ユズリハあのね

鶴亀七八

「森の守り神」

 ――前略。

 お元気ですか? わたしは元気です。

 つい先日、セフィリアさんからこんな話を聞きました。

 ユグードの森には守り神が住んでいて、人知れず森の安全を守っている……のだとか。

 そしてその守り神は、フクロウの姿をしているそうです。

 音もなく空を飛びまわり、全てを見通す眼とどこまでも回る首を最大限に発揮して、邪気を見つけてははらっている。

 そんな言い伝えがユグードには伝わっていると教えてくれました。

 もしかしたらヌヌ店長って、実はただのフクロウじゃないのかも? なんて思ったりして。

 ユグードにはわたしの知らないことがまだまだたくさん眠っているようです。そんな不思議を探しに行ってみるのも、面白いかもしれませんね。

 それでは、またメールします。

 草々。

 森井もりいひとみ――3023.7.4



   ***



「まいどありぃ! また来てくんな、お嬢ちゃん!」
「もちろんです~!」

 陽虫の光が消え始めて、闇が徐々に進行してくる夕方の時間。そんな暗さに負けないくらいの元気で大きな声が二人分、森の中に轟きました。

 ほわわんと間延びした声を発しているのは森井瞳。焦げ茶の髪は寝癖なのか癖っ毛なのか、花火のように跳ねまわっていてまとまりがありません。クリクリとした目には子供のような無邪気な光が宿っていました。

 もう片方の声は「焼きそばサンド」、略してそばサンドが看板商品の出店を営むおじさん。約一月前に偶然発見して知り合いになった、とっても気前のいいおじさんです。いろんな意味で太っ腹のおじさんで、たくさんサービスしてもらっています。

 すっかりお得意様となっていました。

「いただきま~す!」

 お散歩の帰り道で歩きながら、それを構えます。

 ニッコリ笑顔のまま大きく口を開けて、香ばしい香りを振りまいているそばサンドを頬張りました。

「おっふ……うま~!」

 笑顔のレベルを上げて、ぱぁ~☆ と眩しいくらいの満面の笑みを浮かべます。その表情だけで、そばサンドがどれだけ美味しいのか、伝わってくるようです。もはや言葉など不要でした。

 いつもなら、このまま真っ直ぐセフィリアとヌヌ店長の待つ《ヌヌ工房》へ帰るのですが、今日の瞳は一味違いました。

「…………」

 跳ねた髪をいじるようにしてしばしの間悩むと、いつものルートを外れて別の道に入りました。

「今日はこっちから帰ってみようかな~」

 ただの気まぐれ。それ以上でも、以下でもありません。

緑星リュイシー】にやって来たばかりの瞳は散々迷子になりかけたお散歩ですが、今ではすっかり慣れたもの。多少いつもの道を外れたくらいでは目的地を見失うことはないでしょう。

