人生ハードモード

ノベルバユーザー172952

うちに来てくれるけど、その子の家は知らない

 
 少し間、感覚的にはもう何年も前のような気がするが、確かに二週間前に二人並んで下校した道を走っていく。
 あのとき、私は自分の家の方角ではなくアリスの家の方へとズルズルとついていったので、方向は間違ってはいないはずだ。

 自分でもどうして彼女の家に行こうと思ったのかわからない。どうにかできるとか楽観的なことも考えちゃいない。その方法もまだ全然思いつかない。
 でも、行かないといけない気がしていた。アリスの前で、何か言わなきゃ、気が収まらないと思った。

 息を切らしながら走っていた私は、しかし、踏切を超えたところで、私の足は減速していく。

 私はアリスの家を正確に把握しているわけではない。ここが彼女の通学路の途中と言うこと以外、私は情報を持っていなかった。
 ついに足を止めた私は、乱れた息を整えながら、空を仰ぎ、考える。

 どうすれば、アリスの家がわかる?

 辺りを見れば一軒家が多い、マンションもいくつかあるが、虱潰しに標識の一つ一つを見ていくか。
 だが、もうすでに引っ越してしまっていたらどうする?
 そうなれば、私にできることなんて、なくなってしまう。

 考えてみればアリスは、私のことをよく聞くのに、自分の芯の部分にある情報はあまり話さなかったように感じる。だから、許嫁がいるなんて知らなかったし、彼女の家がどこにあるのかも知らない。
 それを私がきっとアリスが訊かれたくない事なのだろうと、遠慮して訊かなかったせいもあるので、今更ながら、もっと積極的にアリスのことを探れば……というのは少しいやらしい言い方になるので、彼女に尋ねて彼女について知っておけばよかったと悔やむ。

 アリスが転校してきたときはまだ春のぽかぽかとした温かい陽気だったが、いつの間にか夏に突入していて、今では随分と暑くなってきており、私の頬を大量の汗が出てきていて、反射的に袖で拭う。
 そして拭ってしまってから、ハンカチをちゃんと持っていたことに気付いて、ポケットを探ると、スマホが手に当たったので、私はそれを取り出す。

 GPSでアリスの家が出てくれればいいのに、と思いながら、タッチ操作していくと、電話帳からアリスの連絡先が出てきたので、ダメもとで彼女へ発信。
 万が一出てもテンパることがないようにと、軽く深呼吸をして携帯を耳にあてる。

 プルルルル、というお決まりのコール音が一回、二回、と数を重ねていく。
 そして、繋がったかと思って、なぜか私が背筋を伸ばしていたところ、

『おかけになった電話番号への電話はお繋ぎできません』
「……は?」

 メッセージにしても聞きなれない言葉に、しばらくこの意味を考えてから、わからずグーグル先生のお力を借りて調べてみる。
 すると、すぐに見つかり、私は驚く。

「まさかの着信拒否をされているとは……」

 がっくり、とうなだれた私の頭に、同時に、これはもしかしたら本当に嫌われてしまったのではないかという考えが浮かび上がってしまう。
 着拒されているのに電話するとか、ストーカーかよ、とか昔ヤヨイと笑い話をしたことがあるが、実際にされると胸に来るものがある。

 さっきまで強気だった気持ちが折れそうになって、フラフラと近くにあった高い塀に背中を預けながら、嫌いだから、別れの言葉も言ってくれなかったのではないだろうかとか、ぼんやりと考えてしまう。

 普通嫌いな人間にベタベタなんかするはずないし、うちに押し掛けることなんてもっとないと、わかってはいるのだが、知り合いに着拒なんか生まれて初めてされたものだから、そのショックは私の足を動かなくさせた。

 まるで塀に背中がくっついてしまった、あるいは、地面に足の裏が接着されてしまったようで、私は動けずにただ電話帳のアリスの名前をしばらくの間見つめていた。動けたところで行く当てがないのだから、止まっていても動いていても、同じことなのかもしれないが。

