テッサイ 〜青き春の左ミドルキック〜

進藤jr和彦

第一ラウンド

「練心会空手ぇ?その空手家らしきクラスメイトに絡まれたぁ?」

「はい、ボコにするとか……だから今日はダッシュでジムに来たんですよ」

「アホやなぁ、そんなんこっちが道場に伝えたら注意じゃ済まされんで」

 久島が丸刈りの、名前は知らない空手を習っているのだろうクラスメイトに絡まれた当日の夕方、久島はこの件を姫路会長に相談していた。姫路会長は鼻で笑った、格闘家が喧嘩売って阿呆らしいと。

「仮にもそんな事件なんか起こしたら、大会出る前の話やからなぁ、いや、久島君の判断はええ判断よ、そらやったらあかんからなぁ?この事、は練心会の道場に伝えるから」

「へ?道場の場所とか電話、分かるんですか?」

「練心会空手の道場、この町にあるのは一つやから、そこやろ?隣町とかには無いしなぁ……あぁ、それで久島君、試合出る気は?」

「今は特に……」

「そっか、まぁ気になったらいつでもええからな?」

 試合に出る気は無い事を姫路に伝え、久島は更衣室へ向かった、

 ふと、今朝方に絡まれたあの丸刈りのクラスメイトを思い出して身震いした。正直言えば久島は怯えていた。丸刈りの目つきやら、殴りかかるのが分かるほどの雰囲気、殺気とも言うべきか、それを身に感じて怯えが出た。

 だから、すぐに逃げた。廊下でも素早く離れ、追われたらまずいと感じて背を向けて逃げたのだ。こんな臆病者が格闘技の試合だのと言える立場ではないと、久島は思ったのだ。

「本当、何だったんだろう……」

  丸刈りの名前すら知らぬクラスメイトの顔を思い返し、久島はグローブをレンタル用の棚から取り出した。ともかく、この話は姫路会長が対応を取ってくれると話が終わったのだ、後は大人達に対応して経過を待とうと久島は今日も体力作りでサンドバッグを叩こうとした。

 その時であった、ジムの扉が開いて、一人の男が中に入って来た。背丈はおおよそ175cmはあるか、右手に通学カバン、左手には帯で纏めた胴着を携えたブレザーの男がジムの中を見回していた。

「んぅ?こんにちは、入会か見学ですか?」

 姫路会長はその姿を見て、彼に近寄った。男は、少々困ったように歪めた顔で姫路会長に話しかけた。

「あぁすいません、あの……うちの学校で、一年で……キックボクシングをされてる子を探してるんですが……居ますか?」

 そんな話が耳に入り、久島はその男が自分と同じ学校、公立慧学館高校のブレザーを着ている事に気付いた。

「慧学館のブレザーやね……久島君やない?久島君!お客さんやでぇ!」

 そして呼ばれた、久島は呼ばれた時にはすでに胴着を携えた男の元へ近づいていた。近くまで来るとブレザーの胸ポケットに、二年次を表すバッジが取り付けられていた。凛々しい顔を苦悩に染めたように、彼の顔は申し訳なさそうな顔をしていた。

「君が久島君かな?朝、丸刈りの同級生が絡んで来なかったか?」

「あぁはい、今朝に絡まれましたけど」

「本当に申し訳ない事をしたね、ウチの松原が絡んだと聞いて、同じ道場の先輩として謝りに来た……本当に申し訳無いっ」

 久島に、二、三確認するや否や、その好青年は深く、深く頭を下げた。久島は理解する、この好青年の先輩は、今朝方絡んできた練心会空手の道場の先輩であると。

「あぁ、気にしてはないですよ……あの人、松原って言うんですね?」

 そして、今更ながら久島は、朝方絡んできた練心会空手のクラスメイトは松原と言う名字であると知ったのであった。自分としては、態々謝りに来た以上、別段気にする気もなく、謝罪を聞いたので特にこれ以上、とやかく言う気は無かったのだが……。

「ちょ、君……その松原君本人はどうしたん?君が幾ら道場の先輩で、頭下げてもなぁ、本人が頭下げんと意味無いと思わん?常識やろ?」

 大人というのは厳しい、姫路会長は機嫌が悪そうに好青年に聞いた。例え上の者が来たとして、本人の謝罪、その本人が来ないとは常識を疑うと、好青年に問う。

「姫路会長、僕は別に……」

「いやあかん、その松原って子が、またやらかすやもしれん、ジムとか道場の問題が大きくなったらあかんし、何より……門下生に対して恫喝紛いしといて謝りもせん奴なんか信じれんわ」

