ユズリハあのね
「おじゃまします」
《ガラス工房》を見て回る瞳、ヒジリ、美星の三人。それはそれはとても楽しい時間でした。
ですが、瞳には少し疑問に感じることがありました。
【緑星】にやってきてから初めてできたお友達である、火華裡の姿が見えないのです。
「ヒカリちゃんどうしちゃったのかな~……?」
瞳は店内をキョロキョロとしながら首をかしげます。
気が強くて優しくて、ハキハキと喋る火華裡のことですから、いればすぐにわかるはずなのですが見当たりません。
「あ、あのすみません~」
「はい、なんでしょうか?」
たまたま近くを通りかかったポニーテールがキュートな店員さんに声をかけて呼び止めました。
「ヒカリちゃんっていますか? ここで働いてるはずなんですけど~」
「ひかりちゃん……? ああ、もしかして火華裡さんのお友達?」
「あい! お友達です! お友達~!」
店員さんの『お友達』という部分に過剰に反応して元気よく返事。ズビシッ! という音が聞こえてきそうな勢いで挙手までしていました。無駄な動きです。
瞳の勢いに面食らった様子の店員さんでしたが、
「え、えっと。火華裡さんなら自室で療養中……」
「りょ?! どこか悪いんですか~?!」
ぐいぐいと店員さんに迫る瞳。迫られた分だけ店員さんは後ずさり、距離は詰まりません。
とはいえ店内ですから限界はあります。すぐに追い詰められた店員さんは、せめてもの抵抗に手で壁を作って苦笑い。
「フラついていたから倒れる前に休んでもらったんですよ。疲れが出たんでしょうね。ずっと働き詰めだったし、頑張ってましたから」
店員さんの言っていることは簡単に想像できました。
あの真面目な火華裡なら、体調不良など押し通して捻り潰して、働き続けそうです。
「その、会えたりとかってしますか~……?」
「んー……」
店員さんは顎に指を当てて考えます。
お友達とはいえ部外者を上げていいものか、休ませているところに通していいものか、判断に困っているようです。
「森井さん? どうしたの?」
「なにかあったです?」
手を繋いで美星の面倒を見てくれているヒジリがやってきました。ヒジリに対してもすっかり懐いたようで、二人はとても自然に手を繋いでいます。
「イケメン……!」
ヒジリの顔を見たとき、店員さんが小さくつぶやきました。
「ヒカリちゃん具合悪いみたいで、会えないかお願いしてたの~」
「火華裡ちゃんって、森井さんの友達の?」
「あい~」
瞳はしょぼ~ん、とうなだれました。叱られた子犬のようです。犬の耳が生えていたらぺったんこになっていたでしょう。
そんな瞳を見かねたイケメンは爽やかにお願いしました。
「あの、もしよかったら会わせてもらえませんか? お邪魔にならないようにしますから」
「わかりました! ちょっと待っててください!」
「は、はい」
速攻で許可が下りました。いえ、まだ許可が下りたわけではないですが、話は通してくれるようです。
さすがイケメン、相手が女性であればイチコロです。鈍感な瞳やまだ子供の美星は例外ですが。
どこかへ行っていた店員さんは颯爽と戻ってきて、
「大丈夫だそうです。案内しますね。こっちです」
「ありがとうございます~!」
店員さんの後ろをついていって、火華裡の部屋を目指します。従業員専用の扉をくぐり、二階へ。二階から上の階はほぼ全てが従業員の部屋として割り振られているようです。
長い廊下にずらりと並ぶ扉を見て、目が回りそうでした。
「ここが火華裡さんの部屋です。帰るときは一本道なのでわかりますよね?」
「あい、大丈夫です~! ありがとうございました~!」
「森井さん、これ」
ヒジリが差し出したのは、八百屋のおばちゃんがくれた果物の数々が入った袋。お見舞いの品としてはちょうど良いでしょう。
「僕はお店の方で待ってるよ。美星ちゃんはどうする?」
「わたしもお店で待ってます。もっと見たいです」
「ってことだから、美星ちゃんのことは僕に任せて」
「ありがと~。森の案内しなくちゃなのに自分勝手でごめんね?」
「気にしてないです」
手を合わせて謝る瞳に、美星は大人びた対応でした。それから店員さんと一緒にお店の方へと戻っていきました。
火華裡は体調を崩しているそうですし、待たせている人もいるわけですから、様子をちょっと見たらすぐにお暇させてもらおう。
そう決めてからドアをノックしました。
『はいはーい、どちらさまー?』
ドアの向こうから火華裡の声が聞こえました。思っていたよりも元気そうな声でした。
わたしだよ~、と名乗りをあげようとした瞬間にドアが開かれ、目が合います。服装は薄いオレンジのパジャマで、髪もいつもの輪っかではなく下ろした状態で一瞬のフリーズ。
「わ、……たしでした~」
バタンッ!
