八咫の皇女は奇病を食む ~おてんば娘の討魔奇譚~

Mt.hachi_MultiFace

三:「皇族流交渉術」

 しばしの間、平間は言葉に詰まった。言いたいことが複数あり、何から指摘すればよいか迷っていたためである。だが、同時に平間は確信した。
「本物か……」
 そう、おそらく目の前にいる少女は本物の皇女殿下だということを。
 刺青、服装、口調、佇まい。それらの状況証拠に加えて、今の話が彼の常識を弾き飛ばす決定打となった。
 というのは、この子は恐ろしく現実と言うものが見えていないのである。今まで美しいものしか見たことが無いのか、そんな印象を平間は覚えていた。人間の思考と人格は、その経験によってのみ構成される、と言うのが彼の持論である。そして、この世間知らずで夢見がちな壱子の思想は、まさしく皇宮と言う閉鎖的な空間で育まれたものに違いない、そう平間は考えたのだ。
 だが、もし万が一、仮にこれが真っ赤な嘘で、かつ少女が盗人の一員だとしても、ここまで質の高い嘘になら騙されてもいいとさえ思える。しかし、今となってはその可能性も考えるに値しない。なぜなら平間は、こんな手の込んだ話立てを用意してまで騙す価値のある人間ではないからだ。

 さて、いよいよ彼女が本物であるとすると、話が変わってくる。
「ひとつ聞かせて欲しい」
「何じゃ」
 顔を上げて壱子が応える。
「いや、その前に跪くのをやめていただきたい」
「じゃが……」
「お願いします」
「……分かった」
 立ち上がった壱子と入れ替わるように、今度は平間が膝を付いた。

「確かに、この平間京作は権力欲にまみれた俗物です。ですがもし俺……いや、わたくしが、あなたの、殿下の願いを聞き入れたとしましょう。その後、殿下が追っ手に見つかり連れ戻されたとき、私はどうなりますか」
 平間の質問に、壱子はしばらく思案する。が、結論が出なかったのであろう。
「……どう、とは?」
 ああ、やっぱり。平間の疑念がほとんど確信に変わって行く。この娘は、彼の問いかけの意味そのものが分かっていないのだ。

「質問の仕方が悪かったです。陛下はその時、私のことをどのように思われるでしょうか」
「……わからぬ」
 問い直しても、壱子の答えは変わらない。平間はさとすように言った。
「きっとこのように思われるはずです。私が、皇室の一員たる殿下を、かどわかしたと」
「……! それは違う!」
 心外だと言わんばかりに、壱子が反論する。しかし彼女が続ける前に、平間がさえぎった。
「違いませぬ」
「違うではないか! 私は自ら望んで、お主に付いて行くのじゃぞ」
「違わぬのです殿下!!」
 思わず声を荒げた平間に、壱子が今回は怯んだ。

「申し訳ありません。ですが、違わぬのです。なぜなら私は今、おおやけが殿下を探しているのを知っています。公とはすなわち帝です。その上で私が取るべき行動は、只一つ、殿下を連れ戻すことです。なぜなら、この国で最もとうとい方は帝であり、また私はその臣であるからです。にもかかわらず、私があなたの素性を知りながらそれを隠して共に旅に出たとしましょう。これは即ち――」
「……兄上への叛逆、か」
「そうです。その事実に、今のあなたの意思は介在しません。あなたが見つかった時点で、私は皇女殿下をかどわかした大罪人になるのです。まず間違いなく、陛下に死を賜ることになるでしょう」

「それでも……お主は私の素性を知らなかったと言えば――」
「関係ありませぬ。罪とは、行動と、それを観測する者から生まれるものです。知ろうが知るまいが、皇女殿下を帝の意に反して連れて歩いたと言うだけで、充分死罪に値します」
 平間の言葉に、壱子はあからさまにうろたえた。
「そんな……ではどうすればいいのじゃ」
 すがるように問う壱子に、平間はあえて冷淡に言う。
「お戻りなさいませ」
「……嫌じゃ」
「殿下」
「嫌なものは嫌じゃ!」
 駄々っ子のように言う壱子は、やはりまだ子供なのだろう。ほとんど泣きそうになっていた。