 これは、門下生である久島を思っての事であった。ジムの会長として、門外で門下生が問題に巻き込まれれば親御さんに申し訳ないし、しかもそれが、同じ格闘技の枠での問題となれば、さらに深刻な事件になりかねないと、しっかりと守らねばならんという、姫路会長の意思であった。

「そもそも、君が来る必要も無いやろ?その松原君の問題やのに……君、松原君とやらに何かされとんか?」

 そんな好青年にも、関係無い君が頭を下げに来たのは何故かと聞かれて、好青年は顔を悩ましげに歪めた。しばらく彼は押し黙っていると、ジムの出入り口への扉が開いた。

「ウィー、あれ?どしたんすか会長と久島君?」

 開口一番、扉から現れた熊谷は、ジムの出入り口で固まる久島と姫路会長、そして道着持ちの好青年をそれぞれ見て、キョトンと間抜けな事を口走った。



「松原って、松原太一君?練心館の全国大会を中、高校と制覇した?はぁー、この地区の子かぁ……」

「はい、間違い無いです……」

「そか、実力社会でなぁ……大変やな君もなぁ?」

 ともかく、事情を聞こうと姫路会長は、久島と道着持ちの好青年を事務室に通し、熊谷も一体何だと気になり事務室で話を聞くことにした。

 まず、この好青年の名前は、鈴村悟史。久島秀忠と同じ彗学館高校の二年次生であり、練心会空手初段の黒帯である。そして、一から鈴村と久島の話を聞き、久島に朝方絡んで来た練心会空手の松原と言う子は、松原太一と言う名前だと、熊谷は思い出した。

 その松原太一は、練心会空手の全国大会で、中学、高校と連覇を成し遂げた猛者であり、実力者であった。そんな松原もまた、BOFユースへの出場を決めており、そこに久島の持っていたチラシを見て、さらに久島の格闘技への態度に逆上したのが、今回の話の全容であった。

 そして、この鈴村智史先輩は、実力ではその松原に劣るわけであり道場内における実力主義により、上下関係の逆転が起きているわけで、彼は松原に久島を探して連れて来いと言われたらしい。

 道場に連れて来て、その鬱憤を下らない私情で晴らしたいのだろう、しかし鈴村先輩は、それを良しとせず、松原の件は土下座でもなんでもするから許して欲しいと悲壮な覚悟を持ってここまで来たのであった。

「アホらし、仮にも武道家がこんな事しとんのかい……あー話にならんわ!今すぐにでもこの事道場に報告するからな!鈴村君も悪うないから、気にせんでええから!」

 無論、そのようは時代錯誤かつ理不尽が通るかと、姫路会長は呆れと怒りに立ち上がる。鈴村に対しても悪くないと告げてズカズカ歩き、事務室の電話の受話器を取り上げる。

「いや姫路会長、これ後々私怨でその松原が何かやりかねないっすよ……今の子は何するか分からないし、下手したら余計にこじれるんじゃあないですか?」

 しかし、それに待ったをかけたのが熊谷幹也であった。熊谷は、今の話から松原の性格を予測し、私怨からの仕返しで更に事がややこしくなりかねないと思ったのだ。今の時代の高校生は多感かつ、何をしでかすか分からないと、熊谷の意見に姫路会長はむうっと唸りを上げる。

「しかしなぁ、明らかにこれは許されんで……どうするんや?」

 話す以外、手立てがあるのかと熊谷に対して姫路会長は問う。すると熊谷は、わざわざ来てくれた鈴原に笑みを見せて口を開いた。

「鈴村君、君ら練心会って確か大山派のフルコン空手だったよね?顔面は蹴りだけ、素手で顔面殴るのは無しのルール?」

「はい、そうですが?」

 熊谷は何故か、練心会空手のルールについてを鈴村に尋ねた。それを聞くや熊谷は、久島へと顔を向けて、笑顔で言い放つのだった。

「なら丁度いい、その喧嘩買いなよ久島君、ただし……ルールありの喧嘩でね?」

「は……はあっ!?」



 練心会空手の道場は、この町『婿川町』の婿川駅を越え北上して徒歩十五分の距離にあった。ちなみに、久島の通う『英雄キックボクシングジム』は婿川駅から南西方向に五分の場所であり、計二十分の距離に道場が建てられていたのだ。

