県立図書館のお話

ノベルバユーザー173744

図書館司書黒田の怒り

職員の休憩室を出て、職員の集まる裏に向かった黒田は、古くごみごみとした机や書類に埋もれる場所を通り抜け、つかつかと奥に向かう。

そこには表に立つことのない上司、田中が、のんびりと新聞を読んでいる。

しかも、他の職員スタッフはもう何十年も昔のネズミ色の机に、書類を積み上げていたり、破損した本を修復するために持ってきている運搬用の本置きもある。
椅子は背もたれや座席が擦りきれ破れ、ガムテープで修理したり、自分用のクッションや座布団を準備しているものもいる。
ガタガタと音がする引き出しや、重みで歪んでしまった書類棚を横目に、真新しい机はスッキリと、回りの棚もすかすかだが新品で固め、座り心地に良さそうな椅子で、のんびりと新聞を読んでいた上司に近づき告げる。

「課長‼事故です‼誰か‼救急車を‼」
「はい‼」

一人の職員が目の前の電話をかける。

「はぁ?」

一人意味を理解できず、その上、新聞から顔をあげることなく気のない返事をする田中に、ムカッとした黒田は、地方新聞や全国紙ではなくスポーツ新聞の競輪、競馬の欄を見て予想している上司の新聞を奪い取り、

「課長‼お分かりですか?事故です‼脚立から小学生の女の子が転落しました‼」
「脚立から転落……児童館スペースの小さい……」
「違います‼上の方の図書館の専門書コーナーのあの重くて古い脚立です‼」

バーン‼

黒田は、テーブルを叩き身を乗り出す。

「私たちは予算が少ない中、古く破れた本を修理したり、寄贈していただいた本を丁寧にチェックして本棚に並べ、読んで戴いていますが、年々通ってくださる方は市立図書館に取られ、その為に年々予算は削減されて、それでもやりくりをして、本を読んでくださる方にもう一度来ていただけるようにと、あれこれと努力しています‼」
「あ、そ、そうだな……」

いつもはおっとりと、穏やかに話す黒田の激しい口調に、引きぎみに頷く。

「私たちはあれだけ、毎回あの脚立は危険だと、図書館に来てくださる方が怪我を負ってはいけない。それに、時々『重いけん運んでもらえんかな?』と何度も頼まれていて、心配で再三課長にお願いした筈です‼」
「あー……」
「あーではありません‼予算が少なく、新書も購入するのも市立図書館に及ばない、古い本が多く修理が多い、その上備品も不備が多い‼その点検をさせてほしい、出来れば脚立などを新しく購入してもらいたいと再三お願い致しましたよね?」

黒田の声に、

「い、一応、他の図書館と協定を結んで、相互貸し借り出来るようにしただろう……」
「こちらの書庫の在庫があれば、市立図書館や、周辺の図書館に貸し出してますね?特に一階の児童館スペースの絵本や紙芝居は人気が高くてネットで予約者リストを作ってますが、こちらから借りることは滅多にないですよね?」
「それは、ここには古くからの専門書があって……」
「そう言えば、あの、有名なイングランドの魔法小説。知ってましたっけ?新刊が出る度にこちらの一階の児童館スペースでは予約者は一桁だったんですけど、市立図書館は、50人越えてたそうですよ。しかもこちらは二冊購入でしたが、あちらはもっと多かったそうですが?後で、市立図書館から電話がかかって、『余っているなら貸してください‼こっちは予約が回らなくて……』って、言われたそうですよ?」

皮肉混じりに言い放つ。

「で、私たちは再三お願い致しましたよね?なのに、新しい本にかけるお金も、備品交換のお金も、増えたと聞きましたが何に消えたんですか‼」

バーン‼

再び叩く。

「女の子は、高い場所にある本をとるために、重い脚立を引っ張っていき、本をとると、降りようとして足を滑らせて背中を打った上に、脚立が本人の体に直撃ですよ‼私たちがお願いしていた、軽くて運びやすく、安定性のある脚立があれば、こんなことはならなかったでしょう‼」
「あ、えー、え……」
「脚立代を惜しんで、自分の机を椅子を、ほぼ未使用の棚を購入するならあんたは無駄金使いだ‼……しかも、今だって意識のない少女にたいして動くのならまだしも、こんな新聞の競輪競馬、そしてエロコーナーを見て、ニタニタして動かんのか‼今が大変な時だと分からんのか‼ど阿呆‼」

怒鳴り付ける。
それでも動かない田中を一瞥し、周囲の数人の職員に、

「救急車が着たら、休憩室にいると伝えてくれますか?お願いいたします」

と、元々この図書館の司書として勤め、退職後ボランティアとして手伝っている青木が、

「黒田。倒れた子と言うのは……」
渡邊夏蜜わたなべなつみちゃんですよ」
「なっちゃんか‼こりゃいかん‼わしもいってこうわい‼休憩室やったな」
「青木さんお願いします。傍に、吉岡揚羽よしおかあげは君がいます」

70を過ぎているが、まだかくしゃくとして普通はボランティアは私服だがスーツをきっちり着込んでおり、その貫禄は、昔の直属の上司だった頃を彷彿とさせる。

「では、私は、黒田さんの代わりに表に出ますね。黒田さん。渡邊さんの事を……」
「ありがとう。よろしくお願いします。救急車には私が乗るから」

遠くから救急車のサイレンが響く。

「来たようですね。では、失礼します」
「おい‼待ちなさい‼私に無断で……」

田中を振り返りもせず、

「役に立たない上司ほど、必要ないものはないですね」

ハッ!

