人生ハードモード

ノベルバユーザー172952

突っぱねられるとやっぱりヘコむけど

 
 金持ちというのは、アニメの中やゲームの中では良くある設定であるが、現実では中々お目にかかれないものである。ましては、大都会のど真ん中というような場所ではない地域の中では、空想上の設定の中でしかない架空の人間像になっていることが多い。
 かくいう私も、アリスを見て『お金持ちの家のご令嬢っぽいな』みたいなことを思い浮かべたわけだが、明確なビジョンとしてその家の存在について見えていたわけではなかった。

 だから、今、私の目の前に広がっている光景に対して、私はいささか、いや、かなり圧倒されていた。

 私の前にあるのは自身の背丈の倍以上はあるだろう、鉄の門。その左右はレンガの壁が広がっており、中は見えないのだが、敷地の広さから考えて、かなりの大きさであることだけは想像できる。

 いくら金持ちといっても、現実とおとぎ話は別物であり、まさかこんな絵にかいたような屋敷があるとは夢にも思っていなかったため、敷居の高さを感じてしまい、鉄門の隣にあるインターホンを押すのにも若干逡巡することになった。

「私はここからアリスを連れ戻すために来たんだ……」

 それでも軽く深呼吸をして、自分にそう言い聞かせると、チャイムを押す。ピンポーンという音については、金持ちだとかあまり関係ないようで、よく聞く音と同じものだった。

 向こう側と繋がるまでのわずかな合間、心臓の音がドキドキと、アリスの近くにいる時とはまた別の、コミュ障にとってはあまり得意じゃない緊張が私を襲っていた。
 そして、プツ、と誰かが出たと同時に驚いたように私は意味もなく背筋をピンと張る。

『どちら様でしょうか?』

 それは初老の男の声だった。アリスの両親はいない、そして、この館の主人がまさかでるはずもないことを予想するに、これが噂に名高い執事とかいうやつなのだろうか。

「あっ、あの! すっ、墨田メイヤと申します……アリス、さま、はいらっしゃるでしょうか?」

 アリスを連れ戻すために、かなり強気で来たはずなのに、その場の雰囲気と緊張にぼろ負けしてしまい滅茶苦茶カッコ悪いことに声が裏返ってしまう。
 私の言葉の後、妙な間があって、それがいたたまれなくなって、こんなことならば多少法を犯しても不法侵入とかで捕まったとしても、あのレンガの壁をよじ登っていった方がまだマシだったなんてバカなことを一瞬のうちに何度も考えていると、鉄の門が自動でガラガラと開いていく。

『どうぞ、お入りください』
「はっ、はい!」

 向こう側ともう繋がっていないかもしれないのに、返事をしてカクカクとインターホンへ向かってお辞儀をしてから敷地内へと入っていく。

 そして、また度肝を抜かれる。

 そこは私の通っている学校の校舎の倍はあるだろう大きさの、まるで城のような白い屋敷が鎮座していた。手前にはこれまた巨大な噴水と、左右にはどこまで広がっているのかわからない森があって、門から屋敷までは白いタイルで一本道になっていた。
 気圧されながらも深呼吸をして、気合を入れなおした私は、タイルの上を歩いていく。不思議なもので大きなものへと歩いていくとき、見えているのに中々近づいている気がしない。遠近感から仕方ない現象なのか、それとも、潜在的に私が恐怖していて自然と歩幅が狭くなってしまっているのか。

 キョロキョロとかなり不審な動きをしながら歩いていくと、屋敷の入り口に人影が一つあるのが見えた。

「……っ! アリス!」

 それが良く知っている、私の求めていた人のものだと認識した途端にその名前を呼んで私は走り出す。
 何も言わずに転校してしまった怒りとか、恐怖とか、そんな負の感情は彼女の姿を見た瞬間に消え去ってしまい、ただ、彼女の声が聞きたくて、アリスの方へと向かう。

