して安くはないはずだが、さて。

 ふと気づく。ゲルダの厳しい視線がいまだ俺を見ていた。気づかなかったのは失敗だった。どうやら自分で思っている以上に鈍っているらしい。

「そんなに見られても、なにも出ないよ」
「痛い目は、見たようだな」
「見ての通り」

 参ったもんだと両手をあげる。ゲルダのほうも何があったのかは薄々ながら察しているのだろうか。分からないが、いずれにしても証拠はなにひとつない。目撃証言のひとつさえ期待できない。知っているのはただ俺ばかり。となれば、わざわざ話す気にもならなかった。もともと迷宮の内部なぞ治外法権もいいところだろうから、中で何があっても取り沙汰されるとは思わない。完膚なきまでにそのことを考慮しておかなかった俺のミス。

「おまけに剣も逝った。長い付き合いだったんだけど。どこかで適当に調達出来ないかな」
「自棄になるなよ」

 おっさんが苦笑する。つとめて明るく振る舞っているつもりであったが、なるほど。俺のようなヘマをした探索者を何人も見てきているのだろう。実際、気がはやっているのは確かな気がする。

「お前さんの体格だと、ちと難しいな。すぐとは行かない。新規受注になる。既成品も無いことはないだろうが、握りに違和感がどうしても残る。そんなものに命を預けたくはないだろう」
「ちょっと、ごめんだな」

 思わず俺の顔まで苦くなりそう。かといって、悠長に待つのは我慢ならない。明日にでもあれらを叩き切らねばならない。挙句、俺のせいでよそに累が及ぶなど最悪だった。許されることではない。

 話しているうちに料理が運ばれてくる。小さな鉄板の上で油が弾け、肉の焼ける音を立てていた。巻かれたままで、かなり大きめの腸詰めだった。端にはにんじん、馬鈴薯、そして辛子。木の匙がついている。さすがに手づかみはつらいのでありがたい。そして木の杯につがれた酒。底を見通せないような深い橙色で、いかにも強そうだった。ちょっと鼻を近づけるだけでもアルコールの気を感じる。気付けにはちょうど良さそう。

「ここまでがやり過ぎだったんだ。少しは落ち着いてみろ。その怪我も放ったらかしで潜る気か?」
「あんたは母親かなんかか」
「くたばられたら俺の損失にもなるってことだ」

 そういうものか。いずれにしても、ゲルダから有力な武器屋は聞けなさそう。メリアさんに至っては問題外。下手をすれば有無をいわさずベッドに縛り付けられかねない。脚で回るしかないか。その間に傷も治れば万々歳だ。

 手をあわせて食前の祈りを捧げ、腸詰めをかじる。肉汁、というか要するに油がどばっとあふれる。うまい。肉食ってる感じがする。強めの塩味がいい。うまいものを食ってうまいと言えるならまだやれるような気になってくる。

 酒はぬるいとも言えないし冷えているともいえない感じ。この時間なのだからむべなるかな。あまり冷えすぎているよりもいい按配なので気にせず口にする。そして吹きそうになった。爺さんと何度か酒を共にしたが、あいにく俺は酒に強いほうでは全くなかった。前世でもさっぱりだったから、どうも肉体以前に魂の段階からダメなのかもしれない。

「げほっ、げほ」

 なんとか口の中のものを飲み込んだあと、思いっきりせき込む。生温い目で見られてしまった。今度は咽ないようにちびちびとやりながら、はらわたを煮えくり返らせる呪詛をゆっくりと煮詰めていく。

 どうやって奴らに落とし前をつけるか。まず武器を手に入れるのが大前提として、その先だ。手段は、大きくわけてふたつ。こちらから探しだすか、奴らから来てもらうか、だ。探しだせたら楽なものだが、迷宮内では二階以降を狩場としているなら俺には手のうちようがない。外にいるときに殺してはこの町で活動するべくもない。本末転倒だった。見つからないように殺せればいいが、暗殺者じみた技は出来そうにない。俺はあくまで剣術しか能がなかった。