言いはなった黒田は出ていった。



その言葉に、

「あいつ……許せん‼辞めさせてやる‼辞めさせてやる‼辞めさせてやる‼」

怒鳴る田中に、積み上がった書類を必死に処断していた女性司書が、顔をあげず、

「仕事をして、お客さんのことや、備品を考えたり、この図書館の事を心配する上司と、出勤はしますが、新聞を読むだけで、後は、忙しい部下に『お茶を入れてくれ』『不味いお茶だ』『まだ帰宅時間にならんのか‼』としかいえない上司……どちらがましかお分かりになられないのでしょうか?」
「なんだとぉ‼」
「うるさいですよ」

別の席で、こちらは本の修復に必死になっている男性司書が、

「ギャンギャンわめくなら、出ていってください‼俺……私たちは必死に仕事してるんです。邪魔です‼」
「ナッ!」
「仕事をしない上司なんか尊敬にも値しませんよ。黒田さんのほうが私たちの上司です。うるさいです‼出ていってください‼」

と顎で出入り口を示すと男性司書は仕事に戻る。
歯噛みする田中が表を見ると、移動ベッドを押している救急隊員たちが、黒田に先導され、患者のもとに向かっていくのだった。



救急車のサイレンが少し前で音を消した。
こちらに来てくれているのか……良かった……。
揚羽はホッとする。
容態が急に悪化したりもなかった。

ただ、毛布を被っている少女が何かを探すように小さい手を伸ばすのが見えた。
その小ささ……女の子の小学校六年生は成長期に入りつつある頃の筈である。
かなり大柄な子もいれば、この夏蜜と言う少女のように小さくて華奢な子も多い。
小さな手はプックリとしていて柔らかそうである。

揚羽の姉の立羽たてはは、7才上なので結婚して娘が生まれ瑠璃るりとつけた。
姉の立羽はタテハチョウから、瑠璃はオーストラリアの蝶のオオルリアゲハから名前をとったらしい。
しかし……小さいプニプニしている手は、まだ1才にもならない姪に似て、もう一度繰り返すが柔らかそうである。

と、近くに手を置いて座っていた揚羽の手を見つけると小さい手でギュッと握る。
熱い手……熱があるのか汗ばんでいる。
大丈夫かと手を両手で包むように握る。

廊下がざわざわしてくる。

「こちらです‼」

黒田の声に、がらがらと言う音と主に現れたのは救急隊員である。

「怪我人はこちらの方ですか?」
「は、はい‼私の後ろで脚立を使って上っていたのですが、足を滑らせて背中から落ちたんです。その上に脚立が落ちて‼」
「脚立?」
「これです」

黒田の同僚が持ってきた脚立を見て、険しい顔になると、

「背中だけですか?」
「いえ、私は彼女が落ちたときに本が頭に……振り返ったときには背中から倒れていました。それで……私は大丈夫かと聞こうとしたら、ビクビクして正座して……『申し訳ありません‼』って頭を下げられて……戸惑っていたら、この脚立がこの子の上に‼」
「これは……よろしいですか?」

救急隊員が脈を確認し、

「……脈は異常はありません。が、熱があるようです。どこか大ケガをしている可能性があります。このお子さんは、お名前は?」
「えっと、あの、渡邊さん……とか……」
「渡邊夏蜜ちゃんですよ。小学校六年生です。それと、このこは、吉岡揚羽くんですよ。この図書館の常連です。加害者じゃありませんわ」

揚羽は後で名前を教わるが……青木が、脚立を示す。

「この脚立は前々から危険だと言われとったんです。新しい安全な脚立を購入するようにと司書もわしらOBも上にかけあっとったんやけどな……。脚立がいかんのや……わしは、こちらの手落ちやと思います。元ここの司書として謝罪させていただきます」
「これは……重いですね……」

消防隊員が手にして顔色を変える。

「すぐに運びましょう」

二人の救急隊員がそっと畳んだ移動ベッドに寝かせようとするが、手はぎゅっと揚羽の手を握っていて離そうとしない。

「お兄さんも一緒にいってください。それと、どなたか……」
「私が参ります。この図書館の司書、黒田一狼くろだいちろうと申します」
「解りました」
「あ、俺の荷物に、この子も荷物が……」

古い、プールのロッカーのようなゴムで手首に巻くタイプの鍵で、エレベーターが上がってくるのを待っている間に、黒田が揚羽の荷物と夏蜜の荷物を取りだし、移動ベッドと消防隊員、ギリギリ揚羽がエレベーターに乗ると、

「私は階段で降ります」

と声をかけて階段を降りていったのだった。

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