人生ハードモード
絶対に譲れない 後編
「ふざけるな……ふざけるな、ふざけるな!」
頭を掻きむしりながら、龍道院卓也は狂ったようにその場で何度も同じ言葉を発していた。
そして、殺気のこもった眼で私を睨み付けてくる。
「アリスちゃんは僕の……そう、僕の物のはずだ! それがどうして、金持ち胃もない、お前のようなただの女に奪われなきゃならない!」
ヒステリックに怒鳴った龍道院は、ガシガシと頭を掻きながら、乱れた呼吸を一度整える。
彼の周りにいた黒服の男たちも手を付けられないと言った様子で、彼の傍には近寄るも、直接何か言ったり、抑えたりはせずに、あくまで形式的に、と言った様子だ。
それでも、周りに人がいて、冷静を取り戻そうとしているのか、地面を見ながら、呼吸を繰り返した彼は、数十秒後、静かに「……決めたよ」と呟いた。
「もう、アリスちゃんはいらないよ」
先ほどまで浮かべてた人を馬鹿にしたような笑みをピタリと辞めて、冷めた目でそう告げる。
代わりに彼は下種びた笑みを浮かべて続ける。
そして、彼は耳を疑うような提案をしてきた。
「でも、借金は返してもらわなきゃならないからね、借金分きっちりと働いてもらうよ。もちろん、いち早く返してもらいたいから高給なバイトをやってもらおう」
くひひ、と、笑い声発したかと思うと、「それはいい、それはいいぞ!」と発狂したように何度も何度も叫びあげる。
口元をゆがめながら、首を振って、
「借金を返すために何百、何千の人間と寝ることになる。その後に、今と同じことがいえるのか、それとも今日この瞬間を後悔するのか、実に面白いじゃないか」
この男は、仮にとはいえ、婚約者だった人間に、この男は何を指せようとしているのか。
少なくとも、まともな職を想像することはできず、それだけに、吐き気がした。
あっそうそう、と思い出したように、今度は私の方を見つめた龍道院卓也は、更にくだらない案を述べ続けてくる。
「別にいいんだぞ、同じ職場を紹介してやっても。一人じゃ辛くても、二人で汚れていけば怖くないってね」
「ふざけないで! そんなのこの国の法律が許さない!」
「法律? 警察でも呼ぶつもりか?」
くだらない、と、言い捨てた龍道院は、人差し指を地面に向ける。
「ここをどこだと思っているんだい? 僕の屋敷だ、敷地内だ。残念ながら、警察が来たところで、逮捕されるのは君たちが先だ」
余裕が戻った龍道院卓也は、ニヤニヤと私の方を見てきた。気に食わないその表情に対して、思わず手が出かけるが、私が動こうとすると、彼の周りにいた黒服たちが龍道院の前に立ちふさがった。
そのまま彼らは、私たちの元へと接近してくる。
「さっさと連れて行っちゃってよ――もう、目障りでしかないから」
彼の言葉にいち早く反応した私は、アリスから見て、一番近くにいる男へ体当たりする。
たとえこの非力な少女の身体であっても、思い切りぶつかれば、バランスを崩す程度のことはできると考えたからだ。
「アリス、逃げて!」
今は彼女を逃がすのが最優先だ、と考えて声を張り上げるが、私の身体はいつの間にか強い力によって抑えられていた。そしてすぐに、私の考えが甘かったことに気付く。
普通の男であれば、女子の体当たりでも十分隙を作ることができるかもしれない。
だが、彼らはプロだった。屋敷を警備し、主の守護を目的として働いるのだ。
この状況で、私程度の力ではこの場からアリスを逃がすどころか、私一人だって逃げられない。
「止めてください!」
アリスの声がして振り向くと、三人の男に抑えられながらも、必死に抵抗している彼女の姿があった。
そんな彼女へゆったりとした足取りで龍道院卓也が近づいていく。
「やめろ、アリスに乱暴するな!」
