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カノジョの好感度が上がってないのは明らかにおかしい

陽本奏多

第47話 静かな熱をそっと

九月の一日。
この日ほど、全国の学生諸君が世を恨む日はないのではないだろうか。
長きにわたる夏休みを経て、新学期が始まるこの日に心ウキウキわくわくするやつなんて性格破綻者ぐらいのものだろう、と俺は思う。

くだんのサバイバルゲームを終えた俺は、その後の夏休みをすべてオンラインFPSに全振りした。
毎日睡眠時間が2時間を切るというなんとも不健康な生活を送ってきた所為か、肌はがさがさ。鏡に映る瞳はどんよりと濁っている。

ぱんっ、と一度頬を叩いた後、俺は蛇口をひねり、顔を冷水で洗う。
九月と言っても、まだ暑さが過ぎ去っていないこの日に冷たい水は心地よかった。

ふと、そばに置いてあるスマホに目を遣る。
そのディスプレイは真っ暗に染まりっぱなしで、がやがやと騒ぎ立てるいつもとは大違いだ。

「出てこないな、あいつ」

常に煩く思っていたあいつ――ティアも、こうもまったく顔を出さないとやはり心配になる。
出てこなくなったのは、ちょうどあのサバイバルゲームからだが、実際の原因はそこでは無い――と、長年あいつと付き合っている、俺の中のカンがそう言っていた。

――と、まぁ、いつまでも家の中でダラダラしているわけにはいかない。
俺は教科書参考書でパンパンになったカバンを持ち、家を出た。

愛車チャリだがを駆ること一時。

久々に見る我が学び舎に少々の拒否反応を感じながら、俺は教室に入った。

そこには当然、夏休みの間を埋めるかのように、多くの生徒がひしめき合っていた。

教室に入った瞬間、俺へ注がれる期待に満ちた視線。だがそれも、自分の待ち人ではないとわかると、あからさまに不快そうな顔し、剥がれていった。
……いや、さ。前々から思ってたけど、俺は何一つ悪いことしてないよね? なのになんであんな顔されないといけないの? ねぇ?

俺は自分の席に着いた後、じとりと湿度を持った視線を、さっきの奴らに送った。
直後目が合い、俺が顔を隠しながら俯いたのは言うまでもない。

「みんなおはよう!」

そう言って教室に入ってきたのは誰でもない、六実小春だった。
次元をまたいでの再会かと思うほど、クラス中の女子は六実にたかり、彼女のスマイルを受けた男子はにへらと表情を緩ませる。
俺? 俺はもちろん他の男子と寸分変わらないほどにやけてましたよ? まぁ、それにすぐ気づき表情に仮面を被せた所は他の奴と違うが。

と、その時、聞き捨てならない一言が女子の一人から発せられた。

「こはるん、夏休み中に拉致されたんでしょ!? あの朝倉に!」

「はぁ!?」

あまりにも突拍子もないその言葉に、俺は反射的に席を立ち、そう声を上げていた。

「しかも、森の中に!」

「こはるんだけじゃなく、生徒会長と二組の凛ちゃんも!」

「「な、ん、だ、と……?」」

「おい! 冤罪だ! 俺はそんなことしてねぇ!!」

「「ってめぇ! 朝倉馨――!」」

瞬間、暴徒と化した男子生徒が俺の方になだれ込んできた。
もちろんそれを真っ向から受けるわけにもいかず、俺は廊下に出る。
そして、逃走。ひたすらひたすら逃走。

「朝倉馨待てやおらぁぁっ!」

「待てと言われて待てるかぁ!」

逃げても逃げても追手は撒けず、撒くどころかそれは次第に増えていっているような気がする。

「「ここは通さねぇ!」」

「――押し通るっ!」

何十人でバリケードを張り、俺の通行を邪魔せんとする生徒たちを前に、俺は勢いを殺さず床を蹴った。
ここで足止めを食らっていては速攻で捕まってリンチ――いや、下手すればミンチにされかねない。
俺は、いつか見たアニメの主人公の如く、人の肩を土台にしながら軽々とバリケードを越えていく。
――はずだった。

彼らの手前で床を蹴り、一人を踏み台にしてバリケードの上まで到達するところまではよかった。
しかし、一歩を踏み出し、二歩目に移ろうとした瞬間、彼らは腕をグロテスクな触手さながら俺へ伸ばした。
そのうちの一本。明らかに運動部であろうそのごつい腕に俺は足を掴まれ、地面へと引きづりこまれた。

「ウェルカム トゥ ヘル……」

バリケードの内部。肉の壁に囲まれた俺に対し、凶暴な色に瞳を染めながらある男子生徒はそう言った。


      *    *    *

      
「ったく……散々だ……」

ただ純粋な暴力を浴びせられること約5分。
……いや、実際の時間ではその位だったが、俺の感覚としてはもう何年もあの地獄が続いていたかのように感じる。

今日は教師が止めに入ってくれたことで何とかこのくらいで済んだが、あそこで止めてもらえてなかったら……。
考えるだけでも身の毛もよだつ。

ともかく、俺は見るにも耐えないほど傷ついていた。
皮膚はいたるところから出血し、左足と右手の感覚はない。
顔はいたるところにあざがついており、自分で言うのもなんだがものすごく気持ち悪い。
鏡で自分の顔を見たときには卒倒しそうになったほどだ。

しかし、俺は傷ついた体に鞭打って保健室まで必死の行軍を成し遂げて見せた。
――のだが、なんと保健室に養護教諭は不在。したがって俺は自分で自分の傷を必死に癒していたのであった。
誰か……誰か僕を癒してくれ……!

