八咫の皇女は奇病を食む ~おてんば娘の討魔奇譚~

Mt.hachi_MultiFace

十七:「平間と茉莉、あるいは壱子について」

 翌朝。平間はずっしりとした倦怠感の中で目が覚めた。昨晩はあまり寝られなかったのだろう。それでも不思議なもので、身体はいつもと同じ時間に目覚めるのだ
 まだ明け方だ。壱子はまだ眠っているが、茉莉の姿が見えない。平間には、彼女が今更なにか怪しい動きをするとは思えなかったが、用心するに越したことは無い。簡単に身支度を整え、壱子を起こさないようにそっと部屋を抜けた。

 茉莉は厨房ですぐに見つかった。
「あ、平間殿。おはようございます」
「おはようございます……朝食ですか」
「ええ。昨日、女将さんに食材と台所を使う許可はいただいておいたのです。女将は昼まで寝ていたいそうなので……あの、平間殿の荷にあった食材を使わせていただいても?」
「それは構いませんが……料理、できたんですね」
 茉莉は中々に手際が良かった。包丁さばきも細やかで、切った野菜は大きさにムラが無い。
 それを聞いた茉莉は、少しムッとした表情で言った。
「平間殿はやはり、女性の扱いというものが少し不得手のようですね」
「ああ、これは失礼を。そう言う意味では……」
「では、どういう意味なのです?」
「いやその、はは……面目ない。てっきり茉莉殿は武芸一辺倒で、この手のことは苦手だと思っていました」
 いさぎよく平間が詫びると、茉莉が噴き出した。
「冗談です。それに、『茉莉殿』はやめてください。私の方が年少なのですから。でも平間殿のそういう正直なところ、嫌いじゃありませんよ。ですが、さすがに武芸一辺倒は言い過ぎでは? 私だって平間殿ほどではないにせよ、近衛に入るためにある程度の学問をこなして来たんですから」
「ああ、それについては、ひらに……」
「でもまあ、仕方ありません。私、座学はからっきしでしたから」
 やっぱり、という台詞を危うく飲み込んで、平間は言った。
「それでも近衛に入れたのは、何故なんです」
「んー、武芸一般が他より優れていたこともありますが、何より同期に女が少なかったから、でしょうね。近衛の中でも皇女様や後宮こうきゅう*の方々の警護は全て女がやることになっていますから、女は近衛に入りやすいのです。そのために男性方から顰蹙ひんしゅくを買うこともありますが……」
 そう言って茉莉は苦笑する。
「壱子様が皇宮を飛び出した時、私は非番だったんですけどね、それはもう恐々としておりました。あれほど生きた心地がしなかったことは訓練でもそうそうありません。ですが、特に誰もお咎めを受けることは無かったんですよね……今思えば不思議です」
 そういえば以前、壱子もそんなことを言っていたのを平間は思い出した。さらに、あにに疎まれているなどとも言っていた。皇族が消えたのに警護の者に何の沙汰も無いというのは、茉莉の言う通り、確かに不可解だ。
「茉莉殿は、何故だと思いますか」
「だから『殿』はやめてくださいって。それに、敬語じゃなくても良いですよ。でも、どうしてでしょうかねえ。そういえば、壱子様のお住まいだけは他の皇族方とは不自然に離れていました。まあ、それは壱子様が皇都にいらっしゃったのが遅かったせいかも知れませんけど」
「遅かったとはどういう意味です? 殿下は生まれてからずっと皇宮で暮らしていたのではないのですか?」
「平間殿、敬語」
「気をつけます……いや、気をつける」
「それで大丈夫です。ええ、違いますよ。私が近衛に入りたてのころですから、二年前くらいですかね。新しい宮が建てられて、そこに壱子様が新しく移ってきたのです。お母上が亡くなってから、と言っていたような……」
「それは、その……よくあることなのか。俺はあまり皇室の内情には明るくなくて……」
「言われてみれば、あまり聞いたこと無いですね。そういえば昨日、みろくじま? という寒いところにずっと住んでいたそうですが……ご存知です?」
「みろく、と殿下は仰ったのか。その名前、どこかで……」
 平間は懸命に頭を回す。ただの地名ではない。地図には載っていなかったはずだ。ではどこで……。
「駄目だ、思い出せない」
「そうですかー。ま、細かいことは壱子様本人に直接お尋ねしましょう。昨日の晩のことも含めて」
「そうだな……すまぬ、茉莉、殿。やはり、敬語でなければ違和感が、その……すごい」
 茉莉はまたもや噴き出す。
「ふふっ、そんなにカクカクと言わないでくださいよー! 分かりました、慣れるまでは努力目標といたしましょう」
「ありがたい……。恩に着ます」
「では、もうすぐ朝ご飯が出来上がるので、壱子様を起こしてきてくださいますか」
 茉莉の言う通り、いつの間にか朝食が出来上がっていた。何とも良い香りが平間の鼻腔をくすぐる。おそらく彼だけではこんなにしっかりとした食事を壱子に出すことは出来ないだろう。平間はこの時おそらく初めて、茉莉がいてくれて良かったと思った。何とも現金な話ではあるが。
「茉莉殿を嫁に貰う方は、幸せ者ですね」
「……それ、わざとやってるんですか?」
「はい?」
「……はぁ、もういいです。それに、私が貰われるのでなく、私が婿を貰うのですよ。覚えておいてください!」
「わかりました。前も思いましたけど、茉莉殿はすごく良いドヤ顔をされますよね」
「ですから……ああもう。よく言われますよ! じゃ、行って来て下さい」
 なぜ怒っているのか平間には分からなかった。おおよそ彼は、こんな男なのである。

