八咫の皇女は奇病を食む ~おてんば娘の討魔奇譚~

Mt.hachi_MultiFace

二十九:「再来」

 翌朝食卓で、昨晩のことを平間に伝えられた壱子は
「そうか、分かった」
と淡々と言って次の話題に移った。例の不可解な文字列についても覚えが無いそうで、特に興味を持たなかったらしい。自分が気にしすぎなのだろうか、と平間は複雑な心持ちになった。
「それで、今日は森へ行くのじゃろう?」
「ええ。と言っても、一ヶ月もかけて何の解決への手がかりも掴めていないんですけど」
 壱子の問いに平間は頷き、自嘲して笑う。彼の仕事ではこういうことも決して珍しくはないのだが、それでもやはり気持ちの良い状況ではない。そろそろ突破口の一つでも欲しい、と言うのが平間の正直な心境だった。昨日りんに渡された中間報告要請にも
 志乃の息子、あるいは皿江穂の孫だと思われるムスビのことについても良く分からないままだ。彼の出自が今回の奇病とどのような関係があるのか解明できれば、もしかすると何か新しい事実にたどり着けるかもしれない。
「確かに近頃は真新しい事が無かったのう。こういう時は……どうすれば良いと思う、茉莉」
「え、私ですか?」
 予想外の壱子の振りに、茉莉が素っ頓狂な声を上げた。壱子が頷く。
「うむ、最近お主とは食事の話くらいしかしておらんからな」
「う、それは、確かに……。そうですねえ、ありきたりですけど基本に立ち返るのはどうです? それが具体的にどういうことをするのかは分かりませんが……」
「なるほど、一理あるのう」
 顎に手を当てて言う壱子に、茉莉はホッと胸を撫で下ろす。頭脳担当でない彼女はいわゆる門外漢であるから、当然の反応かもしれない。

「基本と言うと、手近なところじゃな……よし」
 壱子はそう言うと、宿の奥に駆けていった。その様子を見た茉莉が呟く。
「子供は朝から元気ですねえ」
「そんな子供扱いすると、怒られますよ」
「そうですか? 逆に子供扱いされたいと思いますけど、壱子様は」
 その言葉に、平間は訝しげに片眉を上げた。
「そんなことあります?」
「ありますよ。さっきだって、壱子様の中では答えが出ていたのに、わざわざ私を通したんでしょ。分からないフリなんかしちゃって、ちゃんと正解を出す私の身にもなってくださいよねー、本当に」
 平間には茉莉の言うことをにわかに信じられなかったが、あの壱子ならあり得るかもしれないとも思えた。
「なんで殿下はそんなことを……」
「だから子供扱いされたいんですよ。前に平間殿が不機嫌になってどこかに行っちゃったことがあったでしょう? あの時の壱子様は、うろたえちゃって大変だったんですから」
「そんなことがあったのですか」
「そうですよー。あの子はあれですごく寂しがり屋なんです。自分がでしゃばって平間殿の仕事の邪魔をしてしまったから怒ったんだって言っていました。自分のせいで人が、特にあなたのような人が離れて行くのが怖いんでしょう」
 茉莉の台詞に、平間はひどく赤面した。壱子に子供らしくあれと無意識に思ってしまっていたのは、結局、自分が子供だったからなのだろう。そんな考えが彼の頭に浮かんだからだ。
「私はどうすればいいんでしょう」
 内心で頭を抱えながら、恐る恐る平間は言った。それに対し、茉莉はきょとんとして小首を傾げる。
「質問の意味が分かりませんけど……特にどうもしなくて良いんじゃないですか? 今の壱子様はすごく生き生きしていると言うか、特に何か思い悩んでいる風でもありませんし、夜もぐっすりですし」
「……確かに、それもそうですね」
 平間が納得して頷くと、茉莉は思い出したように再度口を開いた。
「あ、そうそう、昨日の昼間も随分仲が良さそうでしたね。ほとんど抱きつくみたいになっていたじゃないですか」
「……見ていたんですか」
「ちらりと。でも壱子様は生まれたての仔鴨みたいなものなんですから、間違っても手を出さないでくださいよ」
 その言葉に、今度は平間が首を傾げる。
「仔鴨……?」
「初めて見たものに付いていくってことです」
「ああ、なるほど」
 頷きつつ、どちらかと言えば仔鴨は自分の方かもしれない、と平間は一人で自嘲した。


「連れてきたぞ!」
 元気な声に二人が振り向くと、ドヤ顔で腰に手を当てた壱子と、その傍らに宿の女将が立っていた。
 平間は女将と目が合うと、小さく会釈する。彼は、この三十台前半のふくよかな女性と幾度も顔を合わせていたが、あまり口を聞いた事は無かった。彼女が昼前まで寝ているので朝はあまり会わないし、夜は夜で調査結果をまとめていたりしていて食事の時くらいしか自分の作業場を出なかったからだ。
「基本と言えば、ここの女将に話を聞いていなかったと思ったのじゃ」
 壱子が得意げに言うと、ふむ、と茉莉も頷いた。
「言われてみれば確かに、せいさんとは世間話とかお料理の話しかしていなかったような」
「そうであろう? そうであろう!」
 嬉しそうな壱子をよそに、女将はどこか気まずそうだ。実際、彼女としては訳も分からず連れてこられて注目を集めているのだから、どう反応するのが正解か決めかねているのだろう。

「ところで、今日は起きていたんですね」
「ああ、そろそろ忙しくなる時期だから珍しく早起きしたんだよ」
 ややまぶたが重たそうに女将が言う。その言葉に、壱子が不思議そうに尋ねた。
「忙しくなる、とはどう言うことじゃ?」
「もうすぐ暖かくなって来る頃だろう。春と秋は東の戦線の配置換えがあるらしくてね、それでこの街道沿いは往来がいつもより多くなるんだ。ほら、ここは都と陽樂ようらくの港の間にあるだろう? いつもは閑散とした村だけど、この時だけはウチらもおこぼれにあやかれるのさ」
「なるほどのう、そういうこともあるのじゃな」
 納得した様子の壱子を見て小さく微笑んだ女将は、平間と茉莉の方に向き直った。

「それで、私に何か聞きたいことがあるんだろう?」
 対して平間は、慌てて手を振った。
「いえ、お忙しいのならまたの機会にでも――」
「いいのさ、どうせ大した仕事量じゃないんだ。何よりアンタはこの村のために働いてくれているんだろう? それを村人の私が協力しないわけにはいかないよ」
 豊かな声量で発せられた声に、平間は首をすくめた。驚いたわけではない。女将の期待のが籠もった言葉に和倉係という職務の責任を再認識して、近頃の気の緩みを恥じたためだ。
 平間は、素直に会釈して言った。
「それでしたら、お願いします」
「ああ、何でも聞いて頂戴」
 この女将はなんとなく壱子と雰囲気が似ているかもしれない、と平間は思った。意外と押しが強いところとか。
「まあ、これは本来聞きこみ担当の茉莉が既にこなしていなければならぬ事なのじゃがな」
 壱子の台詞に、ぎくり、と茉莉が小さく跳ねた。そんな彼女らを横目に、平間は苦笑しながら文字を書き付けるための紙と木炭を取り出して言った。
「それでは――」

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