「えぇっ?! ヒカリちゃん~、なんで閉めちゃうの~?!」
『こっちのセリフよ! なんであんたがいるのよ!』
言いながら部屋の中からドタバタと慌ただしい音が聞こえます。慌てて片付けているのでしょうか?
「ん~、たまたま? 店員さんに『ヒカリちゃんどこですか』って聞いたら案内してくれた~」
ちょっと違う気もしますが、あまり間違ってもいないのでまぁいいでしょう。
相変わらず中から忙しく音が響いてくる中で、火華裡は聞きました。
『店員さんって、誰よ?』
「ポニーテールの人~」
『ヒナギクさんね……! 後で文句言ってやるわ』
恨み言をつぶやくように低い声で言うと、部屋の中が静かになりました。そしてゆっくりと扉が開かれていきます。
そこから顔だけをのぞかせた日華裡が言いました。
「そこに立ちっぱなしだと困るから、とりあえず入んなさい」
「あい。おじゃまします~」
招かれるままに入室。
部屋の中は思っていたよりも広々としたワンルームでした。一人で使うには少々広すぎる気もしますが、それはあくまでも瞳の感覚。大きすぎる大樹の中に部屋を作っているのですから、一部屋がこれくらいでもこれっぽっちも問題ないのでしょう。
なんともうらやましい話でした。
「へ~……ほ~……」
「なんか照れるからやめい」
初めて入るお友達の部屋をまじまじと見ていたら怒られてしまいました。
火華裡の部屋はしっかりと整理整頓されていて、機能美に溢れています。実に過ごしやすそう。
キッチンカウンターに四角いテーブル。一人部屋なのに三脚も椅子があり、ふかふかなベッドが隅っこに。
三脚もあるのは誰かが訪ねてきた用でしょう。ここにはたくさんの人が働いていてお友達もたくさんいるでしょうから。
「さっきドタバタしてたけど、なにしてたの~?」
「急に来るから片付けたのよ」
「ふ~ん。全然散らかってたようには見えないけど」
「あんたと違ってキッチリしてますから」
「むぅ」
体調不良と聞いていたのですが、元気そうな姿に瞳は頬を膨らませます。
「それは?」
瞳の手元を指差して火華裡は聞きました。
「あ~これ? 八百屋のおばさんがくれたんだよ~。はいど~ぞ」
「いいの?」
「あい~。まだ具合悪いみたいだから~」
確かに元気そうではありましたが、それは人前で見せる元気。無理に繕っていることを瞳は見抜いていました。それに気づいたのはいつもの「やめい」で手刀が飛んでこなかった、という呆れた理由で、ですが。
「大げさなのよ。あんたも、みんなも」
「想われてるんだね~」
「…………ふん」
火華裡は頬を染めながらそっぽを向きました。照れているようです。手刀は……やっぱり飛んできません。
「食べる~?」
「……食べる」
ムスッとしながらも、火華裡は正直に答えました。あっという間に攻守が逆転です。
「台所借りるね~」
「好きにしなさい」
瞳はまな板をおいて包丁を取り出し、八百屋のおばちゃんからもらった果物を取り出しました。
それを食べやすいように切っていきます。
火華裡はふかふかなベッドに腰掛けました。テーブルにつくよりもそちらの方が楽なのでしょう。
「ぅえへへ~……」
「なに笑ってるのよ」
切りながら、気持ち悪い笑いがこみ上げていました。瞳はちょっと前のことを思い出していたのです。
「なんか、あのときとは逆だね~」
「あのとき? ……ああ、あんたが風邪引いたときね。馬鹿みたいに雨の中ではしゃいで」
ユグードの森で初めて雨を体験して、テンションが上がった結果、ずぶ濡れになって風邪をひいてしまったやつです。
お見舞いとして、火華裡が缶詰を持ってきてくれました。
「反省してるってば~」
「どうだか」
からかうようにやれやれと、肩をすくめてみせます。
「できた~! 見てみて、うさぎさんだよ~!」
お皿の上に並べられたのは、うさぎのようにカットされたリンゴ。赤い皮が、目と耳を表現しています。
実物を見たことはありませんが、切り方は師匠でもあり先輩のセフィリアから教わりました。
「へぇ、まぁまぁね。もっと鈍臭いイメージだったのに」
