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守銭奴、迷宮に潜る

きー子

08.こいつは絶対に殺す

 五日目である。今日も今日とて迷宮探索だ。そろそろ慣れてきそうな頃合いだが、惰性はよくない。惰性でだらだらやっていると、だいたいミスが起こる。真剣にやればミスが無くなるわけでは全くないが、ともかくミスをやらかす。しかもしょうもない類の失敗である。

 ではどうしたものかというと、挑戦だ。新しいことを試みるのが大切だ。少なくとも惰性ではなくなる。新鮮味をもって事に当たれば、無理に気疲れするでもなく意識が締まる。ストレスがかかるのに変わりはないが、むやみに緊張するよりはいくらかマシだ。というわけで、いつも通り手早くランプに火をともし、コートを翻して地下一階深層へと一直線に進む。目当ては以前、手を焼かせられた黒豹──"漆黒の牙獣"対策だ。

 前回は難なく撃退できたが、結果として手傷を負ってしまった。ほんのかすり傷に過ぎないといえばそれまでだが、単独行の俺としてはそれなりに問題である。出血はしばらく止まらないものだから、我慢すればいいというものではない。動きがにぶれば傷を重ねることも増えるだろう。そういった負の連鎖によって致命的な下手を踏む可能性は決して低くはない。

「グル────ルゥ」

 考えながら進んでいると、目的の姿を発見する。低く威嚇するような唸り声。かなり遠い場所から見つけられたのは幸いであった。しばらく立ち止まったまま近づかずにいるが、魔物のほうから寄ってくる様子はない。しばらくそうしていると、奴はぷいとそっぽを向いて徘徊に戻ってしまった。一定領域を徘徊するというゲルダの情報はどうやら正しいらしい。

 しばらく、つとめて"漆黒の牙獣"の警戒心を刺激しないように追いかける。最大限の距離を置けば問題はなかったから、瞳に精気を集約させて目的の姿をつまびらかに観察する。途中で寄ってくる邪魔な魔物を切り払いながら続けていると、わかることがあった。つまり、"漆黒の牙獣"の移動ルートである。奴は野生動物らしからぬ几帳面さで──まさに特異な魔物にふさわしく、決まった経路を進んでいるのであった。

 経路がわかれば、"漆黒の牙獣"が領域と定めた範囲もだいたいは割り出せる。頭の中に地図を描くとそれはだいたい円の形になっていて、その周縁を回るように移動し続けているのだった。

 後は、"漆黒の牙獣"がこちらを感知して襲いかかってくる範囲である。目標の接近に合わせてこちらも近づいていく。少しずつ、少しずつ──やがて芦原を踏む音に反応したかのように、"漆黒の牙獣"がこちらに向かって牙を剥く。聞き慣れた唸り声。

 構わない、さらに踏み込む。──そこが閾値と言うべき地点であった。

「グルァァ────ッ!!」
「しッ」

 以前は不意打ちを食ったが、今回は万全の警戒態勢を整えてのことである。迎え撃てないわけがない。振りかざされた爪を反対側に避け、すれ違いざまに精気──俺の腕が耐え得る最大限をのせた剣先で一撃、額を貫く。血潮が爆ぜた。

「ルゥゥッ──」

 断末魔を残して倒れる。無傷の勝利だ。爪、牙、尻尾と余念なく剥ぎとって戦利品に。だがこれは第一段階であった。場所を移動するべく深層を歩き回る。とはいっても前日のように魔物の姿を見逃すことがないよう、精気を視力にのせて索敵しながらの移動である。精気の消耗がだいぶ激しくなるが、今回の目的のためには仕方がない。

 道すがら遭遇したモモンガじみた魔物を通りすがりに仕留めつつ、如才無く二匹目の"漆黒の牙獣"を探し当てる。一匹目を見つけた地点とはかなり離れた場所にいて、おそらくは互いの領域が重ならないようにしているのだろう。あるいは同族がそれぞれ協力することで、より広い範囲を連結してひとつの縄張りとしているのか。無いとは思うが、一応可能性に含めておく。同族に異変があっても駆けつけないのなら、協力する意味があまりないと思ったからだ。

 この時点ですでにして一度目の灯火が消えていたので、点火。付き纏いのような真似をしていると、いつもより時間がかかってしまうのは仕方ないことか。寄ってくる魔物も手慰みに狩っているものの、稼ぎは若干少なめになりそう。今日得た情報が明日の糧になると信じたいものである。

