BOXes 20@1

神取直樹

聖域で裸足のワルツを

 朝一番、日のまだあまり立たぬ中、巫女装束を着た女性が、道をはく。冬が進みに進んだ今では枯葉など殆ど無いが、それが彼女の日課であった。簡単に、アナログな竹箒で砂利の上を撫でると、お決まりのジャリジャリという音がして、その音が、その神域に参拝者を招き入れる合図になっていた。
「おはようございマス、アサフセさん」
 ふわりと、軽やかな声が、巫女、朝伏の耳に通った。
「あら、クローディアさん、今日もお早いですね」
「エェ、今日は、ゴミの日だったので」
「そういえばそうですねえ、うちもそろそろ出さなくちゃ」
 ね? と、朝伏が言う頃に、嫌に暗い障子の奥から、鞄を背負う青年二人、揃って欠伸をかいて、半分スニーカーを履いていた。まずい事を言われたと言うように、黒髪と偽物の黒目を揺るがして、青年一人が唸る。
「ゴミ捨て頼むくらいなら、ちゃんと纏めておいてくれよ姉さん」
 そう苦笑いで言うと、後ろで、フードを被ったもう一人が、そうだそうだと追いをした。だが、それに動じることもなく、朝伏せは一言呟いた。
「あら、お台所に纏めておいてくれたわよ。理夜ちゃんが」
 観念して、溜息一つを神域にぶちまけながら、黒髪が振り返って、暗闇の中に吸い込まれるが如く消える。
「リヨさん?」
 クローディアの問いに、朝伏が笑いかけた。
「親戚何です。つい最近、アルカ……っ、イングランドから帰ってきたんですよ」
「まあ!」
 突如としてクローディアが嬉々の声を上げる。それに驚いたのか、朝伏の肩が一瞬震える。それもお構い無しに、クローディアは笑う。
「わたし、イギリスです、ふるさと!」
 母国の話を切り出したからだろうか。それは饒舌に、滑るように彼女は口を動かす。
「何かのhomestay? 留学生? 何年いらっしゃったのデスか?」
 問われた質問には、朝伏は答えられない。助けを求めるようにフードの中身を覗くが、彼も目を逸らすばかりで何も答えられない。そんな中、屋敷の中から聞こえた何かを殴りつける音が、一瞬の話題の膠着を解いた。
「あぁ、やられたな、了」
 ニッと、フードの中から待ってましたというように、晶は白い歯を見せる。
「失礼」
 静かに、そっと、暗がりの中から赤い瞳が現れた。それは、手櫛で整えたのであろう、なだらかだが絡む長い黒髪を携えて、握った拳と寝起きの目つきの悪さを讃えつつ、降り立った。
「夜中にお腹が減って、あに……っ、子犬達と食物を漁りそのままキッチンで寝ていたらいつの間にか朝になっていました」
 あぁ、だから口にマヨネーズ付いてるのね、と、朝伏がボソリと言うが、それも気にせずに、理夜は仁王立ちである。その隣から、眉間にシワを寄せ、目のあたりを懸命に弄る了ががなった。
「それをわざわざ叩き起したら鼻めがけて躊躇無く殴られたわ! クソが!」
「レディを叩き起すのが悪い」
 珍しく声を荒らげる了に、朝伏は多少驚いていたようだが、それ以上にクローディアが突然の事に驚き、口に手を当てたままポカンと眺める体勢に入る。他一人は長期戦を予測して、屋敷の縁側に座ってまた欠伸を落とす。
「俺が毎朝飲んでるサイダーも全部勝手に飲みやがっただろお前!」
「私がいるのにあんな少ししか置いてなかったのが悪い」
「五リットルは少しって言わねえ!」
「それより年下のレディが変なところで寝ていたら、暖かくしてあげるとか、部屋に運んでくれるものじゃないの? 本当に貴方ってエセ紳士ね」
「エセ紳士って何だよクソが!」
「一見優しいのに中身はクソが詰まってるアンタみたいなクソ野郎の事よ。クソ、クソ、クソ野郎」
 笑いをこらえきれなくなった晶が、ハハッと笑うと、すかさず了が手持ち無沙汰を解消するように、脳天への一撃を決める。荒々しい口喧嘩と拳が飛び交う平和な戦場に、その場はなりかけていた。解決策を見つけられないまま、朝伏はクローディアに一つだけ謝辞を込めて、ごめんなさい、うちの子が、と、姿勢を正して呟いた。
「いいえ。きっと、アサフセさんは何も悪くない、です?」
 その発音は理があるか本であるかはわからないが、クローディアの言葉に瞬間的な感情を持ってしまい、朝伏は溜息混じりに微笑むしかなかった。