 奴らから来てもらう。やはりこちらが良いだろうが、最善ではない。先ほどの俺はすでにかなり消耗していたが、こちらがそうでないとあっては奴らも警戒するだろう。なにより主導権を奴らにゆだねるのが腹立たしかった。無駄に警戒要素を増やしながら稼がねばならないのは恒常的な損失を招きかねない。余力を残すようにつとめるのは当然としても、戦利品が減る。逆にいえば、戦利品が多ければ奴らの警戒心は殺げるだろうか。

 思い巡らせながら酒をちびちびとやっているうちに半分くらいは減っていた。俺をゲルダが気遣わしげに見ていた。どうも俺はおっさんを心配させてばかりいる。どちらかといえばおっさんに心配されるよりかは女の子に心配される方が、まあ、嬉しいと思う。メリアさんは非常に複雑な理由で決して心配されたくない。

「──ごめんください」

 その時、声がした。この夜分に、バカに丁寧な挨拶。やけに澄んでいて、高いのにどこか落ち着きのある、綺麗な声だった。入り口の扉がにわかに軋みをあげ、ゆっくりと開かれる。その向こう側には、低い影。頭からは黒いフードを目深にかぶっていて、そのシルエットは判然としないがそれでもちいさいとわかる。フードのふちから長めの前髪が垣間見え、地味なおさげが垂れ下がっている。髪の色は、黒い。ここでは滅多に見ない色だった。

 いくつもの好奇の視線が突き刺さる。もちろん俺も含めてのことだった。彼女はただでさえちいさな身体を引っこめて面積を減らそうとしているものだから、目を前に向けた。見続けているのも趣味が悪いが、なんとはなしに気になった。

「なんだ。お前さんは──"魔女"の婆さんの娘さんじゃねえか」

 そこにゲルダの助け舟。どうやら知った人であるらしい。おっさんの手招きに応じて、女がカウンターに着く。かすかな、消え入りそうな香水の匂い。歩む姿がなんとも慎ましやかで、一目で育ちのよさがうかがえた。この場所ではこの上なく浮いている。

 席は俺の隣だった。なんだか近かったので一歩分ずれる。

「娘じゃないです。養子です。そして弟子です」
「あー。なんだっていいが、どうした。珍しいな、一人か?」

 横目に覗き見しつつ、切り分けた腸詰めにめいっぱい辛子をつけて頬張る。思うのだが、端的にいって木匙は使いにくい。しかし大衆の飯屋で銀のナイフやフォークを求めるのも無茶な話だ。自分用の食器もほしいな、と思う。ぜひ買おう。武器を買ってからぜひ買おう。さらに言うなら、抱えた問題を片付けてから。それまではおあずけだ。

「はい。その、お婆様のことをお伝えにきました」
「何がどうだってんだ」
「亡くなりました。つい、先月に。ごめんなさい。なにぶん、女一人の旅で、遅くなってしまいました」
「あの婆さんがか? ちょっと信じがたいが」
「九十でした。大往生、なのだと思います」
「化け物か何かだな、もう」

 ゲルダが苦笑している。訃報か。思い当たるところは全くないが、享年九十歳というのは驚くべきことだ。爺さんでさえ七十とそこらだった。"魔女"などと言われても全く不思議ではないだろう。いつ死んだっておかしくない年だろうに、その上でゲルダが訃報を訝しんでいるのだからなおさらだった。

「──そうか。あの婆さんの薬はものが良かったんだがな。惜しいもんだ」

 現金なことを口にするゲルダであったが、その目にはどことなく愁いが感じられた。長いこと世話になった人であるのかもしれない。口ぶりによると薬師かなにかで、隣の女がその弟子ということか。