 さて、道場と言えば立派な武道館や武家屋敷を想像する方も多いと思うが、昨今は道場と言ってもテナントを借りて経営している事が多い。練心会空手道場もまた、雑居ビルに居を構えていた。

 外から見上げた、練心会空手婿川支部道場は、七階建て雑居ビルの、五階と六階の二フロアを利用していた。その雑居ビルの外にて、久島秀忠は自分のスポーツバッグを抱えて首を上に向けて見る。

「あの、熊谷さん?本当にするんですか……冗談ですよね?」

「だーいじょうぶ、大丈夫!ルールある喧嘩、つまりは練習試合だからさ、ヘッドガードも着けるしルールは決める、後腐れ無しで終わらせる事ができるさ」

「冗談じゃあないんですね……」

 その傍らには、パツパツのTシャツに身を包んだ熊谷が、久島の肩を力強く叩いて嬉々として雑居ビルへと向かっていた。

「すまない久島君……先輩でありながら不甲斐ない事に……」

 鈴村も、このような事となってしまい申し訳無いと頭を下げた。しかし、それを見て久島はやれ怒りや呆れだと言う感情は浮かばなかった。彼は、明かりが灯るペナントを眺めながら、これからどうするべきかと考えていた。

 熊谷幹也の一言で、突然の練習試合が決まった。その練習試合で、どの様な身の振り方をすべきかを考える。

 とりあえず、自分が無様に負ける姿だけは想像できた。何しろ相手はフルコンタクト空手にて一流派の大会で全国制覇をしている格闘技のサラブレッド。方や、こちらはただの体力作りでキックボクシング、いや……キックエクササイズに興じる学生である。

 ヘッドギアを付けるとは言え、秒殺される姿しか久島の頭には浮かばなかった。

「明日、学校休もう……いや、病院を予約しよう、そうしよう……」

 さながら、処刑台に登る囚人の気持ちであった。カツンカツンと階段を鳴らして歩めば、それが死の宣告の秒読みとすら感じ取れる。少し歩みを遅めても、すぐに練心会の道場フロアがある五階に辿り着く。

 扉の前で熊谷は、嬉々としながら扉のガラスから中を覗いていた。そして久島と鈴村が到着してから、その扉をゆっくりと開けた。

「すいませーん、英雄キックボクシングジムです、先程の電話の件でお伺いしましたー」

 棒読みながら、普段とは違う態度で熊谷が道場に入る。続いて入った久島は、初めて踏み入る道場の中をしかと目に焼き付けた。緑の畳と赤の畳で正方形を作った床、そこにビニールテープが貼られていた。等間隔に並んだ空手道着の門下生が、汗を流し気合いと共に正拳突きを放つ。

 片や、別の畳では黒い帯を巻いた男達が、薄手のグローブを着けて接近し、互いの拳で殴り合っていた。



 更衣室に通された久島の最初の感想は、汗臭いであった。学校の体育館にある男子更衣室の臭気と酷似したその匂いは、縦長のロッカーからと更衣室奥にて酷使された様々な備品の山から発せられていた。いかにもな男臭さに、どこもこの様な場所はこんな匂いなのだろうかと考える。

 ロッカーの中に制服を入れ、いつも使う蛇のデザインが描かれたキックショーツを着る。半袖のラッシュガードをしっかり着てから、マジックテープ式の簡易バンテージ、フィストガードを取り付けた。

 いつもと違う更衣室から、いつもと違う場所へ繋がる扉を久島は開けた。

 そこには、練心会門下生が畳を囲む様な形で待っていた。それこそ、まだまだ小学生だろう小さな子から、女性、この道場の師範格らしき男達も立っていた。

 その中から一人、背も高い中年程のたくましい道着の男が、にこやかに近づいて口を開いた。

「久島君かな、そちらの熊谷さんから聞いたけど松原君と練習試合で来たわけだ……今日はよろしくね?楽にしていいから」

「は……いいや、押忍……でいいんでしょうか?」

「ははは、面白い子だね……さて、松原君と試合の前に身体を解しなさい、怪我してもお互いに悪いからね?」

 師範格の男は、今現在門下生が集まる畳とは別の畳を指し示せば、そこに熊谷は立っていた。

「久島君、まずはシャドーしてそれから軽くミットしようか?」

 このアウェイの陣中でありながら、今回の事をこじらせてしまった男はいつも通りの表情で、キックミットを両手に取り付けて手招きしていた。そのいつも通りの雰囲気のおかげか、少し身体と心が楽になったと感じた久島は、まずはシャドーだとジムの時と同じいつも通りに、畳へ上がった。

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