ユズリハあのね
「一番星な少女」
――前略。
お元気ですか? わたしは元気です。たぶん。
たぶんと言うのも、毎日忙しくて疲れてはいるんですけど、これが心地よい疲れと言いますか……悪い気分ではないのです。
体の調子も悪くはないので、気疲れというやつかもしれません。でもこんな疲れはお客さんの笑顔を見てると吹き飛んじゃうんですよ! 不思議ですよね。
どうして笑顔にはこんな力が宿っているのでしょうか? 笑うだけで幸せな気持ちになれるなんて。
こんな簡単に幸せを感じることができるって、人ってやっぱり不思議な生き物ですよね。
そう思いませんか?
森井瞳――3023.8.9
***
時刻はちょうどお昼時。夏休みで旅行に来ている人も、ご飯を食べるためにどこかで一休みしている頃。
木工品取扱店《ヌヌ工房》でも、お客さんの数は減って、わずかな安息の時間となっていました。このタイミングを逃してしまうとお昼を食べられるのはいつになるやら。もしかしたらお昼ご飯と言う名の夜ご飯になってしまうかもしれません。
「いまのうちかな~……?」
何かを食べるなら今しかありませから、のんびり屋さんの瞳も休憩のタイミングを見極める必要がありました。
先輩のセフィリアはここぞとばかりに商品を補充するため、新作を作っています。今が稼ぎどきなので、商品を切らすわけにはいかないのでしょう。
その辺りの事情を察せられるようになったくらいには瞳も成長しましたが、ずっとこの調子なので心配でもありました。
働きすぎなのではないかと。
自分も何か力になれたら、と思う瞳でありました。
「でもまだ素人だからな~……」
プロの仕事にアマちゃんが手を出して台無しにしてしまったらセフィリアの努力が報われません。お店の経営に影響が出るので、出しゃばっていいのか、ダメなのか、わきまえなければいけませんでした。
「むぅ~ん……」
眉間にシワを寄せて、小さく低く唸ります。こんなところでも実力不足を実感させられて落ち込み気味です。さすがの瞳も疲れが滲んできているようでした。
カウンターに頬杖をついて、大きなため息をつこうと体が勝手に大きく息を吸ったとき、
「あの」
「あひっ?」
突然声をかけられてピクンとなり、肺にたまった空気が変な声となって喉を鳴らしました。
少女の声でした。
完全に油断していました。いつの間に入って来たのやら、その少女はカウンターに両手をかけ、あごを乗せています。身長が低いのか、そのようになってしまうようです。
年齢は12か13歳くらい。ちょうど陶芸を学んでいるヒーナと同じくらいに見えます。でもやっぱりヒーナよりも小さいです。もっと年下かもしれませんでした。
瞳と同じく、髪や目の色は暗く、濃いものでした。いわゆる地球人の特徴なので、【地球】からやってきた観光客でしょう。
真っ黒な髪の毛は短く切りそろえられていて、頭の小ささがよくわかります。
両親の姿は見えません。この子ひとりだけのようです。
家族連れのお客さんは多かったですが、子供だけなのは初めてです。もしかして、はぐれてしまったのかも。迷子というやつです。
少女は首を傾げて聞いてきました。
「頭でもいたいです?」
「う、ううん、平気だよ~」
瞳は手をふって問題ないことを伝えます。
少女に心配されてしまいました。それほどまでに瞳の眉間にはシワが寄っていたのでしょう。
少女はそれだけ言うと無言になってしまいました。すかさず瞳は質問します。
「え、えっと……ひとりかな?」
「です」
「お父さんとお母さんは?」
「デート中」
「おぉう」
淡々と答えが返ってきて、しかも反応しづらいものまであって瞳は困ってしまいました。
そんな困り顔さえも先ほどからじっと見つめられていて、とってもやりにくいです。
特に意味もなく、いちおう見つめ返してみますが、少女の表情は変わらずに動きません。
「あ、あはは~……」
先に瞳がギブアップでした。これといって勝負はしていませんでしたが、負けました。
「んと……じゃあ、ひとりで出歩いてるの?」
「です」
「大丈夫なの~?」
「?」
何のことをいっているのか、少女は理解できないようでした。
〝森林街〟ユグードは迷子になりやすい土地です。瞳も何度も迷子になりかけて、その度に森の人たちが助けてくれました。そういう意味では旅行に向かない土地ですが、ちゃんと看板などに目をこらせば問題はありません。無いはずです。
