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守銭奴、迷宮に潜る

きー子

01.死んで、うまれかわって

 残念ながら、と首を振る医者の様子を忘れることは俺には出来なかった。

 今年で五〇になる母は、手術ができなければ死ぬという。手術ができても生きるか死ぬかは五分五分だが、それでもまずは手術を行わなければ間違いなく死ぬ。俺は途方にくれた。金が無かったからだ。

 金を借りれるものなら借りたかったが、すでに時代は貧乏人がおいそれと借金できるような時代ではなくなっていた。母は女手ひとつで俺を育て上げてくれた人であって、俺はまだ二十代の半ば、つまり新人に毛が生えたようなものだった。一家の大黒柱と呼べるようなものではなく、さらに日々の入院費と治療費は大いにかさんでいる。つまるところ、返済能力がないと見なされたのだ。銀行からは当然のように門前払いを食らった。

「ええんよ、私は」

 弱々しく微笑む母が痛々しかった。年相応の皺とか染みとかそんなものよりも、めちゃくちゃに痩せ衰えた身体を見るのがつらかった。真っ白い髪は薬の後遺症からか薄らいでしまっていて、見るにつけても歯噛みする思いというほかなかった。

「おまえがね、幸せになってくれよったら、それでええ」
「……母さん」

 まっしろな天井を見上げてつぶやく母に、なんと言えばいいものかわからなかった。

 それが明確な契機であったわけではないけれども、俺の仕事にはほとんど昼夜の別がなくなっていた。職種は大雑把にいってシステム開発、というやつだった。なにせ人手が足りないものだから、いくらでも泊まりこんでやった。少しでも稼ぎの足しにしたかったのだ。

 三桁万円後半にもおよぶ手術代がそれでどうにかなるわけもなかったが、ともかく働いた。身体は順調にイカれていたけども、今に無茶をしなければいつやるのかと強いて身体を動かした。

 一週間に一度は母の病室に顔を出すようにした。俺のほうは母が病み衰えていく様子を見るのがつらかったわけだけれども、母のほうはぼろのようにくたびれた俺を見るのがつらかったようで、やたらと互いに心配しあっていた。深刻なわりには不思議と笑えたものだった。ちょっとではなくおかしくなっていたのかもしれない。

 そんな生活を、二月は続けた。俺がぶっ壊れるのか、母がぶっ壊れるのか、それとも奇跡的に持ちこたえてくれるのか。答えはごくごく当たり前の方向に転がった。終電を通り越して始発で借家に帰ろうとしていたそのとき、ポケットの中の携帯が鳴った。

 内容は、母の臨終を告げるものであった。

「……はは」

 電話を切った。覚悟はしていたからか、不思議と涙は流れなかった。けれども、死に目にあえなかったのは少し悲しい。頭の中が麻痺している感じだった。

 不意にそのままぐらっと身体が倒れこむのを感じて──気づいた時には、目の前が真っ暗になっていた。もう、何も見えなかった。

 ────嗚呼、金さえあれば。



 がたがたと馬車に揺られて、眼を覚ました。どうやら外は相当な悪路を走っているらしい。おまけに縄でぐるぐる巻きにされているものだから、身体の節々がたまらない。子どもにこの仕打ちとは、この世界は相当にイカれている。いや、前の世界もたいがいか。

 俺は今、この世界で五歳の子どもだった。意識の上では二十五歳、すなわちおっさん三歩手前のそれであるにも関わらず身体のほうは五歳なのだ。こんなことを考えている俺もどうもイカれている気がしてならないのだが、前の世界とやらの記憶がぼんやりとあるのだからしかたがない。赤子のころにはアホのようにばぶばぶ言ってたのだろうが、全く記憶にはなかった。俺の頭の中には物心ついたときからの記憶だけがあった。

 周りを見回してみる。いるのは俺と同じような顔色が悪くてやせ細った子どもばっかりだった。女と男の別もない扱いだ。着ている服も一様に粗末で、乱暴された形跡がある子もいるみたいだった。世の中クソだな。

