BOXes 20@1

神取直樹

肯定行程皇帝

「ヒッ」と、青年は瞬間的に声を漏らす。何故、今目の前にある肉塊は動き出したのだと。誰も予想はしていなかった出来事に、皆それぞれの動きをする。しかし青年は、そのまま動くことも無く顔を引きつって座り込んでいた。
 気が付くと、肉の間から見える、つぶらな瞳に青年は目を合わせてしまっていた。青年は懸命に目線を逸らそうとするが、瞳はその眼を追いかけてくる。
――――ガバリ、と音がした。
 それを聞きつけた彼は身構える。瞬間に目を瞑った。
「アリス! ちょっと逃げろ!」
 晶か了かは判別がつかなかったが、その二人のどちらかが、青年に注意を入れた。今彼に何が起きているか、これでわからなくなった。おおよその事、音と感触、臭いはまだ感じ取れるが、人間が一番に信用できる視界という感覚は、しばらく使えない。
 何か濡れたものが自分の顔に触れている。鉄のような臭いが生暖かく近くにあることからして、血液で濡れているのだろう。そして、それは何か息をして喉の奥で笑っているのだ。自分の顔の近くに、生き物が血塗れで張り付いている。重さは自身の太ももにかかる重量で解る。人間の子供ほどはあるだろう。その重さで、青年は立ってみようにも立てない。
 やっとのことで落ち着きを取り戻し、瞼を開け、その生物を目にする。
「ニヒッ」
 淡い紫の瞳をらんらんと輝かせ、子供らしい笑顔を青年に向けている、その生物。茶髪に紫の眼、白い肌。服は着ておらず、一通り青年の顔を見つめると、子供はせっせと自分の体を腕から隅々まで、猫の毛づくろいのように舐めようとしていた。
 しなやかに身体を曲げ、赤い舌をチロチロと出しながら血液を舐め取る子供を見ながら、晶が了に耳打ちしようとする。
「これが色欲か?」
「あぁ、らしいな」
「それにしちゃあ年齢が低すぎだろ。あの時は俺等と同い年だったはずだ」
 双子たちの会話は、単純に、単調に、お互いの意思を同じにして、鏡に映った自分に自分の存在を確かめるように進んでいた。子供に視線を映し、見るところを見ると、子供は少年であるらしい。

