人生ハードモード
絶対に譲れない 前編
私は今、緊張すべき状況下で現在進行形にて理性を試されていた。
いったいどうしてこうなったのか、流れというかアリスの巧みな話し方からそれしか方法がないという暗示にかかってしまっていたからだろうか。
いやいや、こういう状況になることはアリスから作戦を聞かされた時点で容易に想像できたはずだ。つまりは私の中に下心も――ほんのちょっぴりくらいあったかもしれない。
だが、それにしても、これは反則だ。
屋敷の敷地と外を繋ぐ門傍の茂みの中に私たちは隠れていた。
アリスの作戦は、簡単に言えば私たちのいる茂みから反対側に人を集めてその隙にここから逃げ出してしまおうというものだ。
シンプルな作戦であるが、問題はどうやって対岸に人を集めるのかであったわけだが、その方法というのが、アリスの身に着けている物を対岸に置いてきて、彼女が向こうにいることをアピールするといったものだった。
つまり、今、私の真後ろには上下ともに白いフリルの付いた下着に私の着ていたジャケットを羽織っているという姿のアリスがいるわけで。
アリスはいわゆる着やせするタイプというやつで、改めてみるとかなりスタイルがよく、その姿はまるで水着で撮影途中のモデルのようだった。
当然、彼女の下着姿は体育の授業などで見たことがあるのだが、それとはわけが違う。
薄暗い茂みの中で、もしかしたら全裸よりも刺激的な恰好かもしれない下着姿のアリスの存在はそこにあるだけで私の脳を刺激してきており、体温が上がり頭はクラクラしてくる。こんなもの、別に彼女のことが好きじゃなくても、老若男女どんな性癖の持ち主であろうとも、心臓が危うくなるに決まっている。この破壊力は核にも匹敵するだろう。非アリス三原則でも作ってもらわなきゃいずれ国が亡ぶかもしれない。
妙に高鳴る心臓を押さえつけながら、何度も深呼吸をしていると、アリスが隣に来る。
今すぐに飛びついて何十時間でも抱きしめたい衝動に駆られるも、流石に私は冷静を保っていると自分で思っていたのだが、アリスが心配そうな顔で「大丈夫ですか?」とこっちを見て言うものだから、ようやく私の鼻から血液が一筋流れていることに気付いて、つくろっている表情以外はどうやら冷静とは真逆の位置にいるのだと理解する。
「うん、大丈夫だよ……たぶん」
真面目な顔して鼻血を出しているというある意味これ以上ない間抜け面をしながら、私はポケットティッシュを鼻に詰め込む。これから大事な時だというのに一体何をやっているのだろうと思うが、これは事故の様なものだ、気にしないでもらいたい。
私の血が止まるまで待ってくれたアリスは、私の準備ができたとみると、ニコッと笑う。
「行きますよ」
「えっ……う、うん……」
私が頷くや否や、小石を握ったアリスは、振りかぶって、対面の木々の中へと投げ込んだ。
小石は地面にこすれてガサガサ、という音がして藪の中に入っていった。その音に気付いた近くの黒服の男が動き出し、すぐにアリスの服を見つけた。
アリスの予想通り、発見した男は他の人たちを呼び、森の中を捜索していくようだ。
アリスの方を見ると彼女が頷いたので、私たちは二人で茂みの中を移動していき門の前につく。
「パスワードは……」
門を開けるために隣にあるパネルに数字を打ち込んでいくアリス。その手際は非常に速い。
隣を気にしつつも、誰かが来ないか辺りを注意していると、やがて屋敷の門が開かれていく。
これで、出られる。
私がそう思った瞬間、パネルから手を離したアリスが青い顔をしてこちらを向いた。
何かをやり遂げたすがすがしい表情ではなく、かといって、作戦途中の緊張した面持ちでもない――不安と焦燥が入り混じった、険しいものだった。
「私は、まだ明けていません!」
「……っ!」
ならば、今門が開いたのは、いったい誰のせいだ。
そう考えるとすぐに、私の脳は、最悪の事態に行き着いたことを予期した。
「アリス、逃げ――」
「いえ……もう、ダメです……」
アリスの手を取って走り出そうとした私は、いつの間にか、囲まれていることに気付いた。森の奥まで潜っていったはずなのに……。
彼女を守るようにアリスの前に立ちながら、私がアリスの方に近づいて来る男たちを睨み付けていると、辺りにいる人たちとは明らかに違う服装で、雰囲気の男が現れる。
「ん? 一体全体なんの騒ぎ?」
低い背丈に良く肥えた体、指には色とりどりの宝石がついた指輪をジャラジャラとさせている。とても財閥の息子とは思えない、一般人の想像する成金を絵にかいたような姿をしている男。
