テッサイ 〜青き春の左ミドルキック〜

進藤jr和彦

路地裏

「っいおいおいおい、ひっさーじゃね?ひっさー、あー誰だか忘れたけどさぁ?」

 ガムを噛んでいた茶髪を前にして、久島は表情こそ変えはしなかったが、内心はどうしたものかと、今までで初めて会ってしまった状況に、慌てていた。それでも表情一つ変えないのは、久島の目の前に居る茶髪ヤンキーの体格故であった。

 同じ程の背丈だが華奢だ、着崩した制服の下に着込んだよれよれシャツ、その下から見える肉体のラインがまた貧相なのだ。英雄キックボクシングジムの会員達の、鍛えられた肉体と、お世話になっているプロ選手熊谷幹也の、鋼のような肉体とは違う。

 派手だが華奢、容姿は野生動物の、威嚇するような危険色の髪やらではあるが、肉体の矮小さに久島の慌てて揺れた心は次第に収まっていった。

「ぅいーっ久しぶりー、元気してたー?」

 久島の右側へ、模様が描かれた坊主頭がケタケタ笑いながら近寄り久島の右肩を気安く叩いた。無論、久島はこの輩達を知らない。さらに言えば久島には『お久しぶり』と言える間柄は、親戚以外に居ない。

「申し訳ありませんが……どちら様でしょうか?」

 だから言った、誰だと。お前達など知らないと、当たり障りないようオブラートに包み込んで言った。しかし久島は、この様な輩が今の口調に対してどの様な反応をするかまでは知らなかった。久島の口調に対して、茶髪ヤンキーはケタケタと笑い出した。

「おいおいどちら様じゃあねぇだろう、あぁ?」

 久島はぼっち故知らない、かのヤンキーという人種は、通常の人間に対しての話し方で相対しても意味が無い事に、茶髪ヤンキーは笑いながら久島の左側、前衛芸術柄坊主の反対側に位置取った。

「俺ら友達じゃん?ちょっと遊ぶ金だしてよー、友達だろ?なぁ、なぁ?」

「ま、とりあえず財布置いてくれない?友達としていい案だろ?」

 左に茶髪、右に坊主頭、そして恐らくだが、背後にパーカーと袖捲りのヤンキーが居ると、久島はしかと気配を感じていた。

 結局の所、案の定ヤンキーの恐喝にあってしまった久島は両肩を掴まれてしまった。しかし不思議と、久島は落ち着いていた。茶髪ヤンキーと坊主ヤンキーが肩を掴む力は強く無かった、これならば振り切って逃げれると思ったのだ。

 久島としても、この様な輩に従う気も無ければ、財布を渡す気も無い。ましてや、喧嘩をする気なども毛頭無かった。それこそ、私情で拳を振るう事は、昨晩対峙した練心会の松原太一と同じになってしまうと、ヤンキーを相手にする気など全く頭になかったのだ。

  水本が先に逃げたが、それは正しいと久島も同感していた。しからばと、一つ、二つ呼吸を整え……。

「ほらほらほら、さっさと金出しゃあああああ!?」

 両肩を掴む茶髪と坊主頭に構わず、久島は逃げ始めた。両肩に一瞬だけだが引っ張られる抵抗を感じたが、久島は構わず、アスファルトの地面を踏みしめ、蹴る、蹴る、蹴る!

 前方から迫り来る驚く通行人の間をすり抜け、一気に駆け抜けた。両腕を振り、しっかり足を上げてのダッシュ。両肩の抵抗はすぐ消えて、ただ真っ直ぐに走った。

「っめぇえ!待てやごらぁああ!!」

「逃げとんちゃうぞぼけぇええ!!」

 背後より罵声を聞いた、その罵声も大きく、追いかけて来ていると実感した久島は、必死で逃げ出した。どうやら足は相手の方が早いらしい。

 人混みを必死に避けて、久島はふと左側に細い小路を見つけ、反射的にそちらへ方向を変える。このままでは追いつかれてしまうと、この小路を利用して撒いてしまおうとしたのだが……。

「まずっ!?」
 
 不運にも、小路の先は行き止まりだった。すぐさま引き返そうと、転回した久島だったが時すでに遅し、茶髪、坊主頭含めた四名の婿川工業ヤンキーが、小路の入り口に入って来た。

「てっめ……やってくれやがったなぁ……ああっ!?」

 茶髪ヤンキーは、額や前腕に擦過傷を作っていた、逃げ出した際に転けた様だった、しかも同じく肩を掴んでいた模様坊主も、擦過傷が見て取れた。茶髪ヤンキーは、手の骨を左右に鳴らして近づいてくる。

 坊主頭に他二名、パーカーと袖捲りも凶暴な目つきでにじり寄って来た。最早逃げる場所は無いと見た久島は、両手を握り出した。まさか喧嘩になるとは思ってなかった久島は、私情で拳を振るう事になった事に顔をしかめる。