客室に戻った平間は、まだ眠っている壱子の傍に行き声をかけようとしたが、思いとどまった。壱子の頬に、かすかに涙で濡れた跡が見えたのである。
 壱子が二年前に皇都へ来て、そのきっかけが母の死であったなら、この幼い少女は母親の死を経験してから僅かな時間しか経っていない。それなのに、友人も作れぬ皇宮の中でずっと暮らしていたのだ。
「そりゃあ、寂しかったよなあ」
 それこそ、あの小さな銅鏡に母の姿を追い求めるほどに。
平間はかつて、幾度となく自分の境遇を呪ったが、まだ自分には肉親がいるだけ寂しくは無かったかもしれない。そう思ったとき、彼は自分の手が無意識に壱子の頭に触れていることに気付いた。細くて柔らかな髪が指に触れる。
彼女を、守らなくてはならない。まだ小さな、しかし気丈で、自分を拾い上げ包み込んでくれたこの少女を。改めて、平間京作は決意した。
「そうだ、そのうち茉莉殿に剣術を教えてもらおう」
「剣術でもなんでも良いが、人の頭を撫で回すのは良い趣味とは言えぬぞ、平間」
 恐る恐る平間は目線を下げる。ジットリと彼を見ている壱子と、バッチリ目が合った。
 こういう時、どういう顔をすればよいか分からなかった平間が必死で作り笑いをし、とりあえず発した台詞は、
「あー、殿下。その、おはようございます……?」
 であった。壱子の顔がみるみる紅潮してゆく。
「貴様、私がひとたび優しくしてやれば頭に乗りおって……それも皇女の御髪みぐしを寝ている間に触れるなど! そこに直れ、叩っ斬ってくれる!」
「すみません! ごめんなさい!」
 平間は大慌てで平伏する。
「……ふん、まあ良い。今は刀が無いから許してやろう」
「有り難き幸せ!」
「次からはきちんと許可を取ってから触れるように」
「……そこですか!?」
「何か不服か?」
「いえ、なんでも、ございません」
「で、あろうな。ならば良い」
 平間は思った。もしかしたらこの子は、自分が守らなくても十分やっていけるかもしれない。思えば、不意打ちとはいえ茉莉を一撃で気絶させたりもしていた。
「大きい声を出したら腹が減ったのう」
「そうでした。茉莉殿が食事を作ってくれています」
「ほう! それは嬉しいのう。早速着替えるとしよう」
「はい」
「……」
「……」
「……着替えると、しようかの」
「はい」
「……」
「……何か?」
「このたわけ者が! 着替えるといわれたら、さっさと出て行かぬか!」
「すみません!! 今すぐに!」
 平間が慌てて廊下に出て、障子を閉める。
「また平間殿がやらかしていますね……」
 それを聞いた茉莉が、厨房で一人呟いた。
勝未村滞在二日目の、朝のことである。


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