 二匹目では新しく試したいことがあった──つまり、一匹目で知りえた縄張りの範囲がそのまま適用できるか、ということだ。遠目に観察して目標の移動方向を確認し、それを元に大まかな領域を推定。実際に追跡することで確認する。

 結論からいえば、まさに、だ。二匹目の"漆黒の牙獣"は一匹目のそれと似通った範囲を縄張りにしており、俺の予想とほとんど変わるところがなかった。これが確かなことであるならば、例え何匹出くわそうとも恐れるところではない。まずもって襲われないように領域の外側を移動し続けることが容易であり。

「グゥ────ル、ルッ……」

 領域の外側から飛び込むようにして不意を打ち、攻撃させる隙も与えず一撃で仕留める。先手必勝が極めて有効な狩り方になるからだった。リスクは限りなくゼロに近いといってもいい。すでに息絶えた"漆黒の牙獣"を剥ぎ取りながら考える。過信は禁物だが、参考に値する情報だろう。地上の野生動物ならばとてもありえないことだが、魔力から生ずる魔物というやつは、そもそも個体差が少ないのかもしれない。

 ともあれ、これで今のところ深層に進むのをためらわせる要素はなくなった。未見の場所を無くすべく、半円を掻くようにして探索地域を広げていく。なにせ今日はちまちまとしたことの連続であったから派手にやる。派手にやろう。今日の稼ぎはせいぜい400ENといったところだろうから、この際は明日以降の準備だと開き直ってしまうことにした。

 出くわした魔物は、そのほとんどがすでにこの地下一階で見かけたものばかりである──ただ一匹を除いて。

 それは今、目の前にある。亀。どう見ても亀にしか見えなかった。緑色の五体に、あからさまに警戒色の甲羅。その背にはびっしりと白い金属めいた棘が生えそろっている。全長は縦にして1.5M程度、幅となっては2Mはあるだろう。いちいち大きいのがこれまでの魔物で、その点は同様だが、しかしこれは──あまりにもあまりというものだ。

 それはいかにものろまそうに俺のほうへと向き直る。遅い。だが、次の瞬間には目を剥いた────背中の棘のひとつが浮き上がり、こちらを追尾するように複雑な軌道を描いて空を駆ったからだ。

「なッ」

 咄嗟に捌く──重い。木剣が軋みをあげる。精気なしでまともに受けるべきではない攻撃だった。原理はまるでわからない。まさかこの図体で魔術を使うというのか。よもやこれがこの階層の主かと思われたが、今いる地点は一階の最深層といえる場所ではなかった。"漆黒の牙獣"に続く強敵の類か。

「くそッ」

 続けざまに飛来する棘の弾丸を今度は精気をのせて受ける。弾き返すがそれでも重い。このままでは埒が明かなかった。返す刀で踏み出してがら空きの頭部目掛け振り抜く。遠慮はない──最大限まで精気をあてこんでの一撃。

 空を切る。風切り音ばかり。その亀は咄嗟に頭を甲羅の中に引っ込めて回避していた。おまけに返礼とばかり弾丸が飛来する──紙一重でかわす。さらに追いかけてくるかと思われたが、棘はそのまま地面に突き立った。追尾性能はさほど高くはないらしい。

 そのまま頭を出してくる様子はない。七面倒だ。いっそ逃げるかと思ったが、どうせ明日以降に相手をしなければならないのは同じことだ。少なくとも、この迷宮で稼ぎ続けるつもりなら。であるならば、倒すべきだ。少なくともその糸口は見つける。そのためには、試行あるのみ。矢継ぎ早に飛ばされる棘の弾丸をかいくぐって踏み込む──甲羅を真っ向から一撃する。もはや精気は出し惜しみしない。今日の残りを全部使い潰すつもりでいく。

 ガツンと硬すぎる手応え。びくともしなかった。甲羅にはひび割れどころか傷ひとつさえない。またも棘が飛んでくるのを、前に行くことでかわす。つまり、甲羅を登りつめるように移動するのだ。棘と棘の間には結構な間隔があるからさして難しくはない。そのままがら空きの甲羅を上から思いっきり叩き付ける────だが、ダメ。