声がかれんばかりに叫びながら、必死に抵抗し、どうにか、私を捕まえていた手から離れると、そのまま龍道院の方へと、彼の周りにいる黒服を押しのけて私は、走っていく。たとえ、一発でもあっても、この人生をかけて、彼を殴っておかなければ、絶対に後悔すると思ったからだ。
もしも、私が男だったら、もしかしたらアリスを助けられたかもしれない。
目の前のいけすかない男の顔面に青あざができるほどの一発をお見舞いすることができたかもしれない。
しかし、私は『女の子』だった。
握力もスピードも体格も足りない私は、いとも簡単にとらえられてしまう。私には、絶望と無力を感じながら、ただただ、泣きわめくしかできなかった。
その間に、私に見向きもせずに、アリスの前まで来た龍道院は、その大きな顔をアリスの前に出して言う。
「最期にもう一度だけ、聞いてやろう――私の妻になりたいか?」
「私、は……」
龍道院の問いに対して、アリスの目には迷いの色が見えた。捕まって身動きのできない私の方を見ながら、その迷いの時間はしばらく続く。
このままじゃいけない。
アリスはおそらく、私を助けることを条件にして、自分を犠牲にしようとしている。
そんなのは、絶対に嫌だったし、許したくなかった。
こんな男の傍にアリスをいさせるくらいならば、私は喜んで死ぬことを選ぶだろう。
「アリ――」
私がアリスの名前を呼ぼうとしたその時、彼女は私を見て、やんわりと微笑んだ。
そして、口を開ける彼女を見て、全てを悟った私は、耳をふさごうと、両手を動かす。涙があふれていった。
アリスは、龍道院卓也へ向かって、静かに答える。
「貴方と添い遂げるくらいならば、私は彼女とこの場で死ぬことを選びましょう」
「なっ……」
勝利を確信していた龍道院の顔が驚愕に代わる。
アリスの言葉は私にとっては意外なものであったが、彼女のその一見他人を巻き込む無責任にも思える発言は私をひどく安堵させるものだった。
そして、ギリッ、と歯噛みした龍道院は、アリスへ向かって握った拳を彼女の顔へ向けて振るおうと手を伸ばした。
「なら、後悔しろ、貧乏人のゴミくずが!」
「…………っ!」
次の瞬間、私は声が出なかった。
アリスが暴力を振るわれて絶望したわけではないし、ましては、声が枯れ切ってしまってわけでもない。
龍道院の怒りのこもった拳は、後ろから腕を抑えられて、止まっていたのだ。
彼の手を抑えていたのは、この屋敷で私がアリスから拒絶されたあの日、この門まで送ってくれた初老の執事だ。
「はぁ?」
主の暴力を止めた彼の行動が気に食わなかったのか、龍道院は執事の方を向く。
今まで動かなかったにも拘らなかった彼の行動の意図がわからず、私もまた、驚きつつも、困惑していると、同時に、辺りに高らかな声が辺りに響いた。
「泣き叫ぶ友の声、鳴り響くは嘆きのしぶき、宵闇紛れて聞こえる悲恋歌誘われて、やってきました我がヒーロー」
聞き覚えにありすぎるその声は私たちの頭上から聞こえてきた。
見上げると、太く大きな木の幹の上に、月に照らされたポニーテールが目に入ってきた。
「善を目指して、悪を排す! 愛と友情を貫く恋愛マスター」
高らかにそう言った幹の上にいる少女は、「とう!」という掛け声とともに、地面に降り立ち、私たちの方へ人差し指を突き付けながら、ウインクで決める。
「増宮ヤヨイ、ってね」
そう、そこにいたのはヤヨイだった。その姿はいつどこで買ったのだろうか、白と黒の魔法少女というか、戦隊物というか、日曜日の朝アニメに出てくるような派手なドレス……というか、コスプレで、目にはマスクまでつけている。本名名乗っているのに。
当然、周りの視線を一斉に浴びることになったヤヨイは、彼女の登場に誰もがついていけずに静まり返っている場を見ながら、恥ずかしくなったのか、「えーと」と言いながら、私の方を向く。
