カノジョの好感度が上がってないのは明らかにおかしい
第61話 開幕とボディーブロー
高い空にぽつりぽつりと雲が浮かんでいた。
ついこの前まで悩まされていた蒸し暑さは嘘のように、頬を撫でる風が心地いい。
いつも通りの朝。いつも通りの道を自転車で駆っていれば学校にはすぐ到着した。そして、一番に目につくのが校門に掲げられた『爽涼祭』のプラカードだった。
そう、今日はついに文化祭。爽涼祭という名で開催されるわが校の文化祭は一日限りではあるがなかなか大規模な文化祭だ。地域の小中学生から老人会の方々まで、幅広い層が来場する子の文化祭は例年なかなかの盛り上がりを見せる。
遅刻ギリギリで登校した成果、校舎内では多くの生徒が忙しく最後の準備に取り組んでいた。
クラスのほうに行ってもすることなんてないので、俺はそのままいつもの会議室へ。
扉を開けば、そこにはいつもの面子がそろっていた。
瞬間、そこにいた神谷と目が合った。
その途端、彼の眼は細められ、口元は嗜虐的に歪められた。
笑っている、そう気づくのに数秒の時間を要した。人間の笑みにしては異質すぎるそれに、理解が追い付かなかったのだ。純粋な侮蔑と嘲弄を含んだそれに、俺は身の毛もよだつ思いをした。
と、いうのも――
「朝倉って、小春ちゃんにフラれたんでしょ?」
「そうそう、神谷君に取られたんだってね」
周りからひそひそと聞こえるこの噂。瞬く間に行内中に広がったこの噂を受け、神谷は俺を心の底から見下しているのだろう。
「やぁ、おはよう」
「…………どうも」
でき得る精一杯の抵抗に、奴を横目でにらみつけてみるが、神谷はそんな俺の態度さえも心地よく思ったらしい。奴の眼はさらに細められ、口元は避けるかのように吊り上がる。
だが、神谷。お前は気づいていないだろう。
お前の後のお仲間が、以前のように同調してくれていないことに。
* * *
生徒会長兼、爽涼祭実行委員長である青川のあいさつ後、鳴り響く大音量の音楽とともにオープニングセレモニーは始まった。これは強制参加ではないのだが、ほとんどの生徒がクラスの準備を放り出してまで参加する。
それは俺も例外ではないが、俺の場合クラスの準備に参加する必要はないので何も放り出してはいない。つまり、散々騒いでいる目の前の連中より俺は偉いのだ。
……何言ってんの、こいつ。
とまぁ、生徒たちの熱気に包まれて、オープニングはつつがなく終了した。
ここからは続いてステージイベントが始まるのだが、みんな各クラスの模擬店を目指して体育館の扉をくぐっている。そんな人の群れを必死に引き留め有志バンドの奴らがシュールだ。
だが、乗り遅れるわけにはいかないッ! このビックウェーブにッ!  ということで俺も体育館を出る。
件の実行委員が行う劇はエンディングセレモニーの最後なので俺は必然的にそれまで無職となる。
一緒に模擬店を回ってくれる友達などいるわけもなく、さてどうしよっかなぁ? などと考えながら校舎の中をぶらついてみる。
周りからは生徒の楽しげな喧騒が聞こえて来たり、クレープか何かの甘い香りが漂って来たりといかにも文化祭らしい雰囲気を醸し出している。
「おにーさまぁー!!」
だからこそ、その中に聞こえた甲高いその声が幻聴であると信じていたかった。
……背中に、一人の女の子が突撃してくるまでは。
「うおっ!」
「どーもおにーさま。可愛い可愛いティアが文化祭に遊びにきてあげましたよ?」
「誰も頼んでないんだが」
いきなり校舎内で後ろからジャンプして飛びついてきたのは誰でもないティアだった。
幻の身体であるはずなのに背中に妙な柔らかさを感じるのはきっと勘違いだ。うん、間違いない。
しかし、こんな状態のままでは、周りから変な目で見られかねない。ていうかもう見られているが。
俺はティアをゆっくり下ろして、再び向き直る。
「で? どうした、実体化なんかして」
「それはもちろん、文化祭なのに一人寂しい馨さ――じゃなくてお兄様と遊んであげようかと」
「…………本音はなんだ?」
べ、別に寂しくなんてないんだからねっ! ほ、ほんとだもん!