 それを半ば無理やり無視し、平間は追い討ちをかける。
「……ではもう一つ、申し上げましょう。殿下の身の回りの世話をしていた者たちは何名おりましたか」
「二十人ほどじゃが、それがどうした」
「そのことごとくが数日のうちに死ぬことになります。殿下がお戻りにならなければ」
「……何故じゃ」
「殿下が王宮を抜け出すのを止められなかったとがで、です。もしかしたら彼らの伴侶や親、子に至るまで皆、首を落とされるかもしれません。三族鏖さんぞくみなごろしです」
「それは……」
「彼らの為にもお戻りなさいませ、殿下。それだけ殿下のお生まれは貴いのです。酷な事ですが、あなたの行動一つで何人もの臣を死に至らしめるのです。それが理解できぬほど蒙昧なあなたはございますまい」

 平間がここまで論を広げて壱子を説得するのには理由があった。
 まず、平間は危険を冒してまで自信の欲に従うような人間ではないのである。しかるに、彼はなるべく穏便に、自分に何の負の影響も無いように壱子を皇宮へと返すことを、無意識に画策していたのである。
「……分かった」
 しぶしぶ、といった口調で壱子が言う。平間は、目的を達成した。
 と、思われた。
「有難い。ではすぐにでも――」
「いや、戻らぬ。と、言うか、戻れぬ」

「……は?」
 壱子の予想外の台詞に、平間は思わず間抜けな声をあげた。
「理由を、お聞かせ願えますか」
「良かろう。まず、私付きの女官は一人として死なぬ。なぜなら私は、兄上に疎まれているからじゃ」
「そんなことは」
「あるのじゃ平間。兄弟というものには色々と、な。第二に、戻れぬと言ったのは『私が』ではなく『お主が』じゃ」
「……仰っている意味が分かりませぬ」
 ぞわり、と嫌な予感が平間の背筋を舐める。
 そんな彼とは裏腹に、壱子の言葉は明瞭に、ころころと転がっていく。
「ではその訳を説こう。もしお主が、私の意思に反して無理やりにでも連れて帰ったら、私は迷い無くお主にそそのかされたと泣きながら訴える。それはもう、この世の終わりのようにな」
 平間は驚嘆した。そんな事をされたら、まず間違いなく自分は死ぬ。
少し賢い娘だとは思っていたが、ここまで知恵が回るとは。
それでも平間は、何とか反論を試みる。
「……それは嘘、でございましょう」
「関係ない」
 涼しげな声で壱子が言う。
「私は大人で、殿下はまだ歳若くあらせられます」
「それも関係ない。なぜなら、私は第八皇女、玲漸院壱子なのだから」
 それを聞いた平間は、大いに後悔した。
 悔しいがその通りだ。木っ端役人一人の生き死になど、目の前の少女の口先一つで、文字通りどうとでもできる。しかも、その力が彼女にあると伝えたのは自分だ。笑えるくらい迂闊だった。黙って警吏に引き渡しておけば良かった。背の溝を、冷や汗が流れていく。

 さらに壱子は続けた。そこに確固たる意思を込めて。
「第三に、私は戻りとうない。まあ、これが全てかも知れぬな」
 壱子は再び膝を折った。二人の目が合う。透き通って輝く瞳。平間の右のてのひらを、小さな二つの手が包んだ。しっとりとやわらかく、しかし冷たい手だ。
「のう、平間。お主は良い人間じゃ。私のような子供に対しても斜に構えず、真摯に話してくれた。そんなお主と共に旅をしてみたいと、私は改めて、そして心から思った。もし途中で連れ戻されることになっても、その時はもちろん、私の名に誓ってお主に罪は問わせぬ」
 壱子の手に力がこもる。
「どうか、頼む」
 彼女の手は、小さく震えていた。頬に光るものが走るのも見える。