「で、お前さんはどうする気だ。隠遁には早いだろう」
「継いだ知見を腐らせるも忍びないです、ので。仕官を求めるか……考えて、ます」
「そうか。正直惜しいが、強いて頼みこむ理由もねえ。好きにしな。──ひとつ、飲んでいくか」
「────エールを、ひやで。お願い、します」
「あいよ」

 女がちいさく頷く。声からしてそうではないかと思われたが、若いようだった。俺とそう変わらない感じ。あるいは、少し年上といったところだろう。ともあれ一段落のついたところで興味は落ち着いた。視線を切り、甘いが若干硬さの残るにんじんをがりがりとかじる。兎になったような気分。兎にはなりたくないな。狩られる獣の筆頭だ。人の獲物になるのは全くごめんだ。是非とも狩人気取りの首を刎ねてやらねばならない。

 考えていると、視線を感じた。すぐ隣から。

「あの」

 声と、見上げるような視線。瞳は前髪に隠れて、その色さえもうかがえない。しみひとつない白い肌に、薄桃色の唇がのぞく。──にわかに鼓動が跳ねる。いかにも地味で、つとめて容貌を押し隠すような姿にも関わらず、そこだけがいやに艶っぽい。その細い首がかしげられ、細い紐にくくられた髪の房がたおやかに揺れる。よくよく見れば、おさげにしているのは左側だけの左右非対称な髪型だった。

「どこかで。会ったこと、ないですか」
「えっ」

 呆気にとられる。まじまじと覗きこむように見る。前髪に隠れた瞳は黒目がちの蒼色。どこか泣きそうに濡れている。いけない。近づきすぎたかもしれない。顔が怖いという自覚は全くないが離れる。

「ないと、思う」
「そう、ですか?」
「俺には覚えがない」

 一度でも会っていれば、必ず覚えているだろうと思う。なにせ彼女の風貌は目立つ。控えめで慎ましやかであるからこそ目立つ。会うどころか、見かけただけでも忘れることはあるまい。

 フードの下の面差しは若い女、というよりもほとんど少女のそれだ。顔の丸みを帯びたところにも幼さが垣間見える。だが、振る舞いは実に丁寧で落ち着き払ったものだった。瞳はどこかいぶかしむように吊られている。視線は上──顔ではない。俺の頭を見ていた。

 頭。正確にいえば、髪か。

「灰色」
「ん、ああ……」

 先ほど灰かぶりと罵られたこともあって微妙な気持ちになる。だが、特に悪い気はしなかった。第一、俺のそれよりも彼女の黒髪のほうがずっと珍しい。特に差別的な感情がないだろうことは、和らぐ彼女の表情を見ればよくわかった。唇がほころぶように笑む。

「私は、覚えています」

 なんだか恐ろしくなってきた。

 もしかして俺は騙されている真っ最中なのではないだろうか。彼女は目の前で"魔女"の弟子などと自称していたではないか。体よく取り入られた挙句に放り出されるのでは? あるいは外宇宙からの電波を受信している人間なのだろうか。前世はアトランティスの戦士とかいわれたらどうしよう。

「……? どうか、しましたか」
「全くもってなんでもない」

 落ち着こう。そもそも前世がどうこう言うなら俺のほうがよっぽど電波である。電波っぷりで負ける気はしない。いや、そうじゃない。本当に忘れてるだけかもしれないし、あるいは騙されかけているのかもしれないが、そのどちらかのほうがよほどいい。極端にまれな可能性を考えるのはやめよう。疑心暗鬼もやめよう。無心に腸詰めを咀嚼する。横からじっと見られている。すこぶる居心地が悪かった。これは意趣返しというやつだろうか。

「ほれ、エールひとつだ──なにやってんだ、おまえら」
「ありがとう、ございます」

 少女は特に答えることなく、ゲルダから杯を受け取る。

 エールは香りと味に深みがある酒だ。飲みやすいとはあまり思わない。なんというか、飲み物には違いないのだが歯ごたえを感じる。それをほとんど常温で飲む。冷やしたほうがうまいと思うのだが、どうもそういうものではないらしい。