 はぁ、と深いため息をついていると、電話帳のアリスの下に『恋愛マスター(自称)ヤヨイ』とかいう名前があって思わず笑ってしまう。
 確かヤヨイは家族の用事とか言ってたっけ、大抵のことならば昨日のうちに私に言えるはずだから、私がアリスとヤヨイの両方によほど嫌われていないと仮定するならば、よほど急な用事だったに違いない。

 あいつならアリスの家を知っているかもしれない、たとえ知っていなくとも何かしらの情報を持っているかもしれないとは思うが、用事があるのに電話して繋がるのだろうか。

 いや、これは緊急事態だ、迷惑など承知の上だ。事情を説明すれば、あとで謝ればヤヨイなら許してくれるだろう。
 と、今度はヤヨイの携帯に発信する。

 プルル、という音が聞こえてきて、またでないのではないかと不安になるが、わずかコール三回で繋がった。

「ヤヨイ?」
『どうしたメイっち、電話してくるなんて……さては私が恋しくなったか?』

 ああ恋しい恋しい、とか返しながら相変わらずの調子だったので、少し安心してしまう。
 ヤヨイは人ごみの中にいるようで、ガヤガヤと人の声がしていた。
 そのまま少しだけ何でもない普通の会話をヤヨイと交わしたかったが、そんな場合でもないので、私は、ふー、と息を吐いた後、すぐに本題に入る。

「アリスが転校しちゃったんだ」
『……っ! にしては随分と落ち着いてるな』
「それは、学校からヘトヘトになるまで走り続けたからね、慌てる元気がなくなっただけ」

 ここまで数キロくらいあるが、普段運動とかしていない人間からすれば、それだけの距離を走るのは完全なキャパオーバー。容赦ないギラギラとした夏の暑さもあって、すでに私の体力は尽きていた。
 それでも諦めるなんて言葉は一切浮かばないのは、揺るがない気持ちが一つあるからだ。

『……ちょっと早すぎるな』

 そんなつぶやきが聞こえて、私が「え?」と返すと「なんでもない」という言葉が返ってくる。
 気にしていても仕様がないので、私は一番聞きたかったことを尋ねてみるが、あっさりと答えが返ってきた。

「いや、まあいいや、そんなことより、アリスのところに行きたいんだけど、家の場所知らない?」
『ああ、それなら――』

 てっきり知っていても『どの辺り』だとか、大まかなところくらいだろうと思っていたので、詳細な住所までスラスラと言いのけたヤヨイに驚きを隠せない。
 ありがと、と言ってから電話をしながらスマホにヤヨイが言った住所を書き留めてから、もう一度、電話を耳に戻して歩き始める。

 もう聞くことはないはずだが、どうしても先ほどからヤヨイの周りで聞こえている音について気になってしまっていた。

「ねえ、家族の用事ってことだけど、ヤヨイ今どこにいるの?」

 随分と騒がしい、結婚式にしては騒ぎ方が違うし、葬式をしているようには聞こえないし、何よりも聞こえてくる人たちの言葉が知らない言語だったからだ。
 普段授業でリスニングをしているせいか、英語が多いのはわかる。でも、彼女の周りにはそれ以外の言葉が交錯していた。

『ん? 今私がいるのはですね、ニューアーク・リバティー国際空港なのですよ』
「にゅーあーく? どこそれ?」
『アメリカのニューヨークだけど?』
「なんでそんなところにいるのさ!」

 こっちは大変なことになっているのに、なんでアメリカ?なんでニューヨーク?
 ヤヨイにアメリカ人の親戚がいるなんて話は聞いたことないが……。

『まっ、メイっちは自分のできることを頑張ってくれ』
「……わかったよ」

 ありがと、とお礼を言って電話を切る。
 まさか海外にいるとは思わなかった。これで本当にヤヨイの力を借りるなんて選択肢が消えてしまったわけだ。

 ヤヨイから教えてもらった住所を片手に心に決めた私は再び走り出す。
 迷っている暇なんてない、アリスが、大切な人がいなくなってしまうかもしれないのだ。

 自分ができることを精一杯やろう。
 いくらでも抗ってやろう。

 アリスのためでもヤヨイのためでもなく、私自身のために。


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