なので、もし少女が迷子になっても同じように助けてくれるでしょうが、迷子にならないに超した事はありません。
「子供ひとりで出歩くのはちょっと心配だから。……集合場所とか、決まってるの~?」
「さあ」
「おおう……」
これはすでに迷子というやつでは? 時すでになんとかというやつでは? と衝撃を受けました。鈍感な瞳ではありますが、あまりよろしくない状況であることは理解しました。
「瞳ちゃん? どうかしたの?」
「あ、セフィリアさん~」
お店の様子がおかしい事を感じたのか、作業を中断して顔を覗かせたセフィリア。すぐに無表情な少女がたったひとりでいることに気づいて、なんとなく察しました。
さすが、大人な女性は違います。
「えっと、どうも迷子っぽいんですが~……」
「あらら」
と余裕の笑みを浮かべながら少女に歩み寄ります。
「こんにちわ」
「こんにちわ、です」
ちゃんと挨拶が返ってきました。若干棒読みでしたが。
「私の名前はセフィリアっていうの。よろしくね。あなたのお名前はなんていうのかしら?」
「美星です」
「キレイな名前。ミホシちゃん、困ったときはコレを他人に見せなさいって言われて貰ったメモとか、持ってたりしないかしら?」
「………………ぁ」
セフィリアの質問に僅かな沈黙があって、思い当たるものがあったのか、ハッとした顔になりました。初めて見た表情の変化です。よく見ないと気づけないくらいのささやかな変化でしたが。
少女は背負っていた可愛らしいぬいぐるみのリュックから、一枚の紙切れを取り出しました。それをセフィリアに手渡します。
「ふふふ♪」
預かったメモに目を通したセフィリアは、いつものように微笑みをこぼしました。
「セフィリアさん? どうしたんですか? 面白おかしい事でも書いてあったとかですか~?」
「いいえ。何も心配する事はないわ、大丈夫よ瞳ちゃん」
ただ……、とセフィリアは続けます。
「ちょっと時間がかかりそうだから、ミホシちゃんの様子を見ていてもらえる?」
「え、それはいいんですけど、でも……」
「お店の事なら大丈夫よ。瞳ちゃんが来る前はひとりで乗り切ってたんだから」
「……わかりました~」
思うところが無いでもないですが、セフィリアの言葉に全幅の信頼を置いている瞳は、素直に頷きました。
「なんだったら森を案内してあげてもいいかもしれないわね♪」
「案内ですか~!」
「今日だけ、瞳ちゃんは森の観光案内人よ♪」
「森の案内人! なんだかステキな響きです~!」
観光の文字が迷子になってどこかへ消えていました。全然案内できていません。
「それに、瞳ちゃんも働き詰めで疲れてきた頃でしょう? せっかくだから息抜きをするといいわ」
それを言うならばセフィリアにこそ息抜きが必要と思わなくもありませんでしたが、ここはお言葉に甘えさせてもらうことにしました。
レジ側から回り込んで少女――美星の隣へ行き、しゃがんで目線を合わせます。
「わたしは森井瞳って言うの。よろしくね~」
「よろしくです」
分度器で測ってもよくわからないくらい微妙に頭を下げた美星に、瞳は優しく頭を撫でてあげました。
とっても細くサラサラな髪で、いつまでも撫でられそうな手触りでした。
「それじゃあ美星ちゃん、どこを見たい? わたしが案内してあげちゃうよ~!」
やる気を動員させて鼻からフンスと溢れてきます。
瞳の問いに、美星は足元を指差しました。
「ここ」
「……へ?」
「ここを案内してほしい、です。まずは」
どうやら《ヌヌ工房》が最初の観光案内に指名されたようです。
「まっかせて~!」
元気に声をあげて、瞳は張り切って《ヌヌ工房》の案内を始めました。
なんとも不思議な雰囲気をまとった少女がやってきたものです。
何がしたいのか皆目見当もつきませんでしたが、果たして――どうなるのでしょうか。
そっと、見守ってみましょう。
お元気ですか? わたしは元気です。たぶん。
たぶんと言うのも、毎日忙しくて疲れてはいるんですけど、これが心地よい疲れと言いますか……悪い気分ではないのです。
体の調子も悪くはないので、気疲れというやつかもしれません。でもこんな疲れはお客さんの笑顔を見てると吹き飛んじゃうんですよ! 不思議ですよね。
どうして笑顔にはこんな力が宿っているのでしょうか? 笑うだけで幸せな気持ちになれるなんて。
こんな簡単に幸せを感じることができるって、人ってやっぱり不思議な生き物ですよね。
そう思いませんか?