「何だ、神社で騒がしい」

鳥居の外からそんな声が聞こえて、全員が耳を傾ける。ハッとして、了と晶が目を丸くして握る拳を緩めた。
「中嶋先生、おはようございます」
「あぁ、おはよう」
 朝伏との軽い朝の挨拶を済ませ、眉間にシワを寄せながら、中嶋が紅く大きな鳥居をくぐって歩み寄る。その歩み寄る先にあるのは、冷や汗をかいている双子であった。お互いに目を逸らして、冷たい目線で殺しにかかっている、理夜が追い詰めるための刺し傷を手で拭うフリをする。
「よお」
 とびきりの笑顔で二人に短く問う。その問いがどういう内容か、二人にはわかりきっていた。
「……どうも、センセ」
 耐えかねた晶が参りましたと言うように、両手を上げて口角を上げる。
「あぁ、おはよう晶己。この状況は何だ?」
「昨日から親戚のお嬢が来ていて、それが大食いだったもんで、自分のモン食われたうちの三男坊がブチ切れてるって感じの状況」
「なるほど?」
 全く。全くという程理解は出来ていないだろう。そんなイントネーションが、低音の震えで聞こえた。
「おふざけは終わり?」
 区切りを見つけた朝伏が、微笑む。多少の殺意と威圧を感じ取って、その場にいる中嶋以外の全員が、静かに噤んだ。
 すると、突然、了がバキりという音と共に、その下半身を黙って消した。
「…………不可抗力」
 一瞬何が起きたのかが理解出来ないからだろう、一人でキョロキョロと、口をポカリと開けたまま、了はそう呟いてしまった。冷静になっている理夜が、酷く無表情に放った。
「アンタ、そろそろ仕事行かなくていいの?」
 それこそ尤もな意見であると、急ぎ抜けた板から這い出て、スニーカーを半分履いて、晶と了が駆け出す。それを見送りながら、残りの四人が、中嶋の溜息で意識を取り戻す。
「本当にあの二人は昔から変わらない。落ち着きが無くて口が悪い。おまけによくドジを踏んでは危ないことにも巻き込まれて……見てるこっちが落ち着かない」
 その発言に朝伏が微笑んで、口を抑えた。朗らかな北風が吹く。
「大学出て仕事が貰えるまでよく頑張ったもんだ」
「うちの愚弟二人がそんなふうに言われると、私も嬉しいですよ」
 にこやかな空気に包まれたからか、朝伏のそれにつられてか、クローディアも、静かに口角を上げていた。
「あの二人は、悪い子だったんですか?」
 ふとした質問に、暫く悩んだ上で、何だかんだで興味を示している理夜を見て、思い出したように言う。
「俺が務めてる高校の卒業生なんだがね、中学でかなり暴れて、うちの学校に来た時にゃ、特別にマークされるくらいで。まあ、つまり、悪い奴らだったってことだ」
 あら、と、少し驚いたように朝伏が反論しようと口を開いたが、それを遮って、理夜が唸った。
「アイツらは人間が嫌いだっただけよ。人間の欲に食われそうだった所を逃げたんだもの。親を人間に消されたんだもの。それに奇異の目で見られたら、暴れて当然よ」
 眉間にシワを寄せて、獣のように。理夜が上から見下ろす形で、中嶋を睨んだ。その目は憎しみが込められ、逃げ出せぬようだった。
「何か知ってるのか、君は。というか君は何者だ。親戚と言ったって、俺は大宮達に近しい親戚の中に、君を見たことがない」
 理夜は舌打ちで空気をかき鳴らす。その空気の震えに、クローディアが身震いし、それに気づいた朝伏が一言「大丈夫ですよ」と硬い笑みを浮かべた。ただ、そんなのお構い無しに、理夜は饒舌に語った。
「私は大宮理夜と申します、中嶋先生。つい最近、日本に帰国したばかりの、この大宮家の分家で生まれた者です。この家の養子であるあの二人については、暫く文通をしていた仲で、彼らの事情、国のチリ共にも言わなかったことを知っています」
 そう言って、ペコリと丁寧なお辞儀をして、理夜は裸足で土を踏んだ。
「十四年前、行方不明になった大宮一夜は、私のことを妹のように可愛がってくれていた……というように説明すれば、充分かしら?」
「どこの国に行っていた」
