八咫の皇女は奇病を食む ~おてんば娘の討魔奇譚~

Mt.hachi_MultiFace

四:「屋台にて」

 華奢な少女と巨大な荷を背負った男の二人組は皇都でも珍しかったが、かといって悪目立ちするほどのものではなかった。ひとまず二人は、平間などの比較的身分の低い役人の家が集まる皇都の一画に向かっている。
「それで、お主のいる和倉係とは何なのじゃ? 決してまつりごとに明るいわけでは無いが、聞いたことが無いぞ」
司徒しと*の覆山烙愁おおやまのらくしゅう様はご存知ですか」
「烙愁と言えば、ここ何年かで急にちちうえに取り入って力を付けて来た覆山おおやま氏長うじおさか。最近は斜陽であると聞くが」
「それについては何も申し上げずにおきましょう。その烙愁様が司徒になられて間もなく発案され、昨年新たに設けられたのが和倉係です」
「覆山の示威行為じゃな」
「枕草の方はそう言っていますね。実際、目立った成果も上げられていませんから」
 苦笑する平間に、壱子はしまった、と言う顔をした。自分の職務が権力者の示威の為に出来たと言われて快く思う者はいないだろう。
「口が滑った。他意は無いのじゃ……すまぬ」
「構いませんよ。私も分かっていて勤めておりますから……それに――――」
 平間は笑って言う。
「目下の者に素直に詫びることは、大人でもなかなか出来ません」
「そうか。覚えておこう」
「さて、では私たちの職務に付いてお話いたしましょう」
「和倉というからには、出納の管理か何かか」
「いえ、和倉は当て字ですので字そのものに意味はありません。和倉はわくら、すなわちやまいと言う意味です。そのままだと縁起が悪いので字を変えたのでしょう」
「ふむ、では病を治すのだな」
「いえ、治しません」
「……なぜじゃ」
「それは医事方いじかたの仕事ですので。そもそも、私は医者でも何でもありません」
「では、何をするというのだ。何の意味も無く名をつけることも無かろう」
「なかなか説明が難しいのですが……することだけを申し上げるのならば、流行り病のある場所に出向いてその原因を解明する、のが仕事ですね」
「ほう、なかなか面白そうではないか」
「そうですね。面白いといえば面白いですが、予算も人も少ないですし、知名度もありません。さらに言えば、命の危険まであります」
「道中、追い剥ぎなぞも出るしのう」
「それもありますが、どちらかと言えば流行り病で死ぬのです。その手の病は病んだ地脈から起こりますから、その地に向かって調べなくてはならない以上は流行り病にかかる危険性は避けられないのです。昨年だけで同僚が二人、逝きました」
「……恐ろしいことをさらりと言うのじゃな、お主は」
「怖気付かれたのでしたら、喜んで王宮までお送りいたしますが?」
「そういうわけではない。そもそも私含め天帝の子らは病などにかからぬ。穢れのほうから逃げていくわ」
「それはうらやましい限りで」
「そうであろう。しかしお主こそ大丈夫なのか?」
「私なら平気ですよ」
「なぜそうはっきりと言い切れる?」
「自慢ではありませんが、私、生まれてこの方、風邪にもかかったことはございません。頑丈なのです。文字通りの大丈夫です。」
「関係あるのか、それは……」
「さあ?……まあ、そう思いこんで無ければやってられませぬ」
「大変なのだな」
「仕事とは多かれ少なかれ困難が伴うものです」
「お主がそうやって大人ぶるところ、気に食わぬな」
「失礼しました」
「これはちょっと本気のやつじゃ」
「肝に銘じておきます」
「……まあ良い。私も子供じゃから、多少はの」
 不機嫌そうに壱子は言う。
 子供の扱いは難しい。しかも皇族ときたら、どう接するのが良いのか検討もつかない。
 ふと、平間に一案が浮かぶ。
「殿下、あれを食べたことはありますか」
「どれじゃ?」
 平間が指し示した方向には、閑散とした一つの屋台があった。人通りの多い通りなのに、あの屋台の周囲だけ人がいない。そのぽっかり穴の空いたところには、夫婦と思しき中年の男女と白い湯気を上げる蒸籠セイロが見える。
「あの屋台、なぜお客がいないのでしょう」
「味が悪いからではないのか?」
「それを今から確かめてみましょう」
 壱子を連れて屋台の前に立った平間は手早く注文と支払い**を済ませる。途中、壱子が何かごろごろした物が入った綺麗な刺繍入りの袋を取り出したが、平間が慌ててなだめた。面倒な予感しかしなかったからである。
「お嬢ちゃん、熱いから気をつけてくれよ」
「うむ」
 店主から手渡された紙の包みは、なるほど、熱々である。
 壱子が恐る恐る包みを取ると、待っていましたと言わんばかりに白い湯気がもうもうと立ちのぼってくる。その様に、壱子の目が真ん丸くなる。
「そういえば今日はまだ何も食べてなかったのう。腹が減った。食べていいか?」
「どうぞどうぞ」
「毒は無いよな?」
「お嬢ちゃん、怒るぞ」
「すまぬ! それでは……わが守護者たる天上の大みかど、じゅるり、大すめら国の玉土、そして、ぐふふ、蒼き大海の王にこの恵みを感謝する。御手おば!」
「御手をば」
 律儀に挨拶をするのはいいが、端々に欲望がこぼれ出ているぞ、とは突っ込まなかった。
「……はよ食わぬか!」
 半ばあきれていると、壱子が平間のほうを睨んでいた。そうか、一応俺のほうが年長だから俺が食べないと食べられないのか。育ちのせいかどこまでも律儀だが、なんだかお預けをくらった従順な犬みたいで可愛い。このままお預けを続けてやろうかとも思ったが、今にも噛み付いてきそうな剣幕だったのでやめた。冷めても良くない。
平間が自分の包みをあけて一口かじると、それを見るやいなや壱子は自分のにかぶりついた。
一気に食べたら熱かったのだろう、壱子はしばらく苦しそうに口をもごつかせていたが、間もなく嚥下して曰く、
「なんじゃこれは!」
と叫んだ。
「老龍頭といいます」
「それはなんじゃ!」
「薄めに切った羊の肉をタレに数日間漬け置き、細く切った野菜を巻いて餡とした饅頭の一種です」
「正確には一週間だな。それにうちのタレは俺の考案した特別な調合で出来た秘伝のタレでな……」
 店主が口を挟んでくる。奥さんは、はしゃぐ壱子と鼻高々な亭主をにこにこしながら見ていた。
「美味だ……しかし美味というにはあまりに美味だ! 餡のタレと肉汁が肉厚の皮に染み出していてそれもまた美味じゃ……のう平間、こんな時はなんと言えばいいのだ!?」
「さあ……? 旨い、とかですかね」
「ありきたりじゃな……もっと上は無いのか?」
「それなら、バリウマ、とかでしょうか。“バリ”とは地方の言葉で“すごく”と言う意味だったと思います」
「バリウマか! 何だかいい響きじゃな、気に入ったぞ! この老龍頭はバリウマじゃ!」
「そんなに気に入ってくれて嬉しいねえ。お嬢ちゃん、また来ておくれよ」
「もちろんじゃ!」

