ユズリハあのね

鶴亀七八

「時間と想いを蓄えて」

 ――前略。

 お元気ですか?

 ヨウちゃんが空へと還り、わたしは昨日1日落ち込んでいました。でも安心してください、もう元気ですから。

 いつまでも落ち込んではいられないのです。

 ヨウちゃんは帰るべき場所に帰っただけですからね。

 それに、今も空に輝いている陽虫ようちゅうの中に、ヨウちゃんの子供がいるとすると、恥ずかしいところは見せられない、と身が引き締まる思いです。

 今日は、先日預けた道具たちを受け取りに、鍛冶屋さんに伺う予定になっています。

 すでに一度行っているので、今回は一人でお使いです。この歳になっていまさら緊張なんてしませんよ? 本当ですよ?

 では、行ってきます!

 草々。

 森井もりいひとみ――3023.5.17



   ***



 すー……はー……。

 金槌の看板がかかった巨木の前で、一人の女の子が胸に手を当てて、大きく深呼吸をしていました。

 森井瞳です。

 寝癖なのか癖っ毛なのかわからない花火のように爆発して跳ねた髪の毛。それにクリクリと輝く目に、ほわわんとした雰囲気の女の子です。

 まるで何かの発表会直前のように力んでいて、何度も何度も深呼吸を繰り返していました。

 そうです、緊張しているのです。朝のメールは強がっていただけなのです。

「よ~し……!」

 ようやく意を決したらしい瞳は、ひとつ頷いてからドアノブに手をかけますが、まるで鍵がかかっているかのように動きません。もちろんドアが壊れているわけでも、お店が休みなわけでもありません。

 鍵はちゃんと開いています。

「う、受け取るだけ……受け取るだけ……」

 自己暗示のようにブツブツとつぶやく姿は、それはそれは怪しい人物のように見えました。しかしそうではないのです。

 そうです。緊張しているのです。初めてのお使いに気負っているだけなのです。

 ドアノブに触った途端、体の方が動かなくなっただけでした。

 むしろ「お使い」とも言えないような簡単な作業なのにも関わらずこの調子では、まだまだ先が思いやられます。

「あの……大丈夫?」

 ガチガチに固まってしまった瞳の背後から、とある青年が声をかけてきました。さすがに怪しく思われたのか、その声はいぶかしむような声音で、若干距離を取っています。

「へぇあっ?! あだだだだ大丈夫です、大丈夫でふっ?!」

 おおいに慌てた瞳は飛び跳ねるようにドアの前から離れ、跳ねた髪の毛を振り乱してぺこりぺこりと頭を下げました。盛大に噛んでいるということにも気付いていません。

「そ、そう。大丈夫ならいいんだけど。もしかしてドア壊れちゃった? このドア立て付け悪いから……」

 そう言って青年がドアノブを捻ると簡単に開いていきます。青年が言うには開きにくいときがあるようですが、今はそのときではなかったようです。

「えっと……鍛冶屋うちに何か用かな?」
「え……は、あい」

 そのとき初めて瞳は青年をしっかりと見ました。

 キラキラと綺麗な銀髪に整った目鼻立ち。長身で、爽やかな笑みを浮かべた好青年でした。若干高いのに深みを感じる声は染み入るような響きを持って、瞳の耳をくすぐります。

「あのえと……ヌヌ工房の道具を……」

 変な緊張からそれ以上言葉を紡ぐことができませんでしたが、青年は「ああ、あれね」と納得の声をあげます。

 どうやら通じたようでした。

「どうぞ。少し待っててください」
「ありがとうございます~……」

 中に案内された瞳は小さく頭を下げました。この対応から察するに、青年は《鍛冶屋》の者のようです。自分が働いている先の入り口で動かない人がいたら、それは声をかけざるを得ない、というものでしょう。

 待っててくださいと言われたので待合席に腰掛けて、カウンターの奥へと消えていく青年の背中を見送ります。

 その頃には瞳の緊張は霞のように消えていて、肩の荷が下りた様子。あとは受け取って帰るだけですから、楽勝です。

 しばらくすると、愛用の道具が入ったケースを抱えた青年が戻ってきました。

「お待たせしました。ばっちり手入れしておきましたよ」

 白い歯を輝かせて手渡してくれたケースを受け取り、中を確かめてみます。

「うわぁ……!」

 思わず感嘆の息がこぼれました。

 青年の白い歯よりも光り輝く彫刻刀の刃先が、これでもかと言わんばかりに自己主張していたのです。

 疑いようがないほどに、ピッカピカになっていました。預けたときだって、それほどくすんでいなかったように感じていたのですが、これが本来の彫刻刀の輝きなのです。

「すっごい光ってる~! まるでダイヤのドレスを着込んだみたい~!」

 思わずいつもの調子ではしゃいでしまい、「あっ」と口元を隠す瞳。

 上目遣いで盗み見るように青年の様子を窺うと、嬉しそうに顔を小さく綻ばせていました。

「そう言ってくれると、頑張った甲斐があるよ」
「え? じゃあ、もしかしてこれ……」
「うん。それは僕が手入れをさせてもらったんだ。彫刻刀の手入れは簡単だから、僕みたいな半人前でも任せてくれるんだよ」

