カノジョの好感度が上がってないのは明らかにおかしい

陽本奏多

第73話. 回って、回って、いつか止まって

夕焼けほど儚さを感じさせるものはないのではないだろうか。

オレンジとも紫とも言えない中途半端な空は、今まさに闇に包まれようとしている。

そこに無機質に伸びる飛行機雲。
昼間は煩かった遊園地内の喧騒も、今では嘘のようだ。

普段ならひどく気になるであろうゴンドラの軋みも、今は心地よく感じる。

もうすぐ、か……
少年と少女が向かい合って乗るその観覧車のゴンドラは今まさに最高点に到達しようとしていた。

少年の向かいに座る少女は、少し茶色っぽい髪を揺らしながら、静かに外を眺めていた。

西日のせいか、頬は紅潮しているように見える。

少年は一息置き、あのさ……と切り出した。

想いの丈を、彼女を想う気持ちを、少年はまっすぐに、少女へ告げた。

少女は一瞬戸惑うような仕草を見せたが、すぐに少年を正面に見据えると、潤んだ瞳で心の底からの笑顔を咲かせた。

……刹那

少年の視界は白に塗りつぶされた。
先ほどまで視界の真ん中にあった少女の顔も、美しい夕焼けも。

全てはその純白に、閃光に、かすめ取られてしまった。


     *     *     *


「――くん、馨くん。そろそろ起きて」

「……ん? 六実……?」

微睡からゆっくりと目を開けていくと、そこには俺を覗き込むように見つめる六実の顔があった。
しまった。彼女の日記を読んでいるうちに、寝てしまっていたようだ。

……しかし、またあの夢か。最近よく見る気がする。

「おはよう。……って、もう夕方だけどね。私たち、学校をさぼって二人でお昼寝しちゃってたみたい」

「みたいだな。……六実、全て、読ませてもらった」

そういって、手元のノートを彼女に差し出した。
そのノートを受け取って、六実は少し悲しげに微笑んだ。

「えっと……全部、ばれちゃったよね」

「あぁ。……まぁ、わからないことも少しあるけどな」

「そっか」

窓の外の陽はすでに沈み切っており、部屋の中はほの暗いくらいの明るさだった。
だけど、目の前の彼女の小さな表情の動き、わずかな仕草。すべてを完璧に読み取ることが俺にはできた。

「確認するね。馨くんと私は、呪いにかかっている。人の好感度を上げすぎると発動する呪いが」

彼女のその言葉に俺は静かに頷く。
そして、彼女はポケットからスマートフォンを取り出し、俺のほうへ向けた。

「ティア、いる?」

「はい、六実さん♪」

「……ティア?」

そう、六実のスマホのディスプレイに移っていたのは、ほかの誰でもない、ティアだった。俺のスマホの中に住み着いている彼女と寸分たがわない、あのティアだ。

「どうして、六実のスマホに……」

「私はですね。馨さんと、六実さんのナビゲーターなのです」

「私に対する人の好感度なんかを、ティアは教えてくれてたんだ。馨くんも一緒でしょ?」

ティアが、六実のスマホから俺のスマホへ飛び移りながらそう言って、それに六実も言葉を重ねる。

「そうだ、けど。……六実は、俺が呪いにかかってるってことを知ってたんだよな。じゃあ、このティアのことも?」

「うん。ティアから、馨くんの動向なんかも教えてもらってた。……ごめんなさい」

「別に、謝らなくていい。じゃあティア。六実の好感度がわからない、っていうのも嘘か?」

「いいえ。本当に六実さんの好感度はわからないのです。あと、馨さんの好感度も」

「俺の?」

「えぇ。だから、あなたたち二人の好感度はお互いに出まかせを私は伝えていました。……すみません」

ティアがディスプレイのなかからぺこりと頭を下げる。
これは六実も知らなった事実のようで、彼女も「そうだったんだ……」と小声でつぶやいていた。

「でもなんで。俺たちはお互いの好感度を知ることができないんだよ」

「それも言えません。だけど、呪いについてなら、あなたたち二人の認識を一致させることぐらいはできます」

彼女のどこか回りくどい言い方が気になったが、俺は彼女にその話の続きを促した。

「あなたたちの言う呪いというのは、男女関係なくかかるものです。ですが、対象の性別によってタイプが変わってくるのです。男は、「忘却」の呪い。女は「消失」の呪いという風にね」