 平間は思わず苦笑した。参ったなあ。この皇女様は、人をたらしこむ天才なのかも知れない。否定し、脅して、おだてて、最後に自分の弱みを見せる。こんなの断れるはずが無いじゃないか。
 その脅し一つを取っても、取り入れたばかりの知識を即座に、かつ的確に応用している。ッその質の高さは、無才な子供がたまたま出せるものではない。
 平間は大きくため息を吐き、そして、観念した。「この娘のためなら今の生活が壊れても良いかもしれない、どうせつまらぬ人生だ」と、そう思えた。
 もしかすると、陳腐な暮らしに新しい風を待ち望んでいたのは、平間も同じだったかもしれない。この娘は面白い。先が見えない。いつ以来だろう、平間は好奇心で胸が高鳴るのを感じた。そして彼は決断する。
 この際、どこまでも付き合ってやろうじゃないか。

「わかりました、殿下。全て御心みこころのままに」
 平間の言葉に、壱子の表情がぱあっと明るくなる。
「本当か? 本当に良いのか!?」
「仕方がありません。一介の臣である私が、どうして皇女殿下に逆らえましょうか」
 その言葉に、壱子はわざとらしく不機嫌そうに唇を突き出す。
「……そんなこと思ってないじゃろ」
「とんでもない。心から敬服しております」
 半分は本当だ。しかし――
 言うが早いか、思わず平間が噴き出し、笑い出した。つられて壱子も笑う。

 それが収まってから、思い直したように平間は言う。
「ですが殿下、太平の世と言われる今、過去の乱世ほどではないものの、旅路には危険が多うございます。ですから道中は、私の言うこと全てに従っていただきたい。お約束いただけますか」
 その言葉に壱子は大きく頷く。
「うむ、分かった」
「それと、外套を着ていただけますか。ひとまず私の家に向かいましょう。着いてしまえば安全です。あと、道中はなるべく堂々と歩いてください」
「しかし……しっかり顔を隠したほうが良くないか?」
「コソコソしていると逆に怪しまれましょう。まだ日も高いですから、堂々とした方が人込みに溶け込んで、結果的に注意を払われにくいと言うものです」
「なるほどのう。葉を隠すなら森の中、と言うわけか。さてはお主、忍か何かか?」
「まさか。ただの腐れ役人ですよ」
「腐っているのか」
「ええ。性根がね」
「そういうものか」
「そういうものです。さあ、そろそろ参りましょう。なるべく早く安全なところへ行きたい」
「うむ」
 そう言うと、壱子は平間の腕に両腕を絡ませてきた。突然のことに、平間は思わず日和る。
「……殿下? 何を」
「おぬしの言ったことの実践じゃが? 皇女は普通このようなことをせぬ。より人の中に溶け込まねばならぬのだろう」
 そう言って、壱子は悪戯っぽく笑った。
「皇女と腕を組んで歩くなぞ、めったに出来ぬ貴重な経験じゃ。特に女慣れしておらんお主には、の。有難く思うがよい」
 平間は思わず赤面した。そんなこともバレていたのか。
「……有難き幸せですな」
 苦々しさが口調に隠せていないことは自覚していた。一方、それを聞いた壱子は得意げである。
「ふふん、わかれば良いのじゃ。では、参ろうかの」
「はいはい畏まりました、殿下」
「む。その言い方、やはり敬意が感じられぬぞ」
「仕方が無いでしょう? われわれ庶民は普通、年下の娘にへりくだることはありませんから」
 壱子がわざと眉をひそめる。
「……大人気おとなげ無いの」
「殿下こそ、子供らしい素直さを身につけられても宜しいのでは?」
「口が減らぬ奴じゃ」
「それはお互い様でしょう」
 二人は互いの顔を見合う。
 昼下がりの皇都の一画に、またも二人の笑い声が響いた。



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