 少女はそれに鼻梁を近づけてくんくんとやると、ゆっくりと杯を傾けるようにして飲んでいる。冷やだから常温だろう。飲み慣れている感じがした。華奢な喉元が嚥下のたびに上下する。

「ゲルダさん」
「あ?」
「ひとつ、お願いが、あるのですけど」
「──婆さんには恩があるからな、構いやしねえ。俺にできることなんざたかが知れてるがな。執政院にはお前さんのほうが顔が利くだろう」

 ふたりの会話をよそにじゃがいもを放り込んで、残った酒をちびちびと干す。なんだか調子が崩れてしまった気がする。満腹感のおかげか激情も落ち着いてきた感じだった。とはいえ、それで済ませるわけにはいかない。まだメリアさんが寝付くにも早いだろうから、外で適当に時間を潰すべきか──そのときだった。

「この御方と、共にできれば、と」

 酒を吹いた。少女の白い指先が俺のほうに向いていたからだった。

 ちびちびと飲んでいたので被害は最小限だが大変汚い。粗相である。すみやかに拭っていると、なぜだかゲルダから向けられる目が白い。

「なんで俺を見る」
「おまえ、何を吹き込んだ」
「全くもって何も!?」

 思わずキレてしまった。いけない。落ち着かないといけない。少女がこちらを楽しそうに見ている。

「手の痕を見ると、剣を使う御方であるよう。ここからでもわかる、血のにおい。重傷は明らかなのに、この夜にひとり──おそらくは単独。たぶん、私でも、お役に立てると思います」
「あまり頷けないな」
「なぜ、です?」
「疑問がふたつ。一に、何が出来る?」

 俺が彼女を見ている分だけ、彼女もまた俺を見ていたというだけの話。統合すれば当たり前のことで、確かに俺は単独行を続けているけれども、彼女が戦える人間であるようにはちょっと思えなかった。魔術師という線は無いではないだろうが。

 瞬間、彼女がふいにしなだれかかってくる。身体がこわばる。無意識に身構える。耳元近くで、掠れたような囁き声が聞こえた。

「その傷。魔物のものでは、ないです。綺麗すぎます。引き裂かれてもいない。食い破られたあともない。貫かれたにしては大きすぎる。ふつうの槍や棘ではありえない。となれば魔術。傷口の鋭さから、氷柱だと思います。ですが、この町の迷宮で、魔物による高度な氷魔術の行使は、確認されていません」
「な────」
「あなたの傷は、人にやられたものでしか、ありえない」

 すらすらと、朗々と。まるで謳うように言葉が流れこんでくる。なぜそんなことがわかる、と言う余裕さえなかった。さながら見てきたかのようにいう少女の語り口に圧倒されていた。重なるちいさな身体がゆっくりと離れていく。俺は絶句していた口から、ようようというように息を継いだ。

「魔物生態研究学者。それが、お婆様の生業、でした。私は、その知見を継いでおります」

 大いに困る。ゲルダに視線を送る。不承不承というように頷いた。確かなことであるらしい。それがどの程度、俺に利することなのかはわからなかった。ちょっと勘定が難しすぎる。その知識が真に広大であるならば、なるほど士官話などいくらでも転がっていることだろう。だからこそ、残った疑問のひとつが余計に解せなかった。

「もうひとつ。こっちが本題」
「と、いいますと」

 少女が笑みに口元をほころばせる。全くもって理解できなかったので、それだけでももういいかなと言いたくなる。その表情に浮かんでいるのは、自信とかそういうものではない。純然たる興味がそこにあった。

「どこの誰とも知れん俺についていこうというあなたの考えがさっぱり分からない」

 酒を煽っていう。少女が一瞬、瞳を丸くする。そして得心したように頷いて、笑った。

「私は、知っています。覚えています────ウィル、さま」

 また酒を吹きそうになった。

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