BOXes 20@1

神取直樹

コドモ≪白黒編≫

 真夜中にスーツを着た女が一人、ベンチに座った。彼女は溜息を吐いて、首に巻いていたマフラーを解いた。
「なあんでこんなことになったかねぇ……」
 また一つ溜息を吐くと、ベンチに寝そべる。その姿を見た少年が一人、女性に近づく。それに気が付いた彼女は、体を起こし少年と目を合わせた。
「坊ちゃん、どうしたの?」
 声をかけると、少年は彼女の隣にちょこんと座った。女性は掛けていたいた眼鏡を掛け直し、笑う。白い肌と紅い唇が夜中の闇に映えた。少年は一瞬顔を赤らめ、女性の手を掴んだ。それに驚いたのか女性は「キャッ」と小さく声を上げる。
「お姉さんが泣きそうな顔してたから……」
 少年のか細い声が女性に聞こえた。その声に、微笑みを称えて彼女は少年の手を両手で包む。
「そうね、辛いことがあったの。上司にリストラされそうになっちゃって……もう私ムカついて、自分から辞めてきちゃった」
 彼女の手肌は冷たい。少年は目を会わせて悲しそうな顔をする。
「でもまあ、次の仕事は自営業って決めたから良いんだけどね。一緒に着いて来てくれた人もいるから」
「何だ、なら、泣く必要なんていないじゃない」
「そうね。その通りだったわ」
 女性の顔は満面の笑みを作り出す。少年はそれに釣られて笑った。冬の夜の冷たい風が、頬を撫でる。彼女の唇に塗られた紅めの口紅は、剥がれかけている。
「お化粧下手なの?」
「あぁ、いつもはしないから。
 ――――知ってるでしょ? 貴方」
 少年の眼に女性の笑みが気味悪く映る。否、初めから薄い笑いに期待などしていなかった。自分だって心にもないことを言っているのだから。
「祇樹クンよね? 黒魔術使うんだっけ?」
 女性は立ち上がり、少年、祇樹を見下ろしてそう言った。祇樹はベンチから即座に離れる。女性の眼が、遠くからでも光って見えた。
「裏切り者の処罰にこんな可愛いコ使うなんて、レックスも解ってるわね。だから嫌なのよ」
 そして聞こえてくるのは魔女のような高笑い。ただし、声以外は何も見えない。的確には、声も目には見えないのだから、今、女性を認識させるものは何も見えていない。確かにあるのは声一つだけだった。

 刹那に、鋭い痛みを感じる。血液の匂いが鼻についた。両腕を見てみれば、そこには一つずつの切り傷。少しだけ顔を歪め、祇樹は体勢を立て直そうと、屈めていた体を立たせる。
「白に黒魔術って面白いわよねー……」
 女性、白。祇樹が知るのはその名前とおおざっぱな性格、見た目だけだった。彼女の服装も声も、記憶していたはずだった。しかし、今見える彼女の姿はどう見ても記憶には無い、新しい姿だ。社会人らしい女性物のスーツに、ツリ目を隠すような眼鏡、口紅。彼が知る彼女はジャケットを着て、丸っこい裸眼、ジョシリョクというものが無いらしく、化粧は一切したことが無い。そんなサバサバとした女性だ。
「どうしたの? 白ちゃんを殺しに来たんでしょ? 頑張りなさい?」
「言われなくても解ってるよ!」
 祇樹の焦りを助長するためか、いつもの彼女の口調か、挑発が始まる。戦闘に置いて、それが最も相手を弱体化させるのに有効だと、挑発されている本人も良くわかっていた。
「ねえねえ、黒魔術って戦えるの?」
「戦えるよッ!」
 声が荒くなる。また、痛みが襲う。血液が目に見える。白はノーモーションに何か、刃物のようなもので切りつけてきているのか、いつの間にか音も無く皮膚がすっぱりと切れているのだ。もう、何を気にしたらいいのか解らない。
「でも確か魔術系統ってのは戦闘向きじゃないでしょ? 魔術自体、儀式的なことの総称みたいなものじゃない。貴方みたいな子、殺したくないのよ。坊ちゃんはお家に帰って私を呪っていなさい」
「舐めんな!」
 自分が自ら赴いた意味を、彼女はまだ理解していない。それが唯一の救いであり、チャンスかもしれない。出来るだけ顔に出さずに、祇樹は『それ』の発動に掛かる。おそらく時間は然程かからない。手を彼女の半径三メートルの地面に触れるだけだ。一気に足を動かす。白に向かって駆け出し、踏み込もうとした。踏み、込もうとしたのだ。確かに。
 足が、動かない。おかしい。感覚が無いのだから動かないのは当たり前だ。重力により前のめりに倒れ、頬と肘が擦れる。
「あらあら? 大丈夫? 擦り剥いちゃった?」
 子供をあやす様に、その女はやってくる。何をしたのか解らないが、思考が麻痺しているが、今、このままコッチへ来いと叫びたいのを我慢する。ゆっくり、ゆっくりと彼女はやってくる。