 ふと、平間はあることに気がついた。周囲に人だかりが出来ている。
「殿下、そろそろ」
 壱子にそっと耳打ちする。
 この娘が壱子だということに気付かれたか。目立ちすぎたのか。しかし、皇女失踪の報は自分の知る限り民にはまだ知らされていないはずだ。しかし……いずれにしても一刻も早くここを離れないといけない。
 平間は壱子の手を取って駆け出そうとした、その時だった。
「俺にも一つくれ!」「私は三つ貰おう」「お母さん、僕もあれ食べたい!」
 人々が屋台に駆け寄ってきたのである。
 かつて無い屋台の賑わいに店主夫婦は戸惑い、そして嬉しそうに客の注文に応えていく。人々は、壱子の清々しいまでの食べっぷりに興味を引かれて集まってきたのだろう。その様を二人は、人ごみから少し離れたところに立ってポカンとした表情で眺めていた。
「……たまたま空いていた時分に来たのじゃろうな」
「いや、そんなことは……。あそこは一週間前に屋台がやってきてからいつも空いてました。味は良かったので不思議だとは思っていましたが」
「たしかに不思議じゃな。あんなにバリウマなのにのう」
「おそらくですが、空いていたから、では無いでしょうか」
「何を言っている。空いているならばこれ幸いと買いに行くのではないか? 今の私たちのように」
「いえ、今回は私があの店に行ったことがあったからあの店に寄ったのです。しかしあの屋台について何も知らぬ人は、あの店は空いているが、それは味が悪いからだろう、と思ったはずです。殿下のように」
「むう。そうじゃのう」
「その結果、誰もあの屋台に立ち寄らなくなり、その結果、味が悪いと邪推されてさらに人が来なくなる。そういった悪循環にあの夫婦は呑まれていたのでしょう」
「味が良いだけでは駄目なのだな」
「ええ、彼らには殿下のように店の前で無邪気に饅頭を頬張ってくれる客が必要だったのです」
「……やはりお主、私のことをばかにしておるじゃろ」
「……言葉のあやです」
「ふふん、まあ良い。旨いものも食べさせてもらったし、良いものも見られた。それにまだ見つかってないとはいえ、あまり長居をするわけにはいかぬじゃろ。案内してたもれ」
「かしこまりました。参りましょう」
「その前に、その……手を放してくれぬか。なんだかこそばゆい」
「これは失礼を!」
 慌てて平間は手を離す。人ごみから離れるために手を引いた時のままだったのだ。
「では、改めて参りましょう」
「うむ。……いや、少し待て!」
 壱子は屋台のほうを向いて叫んだ。
「安心せよ皆の者! 饅頭はまだあと百ほど残っておるぞ!」
 それを聞いた人々が一層、屋台に殺到する。
「殿下、いまのは……?」
「母上直伝の個数限定商法じゃ。この国のものは特に『残りあと何個』だとか『期間限定!』などというものに弱いと聞いていたが、まさしく効果覿面コウカテキメンじゃな」
 満足そうに壱子が胸を張る。
「殿下のお母上は一体……?」
「何を言うておる。母上は母上じゃ」
「そう、ですか」
 壱子についてわからないことがまた増えた、と平間は肩を落とした。しかし分かったこともある。旨いものは彼女にも旨い、ということ。そして旨いものを食べたら機嫌が直る、ということだ。
 二人が平間の住居に到着したのは、それから四半刻***後のことであった。

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