「お前生きて帰れると思うなよ……ボッコボコにしたらぁ!」

 茶髪ヤンキーが、久島の間合いに入りかけた。久島は、スパーリングとは違う喧嘩の場面に、動きを鈍らせてしまい、反応が遅れてしまった。茶髪ヤンキーが右腕を振りかぶる、予兆が丸見えのテレフォンパンチ、しかし足が固まって久島は動けず、そのパンチが振り下ろされそうになった瞬間……。

「おいおい!婿川工業のゴミ屑未発達児ヤンキー供がなにやってんだよ!!」

「「「「ああっ!?」」」」

 路地裏に罵声が響き渡った。



 路地の入り口に立っていたのは、カーキ色のブレザーとチェック柄のツータックズボンを着た、一人の学生だった。端正な顔立ちの優男だった、それこそ先ほどの汚い罵声を言い放ったのは彼では無いだろうと、そう見える程の凛々しい目鼻立ちの学生が、両ポケットに手を入れて、路地裏に入って来たのだ。

「聞こえなかったか?婿川工業の屑ヤンキーがなぁにしてんだってさぁ、はっ!どうやら聴力も無いみたいだな、婿川工業は未発達児の収容所と聞いたが正しくその様だ!」

 しかし、その罵声は彼の言い放ったものであった。この瞬間、婿川工業ヤンキー四名の標的は、久島から突然現れた乱入者へと切り替わった。こと不良やヤンキーはプライドが高い奴が多い、こうも真正面より罵倒された以上、己の薄くも高いプライドを守る為に牙を剥くのだ。

「おいコラ、あぁ?テメェ……正義の味方かテメェよ、かっこつけんじゃあねぇぞごらぁ!!」

「ごあっ!かぁあああっ!ぺっ!!吐いたツバ飲まんとけよボケェ!!」

 パーカーのヤンキーが啖呵を切れば、袖捲りは喉を鳴らして痰を地面に吐き散らした。その目は瞳孔が開き、完璧に怒りでキレて見境がなくなっていた。それに続く坊主頭と、久島に殴りかかろうとした茶髪も、全員が、端正な学生へと向かって行った。

 久島にとっては、正しく彼は正義の味方であろう。しかし、久島は彼の行った行動に勇敢さを見る事は無かった。

 『無謀』その二文字が頭に浮かんでいた、このままでは彼が危ないと見た久島は、歯を食いしばり勇気を振り絞って動いた足で、思い切り走り出した。

「っああああああああ!!」

 最早久島に冷静さは無い、自分の状況、そして現れた正義の味方である端正な顔の学生を前にして、久島は右拳を握りしめ、茶髪のヤンキーへ向かった。

「あぁ?」

 茶髪のヤンキーが振り抜いた瞬間、久島の左足がコンクリートを踏みしめた。右足首が、太ももが、力を込めて唸りを上げる、左方向に回転する腰と、足から伝わった力が、久島の右腕へと伝わり右拳にその全てが込められた。

 久島の右拳が、振り向きざま丁度横身にとなり顎を曝け出した、茶髪ヤンキーへ吸い込まれる。


 決して、その様な音が鳴り響く事はまず無い。しかし、拳が顎を直撃して、頭部が思い切り揺れたその様は『パッカーン!』とあり得ない擬音が鳴ってもおかしく無い程の、綺麗な右ストレートにより、茶髪ヤンキーの意識は一発で吹き飛んだのだった。

「逃げて、逃げてぇええええ!」

 茶髪ヤンキーは白目を剥いて崩れ落ちていく、それを見てしまった他のヤンキー三人は、追い詰めていた標的による突然の反撃と、それにより仲間内を一人倒された衝撃に、身動きが止まってしまった。

 それは、突然現れた正義の味方気取りの学生も同じだった。しかし、驚きの表情はすぐに嬉々とした笑みへと変貌し……。

「ナァイス右ストレート!やるじゃん!!次は僕だね!」

 久島の右に賞賛を浴びせた学生は、逃げるどころか、自分へ向かった来ていたパーカーのヤンキーへと走り出していた。

「なっ!?おいま」

「待つかよばぁか!」

 端正な学生が、素早くパーカーのヤンキーの前まで走り込む。その瞬間を久島は見逃さなかった、逃げるどころか向かって来た学生は、右の拳でパーカーのヤンキーを殴った。しかも、久島は彼の殴り方が一目見て素人のそれでは無いと分かった、しっかり地面を踏みしめて、足と腰の力が拳に乗った右の拳が、パーカーヤンキーの顔面を『射抜いた』のだ。

「ぶっげ!」

「シィイイッヤァ!!」
 
 射抜く様な右ストレートを受けたパーカーのヤンキーが仰け反る、その瞬間、呼吸と気合の入り混じった声を出して、端正な学生は放ったのだ。右脇腹へのボディ、そして揃った両足を薙ぎ払う様な、いや、素早く放ち体勢を崩す鋭い右足のローキックを放ったのだった。

 右ストレート、左ボディ、右ロー。対角線の三段コンビネーションを受けたパーカーヤンキーは、ボディの痛みに呻く暇もなく頭部からコンクリートの地面に崩れ落ちて、痛みに呻きを上げてうずくまるのだった。