 一、二、三歩。あと少しだ。ハイヒールがほんの三メートル先に入った瞬間に、祇樹は指先に力を入れる。

 腕から、何かが溢れた気がした。



 歩兵戦から暫くの時間が過ぎた頃、晶、了に連れられて、青年は街の中を歩いていた。ファーストフード店から死体が見つかった事件に関し、世間の反応は大きかったが、犯人が迅速に逮捕されたとされており、騒ぎ自体はそれほど大きくなることなく、終息を見せている。その事件に関わった人間としては、どうして犯人が逮捕されたのか、青年は首をかしげたが、Pandoraの面々と共に知らぬふりをし続けた。それが相応の対応であると、二日の間にて悟ったのだ。
 その二日間、自分の身を守るために、彼は双子の後を着いて回っていた。とは言え、彼らは裏の仕事が一つ終わったからか、何か奇妙な行動をするわけでもなかった。
「で、アリスは仕事覚えたのか?」
 夜のPandora本部では、ここのところこの言葉を聞き続けていた。短い間でも、了は世話焼きな青年だと言うことがよく解る。青年はその問いかけに
「まだ、少し」
 と、答えて場を過ごした。
 晶は何か気にすることも無く、了の隣で新品の黒いダウンコートを着込んで、フードを被り、魔法瓶に入れた紅茶を飲んでいる。ちらちらとこちらを見て目が合う度微笑んでくるのは、おそらく兄弟で似ているところがあるからだ。ここのところ、特にコートが新調されたらしい昨日からは、とくに優しい言葉をかけてくる。彼が自分の乳首を押して意識があるかないかを確認し、必要以上に押し続け、ベットの下に追い込んだ青年だとは思えない位だ。思い出すだけでも精神を蝕んでくるそれは、もうほとんど感じられなかった。

「仕事の事は良いとして、街の事も覚えておけよ。お前は殆どこの辺のこと解らないだろうから」
 了の声に青年は照れ笑いしながら頷く。それに対して了は苦笑いで対応した。
「まあ、どうせ何するにも俺かキングとかが付いてくれるから気にしなくて良いんだけどさ、引きこもりになられても困るし、簡単なお使いくらいは出来た方が良いだろ。だから、ちゃんと覚えておけよ」
「はい、わかりました」
「虫とかに関しては……そうだな、札を作ってもらうかしても良い。腕のいい職人を知ってるんだ」
「今日はそこに行くんですか?」
「いや、そうじゃなくてな……」
 如何にも話が進まない。何か、隠されているようで。不安げな顔を向けて見ても、彼らは一向に表情を変えない。
 クイーンから名前を与えられたときも、彼らは自分を押さえつけた。隠し事をされている気がするのは、何処となく気分が良くない。
「あの、二人に聞きたいことがあるのですが」
 青年が声を出すと、すぐに振り向いてくれる。子供に隠し事のある両親のように。二人の顔がゆっくりと毒を流し込むような表情に見えた。
「何だ?」
 いつも一番に声をかける了。それにアクセントをかけるように晶はこちらに目を向けるだけだ。いつものパターンに、疑心暗鬼の青年は更に疑いをかけてしまう。

「僕はどうされるんですか」

 限りなく出そうも無い声を絞り出し、双子に目を向ける。二人は目を見合わせて、不思議そうな顔をした。
「質問の意図が解んねえよ」
「僕は、これから何かされるんですか」
「……さあね、お前が何をするかじゃねえの」
「……クイーンには、何か言われてるんですか」
「当たり前だろ。アイツはお前を今一番気に入ってる。毎日色々言われてるさ」
「…………」
「終わりか? 何もないなら俺等に着いて来いよ」
「……やっぱりだ」
 青年が、駆け出す。突然の事に、双子は捕まえきれなかった。
「おい待て! 何がやっぱりなんだよ!」
 先程まで声を出さなかった晶が叫ぶ。青年と同じく駆け出したが、人混みにまぎれて最早どこに行ったか解らなくなってしまっている。
「詰みかよ……」
 晶の唸りは、誰にも届いていない。



 青年の深い緑色の瞳に、もうあの双子の影は無い。追ってくる気配もないほど、街の人混みを駆けていたのだ。彼自身はとても目線というものに敏感だ。だからこそ、今自分を見ている人間がいないと断言できる。
 久しぶりの自由だ。彼らに助けられてから息苦しくて仕方が無かった。しばらくしたらPandoraに舞い戻るか、どうにかしよう。一人で生きることは出来ないと、それくらいは理解していた。子供の頃の秘密基地に引きこもるときのようなワクワク感が、体全体を支配している。
 頬は紅潮し、それこそ人形のような美しさだ。息を整え、黒い長めの髪を耳に賭ける。一連の動作は気品にあふれ、一般人ではないと言わせられる。
 ふと、後ろから生暖かい空気が流れてくるのに、青年は気づいた。大急ぎで振り向く。

「あぁ、こんにちは」

 長めの黒髪に、どこかで見たことのあるような目線の男。背は普遍的で、服装はファー付きのジャケットで少し派手だ。だが一つ一つの小物は高級そうで、本人の立ち振る舞いも自信にあふれているような、それこそ【王】のような。
 観察に掛かった時間が長かったのか、男は少しムッとした表情で、青年を見下した。
「こんにちは、と言っているんだから、君も返したらどうだい。腹が立ってくるんだぜ」
「す、す」
「スミマセンと言う前に返せよ。『こんにちは』に対する答えを」
「こ、こ、こんにちは……」
 圧倒的な威圧。多くの者に恐れを抱かせてしまうであろうオーラが見える。隠そうともしない敵対心。幼ささえ感じてしまうほど正直な雰囲気に、青年は蹴落とされてしまった。

 男の後ろに、目線を感じ取ったのはその二秒後だ。

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