「ごめん、もうちょっと、登場時のセリフは長い方がよかったよね。でも、考えるの大変だし、覚えるのにも時間がかかるし――」
「いや、別にそんなこと誰も気にしてないから!」
いつものテンションで突っ込むも、彼女の出現によって安心してしまったせいか、私の眼からは涙が流れており、ツッコミの声も少し切れがなかった。
「どうした、メイっち。そんなに私が恋しかったか?」
「なんで、ここに……?」
私の問いに対して、ニヒヒ、と、ヤヨイは悪戯っぽく笑う。
そんな私たちの会話を冷めた目で見ていた龍道院は腕を下すと、ヤヨイの方を向きながら言う。
「何の御用かな、私たちは見ての通り今、立て込んでいるんだよ。邪魔をするなら、君もたたじゃおかないよ」
「ふーん……どうなるわけ?」
「君はここに来ただけだ。でも、犯罪になる――警察に突き出すとしよう」
そんな龍道院の脅しに対しても、ヤヨイは特に表情を変えることなく「へ~犯罪ね~」などと返しながら、「そんなことよりもさ」と言って、彼に笑いかける。
「この世の中ってさ、お金が全てなんだよね?」
「……何を言っているんだ?」
「あんたの言ったことだよ、デブのおっさん」
挑発してくるヤヨイに顔を真っ赤にさせた龍道院は彼女へ殴り掛かかるも、ヤヨイの前に執事が現れてそれを易々と受けきった。
その後ろで、ため息をついたヤヨイは、
「私ってさ、昔から普通でいたかったんだよね。だから、お金なんてものはなくてもいいと思った。だからさ、本音を言うとこういう方法はあまり好きじゃないんだけど――まあ、私はもういろいろ貰っちゃってるから、少し返さなきゃいけないし、今回くらいまあいいかって……ね?」
「だから、いったい何がいいたい!」
これだよ、と、ヤヨイは何やら一枚の紙を龍道院へと見せる。
数秒の時間が流れて、そこに書いてある内容を読んだらしい龍道院の顔が険しくなる。
「ヤヨイさんってば、買い取っちゃったわけですよ、ここにあるもの全てを……ね」
「ふざけるな! 誰がそんな許可をした!」
「さぁ~誰だろうね~」
茶化すように言うヤヨイに対して、龍道院は吠える。
「僕は許可してないぞ、ここは僕の土地だ! どうやって騙したのかは知らないが、認めるわけには――」
とそこまでいった、龍道院には何かが分かったらしく、顔色をみるみるうちに変えていく。
「ご推察の通り、残念ながら正確にはここはあんたの土地じゃなければ、今あなたの振りかざしているお金もあんたのものじゃないんだよ」
「まさか……父に、お父様に……?」
見つけるの大変だったけどな、と返しているヤヨイの言葉が終わると同時に、ヤヨイの後ろから白いひげを生やした老人が現れた。
「お父……様、なん、で……なんで、ここに……」
「バカ息子を叱る以外に私がここにいる理由なんてないだろう?」
顔色を一変させた龍道院卓也は、恐れるように一歩、一歩、と、老人に向かって歩いていく。
「なぜ、この娘に協力したのですか!」
「この娘さんの祖父はあのグラーツなのだよ。当然、取引できるだけの金額も持っていた。そして、お前の言動について私が気分を害した――それだけだ」
「…………っ!」
私には何が起こっているのかわからなかったが、いつの間にか私の拘束はとけており、ヤヨイが傍に来たので、説明を求めようと彼女を見る。
するとヤヨイは、「ん、ああ……えーと……」と頭を掻きかきながら、少し考えていたが、やがて、不敵な笑みを浮かべてから、こう言った。
「これが、メイっちの『切り札』の力ってやつだよ」
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