「ねえ」
「ん」

 ふと、女の子の声がした。その方向に転がって振り返るが、暗くて顔はよく見えない。けど、たぶん俺の年とそんなに変わらないくらいだろう。舌もあんまり回っていない。それをいえば俺のほうもだが。

「おきて、る? 灰色の、あなた」

 つたない声に頷く。灰色というのは今の俺の髪色だ。わりと珍しいようだから、目についたのかもしれない。なんで声をかけてきたのかと不思議に思ったが、どうも他の子はみんな眠っているようだった。夜だから当たり前だろう。子どもはよく寝るもんだ。

「どうなるんだろ……これから」

 暗くしずんだ声だった。当たり前といえば当たり前か。どういう経緯でここにいるのかもよくわかっていないのかもしれない。幸いか、不幸せか。どちらかはわからない。俺はその理由を知ってるけど、それも幸いかどうかは……俺は知らされていたほうが断然マシだと思うけど。

 つまり、親に売り払われたのだ。商人に、二束三文で。本当の目的は口減らしだろうから、値段なんていくらでもいいんだろう。家畜よろしく荷台に放りこまれて荷馬車に揺られ、出荷直前というのが現状だ。口にするかどうか、少し迷う。騒がれたら困る。泣かれてももっと困る。子どもは泣くものだけど、好きこのんで泣かしたいわけがない。

「さあ」
「さあって……」
「どっかに売られたり、買われたり、するんじゃないか」

 結局、それは言うことにした。実際はどうなるかなんてわかったものじゃないから、構わない。なにせ俺はこの世界のことがぜんぜんわからない。わかるのは言葉くらいだ。

 女の子がちょっと絶句している。泣きそうになかったのは幸い。

「……おとうさんは、おかあさんは?」
「さあ」
「さあって!」

 コントか。

「会えないかも。おれら、さらわれたとか、かもな」
「……そんな」

 面倒だから嘘をつくことにした。それでもしばらく無言になって、押し殺した嗚咽を漏らしているから、言わなくて良かったと思った。というより、それだけでおさえているほうがいっそ不思議なくらいだ。ちょっと子どもと思えない。泣きやむまで無言でいる。というか、どうせそのまま寝付くだろうと思っていたから、いっしょに俺も寝てしまうつもりだった。

 そう思っていたのだが、予想外にしばらくしてから声があった。

「あなた、へいきなの?」
「いや……こわいかな」

 率直に返す。当たり前だ。差し迫った恐怖を実感してるわけではないけれど、それが今にも目の前にやってきそうな感じがある。どんな痛い目を見るかもわからない。

「そう、なんだ」

 そんなに平気そうにしているかな、と不思議に思う。今も寝て誤魔化そうとしていたのだが。相変わらず馬車はよく揺れる。俺は転がったまま言う。

「せいぜい、金持ちに買ってもらえるのをいのるよ」

 金持ちが大事にしてくれるかは知らないけど。自分にそんな価値があるとも全く思わないけど。そのまま目をつむる。そろそろ何も考えたくはない。

 ────その瞬間、めちゃくちゃな縦揺れに襲われた。思いっきり壁の方に頭が叩きつけられて、眠りに落ちかけた意識が引きずり起こされる。

「ひいぃぃッ!!」
「さ、山賊だ!」
「逃げろ、殺されるぞ!!」

 たちどころに外は大騒ぎになる。たぶん、馬車の御者とか当の商人とかだろう。もしかしたら護衛もいるかもしれない。いずれにしても分かるのは、どうにも愉快なことではなさそうということだった。この騒ぎに乗じて逃げ出そうにも、縄で縛られているのだからどうにもならない。飛び跳ねてがんばってもすぐに捕まるだろう。

「ど、どうしよっ」

 どこかに頭でもぶつけたのか、痛みをこらえるようなしかめっ面で女の子がなにかいっている。どうにもならんに決まってるだろう。周りの子も騒ぎにつられて起きだしたが、現状をまるで理解しきれていない感じだ。放っとこう。一文にもならない。

