八咫の皇女は奇病を食む ~おてんば娘の討魔奇譚~

Mt.hachi_MultiFace

十六:「凪」

 茉莉が、うっすらと光る髪飾りを注意して見ると、壱子の銅鏡が小刻みに振動しているのが分かった。きりきりきり……と金属同士が擦れあう音も聞こえる。思わず茉莉は、己があるじに尋ねる。
「壱子様、あれは……?」
「わからぬ。しかし……」
 壱子は戸惑いながらも、期待感に高揚した。あの銅鏡には自分がいると、そう言い遺して彼女は逝ったと昔聞いた。その銅鏡に何かが起きている。もしかしたら、ありえない事であるのはわかっているが、母にまた会えるかもしれない。そう壱子は思ったのである。
 壱子の願望を知ってか知らずか、銅鏡に更なる異変が起きた。上向きになっていた銅鏡の中心部が一層強く輝くと、ぼんやりと人影が浮かび上がってきたのである。
「かあさま? ……っ」
 人影は、等身大の人間よりはやや小さく、おそらく腰から上しか無い。徐々にそれが鮮明なものになっていくが、次第に壱子は落胆した。少しずつ明らかになっていくその風貌には、かつての母の面影が見られなかったのである。現れた者は、皇国風の服装をした中世的な顔立ちの若い男だった。そう、おそらく男だ。その姿はしばしば不自然に揺らぐが、彼自身は無表情のまま、微動だにしない。
 壱子がじっとその男を見つめている半面、茉莉はてんで何が起きているか解らずに口をパクパクさせている。
「茉莉殿、そろそろ良いですか?」
 まだ壁の隅を見つめていた平間が振り返る。なぜ許可をする前に振り返るのだ、と茉莉は思わなくも無かったが、今は瑣末さまつな事だ。茉莉には、この男からからおよそ生気というものが感じられなかった。いや、そもそも尋常な人間ではまずないのだから、当然といえば当然かもしれない。
「うおっ!? 誰だ!?」
 光の人影に気が付いた平間が、盛大に驚く。そんな従者を意に介さず、壱子が口を開いた。
「お主は、なんだ」
 彼女の声に反応したのだろうか、銅鏡から出てきた男が僅かに微笑んでそっと壱子を見遣る。
ぼくはこの銅鏡だよ。はじめまして壱子」
 その台詞に、壱子は眉をひそめる。
「銅鏡は人の姿をとらぬ」
ぼくはただの銅鏡ではないからね。さて、僕が出てこれたということは、壱子、とりあえず貴女にはおめでとうと言っておいた方が良いかな」
「どういう意味じゃ」
「そういう意味だよ。僕が出て来られるのは、およそ月に一度だけだ。最初のうちはもう少し間隔が開くかもしれないが……。もちろん、お互いに出てきたくなかったり出てきて欲しくなかったりしたらその限りではない。さあ、とにかく僕には時間が無いんでね、話したいことを話させてくれ」
「おい、急に出てきてずいぶん勝手なことを言うじゃないか」
 口を挟む平間に対し、自らを銅鏡だと言う男は心底気分を害したとでも言いたげな表情で彼をにらみ、語気を荒げる。
「外野は黙っていてくれるかな。時間が無いんだ。壱子、貴女にはいつも丁重に扱ってもらって感謝しているよ。始めは信用してもらえないかも知れないけど、葛城かつらぎすみのことも僕は知っている」
「母上の名を……ではまことなのか? それでは、あの不自然に回るのも――」
「理解が早くて助かるよ。そう、僕が答えたものだ。今日は、僕が何者なのか、そしてあの答えについて詳しく話しておこうと思う。およそ貴女には見当が付いていると思うが、あれは僕の知る範囲で答えたもので、僕が知らないもの、どちらとも言えるもの、どちらとも言えないものには返答しない。だが、僕は全能ではないがおおよそ全知だ。一つ目の可能性はほとんど無いと思ってもらってかまわない」
「一体何の話を……」
 今度は茉莉が言う。
「聞こえなかったか? 僕は今、壱子と話をしているんだ。……さあ壱子、何か聞きたいことは?」
「回答については何も無い。だが、お主が何者か知らなくては、その回答をどうとすることもできぬ」
「確かにそうだね。言い忘れていた。では説明しよう。僕はこの銅鏡に宿る人格、とでも言ったら良いだろうか。壱子、貴女たちから見れば、僕は神のような存在だと思ってもらってもいいだろう。正確ではないけどね。また便宜上『僕』と言っているが、性別は特に無い。いや、男でも女でもある、と言ったほうが正しいかな。つまり、僕の中には様々な人格がいて、男だったぼくも、女だったぼくも、歳を取ったぼくも、数は少ないが幼いぼくもいる。これがぼくだ。ドーキンスの説いた呪いからは……いや、やめよう。他には?」
「お主は……何と呼べばよい」
なぎとでも呼んでくれ」
「相分かった。では凪よ、お主は何が目的なのじゃ」
「何が、か……いきなり聞くかな、それを。普通はデバイスの仕組みとかを聞くと思うんだけど……まあ貴女らしくていいと思うよ。ただ、今はそれを説明する時間は無いんだ、ごめんね。でも必ず話す日が来る。とりあえずその日まで壱子には元気でいて欲しいから、そのための協力は惜しまない。これも約束しよう。あ、時間切れ? それじゃあ最後に一つ、あの森に行くときは服をしっかり着るんだよ。特に下半身は――」
 そう言うと光の人間、凪は忽然と姿を消した。

「そうか、これのことじゃったのか……」
 一人呟く壱子に、平間は恐る恐る問いかける。
「殿下、あの者は一体……?」
「ああ、私にもよく分からぬ。だが、分かったこともある。あの銅鏡にいたのは母上ではなかった」
 平間は思い出した。出会ったあの日、確かにそんなことを壱子は言っていた。
「ま、分かってはいたのだ。それをいつまでも引き摺っている私も悪い。詳しいことは明日話そう。済まぬが、今は少し……話せる気がせぬ」
 そう言う壱子の声は、震えていた。
「茉莉、すまぬが処理を手伝ってくれ。まだ勝手が分からぬのでな」
「は、はい!」
「では平間、また明日、な」
「……はい、また明日」
 その晩、平間の寝付きはかつて無く悪いものだった。

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