「ふふん!」
「褒めてないからね」
「ありゃ~?」
火華裡の素直じゃない褒め言葉を褒め言葉としてしっかりと受け取って、お皿を渡しました。
まぁ適当に座んなさい、と言われたので瞳は適当に床に腰を下ろします。
「いやいや、イスがあるんだからそっちに座りなさいよ!」
「なんか高そうで座りにくくて……」
「はぁ? 別に安もんのイスよ?」
「いや、足の短さがバレちゃいそうで」
「高さって値段の話じゃないのね?! 紛らわしいわね!」
ぷりぷりと怒ってからフォーグでグサッと突き刺して頭をガブリ。容赦ありませんでした。
瞳は言われた通り椅子に腰をおろします。別に言うほど足は短くないです。
リンゴをしばらく咀嚼したあと、
「……ありがとね」
ポツリと火華裡がこぼしました。
「ううん。こちらこそだよ~」
「……は? こちらこそ? なんで?」
瞳のわけのわからない返事に首をかしげる火華裡。たまたまとはいえお見舞いに来てくれて、果物を切ってくれて、気遣ってくれた。
だからこそ出たお礼なのに、お礼を返されるとは思っていませんでした。
瞳は「あれ」と壁を指差します。そこには、額縁に収められた一枚の絵が飾られていました。
それは、風邪を引いたときにお見舞いしてくれたお礼として瞳が作り、プレゼントした版画でした。
「あっ……!」
しまった、とでも言いたげな表情で火華裡はフリーズしてしまい、どんどん顔が真っ赤になっていきます。
「わたしが作った版画、飾ってくれてありがと~って」
とっても嬉しそうに瞳は笑いました。プレゼントしたものが大切に飾ってある。これほど嬉しいことはありません。
「あっ、あれは別に……えっと……その!」
わちゃわちゃと慌てて言い訳を必死に考えている火華裡でしたが、結局何も出てこなくて、代わりに出てきたのは諦めのため息。
「ああいうの、初めてだったし……」
「ん~?」
「なんでもない!」
恥ずかしさを紛らわすように言うと、うさぎリンゴを次々と頬張っていってあっという間に平らげてしまいました。
「ごちそうさま」
「あい。おそまつさまでした~」
お皿とフォークを回収すると瞳は再びキッチンへ。
「ついでに溜まってる洗い物も洗っちゃうね~。ヒカリちゃんは横になってていいよ~」
「あぁ……うん」
気の利く瞳に甘えることにしたらしい火華裡は、大人しくベッドに横になりました。
「そうだ。そこらへんにビー玉があるでしょ?」
「びーだま?」
「1センチくらいのガラス玉よ。それ、持ってっていいわ。あんたそういうの好きでしょ?」
「あ~これか! うあ~い! ありがと~!」
小皿の上にまとめられていたビー玉を発見。カウンターに置いてありましたが、どうしてカウンターに置いていたのかは謎でした。
「…………」
物静かな火華裡は珍しくて、無防備で油断している新たな一面を見せてもらえるなんて、瞳はなんだか嬉しくなってしまいました。
いつも迷惑や心配ばかりかけていましたから、ようやく少しだけでも恩返しができました。
「よしっと~。それじゃあヒカリちゃん、あんまり長居してもアレだし、わたしそろそろ……」
八百屋さんがくれた果物たちを冷蔵庫へ納め、洗い物も済んだところで視線を上げてみれば、火華裡はいつのまにか小さく寝息を立てていました。
瞳は微笑を浮かべて、物音を立てないように気をつけながら、布団をしっかりとかけてあげました。
ばっちり愛らしい寝顔を拝見して、そっと退室。
「お大事に。またね」
透き通るほど綺麗なビー玉を握りしめて、瞳は部屋をあとにしました。
ですが、瞳には少し疑問に感じることがありました。
【緑星】にやってきてから初めてできたお友達である、火華裡の姿が見えないのです。
「ヒカリちゃんどうしちゃったのかな~……?」
瞳は店内をキョロキョロとしながら首をかしげます。
気が強くて優しくて、ハキハキと喋る火華裡のことですから、いればすぐにわかるはずなのですが見当たりません。
「あ、あのすみません~」
「はい、なんでしょうか?」
たまたま近くを通りかかったポニーテールがキュートな店員さんに声をかけて呼び止めました。