「どうにもならんね。いっしょに祈るか」

 そういうと、女の子は目をつむって必死に聖句かなんかを唱えている。すごい子だと思った。俺はそんなものぜんぜん覚えていない。記憶にあるのは食前に唱えるやつだけだ。

「た、助け」
「知らねえな、死ね!!」
「────ぎゃああああああッ!!」

 外はえらいことになっているようだ。阿鼻叫喚、というところか。耳も塞げないのがいやな感じだ。明らかに荒事なれしたような声も混じっていて、ますます無事にすむ気がしなくなってくる。

「そら、中身はなんだ?」

 そんな声がして、荷台を包んでいた布がびりびりと引き裂かれていく。外から松明かなにかの火が差しこんできて、少しまぶしい。目を細める。

「頭ァ、ガキですぜ」

 たぶん手下だろう男に呼ばれて、ひとりの男が裂け目から引きずるように布地を取り払う。つまり、俺らは逃げも隠れもできなく
なったというわけだ。山賊といわれていた男共のひとりに乱暴に引っ張られ、外に引きずり出される。気づけば子ども皆が品定めされるように真っすぐ並べられていた。子どもは俺もふくめて六人いた。

 まずひとり、頭と呼ばれた男が振るう斧の餌食となった。泣き声がかんにさわったらしかった。その隣の女の子がつんざくような悲鳴をあげた。

「黙れ、ガキ!!」

 手下のひとりがその子をぶん殴った。痩身が吹っ飛ぶみたいに倒れて、がくがくと痙攣して死んだ。無駄に殺すなよな、と周りの男が嘲り混じりに彼をからかっている。

 子どもが殺されている。悲鳴はあげなかったが、とてつもない吐き気がする。胸のあたりがむかむかする。ふと周りを見渡すと、奴隷商人は死んでいた。馬車の護衛も、御者も、みんな醜い屍を転がして死んでいた。

 立て続けにふたりが死んで、火がついたみたいにひとりが泣きだした。その子もすぐに後を追った。ひとりが、背を向けて逃げ出そうとした。錯乱したのかもしれない。頭の投げた斧が後頭部にスコンと突き立って、冗談みたいに倒れた。けれども、もう二度と動かなかった。

 残っているのは、俺とさっき話していたあの女の子だった。彼女はいまだに祈り続けていた。ちょっとおかしいと思ったが、訂正しよう。この子はだいぶおかしい。

「ふうん」

 その様子を気に留めた頭の男が瞳を細める。

「このガキはどうだ?」
「大きくなりゃ中々の器量よしじゃねえですかい」
「ちょいとよう。飾りっけもねえし、地味ですし、痩せぎすに過ぎまさあ」
「そりゃ、そうだ。早々上玉なんかありゃしねえよ」
「だが、育ちは良さそうですぜ」
「聖書か」

 祈りを口にする少女へ口々に品評の言葉が飛ぶ。すがすがしいほどに下種のそれだが、どうにもならない。お手上げ、というか手も上がらない。

 女の子は助かるかもしれない。死んだほうがマシかもしれないが。俺はどうだろう。

「こっちのガキァ、なかなか肝が据わってるようですぜ」
「ほう」

 興味を惹かれたように、頭の男が目の前に迫る。そうなるとその顔がよく見える。顔にはくっきりと傷痕が残る強面で、赤い髭がめちゃくちゃに伸びている。凶相というほかない。真っすぐ眼を逸らさず見ていると、その表情が笑みに歪んだ。

「なるほど、いい度胸をしているようだが──気に入らねぇ、なッ!!」

 そういって、男が血塗れた斧を振り上げる。女の子がやけに高い悲鳴をあげる。

 あ、死んだわ、これ。

 ────そう思ったのと、目の前の男の首筋に短刀が突き刺さっていたのは、ほとんど同時であった。男の振り上げていた斧が地に落ちて、倒れかかってくる。俺はほとんど押し潰される形になる。邪魔すぎる。

 その向こう側で、山賊のやつらが怒号をあげている。時に絶叫が混じる。まるで噴水のような血量を吹き上げて賊が地に伏せっていく。

「ち。間に合わなんだか」

 しわがれた声がした。年かさの男のようだった。彼は剣を手にして、二〇人くらいはいそうだった男達を瞬く間に血祭りにあげていた。何者だろう。護衛かと思ったが、そんなわけがない。俺は助かったのだろうか。必死になって頭目の下敷きになってしまった身体を抜き出しながら考える。