 そもそも物理攻撃を受け付けるような手合ではないのか。だが、諦めるのは癪だった。そして幸い、こういう時のために使える技が、ヘルムート流にはある。だからやるだけだ。

 精気から引き出すことの出来る力を爆発的に増幅させる術────"竜精気"。

 代償として大量の精気を持っていかれるものの、これをもって引き出させる力は通常の精気の数倍にも及ぶ。にも関わらず受ける反動は通常の精気と全く変わらないのだという。これはつまるところ精気の絶対量は変化せず、力への変換効率が爆発的に良化しているためだから──らしいが、細かいことはいい。

 つまり安くない買い物だが、支払い以上の効果は絶対に期待できる。それだけのことだ。

 剣先に"竜精気"を集約。体内の精気が持っていかれたと感覚できるほどの量が失われるが、問題ない。これで仕留められないならトンズラするだけだ。

 そして剣先を、思い切り叩きつけた。

「────ギッ」

 傷ひとつつかなかった甲羅に、まともに剣先がめりこむ。そのまま打ち込む。蜘蛛の巣のようなひび割れが走り、それは瞬く間に広がっていく。さらに剣先を押し進めると肉をえぐる感触がある。一気に貫く。突き刺す。同時に木剣が半ばからひしゃげる。構わない。突き通す。

「ィイイイイイ─────ッ!!!!」

 金切り音のような鳴き声。そして、巨大な岩が砕け散るように──ひび割れてもろく崩れた甲羅が、中心から真っ二つになって落ちた。その中から、亀の本体がはい出てくる。あまり直視したいものではない肉の塊だった。

「……ふー……」 

 精気をほとんど──体内の九割は間違いなく持っていかれた。おまけに、そう。木剣である。

「……あー」

 反動そのものにあいまって経年による劣化。そして強靭な甲羅をぶちぬいた衝撃。全てをこうむった結果、ついに俺の愛用の得物は逝ってしまったのだった。好きで使っていたわけでは全くないが、だからといって愛着がないわけではない。それなりに悲しい。破片を拾い集めて放り込む。ゴミみたいなのでそれなりどころかかなり悲しい。代わりの武器を調達しなければならない。悲しい。

 悲劇もあいまって疲労感でいっぱいである。身体を引きずるようにして棘を拾い集める。これで一銭にもならなかったら笑えない。なにせ巨大であったから部位は多く、袋にそれなりに詰め込んでいく。一杯というほどでもないが、思ったより稼ぎは期待できそう。

 大物を仕留めた達成感があるかと思えば、そんなことはない。むしろ課題のほうが多く残っている。これを仕留めるのにいちいち消耗していては話にならないからだった。次からは無視するべきだろうか。ひとまずどれほどの稼ぎになるのか、効率と相談しながら狩ることとする。

 それで今日はきびすを返した。折よく二度目の火が消える頃合いであり、精気も尽きかけて、おまけに武器もない。トンズラを決めこめば危険はないだろうが、まともに狩りを続けられる状態ではない。まっすぐと迷宮の出入口に向かって進む。

 まさにその目と鼻の先──というところで、立ち止まる。おかしなものを見た、という気分。いや、決しておかしなものではないが、迷宮では初めて見る姿だった。人影があった。

「よう」

 男が気さくに声を投げかけてくる──片手に両手剣を楽々と担ぐいかにもな荒くれ者、ドーソン。その傍らに、緑色のフードをかぶった金髪の伊達男。腰に剣をつるし、背中には弓。恐らくは前衛二人。そして後ろに、目深にフードをかぶった男。真っ黒の陰気臭いローブ姿で、顔はまるでうかがえない。そして最後に女。いかにも蓮葉な風貌。腰には何本もの短剣があった。レンジャーの類か。

 見るからにクランの一行、という感じ。だが、あまり近寄りたい感じではなかった。十歩ほどの間合いを残して止まる。

「どうした? 寄ってこいよ」

 ドーソンが笑っていう。口端を釣り上げた。いかにもな笑みが見える。

「ありゃダメだわ。完璧に警戒されてるよアンタ」伊達男がからかうように笑う。
「それほどバカじゃねえか。まぁ、やることに変わりはねえがな」ドーソンが飄然として剣を手にしたまま、一歩近づく。
「御託はいいんだ。ちゃっちゃと済ませちまいなよ」女は淡々としたものだった。フードの男は一言も発さない。だが、手にした杖は確実に俺の方を向いている。

「っかしまあ、あれからも一人でノコノコと。好き勝手やったもんだ」

 ドーソンが大股に一歩ずつ歩み寄ってくる。それに応じて率いたクランの面々が後に続く。隊列はまるで崩れていない。つまり退路──迷宮の出入口への道は全く閉ざされていた。逃げるか。今の俺でか?