 と、油断してしまったのが、この日一番の失敗でした。

 そうとは知らないまま、楽しげにそばサンドを食べながら歩きます。鼻歌が自然とあふれてきます。

 瞳は気付きません。いつの間にか人の気配が無くなっているということに。

「うん~?」

 そばサンドを食べ終わって、そしてようやく気付きました。

 くりん、と首を傾げます。

「あれ? 人が……いない……?」

 いつもの穏やかで暖かな人々の活気が感じられません。人の姿など、見る影もありませんでした。それどころか、巨木の幹をくり抜いて作られた家すらありません。

 そこにあるのは、ただの巨木。どうしようもないほど、ただの巨木が乱立しているだけでした。

 夜道を照らしてくれる夜虹石やこうせきの輝きも、見えません。周りはこんなにも暗闇に包まれているのに、どうしてこんな大きな変化に気が付かなかったのか。

 遅ればせながら、異常事態だということを理解します。

 理解した途端、瞳は身がすくむような思いに全身を支配されてしまいます。跳ねるような足取りも、子供のような鼻歌も、引っ込んでしまいました。

 異常な事態が発生している。でも身の危険は今のところ感じません。なので、瞳はどうすればいいのか悩んでしまいます。

 声をあげて助けを求めるほどの危機的状況ではありませんし、そもそも近くに人の気配を感じません。

「や、やっぱりいつもの道で帰ろうかな~!」

 もと来た道を辿れば、いつものユグードの森の姿が戻ってくるはず、と考えました。すっとこどっこいの瞳ですが、珍しく冴えていたと言えるでしょう。

 しかし残念ながら、思い通りにはいかないのです。

 くるり。

「はれ……?」

 踵を返して、新たな異常に直面しました。してしまいました。

 瞳のすぐ背後には、巨木の中の巨木が図太い根を地面に張り巡らせているではありませんか。つまり、おっきなおっきな木が遮るように生えていた、というわけです。

 なんてこったい、と思いました。

 この木が最初からこう・・であったなら、瞳は巨木の中から出てきた、ということになってしまいます。

 間違いなく、真っ直ぐに歩いていたはずですから。

 いつの間に妖精のような存在になったのかと自分で突っ込みたくなりました。もちろんそんなはずはないと頭ではわかっています。

「ど、どうして~……?」

 本格的に瞳は怖くなってきました。周囲を染める闇のように、瞳の心には恐怖が滑り込んでくるのです。

 独りということが、こんなにも心細いものだったとは。

 そして、一つの可能性が脳裏に浮上してきました。

「もしかして……神隠し、とか……?」

 何の前触れもなく、何一つ証拠も残さず、かすみのように人間が消えてしまうという現象。

 人が行方不明になったとき、神隠しに遭ったのではないか? とよく疑われるアレです。

 実際には何かトリックがあるのが定石ですが、瞳には何かされたという自覚はありません。正真正銘の神隠しかもしれません。

 神隠しに遭ってしまった側なので、そう考えるしかありませんでした。

 ガサガサガサ……。

「ひっ」

 周囲から物音が聞こえてきて、瞳は瞬間冷凍されてしまったかのように固まります。

 恐る恐る、ゆっくりと、壊れたおもちゃのように首を動かして音が聞こえてきた方を確認します。



 そこには、視界を埋め尽くすほどおびただしい数の眼光が、品定めをするようにこちらを見ているではありませんか。



 大きい。それだけはわかります。ですが、目の位置がわかるだけで、体は闇に溶けるようにして全く見えません。これっぽっちも全貌が掴めませんでした。混乱した頭では、正確な数も把握できません。

「はっ……はぁ……は」

 瞳の呼吸が荒くなり始めます。生まれてこのかた18年、こんなに怖い思いをしたことはありません。

 緊張で乾いた喉を潤そうと、硬い唾をゴクリと飲み込んだ次の瞬間――、

 ソレらは襲い掛かるように飛びかかってきました。

 終わった。

 反射的に目を閉じました。

「…………っ!?」

 その瞬間、奇跡はやってきたのです。

 神風が――吹き荒れました。

 瞳の髪と制服をふわりと動かしただけですが、襲い掛かってきたソレらは揉みクシャにされて激しく吹き飛ばされてしまいます。とんでもない暴風でした。

 そんな神風の中、瞳はよくわからないままに心地よい暖かさに包まれていたのです。

「あったか……ふわふわ~……」

 そっと目を開けてみると、純白の布団に包まれている。一瞬そのように勘違いしそうになりました。

 瞳は、穢れを知らない真っ白なフクロウの翼の内側に、庇われるように収まっていたのです。

 人一人が収まるほど巨体のフクロウ。夢でも見ているんじゃないか。最初から夢だったんじゃないか。

 そう思えて仕方がありません。

 それでも、この暖かさだけはどうしようもなく本物だったのです。

 怯えきっていた少女はそこに安らぎを感じ、純白のフクロウに全てを委ねました。

 純白のフクロウが完全に瞳の体を包み込み、再び開いたその瞬間、目の前にはいつもの穏やかで暖かなユグードの街並みが広がっていました。

 帰ってきたのです。

 人々の笑い声が聞こえます。夜虹石の光が目に映ります。どこからか香ばしいパンの香りがします。

「あ、ありが――」

 お礼を言おうとして、しかし言えませんでした。純白の巨大フクロウは、音もなく消え去っていたからです。

 瞳はこの日、とっても怖く、心細く、でも暖かい、そんな不思議な体験をしたのでした。



   ***



 ――前略。

 お元気ですか? わたしは……あまり元気ではありません。

 あのね、話しても信じてもらえないかもしれませんけど、わたし、神隠しに遭っちゃったようなんです。

 いつものように森の中を歩いていたら、気付いたときには全然いつもと違う森の中を歩いていて、よくわからない何かに襲われそうになったとき、真っ白くてとっても大きなフクロウに助けてもらったみたいなんです。

 で、また気付いたらユグードに帰ってきてて……。

 わたしもまだ混乱しててよくわかっていないところがいっぱいあると思いますけど、あの真っ白いフクロウはきっと、セフィリアさんが教えてくれた森の守り神だったんじゃないかなって思います。

 怖くないどころか、とっても安心してしまったり……。悪い存在ではないことは確かです。

 わたしの中で整理ができたら、セフィリアさんや火華裡ひかりちゃんやヒーナちゃんに話してみようと思います。

 どんな反応するかな? きっと信じてくれないよね。でもこんなすごい体験は話さないともったいない!

 怖い思いはしたけど、とっておきの話題ができました。

 それでは、またメールしますね。

 森井瞳――3023.7.10

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