 本来ならば、止めるなり、逃げてしまっていいだろう久島だったが、その学生が見せた素早いコンビネーションに思わず感嘆し、呆けてしまった。素早く、鋭く、的確な三連撃には状況を忘れて立ち止まるしかなかった。

「な、やっやめ!!」

「ふーたりめ!!」

 そう呆けていれば、その学生は嬉々として袖捲りのヤンキーへと走り、飛び上がった。加速して十分に力と体重を乗せた膝頭が、袖捲りの顔面に打ち付けられる。

「あっ!がぁああ!!ぎっ!ぎっ!」

 久島の耳にも、鮮明に何かが潰れる音が響いた。そのまま袖捲りのヤンキーもコンクリートの地面に膝をついてる顔を押さえ、尋常じゃない量の血を流して呻いた。鼻の内部が切れただとか、のぼせて流れ出した訳ではない。鼻骨が折れ、鼻を潰されたからあんなに出血しているのだ。

 婿川工業ヤンキー四名の内、三名が倒れ、残るはおしゃれ坊主のヤンキー。彼は突如現れたカーキ色ブレザーの学生により倒され、さらには追い詰めていた久島にも一人倒され取り残されてしまい、立ち尽くすしかなかった。

「で……まだやる?」

 端正な顔の学生がにこりと笑いながら、おしゃれ坊主に言えば、おしゃれ坊主はまだ息を荒げている久島と、目の前の学生を交互に見て、久島を追った時よりも早足に、背を向けて路地裏よりに逃げ出したのであった。

 助かったのか?気絶者一名に、呻き続ける二名と、逃げた一名、そして静かになった路地裏の静寂に、久島は一気に体へ疲労が戻ったか、その場に崩れ落ちて尻餅をついた。

「た、助かった?……あぁ、疲れた……」

 安堵から大きく息を何度もして、肩を揺らす久島。そんな久島の目の前に、手が伸びて来た。

「いい右ストレートだったね、もしかしてさ、獲物横取りしちゃったかい?」

 その手を辿った先に、赤い返り血が染み込んで、斑点状の黒い染みを作ったカーキのブレザーの学生がにっこり笑いながら手を差し伸べていたのだった。彼が獲物と言う単語を使い、今の状況を考えると、つまりは喧嘩相手を奪ってしまったかと問われた久島は、左右に首を振った。

「違う、本当に危なかったんだ……もう必死で……」
 
「ははっ、その割に思い切り殴ってたじゃん?ほら、こいつ伸びてる、掴まんなよ?立てるかい?」

 伸ばしていた手を一度、久島が殴り倒して失神している茶髪のヤンキーを指差してからまた久島の前に差し出した。久島はその言葉に甘えて手を掴み、息切れ激しく、疲労した肉体を立ち上がらせた。

 久島が立ち上がれば、その端正な学生が自分と同じ位の背丈であると知った。

「にしても本当、いい右打ったね?何か格闘技してるの?」

「あ、えっと……キック……」

 久島が礼を言おうとする前に、この学生は嬉々として話を続けた何か格闘技をしているのかと問われた久島は『キックエクササイズ』と、格闘技では無く運動しているだけと言おうとしたのだが……。

「キック……ボクシングをその……少しだけ……」

 それは締まらない気がして、少し話を盛って
しまった久島だった。

「おー!やっぱり!?綺麗に殴ったからさー、そっかそっか!僕もやってるんだ、格闘技!同じだ!!」

 それを聞いたこの学生は、嬉しそうに未だ握っている久島の手をブンブンと振り回すのだった。

「あぁ、僕は千合谷商業の龍崎!龍崎秋斗って言うんだ、君がこの糞ゴミ屑ヤンキーに追っかけられているの見てさぁ、喧嘩の匂いプンプンだから来ちゃったんだよ!!」

「は、はは……糞ゴミ屑……」

 彼の口はどうやら止まらないようで、更にはあの罵倒が本当にこの龍崎秋斗から発せられたのだと、目の前で笑いながら、倒れたヤンキーを罵倒し続ける彼の姿に多少引いてしまい、苦笑するしかなかった。

「ま、君も助かったし、僕もストレス発散できたし良かった良かった、えーと……久島くんか!覚えたよ君!じゃあまた何処かでね!!」

「あっ!?ちょ、ちょっと!!」

 そして龍崎は、話すだけ話して、ブレザーに刺繍された苗字を見たのだろう、手を離して駆け足に路地裏から消えていったのだった。一体、彼は何者だったのだろうと立ち尽くす久島は、ふと足元の光景を見て背中に冷たさを感じてしまった。

 現在、自分が打ちのめしたヤンキーと、龍崎が嬲ったヤンキーの計三名と、取り残された自分。そして、今現在の自分と、この状況は正しく喧嘩でヤンキー三人を叩きのめしたのは、自分になってしまうと言う、警察に見つかれば危ない状況であると。

「に、逃げるが勝ち!!」

 久島は再び、それなりにある脚力を持ってして路地裏からの逃走を決行するのだった。

コメント

コメントを書く

「現代ドラマ」の人気作品

書籍化作品