テッサイ 〜青き春の左ミドルキック〜

進藤jr和彦

ファイナルラウンド

「ッオーエィッシャア!!久島君ナイスミドル!!ガンガン蹴れ!ガンガン蹴れ!」

「松原ぁ!!接近したいならローから行けローからぁ!!ローからコンビネーションで散らして接近せぇ!!」

 松原の右腕に、久島のシンガードに包まれた左ミドルがめり込んだ。脛がめり込む感触はまさしく、クリーンヒットの感触であった。左足が地面に着いた瞬間、再び久島は間髪入れず左ミドルを入れた。まさしくタイ人ナックモエの様な、左ミドルの二連である。

 大して、松原は焦りを感じていた。まさか、こんな蹴りを放てるなんて思ってもみなかったと、聞いてもいなかったと、再び右腕にめり込む左脛の痛みに歯を食いしばった。周りの誰か、師範格の一人からの檄を聞くや、松原は叫んだ。

「ッシャアア!!」

 舐めるな、調子に乗るなと怒りを乗せて放つは右のローキック、左ミドルを打って着地してすぐの久島の左太腿へと松原は振り下ろす。フルコンタクト空手のローキックと言うのは、特筆してその威力の高さがある、相手の膝少し上あたりに、抱えて振り下ろすローキックは、キックボクサーや他の打撃系格闘家も真似をするほどの威力があった。

 だが久島はこれを見切る。蹴った後の防御として、相手に大して左腕を伸ばして右腕を右側頭部へ組み、蹴った左足を浮かせ、松原のローキックをカットした。

「シィイッ!」

 そして、右ローキックで身体の横を見せた松原に、久島は素早く左足を畳に踏み下ろして右足を抱え上げ、思い切り松原へ前蹴りを放った。

「っぐ!?」
 
 胸元上部に突き刺さる前蹴りが、松原のバランスを崩して後ろへよろけさせた。本来ならばここは久島にとって好機であった、よろけた相手への蹴りによる追撃はプロの試合でもよく見られる。しかし、久島は攻めなかった。

「ふぅ……ふぅ……」

 呼吸を乱す久島、しかし攻め疲れなどではない。彼は余りにも、過剰な程に慎重になっていたのだ。自分が有利になろうと、蹴りに松原がよろめこうと、未だ頭に松原のボディ打ちと、豪腕のラッシュが火を噴く瞬間があるかもしれないと気が気でなかった。

 だからこそ慎重に、自分の距離で、決して近づかずアウトファイトに徹すると決めていた。

 ステップを踏みながら、久島は松原との距離を把握する。蹴りの届く間合いはあと半歩程か、左足がリズムを刻む中……対する松原太一はマウスピースを噛み砕きそうになる程歯を食いしばっていた。

 よくも俺に恥をかかせたなと、この1ラウンドすぐのダウンから現在までの不甲斐ない姿を晒してくれた相手、久島への怒りに燃えていた。絶対倒す、殴り倒して這いつくばらせてやると決めた松原は、ここで一気に攻勢を仕掛けた。

 それは踏み込むステップインでは無く、走って来たと言うのが正しいだろう、無理矢理の突貫であった。力付くで来た松原に、久島は反応こそ出来たが松原の接近を止める事が出来なかった。

 この場合だが、久島は左右へ避ける、蹴りを放つなどして松原の接近を止める術はあったものの。余りに無理矢理で力付くな突進というのは、攻撃に必要な間合いすらも潰す。

「っあああ!!」

 互いの肉体が接触する超至近距離、それは松原太一のボディの間合い。気合一閃、近づけばこちらのものだと松原太一の左腕が弓のように引かれ……久島の右脇腹へと叩きつけられた。

 松原は確かな手ごたえを感じた、大会で幾人もの相手を沈めて来たボディ、まさしくその感触。耐えれるはずも無いその痛み、しかと味わえと松原は心中で吐き出した。

 グローブのナックルが離れ、久島の反応を確認する松原。

 しかし……。

「……あぁ?」

 直後、自分の身体が突き放されたのが分かった。そして松原は、目の前に迫る何かを判断する前に、頭部に来た衝撃で意識の電源がブツリと切れるのだった。



 まずい、まずい!確実に外れた、やってしまった!久島は勢いよく回転してしまった身体と、振り抜いた左足を畳に着地させて、背後に居る松原へすぐに向き直ろうとした。 左ボディが右脇腹に当たった時、もうダメだと思った。

 しかし、打たれた痛みはあれど、内臓にまで響かず、耐える事が出来た。ここしかないと、久島は両手で接近した松原を押して距離を離し、間合いを取った後、右足から踏み込んだ。

 そして放ったのだ、左足でのミドルキックを。このまま蹴って距離を離すつもりが、何故か当たった感触もなく、蹴りの勢いそのままに回転してしまい、背を向ける形になったのだ。