「十四年間、妖精の住む国、ブリテンの島へ。英語、話せますよ?」
 極端な白い肌には似合わない素振り。裸足で土の上を平然と歩き、難しい顔をする中嶋を無視して、理夜は、紅い鳥居を潜ろうとしていた。
「どこ行くの、理夜ちゃん」
 心配そうに朝伏が止めると、彼女は振り返らずに神域の外で跳ねた声を打ち上げる。
「あのクソ野郎のせいで野宿してる王様と、騎士を迎えに」
 嵐のように過ぎ去る悪運は、階段を降りるにつれて、目線の外へと追い出される。中嶋が唾をゴクリと飲んで、咳払いを促す。
「大宮家ってあんなのばっかりだな」
 中嶋がそう言うと、やはり朝伏はクスリと笑うだけだ。クローディアが話題の通じなさが堪えたか、緩く閉めた水道の蛇口の如く、言葉を紡ぐ。
「あのう、アサフセさん。参拝所はまだ使えませんか?」
「あぁ、そうね、失礼したわ」
 朝伏がクローディアの言葉に気がつくと、拝殿の賽銭箱の奥にある襖を開け、その部屋の明かりを点けて、言葉を零した。
「はい、どんどんお賽銭落としてってくださいね。きっと願いは叶いますから。多分」
 正直すぎるところが、時々、その場を凍りつかせるのだ。それはどこの人間だってそうで、ただ、冗談めかしく言っても、それが突き刺さることもある。それが、今この時だったのだ。クローディアと中嶋の表情が抜け落ちる。朝伏は今まで、早朝に神社に参拝に来るのはただの日課だと思っていただけあって、かなり理解出来ない空気の冷たさであった。
「ごめんなさい、何かありました?」
 あぁ、いや、と、中嶋が重く口を開けた。
「実は、同級生の一人が、行方不明で。しかもうちの学校の生徒も何人も最近行方不明や殺害された者がいて……ここ数日はその収束を神頼みに来ていたんで」
 なんだそんな事かと、朝伏は心の中の留めて、クローディアの方の目を見る。彼女は震える唇を噛み締めて、声の震えを押し殺した。
「私、は、その、恋人が、この前から行方不明で」
 二人の言葉を聞いた後に、朝伏は大きく溜息をついた。それは半分自分へ、半分二人の境遇に向けてのものだ。
「すみません、私、そういうこと知らなくて」
「アサフセさんは、悪くないです。最近は、行方不明と殺人事件と、テロが増えてて、それが、悪いんです」
「でも、私も、身内が行方不明になる辛さは知ってますから」
 遠い目で、朝伏がそう言う。それを見ていた中嶋の眉間には、一瞬、深く皺が刻まれていたが、女二人はそんなことは気がつく素振りも見せなかった。それはただ、中嶋のそれに気づく前に、カタリ、キシと音がして、その方向を朝伏が見たせいでもある。その目線の先には、黒い毛玉が二つ、了が落ちた穴を調べるように匂いを嗅いでいるのが見える。ちょいちょいとその小さな手と肉球で穴の断面を触ろうとしていた。
「こら! 危ないから触っちゃメ!」
 朝伏のその大声で、毛玉は跳ね上がり、穴から遠ざかって、板の上をぴょんぴょんと跳ねた。キューキューと可愛いような、そうでないような声を出し、その赤い瞳は必死に何かを訴えるようだった。
「何だ、ポチとタマか。飯やろうか。缶詰あるぞ?」
 中嶋が至極冷静にそう、真面目な顔で言う。二匹は明らかな嫌悪を抱いている様子だったが、それもお構い無しに、中嶋は二匹の獣の子に近づいていく。
「ポチとタマって、犬? 猫?」
 クローディアの独り言を含んで出てきた問いに、朝伏が苦笑いで応えた。
「どっちでも無いですよ、多分」
 その表情は何処か悲しくもあり、嬉しそうでもあることを、異国人でありながら、クローディアははっきりと感じることが出来た。黒い毛玉は、撫でようとする中嶋の手を逃れて、瞬時に、朝伏の肩を二匹で取り合いになりながらも乗っている。朝伏の顔が、黒い長い毛の尻尾で覆われ、それで黒く暗くなった視界に、またも、朝伏は大きく重い、それでも多少嬉しそうに、溜息をその空間に押し付けてしまった。

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