「ヒカリちゃんっていますか? ここで働いてるはずなんですけど~」
「ひかりちゃん……? ああ、もしかして火華裡さんのお友達?」
「あい! お友達です! お友達~!」
店員さんの『お友達』という部分に過剰に反応して元気よく返事。ズビシッ! という音が聞こえてきそうな勢いで挙手までしていました。無駄な動きです。
瞳の勢いに面食らった様子の店員さんでしたが、
「え、えっと。火華裡さんなら自室で療養中……」
「りょ?! どこか悪いんですか~?!」
ぐいぐいと店員さんに迫る瞳。迫られた分だけ店員さんは後ずさり、距離は詰まりません。
とはいえ店内ですから限界はあります。すぐに追い詰められた店員さんは、せめてもの抵抗に手で壁を作って苦笑い。
「フラついていたから倒れる前に休んでもらったんですよ。疲れが出たんでしょうね。ずっと働き詰めだったし、頑張ってましたから」
店員さんの言っていることは簡単に想像できました。
あの真面目な火華裡なら、体調不良など押し通して捻り潰して、働き続けそうです。
「その、会えたりとかってしますか~……?」
「んー……」
店員さんは顎に指を当てて考えます。
お友達とはいえ部外者を上げていいものか、休ませているところに通していいものか、判断に困っているようです。
「森井さん? どうしたの?」
「なにかあったです?」
手を繋いで美星の面倒を見てくれているヒジリがやってきました。ヒジリに対してもすっかり懐いたようで、二人はとても自然に手を繋いでいます。
「イケメン……!」
ヒジリの顔を見たとき、店員さんが小さくつぶやきました。
「ヒカリちゃん具合悪いみたいで、会えないかお願いしてたの~」
「火華裡ちゃんって、森井さんの友達の?」
「あい~」
瞳はしょぼ~ん、とうなだれました。叱られた子犬のようです。犬の耳が生えていたらぺったんこになっていたでしょう。
そんな瞳を見かねたイケメンは爽やかにお願いしました。
「あの、もしよかったら会わせてもらえませんか? お邪魔にならないようにしますから」
「わかりました! ちょっと待っててください!」
「は、はい」
速攻で許可が下りました。いえ、まだ許可が下りたわけではないですが、話は通してくれるようです。
さすがイケメン、相手が女性であればイチコロです。鈍感な瞳やまだ子供の美星は例外ですが。
どこかへ行っていた店員さんは颯爽と戻ってきて、
「大丈夫だそうです。案内しますね。こっちです」
「ありがとうございます~!」
店員さんの後ろをついていって、火華裡の部屋を目指します。従業員専用の扉をくぐり、二階へ。二階から上の階はほぼ全てが従業員の部屋として割り振られているようです。
長い廊下にずらりと並ぶ扉を見て、目が回りそうでした。
「ここが火華裡さんの部屋です。帰るときは一本道なのでわかりますよね?」
「あい、大丈夫です~! ありがとうございました~!」
「森井さん、これ」
ヒジリが差し出したのは、八百屋のおばちゃんがくれた果物の数々が入った袋。お見舞いの品としてはちょうど良いでしょう。
「僕はお店の方で待ってるよ。美星ちゃんはどうする?」
「わたしもお店で待ってます。もっと見たいです」
「ってことだから、美星ちゃんのことは僕に任せて」
「ありがと~。森の案内しなくちゃなのに自分勝手でごめんね?」
「気にしてないです」
手を合わせて謝る瞳に、美星は大人びた対応でした。それから店員さんと一緒にお店の方へと戻っていきました。
火華裡は体調を崩しているそうですし、待たせている人もいるわけですから、様子をちょっと見たらすぐにお暇させてもらおう。
そう決めてからドアをノックしました。
『はいはーい、どちらさまー?』
ドアの向こうから火華裡の声が聞こえました。思っていたよりも元気そうな声でした。
わたしだよ~、と名乗りをあげようとした瞬間にドアが開かれ、目が合います。服装は薄いオレンジのパジャマで、髪もいつもの輪っかではなく下ろした状態で一瞬のフリーズ。
「わ、……たしでした~」
バタンッ!