森井瞳――3023.8.9
***
時刻はちょうどお昼時。夏休みで旅行に来ている人も、ご飯を食べるためにどこかで一休みしている頃。
木工品取扱店《ヌヌ工房》でも、お客さんの数は減って、わずかな安息の時間となっていました。このタイミングを逃してしまうとお昼を食べられるのはいつになるやら。もしかしたらお昼ご飯と言う名の夜ご飯になってしまうかもしれません。
「いまのうちかな~……?」
何かを食べるなら今しかありませから、のんびり屋さんの瞳も休憩のタイミングを見極める必要がありました。
先輩のセフィリアはここぞとばかりに商品を補充するため、新作を作っています。今が稼ぎどきなので、商品を切らすわけにはいかないのでしょう。
その辺りの事情を察せられるようになったくらいには瞳も成長しましたが、ずっとこの調子なので心配でもありました。
働きすぎなのではないかと。
自分も何か力になれたら、と思う瞳でありました。
「でもまだ素人だからな~……」
プロの仕事にアマちゃんが手を出して台無しにしてしまったらセフィリアの努力が報われません。お店の経営に影響が出るので、出しゃばっていいのか、ダメなのか、わきまえなければいけませんでした。
「むぅ~ん……」
眉間にシワを寄せて、小さく低く唸ります。こんなところでも実力不足を実感させられて落ち込み気味です。さすがの瞳も疲れが滲んできているようでした。
カウンターに頬杖をついて、大きなため息をつこうと体が勝手に大きく息を吸ったとき、
「あの」
「あひっ?」
突然声をかけられてピクンとなり、肺にたまった空気が変な声となって喉を鳴らしました。
少女の声でした。
完全に油断していました。いつの間に入って来たのやら、その少女はカウンターに両手をかけ、あごを乗せています。身長が低いのか、そのようになってしまうようです。
年齢は12か13歳くらい。ちょうど陶芸を学んでいるヒーナと同じくらいに見えます。でもやっぱりヒーナよりも小さいです。もっと年下かもしれませんでした。
瞳と同じく、髪や目の色は暗く、濃いものでした。いわゆる地球人の特徴なので、【地球】からやってきた観光客でしょう。
真っ黒な髪の毛は短く切りそろえられていて、頭の小ささがよくわかります。
両親の姿は見えません。この子ひとりだけのようです。
家族連れのお客さんは多かったですが、子供だけなのは初めてです。もしかして、はぐれてしまったのかも。迷子というやつです。
少女は首を傾げて聞いてきました。
「頭でもいたいです?」
「う、ううん、平気だよ~」
瞳は手をふって問題ないことを伝えます。
少女に心配されてしまいました。それほどまでに瞳の眉間にはシワが寄っていたのでしょう。
少女はそれだけ言うと無言になってしまいました。すかさず瞳は質問します。
「え、えっと……ひとりかな?」
「です」
「お父さんとお母さんは?」
「デート中」
「おぉう」
淡々と答えが返ってきて、しかも反応しづらいものまであって瞳は困ってしまいました。
そんな困り顔さえも先ほどからじっと見つめられていて、とってもやりにくいです。
特に意味もなく、いちおう見つめ返してみますが、少女の表情は変わらずに動きません。
「あ、あはは~……」
先に瞳がギブアップでした。これといって勝負はしていませんでしたが、負けました。
「んと……じゃあ、ひとりで出歩いてるの?」
「です」
「大丈夫なの~?」
「?」
何のことをいっているのか、少女は理解できないようでした。
〝森林街〟ユグードは迷子になりやすい土地です。瞳も何度も迷子になりかけて、その度に森の人たちが助けてくれました。そういう意味では旅行に向かない土地ですが、ちゃんと看板などに目をこらせば問題はありません。無いはずです。
なので、もし少女が迷子になっても同じように助けてくれるでしょうが、迷子にならないに超した事はありません。
