人生ハードモード

ノベルバユーザー172952

唐突な喪失

 

 私はマイ枕がないと眠れないタイプである。

 いつも使っている枕じゃないと眠れない人の中には、眠ること自体ができない人と、眠ることはできるけれど朝起きたときの気分が悪かったり肩を凝ったりする人の二種類がいるだろう。
 私の場合は後者で、枕の高さによって翌日首が凝ったりするので普段ならばいくら夜遅くとも寝落ちだけは絶対にしないことに決めていた。

「あ……れ……?」

 違う枕どころか枕自体を使っていなかった首の痛みで、目を覚ますと、ほんの一歩後ろに布団が敷いてあるにもかかわらず、私はテレビの前でうつ伏せになり眠っていた。
 どうしてこんなバカな寝かたをしたのか、痛む首をさすりながらも起き上がると、普段はめったに出さないテレビゲームがあるのを見て、そういえば昨日アリスが泊まりに来たことを思いだす。

 アリスの姿を見つけようと部屋の中を見回してみるが、彼女の姿はどこにもなく、しかし、彼女がいた痕跡は私のベッドの上にあった。ベッドメイキングはされているが、眠った人が違うためか、やはりいつも自分が見ているベッドと違うように感じる。
 私は寝落ちしてしまったが、アリスはベッドで眠ってくれたようなので安心すると同時に、私の身体に流れた血が私を突き動かし、私をベッドの上にダイブさせた。

(あっ、うちのシャンプーだ……)

 昨日うちの風呂に入ったのだから、当たり前のことだったが、すんすんと嗅いでいると、胸がドキドキとしてきたので、慌てて頭を上げて、両手で顔を覆いうなだれる。

「変態か、私は……」

 これ以上はダメだ、と思いながら、部屋を出ていく。アリスはすでに家の中にもいないらしくて、父もすでに家を出ていたので私一人だけという状態だった。
 おそらく父が置いたのだろう、机の上に無造作に置かれたジャムパンを食べて学校へ行く準備をしていく、ひどい寝かたで全く眠れていない代償にいつもよりも30分ばかり早く起きられたので、時間的には結構余裕があった。

 静かすぎると感じてしまう家の中で、割とゆっくりした時間を過ごした後、家を出ていく。
 うちに泊まったんだから、同じ学校だし一緒に行けばよかったのにとか思いながら、別にさみしくなんかない、とか自分に言い訳しながら通学路を早歩きで歩くと、いつも夜中までゲームして太陽の光に負けてダラダラと歩いているためか、予定よりも大分早い時間に教室についた。

 おはよう~、と言いながら教室の中に入ると、『おはよう』と何人かに返された。

 しかし、一番聞きたかった人の声が聞こえなくて、キョロキョロと見渡すも、その姿は見当たらない。もしかして、うちからいったん家に帰ったのだろう。確かに準備はあるだろうし、別段変なことではないか。

 ヤヨイの姿も見えないし、急いていた心も落ち着いてしまって、疲労がどっとやってきた気がして、自身の机に鞄を置いて、目を閉じる。
 ショボショボする目を少しだけ労わってやろうと思ってやった行動であったが、アリスとゲームをやっていて確か最後に時計を確認したのが3時近くてそこから意識が消えるまで続けて起きたのが7時だったので、いったいどのくらい眠っていてどのくらい起きていたのかわからなかったのだが、いつも以上に眠くて、いつの間にか意識が朦朧としてきた。

 私は眠っているときに妄想というか想像というか夢というかに時々押しつぶされそうになるタイプの人で、授業中に眠たくなり夢と現実の狭間にいて教師に指摘されると、叫びながらゲーム内のモンスターの名前を叫んでしまったりすることがよくあったりするため、今回も、夢か現実かわからないような空間に意識をさまよわせていると、チャイムが鳴ると、私は「ちょっと待って!」とか変なことを言いながら意識を取り戻した。当然、私に教室中の視線は集まってきて、私は恥ずかしくなって突っ伏すことしかできなかった。

 叫んでしまうとは一体何の夢を見たのだろうか、とても悲しくて寂しい夢だったような気がするが、詳細は蒸発してしまったかのように脳内から消えていた。
 教室では朝のホームルームが始まっており、今日も淡々とした教師の声が聞こえてくる。

 まだ教室中の視線が向けられているような気がして、恥ずかしくて頭を上げられなかった私がさっさと時間よ進んでくれ、と念じながら、教師の話を聞いていると、彼は耳を疑うようなことをあっさりと告げてきた。

「それと、クリエールは急な話だが転校することになった」
「えっ……」

 顔の火照りが一気に冷め切る。
 彼の言った言葉が頭の中をグルグルと回るが中々脳が理解しようとはしなかった。

 アリスが、転校……?

 そんなはずはない、昨日まで一緒にいたのだ。学校ではずっと一緒だったはずだ。
 昨日だって、学校だけじゃなく、うちにまで――。

 一人くらい穴の奥底に落ちていく感覚を覚えながら、冷えきった血液の流れを感じながら、考える。

 そのとき、私は昨日聞いたアリスの言葉が一気に頭の中で流れた。今思えば、彼女の言動は変なところが多かったのではないか?

(そんな、馬鹿な……)

 恐る恐る顔を上げた私は隣の席を見る。
 そこには彼女がいて、私が見ると視線を感じて向こうも見てきて、温かく柔らかな笑顔が返ってくるはずだった。

「………………っ!」

 しかし、その姿はない。

 木目がある机と、なんの変哲もない椅子が置かれているだけだった。
 息をするのも忘れてその何もない光景をしばらくの間私は呆然と見つめる。
 急なことに頭の理解が追い付かず、『どうして?』という言葉が頭の中を覆いつくした。

 私がハッ、として、意識を持ったのは、ホームルームが終わった後だった。
 この事態を、この感情をぶつけたくて、あるいは共有したくて、ガタンッ、と立ち上がった私は、ヤヨイの姿を探す。

 だが、彼女の姿も見当たらなかった。
 こんな時に限って遅刻か、いや、ヤヨイが遅刻したなんて見たことも聞いたこともない。

 まさか……、と最悪の事態を想像して、教室を飛び出した私は、「あの!」と、教室を離れていく教師の背中に声をかける。

「ん? なんだ墨田?」
「えっと、あの、ヤヨ――じゃなかった、増宮さんはどうしたんですか? まさか、転校――」

 私の言葉が終わらぬうちに、「おいおい」と担任の竹内からツッコミが入る。

「お前ホームルーム寝てただろ、増宮はな、家族の用事で数日間学校を休むんだよ」
「えっ――あっ、そう、ですか……すみません」
「夜更かしもいいが、ほどほどにしとけよ」

 竹内教諭にもう一度「すみません」と頭を下げると、彼は「授業がんばれよ」といって去っていった。
 その背中が完全に消えるまで、私はその場に立ち尽くす。

 こんな時だというのにヤヨイがいない。
 それもなぜか私に事前に欠席してくれることを話してくれていなかった。
 冠婚葬祭いろいろあって、急に用事ができたのかもしれないけど、数日間というのは彼女を待って事情を話すには少し長すぎる。

 ヤヨイには、もう、頼れない。
 なら、私が一人で何とかしなきゃ。

 そう考えた私は、いてもたってもいられなくなって、姿が見えなくなった担任に向かって「ごめんなさい」と心の中で叫び、学校を飛び出したのであった。



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