彼女はそう言って俺と六実を交互に見た。

「そんな決まりが……」

「ほかにも決まりはあります。詳しくは言えませんが、呪いは、男女が対になってかかるものなのです」

「それって、どういう……?」

六実がそうティアに訊くが、残念ながら彼女が答える様子はなかった。

「あと最後に一つ。呪いにかかる以前の記憶。それは呪いでも関与できません。それを、馨さんは身をもって知りましたよね」

「あぁ。凛のことだろう? 俺は凛の記憶をリセットしてしまったのに、彼女は、俺が呪いにかかる以前――小学校の記憶はなくしていなかった」

「そうですね。ですが、呪いにかかる前であったとしても、関与できてしまう情報が一つだけあるのです」

「……それって?」

「……それは答えられません。なので、私の権限でその記憶をあなたたちに戻します。……そのあとのことは全て、あなたたちに任せます」

そう言って、ティアはディスプレイから消失した。

刹那。
真っ暗となった部屋を、真っ白な靄に似た光が覆いつくした。


     *     *     *


「最初は何に乗る?」

そう尋ねると、彼女は少し悩んだ後、困った笑顔をたたえて俺にこう答えた。

「んー、馨くんが選んでいいよ!」

「なんだよ。選べきれなかっただけじゃないのか?」

「そ、そうかも……ごめん」

……言い方が、あまりにも強かっただろうか。
彼女――小春は、少しうつむいてしょんぼりとしてしまった。

これはフォローしておかなければ。

「……別にいい。全部乗ってしまえば、一個を選ばなくていいだろ? さぁ、行こう!」

「ちょ、ちょっと、待って、馨くん!」

俺は彼女が痛く思わないぐらいに強引に手を取って、走り出した。
どうして、女の子の手というのはこんなに柔らかくて、細いのだろうか。
そんなことを考えてしまう。

「……やっぱり、かっこいいね、馨くんは」

「は、はぁ!?」

突然に後ろから聞こえてきたつぶやきに、俺は思わず足を止めてしまった。
……かっこいい? お、俺が?