という、自身の本音を隠しつつ、ティアにそう聞き返す。
「んもー、つまらないなぁ……こんなに可愛い妹のデレパートなのに。……なんていう冗談は置いておきましょうか」
急に真剣さを帯びたティアに、思わず息を呑む。
「まぁ、簡単な話ですよ。あんな大勢の人がいる体育館の中で実体化したら、そのあとの記憶処理が面倒です。それを回避するため、事前に実体化した、ってだけです」
「そういうことか」
「と、いうことなので! さぁ存分に文化祭を楽しみましょう!」
ティアはそう言うと、俺と手を取って歩き出した。しっかりと掴んでいながらも少し遠慮がちなその手に思わずどきりとしてしまう。
しかし、数歩歩いたところで、ティアが「げっ」という一言と共に足を止めた。
彼女の視線の先を追えば、そこには一人の黒髪の少女が。
……キラン、と音を立てて彼女の瞳が煌めいた、気がした。
直後、彼女はマッハを超えてるんじゃないか、というくらいのスピードでこちらに、――いや、ティアに駆けてきた。
「ティアちゃんだぁ……ティアたん、ティアたぁん……!」
その黒髪の彼女――望月凛は普段の毅然たる態度など嘘のように頬を緩ませ、ティアに抱きつき頬ずりしている。それを受けてティアは若干嫌な顔。
「おい、凛。そのくらいに――ふがっ!」
そう言って、俺は後悔した。ティアから凛を引きはがそうとした俺を彼女は何のためらいもなく、むしろ殺気さえこもってるんじゃないかってぐらいのこぶしで俺を殴り飛ばしたのだ。
その反動で俺は壁に背中をぶつけ、鈍い痛みが走る。
――ちっ、あばら2、3本ってところか……。
なぁーんて遊んでいた俺だったが、我に返り凛を再び見た瞬間目を見開いた。
さっきも見たは見たが、違う角度のせいか凛の恍惚とした表情がとても魅力的に見えたのだ。
揺れるまつ毛に濡れた瞳。だらしなく緩んだ頬と口元はほんのり桃色に染まっている。
忙しなく揺れる黒髪はいつもの落ち着いた印象の凛とは正反対で、何故か見入ってしまう。
そんな風に、見つめていたのが間違いだった。
急に我に返った凛は目を見開き、こちらと目を合わせた。
直後、彼女はまるで漫画のように顔を真っ赤に染めて、ゆっくり一歩ティアから後ずさった。
その後、俺に向かって一歩前進。
彼女の顔は俯いていて表情は伺えな――かったが、凛はバッと顔を上げた。
ぱぁっ、と音がしそうなほどの美しい笑顔。その直後、俺のみぞおちに拳が殴り込まれ、俺は意識を消失した。
ついこの前まで悩まされていた蒸し暑さは嘘のように、頬を撫でる風が心地いい。
いつも通りの朝。いつも通りの道を自転車で駆っていれば学校にはすぐ到着した。そして、一番に目につくのが校門に掲げられた『爽涼祭』のプラカードだった。
そう、今日はついに文化祭。爽涼祭という名で開催されるわが校の文化祭は一日限りではあるがなかなか大規模な文化祭だ。地域の小中学生から老人会の方々まで、幅広い層が来場する子の文化祭は例年なかなかの盛り上がりを見せる。
遅刻ギリギリで登校した成果、校舎内では多くの生徒が忙しく最後の準備に取り組んでいた。
クラスのほうに行ってもすることなんてないので、俺はそのままいつもの会議室へ。
扉を開けば、そこにはいつもの面子がそろっていた。
瞬間、そこにいた神谷と目が合った。
その途端、彼の眼は細められ、口元は嗜虐的に歪められた。
笑っている、そう気づくのに数秒の時間を要した。人間の笑みにしては異質すぎるそれに、理解が追い付かなかったのだ。純粋な侮蔑と嘲弄を含んだそれに、俺は身の毛もよだつ思いをした。
と、いうのも――
「朝倉って、小春ちゃんにフラれたんでしょ?」
「そうそう、神谷君に取られたんだってね」
周りからひそひそと聞こえるこの噂。瞬く間に行内中に広がったこの噂を受け、神谷は俺を心の底から見下しているのだろう。
「やぁ、おはよう」
「…………どうも」
でき得る精一杯の抵抗に、奴を横目でにらみつけてみるが、神谷はそんな俺の態度さえも心地よく思ったらしい。奴の眼はさらに細められ、口元は避けるかのように吊り上がる。
だが、神谷。お前は気づいていないだろう。
お前の後のお仲間が、以前のように同調してくれていないことに。
* * *
生徒会長兼、爽涼祭実行委員長である青川のあいさつ後、鳴り響く大音量の音楽とともにオープニングセレモニーは始まった。これは強制参加ではないのだが、ほとんどの生徒がクラスの準備を放り出してまで参加する。