「貸しを取り立てにきたぜ。端金なんかじゃあ無くなァ!」

 ひゅうと伊達男の口笛が響く。いい調子をしているが、いい気分ではない。長年の癖で木剣を咄嗟に抜きかける──だがそれはすでにないものだ。神よ。

「そらよ。これで死ななきゃお慰み、だッ!!」

 振りかぶられた大剣が、ドーソンの踏み込みとともに落ちる。咄嗟にかわす。それはどう考えても精気をこめられた一撃だった。刃が地を打つ。正直言って威力はいつもの俺より大したことがなかったが、人が死ぬには十分だ。

「……流派"人喰マンイーター"か」
「チッ」

 よく見ていやがる、とはドーソンの悪態だった。とはいえ、別に珍しい剣術でもなんでもない。むしろここらの国で最も広い流派といってもいい。当てずっぽうにいっても結構な確率で当たる。

 理由は簡単。仮想敵を人間に定め、特化しているからだ。魔物を仮想敵に定める剣術もしばしばある中で、人喰流は過去から徹底して人間を殺すための剣である。だから軍隊に属する人間は、知らず知らずのうちにこの流派を修めた指導者から剣を習っていったりする。というのは、おおむね爺さんの受け売りに過ぎないのだが。

 その理念ゆえに厄介と言わざるをえないが、ともかく手を返す。大人しくこんな奴らに俺の稼ぎを渡すなど全くもってふざけている。そう思い拳を放つ、そうしようとした時だった。

「そら旦那、当たりなさんなよ!」

 弓引かれる──矢が来たる。極めて正鵠な狙いだった。ほとんど転がるようにして避ける。まるで躊躇がない一撃だった。

「おい、ライアス、手出ししてんじゃねえ! こいつは俺が潰すッ!」
「してやられたくせに生いいなさんな!」

 俺が思っていたよりも恨みの根っこはずいぶん深かったらしい。軽口を叩き合うさまを見て思うが、それを反省している暇はない。

「チッ。さっさと剣を抜きな、今度は油断はしねえぜ」
「無くしたよ」
「は?」
「二度いわせるな」

 その声を聞いて一瞬、呆気を取られたようになるドーソンが不意に高笑いをあげる。耳障り。

「はッ! 剣を失くす剣士たァお笑い草だぜ! よくも"あんたより使える"なんざ言えたもんだ!」

 言葉とともに剣閃が来る。見切るのはたやすい。だが続く連携が厄介だった。視界にそそぐ精気はもうない。気づけば風を切って矢が飛んでくる──かわす。紙一重だ。

「なに手こずってんだい、ヘタクソ!」

 背後から女の声──短刀がすぐ後ろにあった。拳で弾き飛ばす。否が応でも傷がついて血が噴き出す。意に介さず振り返りながら回し蹴りをドーソンへと放つ。確かな手応え。

「がッ──……クソが、雑魚のくせによォ! 粘ってんじゃねえ!」

 聞いている暇はない、後ろから風を切る音が聞こえる。身をひねる──遅かった。脳裏に浮かぶ鮮血のイメージ。脇腹に短刀がもろに突き立っていた。鮮烈な痛みと出血。まともに倒れこんでしまう。

「そこッ!!」

 地に伏せる。そこに落ちてくる刃──転がりながら避ける。身体は泥と土にまみれるが死ぬのはごめんだった。

 その時、目の前の空気がにわかに結露した。大気が冷えこむ。────上空から貫くべく、氷の槍の穂先が俺に向かっていた。避けられない。

 死を目の前に見る。氷の槍が身体を貫く。焼けるような痛みが一瞬駆け抜け、身体がたちどころに冷たくなっていく。気づけば俺の身体は肩から地面に縫い付けられていた。まるで虫けらの標本のように。