 青年は安心したように一息ついて、「ちゃんと仕上がってるか少し心配だったんだけどね」と付け加えました。

 瞳は改めて彫刻刀が収まったケースを見ます。

 まだまだ見習いの瞳には手入れの良し悪しなどサッパリでしたが、素人目に見ても完璧な仕事です。それでも青年は半人前なので、しっかりと仕事をこなせていたのかどうか、不安に包まれていたようです。

「――大丈夫ですよ」

 ふと、気付けばそんな言葉を発していました。

「え?」
「だって、こんなにキレイにおめかししてもらったんですもん。道具《この子》たち、喜んでます」

 道具に感情などありませんが、少女のその眼差しには彫刻刀が喜んでいるように見えたのでしょう。

 青年は一瞬、面食らったように口を開けていましたが、すぐに元の爽やかな表情に戻ると、聞き慣れた伝承を語り始めました。

「君は、付喪神って知ってる?」
「つくもがみ、ですか? 聞いたことあるような……?」
「有名な話だよ。道具を100年間使い続けると、魂が宿るって話」
「ああ~! しってますしってます!」

 言われなければ思い出せていなかったでしょうが、瞳は大好きなおばあちゃんから同じような話を聞いたことがありました。付喪神という単語はすっかり忘れていましたが、100年使うと魂が宿るというくだりは覚えていました。

「もしかしたら君の目は、魂を見ることができるのかもしれないね」
「わたしが、魂を、ですか~?」

 生まれてこのかた幽霊の類は見たことなどありませんが、その存在自体は信じています。なので、少し嬉しく思う瞳なのでした。

「そうさ。見るからにこの彫刻刀は、かなり使い込まれているからね。それこそ100年以上使われているかもしれない」

 確かに今回手入れを依頼したこの彫刻刀は、練習用として渡された古いものです。先輩のセフィリアが丹精込めて刃の手入れをした状態ではありましたが、柄に染み込んだ汗や垢は何人もの手で何年間も使われ続けてきたことを物語っていました。

「ずっと大切に使われてきたんですね~……」

 愛おしげに彫刻刀を眺める瞳。変わらず魂なんて見えませんでしたが、言われてみればそんな気がしてくるから不思議です。

 青年はしゃがみこむようにして、そんな少女の顔を覗き込みました。

「うん、綺麗な瞳だ」

 にっこりと微笑みかけるように彼は言いました。

「やっぱりそういう才能があるのかもしれないね」

 納得するように頷く青年でしたが、それを聞いて、ボンッ! ともともと爆発したような頭をさらに爆発させました。

 耳まで真っ赤っかに染めて湯気がほとばしりそうなほどです。

 なんだかいたたまれなくなって、彫刻刀の入ったケースを抱き寄せるようにして少女は顔を隠します。

「それじゃ、今後とも鍛冶屋うちをご贔屓ひいきにしてくれると、嬉しいな」
「……あい」

 とあることに気付かない青年は営業スマイルで仕事をこなします。

 対する少女はそれだけ言い残し、そそくさと退散しようとしましたが、

「あ、ちょっと待って!」

 と背中に呼び止める声を食らってしまいました。反射的に立ち止まり、しかし振り返ることはしません。真っ赤な顔など誰かに見られたくはないからです。

「僕はヒジリって言うんだ。よかったら君の名前を教えてくれないかな?」

 もちろん《鍛冶屋》にとって《ヌヌ工房》はお得意様になるわけですから、良好な関係を築くための第一歩としてまずは名乗りを。

 青年はただそれだけのために名を名乗り、聞いたのです。

「…………み」
「え? ごめん、よく聞こえなかった」
「もりい、ひとみ…………です」

 なんとか絞り出してから、今度こそ退散。

 まさかただ受け取るだけのお使いでこんなことになるとは夢にも思っていなかった瞳でした。

 逃げるように帰っていく小さな肩を見送って、青年は首を傾げます。

「もりいひとみさん、ね…………ん? ひとみ?」

 ヒジリと名乗った青年は、少女の様子が微妙におかしいことには気付いていました。ただ緊張しているのだろうと思っていましたし、最初はそれで合っていました。

 しかし途中からはそうではなかったのです。

〝うん、綺麗な瞳だ〟

 自分がそう言ってから明らかにおかしくなったことにようやく気付いて、

「しまった……そういうことだったのか……」

 と、彼まで頬を朱に染めて、鼻の頭をかくのでした。



   ***



 ――前略。

 鍛冶屋さんに行って、おばあちゃんから聞いた〝つくも神〟っていう話を思い出しました。道具を100年使うと魂が宿るという話です。

 おばあちゃんは、魂が宿ると「大切に使ってくれてありがとう」という感謝の気持ちを伝えるため、ひとりでに動き出すんだよ、って教えてくれたけど、実際はそうでもないのかも?

 そうですよね、ひとりでに動くはずないですよね。

 でもわたしには、動かなくてもなんだか感謝の気持ちが伝わってきたような気がします。

 これからもよろしくねって、言ってくれたような気がするんです。

 この彫刻刀はまだまだ大切に……大切に、使っていきたいと思ってます。

 それにしても今日はなんだか体が火照ってるんですよね。散歩して、夜風にでも当たってこよっかな~? な~んて。

 それでは。またメールしますね。

 草々。

 森井瞳――3023.5.17

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