しかし、彼の態度とその第一声から彼が龍道院卓也だということは、一目見て分かった。
彼の言葉に対してすぐに誰かが説明するというわけではなかったため、自分で辺りの状況を理解しようと思ったのか、ずんぐりむっくりの男は私たちを見回す。
そして、アリスの方を見ると、笑みを浮かべた。
「おお、僕のお嫁さんじゃない、どうしたの、そんな格好で」
嬉しそうにフランクな感じで両手を挙げて近寄ってくる龍道院卓也を私は遮るように立つ。
「それ以上近づかないでください」
「えっ、と……」
私の前で止まった龍道院卓也は、戸惑うように、キョロキョロと右左を見てから、
「君は、誰……?」
「この子の彼女です」
「は……?」
私を見ながら、怪訝な顔をした龍道院は「う~ん」と腕を組みながら唸ったかと思うと、
「アリスちゃんは女の子だよ? 僕には君の言っている言葉が分からないのだけれど?」
「……言葉通りで受け取ってもらって構いません。私は彼女を愛していますから」
龍道院へ睨み付けながらそう言うと、堪え切れないというように男は笑い始めた。その笑い声は人を逆なでる、気分を害するような、不快なものだ。
「何をわけのわからないことを言っているのさ、君たちはまさか女同士で付き合っているとでもいうのかい? あり得ないね、気持ち悪い」
「…………っ!」
今まで誰にも言われなかった言葉に、こんな男の言葉なのに、ずきりと来る。
しかし、彼の偏見を解くなんてことは今自分のやる事ではないというのはわかっていた私は、できるだけ動揺を表情に出さずに、彼に言う。
「私はアリスを愛しています。少なくとも、貴方よりも」
「だからなんだい? 僕のアリスちゃんをどうするつもりかな?」
「彼女は私がもらいます。婚約者だか許嫁だか知りませんが貴方のものにはさせません」
真面目な顔でそう返答した私を見て、男はまた噴出した。豚の鳴き声のような高笑いが辺りに響き渡る。
「なにが、おかしいのですか?」
「いや……悪いね、くくっ……君があまりに馬鹿げたことを言うものだからおかしくて危うくツボにはまりかけたよ」
目から出ていた涙を手でぬぐいながら、男は笑い過ぎで乱れた呼吸を整えていた。
挑発に乗ってはダメだ、と、自分に言い聞かせながら私は、あくまで毅然とした態度を崩さないようにしながら、彼の前に立つ。
「君は何も知らないのかい? どうして彼女が僕のものなのか」
「……借金、でしょう?」
「そうだよ、案外よくわかっているじゃないか――つまり、アリスちゃんは僕にお金を借りているの。それこそ、一生かかっても返せるかわからないくらいの、膨大な金額をね」
「だからって、アリスの人生を貴方が決めていいわけにはならない!」
声を張り上げた私に対して、男は余裕ぶった様子で、わからないかな~、とおどけたように肩をすくめる。一々癇に障る言動を取る男だった。
「世の中は全てお金で解決できるんだよ。お金さえあれば、愛してくれる女は五万といるし、少しくらい世の中からはみ出しても有能な弁護団がどうにかしてくれる。生きているだけで、地位も名誉も簡単に手に入ってしまう」
「そんな考え――」
「じゃあさ、君お金あるの? この考えを否定することは貧乏人にはできないよ、お金を持ったことがないんだからね」
「それでも、私は――っ!」
男の言葉に、それでも、食ってかかろうとした私の言葉が途切れる。
それは、私自身が止めたわけでも、龍道院卓也が言葉を遮ったわけでもなかった。
その瞬間、私の目の前に広がったのは、暑苦しい豚のような姿の男ではなく、世界一綺麗な、愛しい少女の顔だった。
頭が真っ白になり、私は自分の唇が文字通り奪われていることを知覚するのにも、かなりの時間を要する。
アリスの顔はなぜか、嬉しそうに笑っていて、甘さを感じる時間もなく、すぐに離れた。
「残念ながら、私が自発的にこういうことをするのは彼女だけです。たとえいくらお金を積まれても、貴方の妻になることになっても、この心が貴方に向くことは絶対にありえません」
そう言い切ったアリスのとても凛々しく感じる横顔を見ながらしばらく、放心していた。
一方で、龍道院卓也は私たちのキスを見て、驚愕の表情を浮かべていたが、みるみるうちに顔を赤くしていき、そして、「ふざけるな!」と叫んだ。
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