「女の子が良かったなあ……それならばっちり俺の好みなんだけど……」

 扉の方から、声がした。
「色々と通報したいんで俺。イヴ、アダム。早く治療してください」
 キングが扉の方を見て無表情のままそう呟いた。
「ちょ、通報したら一発で死刑判決出ちゃうから。早まらないで。あ、治療は良いんだけど」
「おう、遅かったな夜」
「晶は普通にいつもの事みたいに流してくれないでくれる? 俺不安になっちゃう。別に俺、男の子は不可」
 持っているビニールの袋がガサガサと音を立てる。会話を切りたいためか、夜は歩いて少年の前まで来ると、その袋から紅い果実を取り出した。
「クイーンの命令で少し、用意してみたんだ。あと、知り合いの方から少し情報流されてさ。その子、ポーンの中に居たんだって?」
 甘い香りがする、熟れた紅い果実を天井に投げる。彼の手から離れた林檎は、一瞬で消えた。と同時に、青年の膝の重みも無くなる。
「原罪からかなり時間をかけて色欲にしたみたいだ。服着せて大切にしていこうぜ? その方が、アリス君にも良いでしょ」
 いつの間にか隣に来て林檎を口いっぱいに頬張る少年に、夜は上着にしていた碧の襦袢を被せた。少年は襟の辺りから顔を出し、夜の手にある林檎を見ながら、自分の手にある林檎をしっかりと握り、急いで口に進めている。
「急ぐな急ぐな。まだいっぱいある。アリス君も一つどうぞ」
「あ、どうもってうわあ?!」
 少年が、青年の手に置かれた林檎を奪い、夜の後ろに隠れて食べだす。先ほどまで持っていた林檎も手元に残し、独り占めしようとしているらしい。まるで子供のような、幼稚園児のような彼を見ていると、もう一組の子供たちも騒ぎ立てた。
「私もお腹すいた!」
「食べたいです、それ、お肉」
「林檎も食べたい!」
「お腹に溜まらなくても美味しいです」
 アダムは冷淡に、淡々と話すが、どこか落ち着きが無い。イヴは言葉通りに叫び、純粋に落ち着きが無い。その二人から目を合わせまいとしているように、少年の行動が青年の眼には見えた。
「五月蠅いですよ二人とも。契約通り、俺の治療が先です。終わったらカズさん達が処理した死体を食べれば良いじゃないですか。目が覚めたばかりの時はああいう果実が一番美味しいんです」
 キングが白い二人に語りかけた。あやす様だが、初めて聞いたものにはその内容を一度に理解するには時間がかかる。青年はただ、また傍観を決め込んだ。
 一通り喚くのを終わらせた二人はキングの腕と、キングの傷口を観察し出した。少し、涎が垂れているのは愛嬌としよう。イヴがキングの方を見て、確認するように口を開いた。
「血管潰れてない。治せる」
 それに答えたのはアダムだ。
「骨も綺麗」
「お肉と骨以外は無い」
「布は引き抜かなくちゃ」
「ナイフのさびは気にしちゃダメ」
「くっ付けよう」
「齧っちゃダメ?」
「コロされちゃうよ」
「なら仕方ない」
 一定のテンポで、マーチに合わせて歌うようにクルクルと問いと解答を繰り返す。さながら双子の様だが、妙な所で合っていない。
 と、傷の観察が終われば彼らは腕とキングを近づけ、顔を見合わせた。着ける方向を確認し、少し慎重に工程を進めていく。
「えいえいおー」
「くっつけくっつけ!」
 文字通り、手を当てていく。手当をしていくのだ。糸も使わず針も使わず、もう見慣れた『能力』だったが、この二人の能力には目を見張るものがあった。キングの腕は合わさった部分から、小さく光を出している。目を塞ぐほどの光ではないからか、その断面をよく見ることが出来た。僅かながらに動く血管や骨の欠片がミチミチと小さな音を上げて文字通りくっ付いて行く。融合されていくのだ。
「……これって」
 青年が声を上げると、治療は終わってしまった。もっとよく見てみれば、何かわかったかもしれないと、理解できたかもしれないと、惜しい気持ちが募った。
「構築の特化型だよ。事を理解し置き返り治癒させることも出来れば、破壊しつくすことだってできる。何も知らずに使えば破壊しか出来ない」
 晶が青年に向けて呟いた。その表情は何処か寂しげだ。
「へえ……て、ことはイヴちゃんとアダム君って実は……」
 空気を換えるべく、一つ、思ったことを口にする。
「そうなんだよぉ! アダムはスゲエ頭良いんだぜ!? 食欲も我慢できるし高校だって行ってるし。あぁ、それに顔もそれなりに良いだろ?」
 が、異様な空気の変わり様にいささか話を振った青年自身が引いてしまう。その原因はカズの大声か。周りの人間はいつもの事だと言うように聞き流しているが、青年にはそれが出来ない。それに目を付けた彼は青年に迫った。
「流石俺の弟って言うか?」
「てめえとは血い繋がってねえだろ三十路」
 突然入ってきたヒヨの言葉で、辺りの空気は凍てつく。
「ヒヨリンうぜぇんだけど。アリス君と俺の会話に入んないでくれる?」
「一方的なマシンガントークは会話って言わねえよ」
「あと俺はまだ三十路だと決まったわけじゃあ」
「俺が十二の時『俺実際十六超えてるしー』とか餓鬼みたいに馬鹿なこと言ってたのはどちら様だっけかな? あぁ?」
「あ?」
「自慢すんなら自分の事をしろよ。他人を使って自慢なんざ親でもして良い事じゃねえ」
「自分の弟自慢して何が悪い。可愛い可愛い子供を褒め称えるのは悪い事か?」
 その場にいるほとんどの人間を置いて進められる道徳論議に、誰も彼も耳を貸していなかった。二人が、キング達が青年の手を取って部屋から出て行ったのに気が付くのは、数時間後の事だった。


 廊下に出てから暫く、青年達は沈黙に染まっていた。それを斬り、歩き出したのは了だった。合わせて、皆がまた騒ぎ始めた。
「奴らの道徳とかよくわかんねえんだよなー……イイコト言ってんのは解るけど」
「アラサー共の言葉なんか聞いてても意味ねえよ。俺等は俺等の仕事すりゃいいんだし。殺し屋みたいなもんな俺等に倫理は必要ないっての」
 晶と了の愚痴を半分右から左に流しているキングと、端から聞いていない夜と少年。それに混乱が収まらずわたわたと歩む先にくっ付いて行くのがやっとの青年。アダムとイヴは、大人一人分の肉を二人で分けて抱え、食し、咀嚼音を出しながら一番後ろに着いている。
「で、夜は色欲君をどうしたい?」
 了が後ろに振り返って夜と少年に目くばせした。全員が立ち止って、林檎を齧っていた夜と少年はお互いに顔を見合わせる。
「そうねえ。さっきも言った通り、チームぐるみで大切にした方が良いと思ってる。ポーンの中に居たからか成長してないみたいだし、教育にはさほど苦労しないし」
「いや、そういうことじゃねえ」
「はい?」
「お前はそれの保護者になるつもりかって聞いてるんだよ」
 了は夜から目を逸らす。夜は林檎を天井に放り投げた。
「……俺にそんなことが出来るとでも?」
「一番初めの『食事』と『着物』を与えた時点でお前が半分親みたいなもんだ。それにお前ロリはヤッてもショタはヤらねえ主義だろ」
「それとこれとはまた違う」
 溜息交じりに夜が言った言葉で、その会話は一時中断となった。何か、マズイことに踏み込んでしまったのかもしれない。
 夜の表情は、いつもの柔らかさが何処にも無かった。

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