「えぇっ?! ヒカリちゃん~、なんで閉めちゃうの~?!」
『こっちのセリフよ! なんであんたがいるのよ!』
言いながら部屋の中からドタバタと慌ただしい音が聞こえます。慌てて片付けているのでしょうか?
「ん~、たまたま? 店員さんに『ヒカリちゃんどこですか』って聞いたら案内してくれた~」
ちょっと違う気もしますが、あまり間違ってもいないのでまぁいいでしょう。
相変わらず中から忙しく音が響いてくる中で、火華裡は聞きました。
『店員さんって、誰よ?』
「ポニーテールの人~」
『ヒナギクさんね……! 後で文句言ってやるわ』
恨み言をつぶやくように低い声で言うと、部屋の中が静かになりました。そしてゆっくりと扉が開かれていきます。
そこから顔だけをのぞかせた日華裡が言いました。
「そこに立ちっぱなしだと困るから、とりあえず入んなさい」
「あい。おじゃまします~」
招かれるままに入室。
部屋の中は思っていたよりも広々としたワンルームでした。一人で使うには少々広すぎる気もしますが、それはあくまでも瞳の感覚。大きすぎる大樹の中に部屋を作っているのですから、一部屋がこれくらいでもこれっぽっちも問題ないのでしょう。
なんともうらやましい話でした。
「へ~……ほ~……」
「なんか照れるからやめい」
初めて入るお友達の部屋をまじまじと見ていたら怒られてしまいました。
火華裡の部屋はしっかりと整理整頓されていて、機能美に溢れています。実に過ごしやすそう。
キッチンカウンターに四角いテーブル。一人部屋なのに三脚も椅子があり、ふかふかなベッドが隅っこに。
三脚もあるのは誰かが訪ねてきた用でしょう。ここにはたくさんの人が働いていてお友達もたくさんいるでしょうから。
「さっきドタバタしてたけど、なにしてたの~?」
「急に来るから片付けたのよ」
「ふ~ん。全然散らかってたようには見えないけど」
「あんたと違ってキッチリしてますから」
「むぅ」
体調不良と聞いていたのですが、元気そうな姿に瞳は頬を膨らませます。
「それは?」
瞳の手元を指差して火華裡は聞きました。
「あ~これ? 八百屋のおばさんがくれたんだよ~。はいど~ぞ」
「いいの?」
「あい~。まだ具合悪いみたいだから~」
確かに元気そうではありましたが、それは人前で見せる元気。無理に繕っていることを瞳は見抜いていました。それに気づいたのはいつもの「やめい」で手刀が飛んでこなかった、という呆れた理由で、ですが。
「大げさなのよ。あんたも、みんなも」
「想われてるんだね~」
「…………ふん」
火華裡は頬を染めながらそっぽを向きました。照れているようです。手刀は……やっぱり飛んできません。
「食べる~?」
「……食べる」
ムスッとしながらも、火華裡は正直に答えました。あっという間に攻守が逆転です。
「台所借りるね~」
「好きにしなさい」
瞳はまな板をおいて包丁を取り出し、八百屋のおばちゃんからもらった果物を取り出しました。
それを食べやすいように切っていきます。
火華裡はふかふかなベッドに腰掛けました。テーブルにつくよりもそちらの方が楽なのでしょう。
「ぅえへへ~……」
「なに笑ってるのよ」
切りながら、気持ち悪い笑いがこみ上げていました。瞳はちょっと前のことを思い出していたのです。
「なんか、あのときとは逆だね~」
「あのとき? ……ああ、あんたが風邪引いたときね。馬鹿みたいに雨の中ではしゃいで」
ユグードの森で初めて雨を体験して、テンションが上がった結果、ずぶ濡れになって風邪をひいてしまったやつです。
お見舞いとして、火華裡が缶詰を持ってきてくれました。
「反省してるってば~」
「どうだか」
からかうようにやれやれと、肩をすくめてみせます。
「できた~! 見てみて、うさぎさんだよ~!」
お皿の上に並べられたのは、うさぎのようにカットされたリンゴ。赤い皮が、目と耳を表現しています。