「子供ひとりで出歩くのはちょっと心配だから。……集合場所とか、決まってるの~?」
「さあ」
「おおう……」
これはすでに迷子というやつでは? 時すでになんとかというやつでは? と衝撃を受けました。鈍感な瞳ではありますが、あまりよろしくない状況であることは理解しました。
「瞳ちゃん? どうかしたの?」
「あ、セフィリアさん~」
お店の様子がおかしい事を感じたのか、作業を中断して顔を覗かせたセフィリア。すぐに無表情な少女がたったひとりでいることに気づいて、なんとなく察しました。
さすが、大人な女性は違います。
「えっと、どうも迷子っぽいんですが~……」
「あらら」
と余裕の笑みを浮かべながら少女に歩み寄ります。
「こんにちわ」
「こんにちわ、です」
ちゃんと挨拶が返ってきました。若干棒読みでしたが。
「私の名前はセフィリアっていうの。よろしくね。あなたのお名前はなんていうのかしら?」
「美星です」
「キレイな名前。ミホシちゃん、困ったときはコレを他人に見せなさいって言われて貰ったメモとか、持ってたりしないかしら?」
「………………ぁ」
セフィリアの質問に僅かな沈黙があって、思い当たるものがあったのか、ハッとした顔になりました。初めて見た表情の変化です。よく見ないと気づけないくらいのささやかな変化でしたが。
少女は背負っていた可愛らしいぬいぐるみのリュックから、一枚の紙切れを取り出しました。それをセフィリアに手渡します。
「ふふふ♪」
預かったメモに目を通したセフィリアは、いつものように微笑みをこぼしました。
「セフィリアさん? どうしたんですか? 面白おかしい事でも書いてあったとかですか~?」
「いいえ。何も心配する事はないわ、大丈夫よ瞳ちゃん」
ただ……、とセフィリアは続けます。
「ちょっと時間がかかりそうだから、ミホシちゃんの様子を見ていてもらえる?」
「え、それはいいんですけど、でも……」
「お店の事なら大丈夫よ。瞳ちゃんが来る前はひとりで乗り切ってたんだから」
「……わかりました~」
思うところが無いでもないですが、セフィリアの言葉に全幅の信頼を置いている瞳は、素直に頷きました。
「なんだったら森を案内してあげてもいいかもしれないわね♪」
「案内ですか~!」
「今日だけ、瞳ちゃんは森の観光案内人よ♪」
「森の案内人! なんだかステキな響きです~!」
観光の文字が迷子になってどこかへ消えていました。全然案内できていません。
「それに、瞳ちゃんも働き詰めで疲れてきた頃でしょう? せっかくだから息抜きをするといいわ」
それを言うならばセフィリアにこそ息抜きが必要と思わなくもありませんでしたが、ここはお言葉に甘えさせてもらうことにしました。
レジ側から回り込んで少女――美星の隣へ行き、しゃがんで目線を合わせます。
「わたしは森井瞳って言うの。よろしくね~」
「よろしくです」
分度器で測ってもよくわからないくらい微妙に頭を下げた美星に、瞳は優しく頭を撫でてあげました。
とっても細くサラサラな髪で、いつまでも撫でられそうな手触りでした。
「それじゃあ美星ちゃん、どこを見たい? わたしが案内してあげちゃうよ~!」
やる気を動員させて鼻からフンスと溢れてきます。
瞳の問いに、美星は足元を指差しました。
「ここ」
「……へ?」
「ここを案内してほしい、です。まずは」
どうやら《ヌヌ工房》が最初の観光案内に指名されたようです。
「まっかせて~!」
元気に声をあげて、瞳は張り切って《ヌヌ工房》の案内を始めました。
なんとも不思議な雰囲気をまとった少女がやってきたものです。
何がしたいのか皆目見当もつきませんでしたが、果たして――どうなるのでしょうか。
そっと、見守ってみましょう。
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