八咫の皇女は奇病を食む ~おてんば娘の討魔奇譚~

Mt.hachi_MultiFace

十三:「壱子、わめく」

「……どうしよう」
「えっ、と……なにがです?」
「ひ、ひひ、ひ……」
「ひ?」
「平間に嫌われたぁああ~~っ!!」
「ちょ、ちょっと……!?」
 突然、壱子が平間とは逆方向に駆け出した。
 茉莉には学が無い。それは、生まれてこの方、武芸だけに打ち込んでいたためである。しかしそんな彼女にも、原因はよく分からないが大人気おとなげ無くしょぼくれて何処かに行ってしまった大の大人と、同じくよくは分からないが何となく察しがつく理由で走り去っていく少女(しかも皇族)、どちらを追いかけるべきか判断するのは容易であった。
 というわけで、茉莉は壱子を追いかけることを決めたのであったが、しかし、片や普段、皇宮からろくに外出して来なかった少女と、片や(多少のコネがあったものの)一握りの優秀な者しかなれぬ近衛の女兵士である。茉莉は、軽く駆ける程度で壱子に追いつき、「どこまで行くんだろう」と暢気のんきに思いながら後を付いていった。
 当然と言うべきであろうか、その室内派の皇女は間もなく息を切らし、「何故なのじゃ……」とか「平間ぁ……」などとグズグズ泣きながら歩き始めるに至った。
「壱子様、疲れませんか? 歩くの」
「……疲れた」
「そこの河原で休んで、お話しませんか」
「……今さら何の話をするというのじゃ」
「そうですねー、『どうやって平間殿とまた仲良くなるか』とか、どうです?」
「……」
「ね、壱子様」
「……わかった、やすむ」
「そう来なくっちゃ!」
 言うと同時に、茉莉は壱子を抱き上げた。いわゆるお姫様抱っこの状態だ。
「な、何をするのじゃ!」
「まーまー、そう言わずに。なんか壱子様を見てると弟たちのことを思い出して、可愛らしくて仕方ないんです」
「……お主、弟がいたのか」
「弟と妹が一人ずついます。弟なんかは壱子様と同い年で、昔は私にべったりだったんですが……生意気盛りなんですかね、なかなか以前のように仲良くしてくれないんですよ」
「……私は生意気じゃないぞ」
「……? 知ってますよ?」
 壱子の不機嫌そうな声に、茉莉はきょとんとする。
「……なんでもない」
 頬を膨らませる壱子を見て、茉莉は優しく微笑み、壱子を抱き上げたまま河原に腰掛ける。

「ところで壱子様、その髪飾り、と言うんでしょうか、金属の円盤はなんなのです? 以前からずっと付けているので気になって」
 茉莉が、壱子の髪飾りの一部である、鈍く光る丸い銅板を指して言う。
「おお、これか」
「はい。こう言うのも失礼かもしれないのですが、もう少しお似合いになるものもあるのでは、と思って。そうだ、私が今度、皇都に帰った時に見繕ってきましょうか?」
「うむ、それも良いかも知れぬな。今度一緒に選ぼうか」
 壱子が、銅板を愛おしそうに撫でる。
「しかしこれは、母上の形見なのじゃ。だから手放すことはできぬよ」
「そうでしたか。そうとは知らずに……」
「良い。私も未練がましいと思っておる」
 目尻の涙を拭う壱子。
「見苦しいところを見せて済まなんだな。今後はこんなことはせぬように心掛ける」
「あら、そう仰いますが、月村はお歳相応で良いと思いますよ。辛かったら泣けば良いし、嫌だったら怒れば良いのです。むしろ私には、壱子様は普段あまりに大人びている気さえしますよ」
「……そういうところが、平間に嫌われてしまったのかのう」
 しょぼくれる壱子に、茉莉は思わず破顔した。
「もー、壱子様は本当に可愛いですねえ。そういうところを平間殿にも普段から見せて差し上げれば良いですのに」
「そうやって子ども扱いするでない」
「子供らしくするのも子供の仕事です。それに平間殿も、別に壱子様を嫌いになられたわけではありません」
「……ほんとうに?」
「ええ、本当ですよ。ああいう頭でっかちな人は、何かがあるとすぐ不機嫌になって、他人から離れようとするものです。弟もそんな感じなので、なんとなーく私にはわかるのです」
「どうすればいいのかのう」
「そういう人は、勝手に自分の中で整理してくるものです。待てば良いのですよ。それで大丈夫です」
「そんなものかな」
「そんなものですよー」
 茉莉の暢気な気色にあてられてか、壱子の気持ちもだいぶ落ち着いてきていた。

「ところで、壱子様のお母様はどんな方だったのです?」
 おもむろに茉莉が問いかける。
「母上か? 母上は、優しい方だった。毎晩のように、私に寄り添って物語を読み聞かせてくれたのを覚えている。寒い場所だったし友人もいなかったから、私にとっては母上とその物語とが世界の全てだった」
「寒い場所……? 皇宮はそこまで寒くはないと思いますが」
「ああ、私は二年前まで深麓みろくと言う島におったのじゃ。母上が亡くなってから、春屋島はるやしま*の皇宮に移ってきた」
「深麓……聞き覚えが無い名前ですが……」
「皇国で最も北にある島じゃが、寂しいところじゃからのう。あまり知られていないのかも知れぬ」
「壱子様、皇国最北端の島は、家七島いえななしまの兄島でございますよ」
「そうなのか? まだまだ私もモノを知らぬようじゃな」
「ふふ、今回は私の勝ちですね。『北の兄島、南の蟻島ありしま、西は鬼衆きす東上凪ひがしかんなぎ』。近衛に入るために覚えました」
 茉莉は普段誇れる分野で無いからか、いつに無く自慢げである。
「そのいずれにも、いつかは行ってみたいのう」
「そうですね。是非、お供させてください」
 その時、茉莉の腹から「ぐぅ~」と鈍い音が聞こえた。
「くっく、お主、旅より飯なのではないか?」
 そう言った壱子の腹も、中身を求める不平の声を上げた。
「……私もか」
「そうみたいですね。宿に行って、ご飯でも食べますか」
「うむ。じゃが、その前に平間を探しに行きたい」
「えー。大丈夫ですよ、あの人なら」
「上に立つ者として、私は下々の者の面倒を見なくてはならぬのだ」
 茉莉の膝から立ち上がって言う壱子の表情は、つい先ほどまでめそめそと泣いていた子供のものではなかった。
「切り替え早いんですねえ、壱子様は。分かりました、さっさと平間殿を見つけて夕食を食べましょう」
「早く来い、茉莉!」
「はーい、今行きますよ」
 今にも駆け出さんとする壱子に促され、茉莉は腰を上げた。
「全く、壱子様は私がいないと駄目ですねえ」
「まーつーりー!」
「はい! 今行きます!」


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