実物を見たことはありませんが、切り方は師匠でもあり先輩のセフィリアから教わりました。
「へぇ、まぁまぁね。もっと鈍臭いイメージだったのに」
「ふふん!」
「褒めてないからね」
「ありゃ~?」
火華裡の素直じゃない褒め言葉を褒め言葉としてしっかりと受け取って、お皿を渡しました。
まぁ適当に座んなさい、と言われたので瞳は適当に床に腰を下ろします。
「いやいや、イスがあるんだからそっちに座りなさいよ!」
「なんか高そうで座りにくくて……」
「はぁ? 別に安もんのイスよ?」
「いや、足の短さがバレちゃいそうで」
「高さって値段の話じゃないのね?! 紛らわしいわね!」
ぷりぷりと怒ってからフォーグでグサッと突き刺して頭をガブリ。容赦ありませんでした。
瞳は言われた通り椅子に腰をおろします。別に言うほど足は短くないです。
リンゴをしばらく咀嚼したあと、
「……ありがとね」
ポツリと火華裡がこぼしました。
「ううん。こちらこそだよ~」
「……は? こちらこそ? なんで?」
瞳のわけのわからない返事に首をかしげる火華裡。たまたまとはいえお見舞いに来てくれて、果物を切ってくれて、気遣ってくれた。
だからこそ出たお礼なのに、お礼を返されるとは思っていませんでした。
瞳は「あれ」と壁を指差します。そこには、額縁に収められた一枚の絵が飾られていました。
それは、風邪を引いたときにお見舞いしてくれたお礼として瞳が作り、プレゼントした版画でした。
「あっ……!」
しまった、とでも言いたげな表情で火華裡はフリーズしてしまい、どんどん顔が真っ赤になっていきます。
「わたしが作った版画、飾ってくれてありがと~って」
とっても嬉しそうに瞳は笑いました。プレゼントしたものが大切に飾ってある。これほど嬉しいことはありません。
「あっ、あれは別に……えっと……その!」
わちゃわちゃと慌てて言い訳を必死に考えている火華裡でしたが、結局何も出てこなくて、代わりに出てきたのは諦めのため息。
「ああいうの、初めてだったし……」
「ん~?」
「なんでもない!」
恥ずかしさを紛らわすように言うと、うさぎリンゴを次々と頬張っていってあっという間に平らげてしまいました。
「ごちそうさま」
「あい。おそまつさまでした~」
お皿とフォークを回収すると瞳は再びキッチンへ。
「ついでに溜まってる洗い物も洗っちゃうね~。ヒカリちゃんは横になってていいよ~」
「あぁ……うん」
気の利く瞳に甘えることにしたらしい火華裡は、大人しくベッドに横になりました。
「そうだ。そこらへんにビー玉があるでしょ?」
「びーだま?」
「1センチくらいのガラス玉よ。それ、持ってっていいわ。あんたそういうの好きでしょ?」
「あ~これか! うあ~い! ありがと~!」
小皿の上にまとめられていたビー玉を発見。カウンターに置いてありましたが、どうしてカウンターに置いていたのかは謎でした。
「…………」
物静かな火華裡は珍しくて、無防備で油断している新たな一面を見せてもらえるなんて、瞳はなんだか嬉しくなってしまいました。
いつも迷惑や心配ばかりかけていましたから、ようやく少しだけでも恩返しができました。
「よしっと~。それじゃあヒカリちゃん、あんまり長居してもアレだし、わたしそろそろ……」
八百屋さんがくれた果物たちを冷蔵庫へ納め、洗い物も済んだところで視線を上げてみれば、火華裡はいつのまにか小さく寝息を立てていました。
瞳は微笑を浮かべて、物音を立てないように気をつけながら、布団をしっかりとかけてあげました。
ばっちり愛らしい寝顔を拝見して、そっと退室。
「お大事に。またね」
透き通るほど綺麗なビー玉を握りしめて、瞳は部屋をあとにしました。
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