それは俺も例外ではないが、俺の場合クラスの準備に参加する必要はないので何も放り出してはいない。つまり、散々騒いでいる目の前の連中より俺は偉いのだ。
……何言ってんの、こいつ。
とまぁ、生徒たちの熱気に包まれて、オープニングはつつがなく終了した。
ここからは続いてステージイベントが始まるのだが、みんな各クラスの模擬店を目指して体育館の扉をくぐっている。そんな人の群れを必死に引き留め有志バンドの奴らがシュールだ。
だが、乗り遅れるわけにはいかないッ! このビックウェーブにッ!  ということで俺も体育館を出る。
件の実行委員が行う劇はエンディングセレモニーの最後なので俺は必然的にそれまで無職となる。
一緒に模擬店を回ってくれる友達などいるわけもなく、さてどうしよっかなぁ? などと考えながら校舎の中をぶらついてみる。
周りからは生徒の楽しげな喧騒が聞こえて来たり、クレープか何かの甘い香りが漂って来たりといかにも文化祭らしい雰囲気を醸し出している。
「おにーさまぁー!!」
だからこそ、その中に聞こえた甲高いその声が幻聴であると信じていたかった。
……背中に、一人の女の子が突撃してくるまでは。
「うおっ!」
「どーもおにーさま。可愛い可愛いティアが文化祭に遊びにきてあげましたよ?」
「誰も頼んでないんだが」
いきなり校舎内で後ろからジャンプして飛びついてきたのは誰でもないティアだった。
幻の身体であるはずなのに背中に妙な柔らかさを感じるのはきっと勘違いだ。うん、間違いない。
しかし、こんな状態のままでは、周りから変な目で見られかねない。ていうかもう見られているが。
俺はティアをゆっくり下ろして、再び向き直る。
「で? どうした、実体化なんかして」
「それはもちろん、文化祭なのに一人寂しい馨さ――じゃなくてお兄様と遊んであげようかと」
「…………本音はなんだ?」
べ、別に寂しくなんてないんだからねっ! ほ、ほんとだもん!
という、自身の本音を隠しつつ、ティアにそう聞き返す。
「んもー、つまらないなぁ……こんなに可愛い妹のデレパートなのに。……なんていう冗談は置いておきましょうか」
急に真剣さを帯びたティアに、思わず息を呑む。
「まぁ、簡単な話ですよ。あんな大勢の人がいる体育館の中で実体化したら、そのあとの記憶処理が面倒です。それを回避するため、事前に実体化した、ってだけです」
「そういうことか」
「と、いうことなので! さぁ存分に文化祭を楽しみましょう!」
ティアはそう言うと、俺と手を取って歩き出した。しっかりと掴んでいながらも少し遠慮がちなその手に思わずどきりとしてしまう。
しかし、数歩歩いたところで、ティアが「げっ」という一言と共に足を止めた。
彼女の視線の先を追えば、そこには一人の黒髪の少女が。
……キラン、と音を立てて彼女の瞳が煌めいた、気がした。
直後、彼女はマッハを超えてるんじゃないか、というくらいのスピードでこちらに、――いや、ティアに駆けてきた。
「ティアちゃんだぁ……ティアたん、ティアたぁん……!」
その黒髪の彼女――望月凛は普段の毅然たる態度など嘘のように頬を緩ませ、ティアに抱きつき頬ずりしている。それを受けてティアは若干嫌な顔。
「おい、凛。そのくらいに――ふがっ!」
そう言って、俺は後悔した。ティアから凛を引きはがそうとした俺を彼女は何のためらいもなく、むしろ殺気さえこもってるんじゃないかってぐらいのこぶしで俺を殴り飛ばしたのだ。
その反動で俺は壁に背中をぶつけ、鈍い痛みが走る。
――ちっ、あばら2、3本ってところか……。
なぁーんて遊んでいた俺だったが、我に返り凛を再び見た瞬間目を見開いた。
さっきも見たは見たが、違う角度のせいか凛の恍惚とした表情がとても魅力的に見えたのだ。
揺れるまつ毛に濡れた瞳。だらしなく緩んだ頬と口元はほんのり桃色に染まっている。
忙しなく揺れる黒髪はいつもの落ち着いた印象の凛とは正反対で、何故か見入ってしまう。
そんな風に、見つめていたのが間違いだった。
急に我に返った凛は目を見開き、こちらと目を合わせた。
直後、彼女はまるで漫画のように顔を真っ赤に染めて、ゆっくり一歩ティアから後ずさった。
その後、俺に向かって一歩前進。
彼女の顔は俯いていて表情は伺えな――かったが、凛はバッと顔を上げた。
ぱぁっ、と音がしそうなほどの美しい笑顔。その直後、俺のみぞおちに拳が殴り込まれ、俺は意識を消失した。
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