 アリスの服装は、白いワンピースという綺麗で、可憐なお嬢様といった風貌をしていた。
 私とアリスの間が数メートルまで縮まったとき、そんな彼女の口が静かに開かれる。

「『墨田さん』、一体何の用ですか?」
「…………っ!」

 それは、まるで別人のようだった。
 彼女の口から放たれたのは冷淡な拒絶の言葉に、体温が一気に下がっていくのを感じる。

 ヤヨイから、アリスの結婚は不本意なものだ、ということを聞いていたせいか、ここまで来れば彼女は笑顔で私の元へ帰ってきてくれると、思い込んでいた。
 だからこそ、予想もしていなかった彼女の態度に戸惑った私は、その場に立ち止まる。

「迎えに来たんだよ!」
「何を言っているのですか、私は何処にも行く予定はありませんよ?」

 思わず発してしまった言葉に、冷静に返されて、何も言えなくなる。
 彼女の口調はいつもと変わらないはずなのに、その中には『温かみ』というものが消えてしまっていた。

「――そうだ! 学校行かなきゃ、今日は平日だよ!」
「……学校なら、もうやめました」

 またしても突っぱねるような、そして、易々とあしらうような、アリスの言葉に彼女との間に初めて見えない壁を感じる。初対面のときだって、こんな距離を感じたことはなかったのに。

 そんな彼女の態度に心が折れそうになるが、それではダメだと自分で言い聞かせて、私はあえて大きめの声を上げる。

「なんで、私に何も言わずに転校したの? 私の前からいなくなったの? 私、あまり頭良くないから話してくれなきゃわからないよ!」
「とても簡単なことです、私はここ龍道院に嫁入りすことになった、妻となり夫のために尽くす以上は学校へ行けませんから」
「アリスはそれでいいの?」

 愚問です、とだけアリスは答える。そんな彼女には儚げな美しさがあるように感じた。

「もういいでしょう、お引き取りください」

 とだけ言ったアリスは背を向けて、「墨田さん」と私の名前を呼んだと、冷酷な声で続ける。

「もう二度と、私の前に現れないでください」

 屋敷の中から出てきた大きな体の黒服の男二人と先ほどインターホンで出た執事らしい初老の男が出てきて、アリスと入れ替わりに外へ出てくる。

 このままでは、アリスが行ってしまう。
 彼女に言いたい事、伝えたい事、まだ何一つとして伝えられていない。

 何も伝えられなければ、今、私がここにいる意味が、ここまで来た意味が、まるでないではないか。

「待って、アリス!」

 その金色の背に私はもう一度だけ彼女の名前を呼ぶ。

 すると、アリスは立ち止まった。立ち止まってくれた。

「私はまだ、アリスのことが大好きだよ!」

 私は彼女の背中に向かって、最も訊きたかったことを叫ぶ。
 それは、私がここに来た唯一の目的とも言えた。

 アリスの今までの態度から、自分のこの思いを受け入れるとは考えられなくて、怖い、どうしようもなく怖かった。
 でも、これだけは言っておかなければならない。言わないと、一生後悔するだろう。

 大好きな貴女を失いたくないから、手を伸ばして届く場所にいてほしいから、私は彼女に訊く。

「私のこと……もう好きじゃなくなっちゃったの?」

「…………」


 アリスは、答えなかった。


 私はアリスの元に詰め寄っていったが、無情にも屋敷の扉は閉まる。

 アリスの代わりに屋敷から出てきた黒服の二人の男と初老の男を前にして、抵抗することなく、私は屋敷を離れていくしかなかった。
 てっきり、力ずくで門の外まで連れていかれる者と思っていたので、思いのほか紳士な彼らの態度に驚きつつ、図々しくも彼らに訊きたいことを聞いてみる。

「あの、一つ聞いていいですか?」
「なんでしょうか?」

 私の言葉に答えたのは、執事らしき初老の男だった。

「アリスの結婚っていつ正式に決まるんですか?」
「旦那様が日本へ帰国する一週間後でございます」

 そうですか……、と返しながら私はタイムリミットをしっかりと頭に刻み付けておく。何ができるかはわからないが、それは私に残された唯一無二の猶予だ。

 門の前まで戻ってくると、私は笑顔で執事さんへ頭を下げた。

「ありがとうございました、また来ます」

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