 ふと見ると、女の子は気を失ってしまっていた。この殺戮の現場を見るはめにならなかったのは幸いだろう。意外と祈りも無意味ではないのかもしれない。

 男がみんな倒れて火がなくなると、残るのは月明かりだけになった。わずかな光に照らされて、血を滴らせる剣を手にした男の姿が見える。それは白髪交じりの、老境といってもおかしくない男だった。鼻の下には立派な白ひげをたくわえた、細面で気風のある面立ち。格好は鎧もつけていない軽装そのものだけども、滅茶苦茶な強さだった。

「……あ、あなたは」

 ふと、彼が眼を光らせた。鮮やかな碧眼が向けられる。

「おお、坊主。生き残りがおるか! 怪我はないか」
「……ん、そこの女の子も────」

 彼が駆け寄ってきて、慣れた手付きで縄を斬られる。なんとかして立ち上がる。
 そして言いかけたとき。ふと頭目の男が地面に手をついて、立ち上がりかけた。

「き、さまッ────」

 呪詛を口走り、殺意を振りまいて。片手に気絶した女の子を引っ掴もうとして。

 だから俺は思いっきり、立ち上がりかけたところに、首筋のまさに短刀が突き立っているところを掴んで全体重をかけてやった。ぐりぐりとえぐり込むように刃が深く突き立つ。食いこんでいく。俺の体重はいくらくらいだろう。たぶん20㎏もないが、そいつにとどめを刺すのには十分だったらしい。

 今度は声もなく倒れて、死んだ。俺が殺した。

 はじめての殺人はとてもすっきりしたが、それ以上に不快でもあった。

「坊主」
「うん」
「おまえ、身寄りはあるか」
「ない。売られたから」

 一部始終を見ていた爺さんにためらいなく言う。たぶん、俺がそうしていなくても爺さんがこいつを殺しただろう。

 どうして任せなかったのだろう。俺にはよくわからない。殺さなければ殺されると早合点してしまったのか。理不尽に殺されかけたことが許せなかったのかもしれない。

 俺は女の子のほうに歩いていって、助け起こそうとする。無理だった。重い。

「阿呆」

 笑い飛ばされた。爺さんが女の子を軽々と背負いこむ。

「坊主、望むことがあるか」
「金」

 爺さんの眉がいぶかしむように上がる。なにせ間近に顔を寄せられたものだからよく見えた。

「金がほしい」

 金があれば、俺はこんなところにいないだろう。金があれば売られることもなかったろう。たぶん、その女の子もこんなことにはならなかっただろう。金があれば人買いをして市場に流すような真似もしないだろうし、子どもを平気で殺せるような外道にもなりさがらないだろう。

 母が死ぬことも、なかっただろう。

「金さえ、あれば」

 ちいさな手を見る。こんな手でつかめるものなどたかが知れている。だからせめて、そのほんの少しだけでも守り抜けるだけの金がほしい。どんな不条理も撥ね付けられるくらいの、金を。

 ふと、頭の上に重みを感じる。皺がいっぱいで、ごつごつとした爺さんの手だった。

「最低限、稼げるくらいにはしてやろう」

 爺さんが俺を見下ろしている。その眼は真剣極まりないものだった。それこそ子どもだろうと分かったことだろう。

「徹底的に、鍛えあげてやる。共に、来るか」

 俺はその問いに、頷いた。

 どうせ行くあてもなかったのだ。見渡せば山道で、こんな悪路を子どもの足でどうにかできるわけもない。女の子は別に預ける伝手があるというから、それまでは背負って連れていくという。いずれにしても、多分会うことはないだろうなと思う。

「坊主。名前は」
「ウィル」
「よし」

 歩き出した爺さんの背を追い始める。年寄りのくせにその背筋はまったく曲がっていない。

 正直なところ、荒事を稼業にすることになるなんて思いもよらなかったが、これといって抵抗は覚えなかった。金貸しだけはかんべんしてもらいたいが、稼げるならばそれでいい。

 母さん、ヤクザな息子ですまない。

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