そんな願いが神に通じたのか、もしくはただの偶然か。
直後、開かれた扉の奥にいたのは……

「女神様……?」

「馨くん!? 私、小春だよ?」

「かわ……あぁ、すまん」

かわいすぎて女神と見違えた……なんて言いそうになった自分を心中で叱咤し、俺は突然現れた六実に向き直る。

「で? どうして六実がここに?」

「もちろん馨くんの手当だよ。ほら、傷見せて」

棚から消毒液と、ピンセット、丸い綿を取り出した六実は、手慣れた手つきで綿に消毒液を染み込ませ、俺の傷にそれを当てようとする。

「いや、大丈夫だか――」

「だーめ。……私にできることはさせて? こうなった原因はさ、やっぱり私……なんだしさ」

俯き、ゆっくりとそう言う六実に、俺は消毒の痛みも忘れ見入ってしまった。
かわいい、とかそういうのとは全く違う。
なんというか……不謹慎ながら、こうやって落ち込む六実を守ってあげたいなんて思ってしまった。
思わず彼女から視線をそらしてしまう。

「べ、別に……このくらいのこと……」

「ねぇ、覚えてる? 私が転校してきた日のこと」

「え?」

視線を彼女に戻すと、六実は落ち着いた瞳で俺を真っ直ぐに見つめていた。
澄んだ瞳と潤った唇。長いまつげはくるりとカールし、片方にまとめられた髪は絹のように艶やか。
彼女を美しいと言わずしてなんと言おう。

「クラスのみんな、私のことを心の底から歓迎してくれた。初対面の私にも昔からの友達みたいに接してくれた。まぁ、一人だけを除いてね」

「……もしかしてだけど、俺?」

「もしかしなくても馨くんだよ? ふふっ、そんな申し訳なさそうな顔しないでよ」

「いや……あのだな。やっぱり初対面の女子には上手く接することができないと言いますかなんというか……」

しどろもどろになりながら必死に弁明する俺に、彼女はどこか慈母じみた微笑みをただ向けていた。
しかし、俺も男だ。相手が六実とはいえやられてばかりでは面白くない。

「そう言えば六実。なんであの日、俺みたいな根暗野郎に告白を?」

……もしかして男除けのためか? という言葉を飲み込み、俺は六実に視線を向けた。

「私ね、ちょっと悔しかったのかもしれない」

「……と言うと?」

「……馨くんだけね、違ったの。私を見る目っていうかなぁ? 馨くん、私を見る時は絶対……憐れみなんかを帯びた目で見てるよ……?」

「そんなこと――」

「私の言い方が悪かったね。なんというか……あの日だけでわかったんだ。馨くんは私のことを、心配してくれてるんだなぁって」

照れ隠しのようににっこり笑う彼女に、俺は思わず仰け反った。
俺が、六実を……心配、か。

多分それは、彼女がたまに見せる哀しみに満ちた微笑に対してだろう。
彼女が転校してきてから今まで、あらゆる場所で彼女が見せてきたあの表情。
俺はそれに対し特別な感情を抱いていたのかもしれない。

「まぁ、気になったから……っていうのもあったのかもね」

「……気になるって、何が?」

ぼそりと呟いた六実の言葉に俺が訊きかえすと、彼女は必死に手を振り「なんでもないよ!」と笑った。

「はい! 手当完了です」

「あ、ありがと」

「そろそろ戻らないと。もう授業始まってるよ?」

そう言ってドアを開く六実。その後ろ姿に俺は思わず――

「小春」

「……え?」

ただ、名前を呼んだだけ。
ただの三音。たったそれだけ。それだけ、なのに……

……どうして、こんなに胸が熱くなるのだろう。
胸の奥から発する、この温かな熱。
いつからか、忘れていた――いや、探すのを諦めていたこの熱。

「馨くん……名前……!」

「ご、ごめん! その……嫌だったか?」

「ううん! そんなことない!」

ぶんぶんと六実が首を振ったのを皮切りに、二人の間に気まずい沈黙が流れる。
六実は顔を俯かせ、俺は視線を斜め上にやって髪の毛を弄る。

とくとくと脈打つ心臓が、もっと早く、もっと先に進みたいと叫んでいる。

瞬間、俺は顔を六実に向ける。と、同時に彼女も俺に顔を向けた。

両者、相手が何か言うのを一拍待ち、そして、表情を緩ませお互いに微笑み合った。

「なんだか、おかしいね」

「あぁ。なんだか、おかしい」

そう、交し合った言葉に、意味を求めてはいけないのだろう。
いや違う。意味など必要ないのだ。
彼女と言葉を交わし、時間ときを分かち合う。
ただ、それだけ。ただそれだけでいいのだ。

確かな熱を胸にそっとしまい、俺は彼女と共に長い廊下を歩き始めた。
いつか必ず終わるこの時間に、愛情と希望を託して。




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