 すぐに構えて備えなければと振り返る、しかし松原の姿が無い、もう回り込まれたかと両目が左右を確認した。

「頭動かすな!寝かせたままマウピすぐ外せ!!」

「えっ……?」

 そこで、誰かの焦る声と共に視線を斜め下に動かせば……松原太一は畳に横倒れになっていた。他にも、空手道着に身を包んだ大人数人が、彼を囲い口の中に手を入れてマウスピースを急いで取り外していた。

「な、何が……えっ?え、えっ何、何!?」

 久島は何故松原が倒れているのか理解出来なかった、攻撃は当たった感覚は無かった、空振りだった筈と先ほどの蹴りを思い出す。

「当たっとったよ、君の上段廻し蹴り、左ハイが……うちの松原を薙ぎ倒したんだ」

 そんな彼の前に、試合前熊谷さんと挨拶したこの道場の支部長である緑川憲一が、焦り戸惑う久島に対して淡々と説明した。

 左ハイ?自分が放ったのは左ミドルで、それがは空ぶった筈だがと、久島は全く状況が把握出来ない。しかし、ここでセコンド代わりの熊谷が、久島の肩を叩いた。

「久島君、君は蹴る前に松原君を押しただろ……その時に間合いが開いて、本来はミドルキックの軌道に松原君の頭が来てしまった所を、蹴り抜いたんだよ……ほら、松原君の背は君より低い、間合いによってはミドルでもハイキックになってしまうんだ」

 熊谷幹也の説明を聞いて、久島はやっと状況を理解した。


 ミドルキックがハイキックに変化するとは、説明すれば簡単な話である。まず、久島と松原の身長差だが、久島は松原を少し見下ろすくらいの差がある。それだけでも、久島が松原にハイキックを放つために必要な足をあげる角度は、あまり必要はない。

 先程、松原のボディブローと超至近距離戦から離れるため、久島は松原を両手で押して突き放した。この時点で久島は、さらに左ミドルで距離を開けようとしたのだが……突き放したその間合いは意外にも遠間であり、松原の頭部が本来腕や肩がある場所に来てしまい、久島の左脛は松原を薙ぎ倒したのであった。

 状況を理解して、久島は倒れる松原を少し見てしまった。白目を剥いて全く動かず、道場生の声にも反応していない。久島の体から血の気が引き、身体の熱が一瞬で引いてしまった、かいた汗は冷水の如き冷たさにまで感じ、身体が震えだした。

 自分の蹴りが、人を気絶させた。しかもその相手はフルコン空手の王者……何が何だか分からず、ただ呆然と倒れる松原を久島は見るしか無かった。

「ま、松原にはいいお灸となりましたよ、熊谷さんから今回の件は聞いてます……松原の処分やらは後でうちが決めますから……」

「処分、処分って?」

 緑川憲一支部長から、不穏な言葉を聞いて久島は彼に尋ねた。松原は、あいも変わらず頭を掻きながら、厳しい面持ちで倒れ臥す松原を見て言った。

「仮にも若かろうが空手家、一人の武道家が血気に当てられ、私闘にその力を使おうとするなんて言語道断です……態度次第では、練心会からの登録抹消も考えております、迷惑をかけてすまないな久島君、彼にはしっかり責任を……」

 今回の一件、松原太一の態度は余りに武道家の精神からかけ離れた罰せられるべきであると、緑川憲一は彼の態度次第で登録抹消も考えていると話し、深々と久島に頭を下げた。

「そんな大袈裟な、今回はその……僕も不用意だったと言うか……そこまでしなくても……」

  久島からしてみれば、確かに松原太一に非があるにしても、別に自分はそこまで求めてはいないし、BOFのチラシを見せるようにして焚きつけた自分にも、非はあるからと緑川支部長に言う。

「君は……優しいのだな、君のような心を持つ人間こそ、武道家になって欲しいものだ……さぁ、松原の事はうちでするから気にしないでくれ、今日はこれでお終いとしよう、怪我とかはないかね?」

 緑川支部長は笑いながら呟くと、練習試合の相手久島に対して怪我はないかと聞いた。

 そう言えば……松原のボディを食らったのに、痛みも吐き気すらも無い事を思い出していると、熊谷幹也は笑顔で久島の右手首を握って持ち上げた。

「どうだ久島、勝った気分は……試合に勝つと、気持ちいいだろう?」

 高々と持ち上げられたグローブを身につけた手を見上げ、久島は今更になって、自分が試合に勝利した事を思い出した。



非公式練習試合BOFアマチュアルール、3分2R
*非公式戦の為、アマチュア戦績に記載無し

◯久島秀忠(英雄キックボクシングジム)
         
        VS (2分11秒、左ハイキックによるKO)

×松原太一(練心会)

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