「まぁ、私たちじゃ背がまだ足りないから全部は乗れないんだけどね」

「……悪かったな」

「ふふっ、ごめんね、ちょっとからかってみたくて。元気づけようとしてくれてたのわかってたよ?」

にこりと微笑んでこちらを見る小春に、思わずどきりとしてしまう。
……そんなこと言われたら、夕方まで我慢できなくなりそうじゃないか。

「……せっかくの遊園地なんだ。遊ぼう」

「うん。じゃあ、まずお化け屋敷ね!」

「お、おい! 俺がそういうの苦手だって――」

「うーん? 聞こえないなぁ。さ、行こう! せっかくの遊園地だもん!」

こちらをくるりと振り向いて、彼女はまた笑った。
どうしてだろう。
なぜ彼女のこの笑顔を見つめるだけで、胸がぎゅっと苦しくなって、せつない気持ちになるのだろう。

「馨くーん! 早く早く!」

……呼ばれている。行かなくては。
俺は彼女のもとに駆けよって、そっとその手を握った。

「――? ……ふふ。怖いの?」

「なわけあるか」

そんな風に、軽口を言い合う時間さえもいとおしくて、この一秒が過ぎ去っていくことさえも恨ましかった。






「いやぁ、遊んだねー」

「あぁ。今の身長で乗れるのはあらかた乗ってしまったな」

少し上を見上げれば、空は少しずつ赤みがかってきている。
これが一日が終わる予兆だというのを思い出したとき、俺は我知らず悲しみを顔に出してしまったらしい。

「寂しいね。もう今日が終わっちゃう」

彼女のその言葉は、俺の心情を読み取って、代弁したものなのだろう。
だが、本当に彼女もそう思ってくれているのなら。

「……まだ、乗ってないのがあった」

「え? そうだっけ?」

彼女の問いに俺はあえて言葉で応じず、ただ視線をそれに向けた。

「うん、最後はあれに乗ろう」

そういった彼女にうなずいて、俺たちは馬鹿みたいに大きい観覧車の根元に向かった。
係りの人にフリーパスを見せて、ゴンドラに乗り込む。

「うわぁ……どんどん上がっていくよ、馨くん!」

「そりゃあそういう乗り物だからな」

「なんだか冷めてるなぁ」

小春はつまらないというか、あきれてというか、そんな様子で俺を見たが、再び外に視線を移せばそんなことすぐに忘れてしまったようだ。

「うーん……私の家は見えないなぁ。馨くんちは?」

「見えない。……残念ながら」

その言い方が引っ掛かったのか、小春は俺に視線を動かした。

「いや、もしここから家が見えれば、家からもこの観覧車を見えるってことだろ? ……もし毎日でもこの観覧車を見れたなら……」

「……見れたなら?」

見れたなら、いつか忘れるはずの今日のこの日を忘れずに済むのかもしれない。
そんなことを言いかけたのだが、なぜか俺の口はその言葉を最後まで語ろうとしなかった。

「いいや、なんでもないや」

「えー……変なの」

不満げな声に苦笑いしつつ、俺も外に目を遣る。

「……きれいだ」

「うん。きれい」

思わず口をついた言葉に、小春は共感してくれた。

しかし、夕焼けほどはかなさを感じさせるものはないのではないだろうか。
オレンジとも紫とも言えない中途半端な空は、今まさに闇に包まれようとしている。

「あ、飛行機雲」

そう言う彼女の視線の先には、無機質な飛行機雲が少し弧を描いて伸びていた。

二人がほとんど無言なせいか、ゴンドラの軋みがひどく聞こえた。
……だけど、それは深いというより、どちらかというと心地いい。なんでだろうな。

もうすぐ、か……。

たぶん、高さからしてもうすぐ頂点だろう。
目の前の小春に目を向ければ、彼女は少し紅潮した頬をしている。
おそらく、西日が照らしているからだろう。

俺は一息を置く。
飛び跳ねそうな心臓を、なんとかゆっくりとおさえこむ。

「小春……」

「ん? どうしたの、馨くん」

俺の呼びかけに、彼女は小首をかしげる。
そんな仕草を見ていると、ほんの少しだけど、緊張が解けた気がした。

ゴンドラはいまだにきしきしと音を立てている。
だけど、やはりその音さえもなぜか心地よかった。

「俺は、お前が好きだ。だからって、どうしたいとか、どうなりたいとかそんなものはない。ただ、俺がこの思いを、お前に……小春に、伝えたかった」

脈々とあふれ出してくる言葉を何とかまとめて、彼女に伝えきる。
それを受けた彼女は、少し驚いたような、呆けたような顔をしていた。

「馨、くん……」

そんな表情のまま、彼女は俺の名を呼ぶ。

「馨くん。……私もだよ。私も……馨くんが、大好き」

そして、彼女はうるんだ瞳で心からの笑顔を咲かせた。

刹那。
真っ白な光が俺たちの視界を包む。

あまりのまぶしさに閉じていた瞳をゆっくりと開く。
すると目の前、俺と小春の間には、小さな、とても小さな女の子が浮かんでいた。

多分、手のひらの大きさにも満たない、小さな女の子。その子は足を抱え込むように宙を漂っていたが、ふいに、ぱちりと目を醒ました。

「……ぁ、そうだ。お仕事……」

その彼女はうわごとのようにそうつぶやく。
その様子を俺と六実は怪訝な目で見つめていた。

「さて……初めまして、こんにちは。私は、ティアといいます。突然ですが、その愛――、永遠に忘れないと断言できますか?」

その小さな彼女――ティアは急にぱっと四肢を開くと、俺と六実にそんなことを言った。
しかし、俺たちは当然反応できない。訳が分からなかった。

「っと、私としたことが。失礼しました。あなたたちは今、ここで、愛を語り合いましたね」

ティアはにこりと笑ってそんなことを口走る。
それに俺は思わず顔を真っ赤にしてうつむいてしまう。
多分、小春もそんな様子だろう。

「でも、その愛は永遠だと思いますか? 何事もなく、ずっと忘れられないと思いますか?」

「どういう、こと?」

ティアの言葉に六実が不安げな声で応じる。

「あなたたちが今持っているその愛。それはきっといつか忘れてしまうだろう、という話をしているのです」

「……そんなこと!」

「そんなことあるのです。時の流れは残酷です。……しかし、一つだけそんな事態を防ぐ方法がある」

「どうすればいいんだ?」

思わずティアに反応してしまった。
だが、俺がここで食いついてくるのは想定内だったらしい。
ティアは不敵な笑みを浮かべ、話を継いだ。

「今ここで、誓いを立てるのです。決して崩れることのない、永遠の誓いを。そうすれば、あなたたちの愛が永遠になるよう、私がナビゲートしてあげます」

言っていることは意味が分からない。だが、このティアが言っていることが本当のことだということは分かった。彼女の話し方、存在、真摯な目がそれを語っている。

「子供の時の恋愛なんていつかは消えてしまう。きっと、あなたたちも薄々はそう気づいているはずです。そして、消えてほしくないとも願っている。……私の話に乗らない手はないでしょう? ……まぁ、相応の痛みは伴いますが……」

ティアの最後の一言。それを言うときの憐みのような、悲しみのような、そんな感情が混じった表情は気になった。しかし、その前の言葉には大いに共感してしまう。

「どうすれば、いいの?」

小春が恐る恐る尋ねる。

「簡単です。またいつか、どこかで再開する様子を思い浮かべ、唇を重ねるのです」

「く、唇……?」

「えぇ」

ティアはそんなことを言うが、それって、き、キスじゃ……。
俺がそう頭を悩ませていた時、その言葉は聞こえた。

「……馨くん、しよう?」

「――! ……本気か?」

「うん。だって私……馨くんと、一緒にいたいし」

そして、彼女の笑顔の花が咲いた。儚げで、ちょっと触ってしまえば折れてしまいそうなのに、きっとその実ゆるぎない信念を持っている笑顔。

「……わかった」

俺は頷く。
そして。


一瞬、何が起こったか理解できなかった。
しかし、数瞬あと、俺は理解する。俺の体に小春が飛び込んできて、そして、唇を重ねたのだと。

体のあちこちから伝わってくる確かな熱。そして、静かな吐息、柔らかい唇の感触。
ちらと薄目を開けて彼女の顔をうかがうと、小春は必至そうで、とても幸せそうな顔をしていた。
その顔を見て、俺は再び瞳を閉じる。


……そして、気づいた時には、俺は遊園地の道の真ん中に横たわっていた。





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