「……が、ぁッ、ぐ」

 言葉にならない声が漏れる。肺の中の息がまとめて絞り出される。

「このように、やるのだ」

 フードの男が顔を上げ、陰鬱につぶやく。そしてまた顔を伏せた。その時にはすでに氷の槍は消えていたが、俺の身体はどうにもならなかった。

「叫ぶ元気もねえか。シケたやつだ」

 ドーソンの嘲笑。俺は殺されるのだろうか。明らかに死んでも構わないという動きであったが、それにしてはいまだ死んでないのは妙な話だ。生死はつまるところどちらでも良かったのだろうか。

 崩折れている俺をよそに、戦利品をつめこんだ袋を女が漁っている。

「ひゅう。こりゃ随分な稼ぎだねえ」
「ENはねえか。結構ためこんでるはずだぜ」
「荷物にはないなあ。別のとこじゃねえかい」

 俺の、稼ぎを。こいつら。

 ドーソンが舌打ちする。俺の胸ぐらを掴み上げる。上半身が引きずり起こされる。やけに身体がだるかった。

「おい、生きてるか。テメエなんざ死んだって構わねえが、金は持ってきな。死んだらそれでご破産だがよォ」

 それはそれで構わない、という調子だった。げらげらと笑い声が聞こえる。げほっ、と咳き込む。夥しく赤いものがこぼれる。くそったれ。死んでたまるか。

「さもなきゃテメエの泊まってる宿──あれに火ィかけてやるよ。テメエのせいでカマ野郎の宿が大炎上ってわけだ!」

 ──瞬間的に血がのぼる。ただでさえ血がなくなりつつあるにも関わらず、不思議なものだった。茫洋とした眼でドーソンの面構えを見る。よく見ておく。また忘れることのないように、よく見ておく。

 こいつは絶対に殺す。

「じゃあな。灰被り野郎」

 投げ捨てられて倒れこむ。地面にぶつかるだけの衝撃が今は堪えた。

「旦那は鬼畜だねえ。はは!」
「バカ言え。この程度で気が済んだもんじゃねえ。こいつの稼ぎで一杯やりゃちったあ晴れるかもな」
「お? このガキ、結構いいもん着てんじゃないかい」
「汚えな、血塗れじゃねえか。んな薄汚れたもん放っとけ」
「半裸の死体で見つかっちゃあ人の手なのが明らかさな」
「しょうがないねえ。身ぐるみは勘弁してやろうかい」

 好き勝手に言い合ってる声もすでにどこか遠い。喧騒が遠ざかっていくのを耳にしながら身体を丸める。腹の中で煮えくり返っている呪詛を決して吐き出すことなく押し留める。これは奴らに叩き付けるためのものだ。今漏らしていいものではない。

 必死に呼吸を整える。出来るだけ早く精気を回復させるようつとめる。溜まった端から肉体の回復に全て費やす。その上で決して意識を絶やさぬように気力を振り絞る。よくも魔物に襲われないものだと我ながら感心する。出入口近くなのが幸いしたのか、それともすでに死んでいると思われたのだろうか。 

 ほとんど手探りで傷口を縛りつける。雑な処置だがやらないよりはマシだ。それでなんとか、身体を起こせるようになった。どれだけの時間が経ったかは分からない。ランプの火はとっくに消えていた。

「……くそっ」

 引っ掻き回された痕跡もあらわな荷物を眼にして否が応でも悪態が漏れた。抑えるようにつとめてはいたが限度があった。這々の体でそれを直す。戦利品を詰め込んだ袋は当然、ない。数時間分の稼ぎがパァだ。木剣の犠牲も無に帰した。新しい武器が至急必要だった。まるで回らない頭でなんとか現実を呑みこんでいきながら、立ち上がる。

 荷物をまとめ、血の味がする口元をぬぐい、亀のような歩みを進める。迷宮の出入口を見上げる。光はなかった。外にでると、辺りはすでに夜だった。迷宮を見張る衛兵の一人がこちらを見て、ぎょっとしたように目を剥く。

「君! ひどい傷じゃないか、今すぐ医者を」
「いや、いい」

 喋れたものかと不安であったが、かすれた声が出た。掌を突き出して制する。衛兵さんの目が痛い。実際、身体のことを考えればどう考えても医者にかかるべきだったが、そうなればまず確実に数日の安静を申し渡されるだろう。今日の損失を埋めずにどうして床につくことができるというのか。ありえなかった。

 そのまま、気遣いを逃れるように身体を引きずっていく。夜はまだ、長い。

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