JKは俺の嫁

ノベルバユーザー91028

第18話 『カウントダウン』

あのとき、きみに出会えたことに、僕は終わらぬ感謝を捧げるだろう。
ただ、心から、あいしている。
いつかきみと歩く道が、きっと明るいものでありますようにと、願っている。






俺と「彼女」が出逢ったのは、何の変哲もない夜の公園だった。


切っ掛けが何だったのか、もはや覚えていない。
些細なことで親と喧嘩をして、逃げるように家を飛び出して。もう戻らないつもりで、一人公園で蹲っていた。


そんなとき、きみがいた。
煌々と蛍光灯の照らすベンチに腰掛け、物憂げな顔をした幼くも愛らしい少女。不思議と恐怖はなく、なんだか「仲間」のような気さえしていた。
ただ、一人ぼっちで深夜の公園に居るというだけで、何か訳ありだと分かっていたけれども。
「……お兄ちゃんも、お家から逃げてきたの?」
「うん……。きみも、お母さんと喧嘩したのかい?」
少女は答えない。
小さく首を振り、あるかなしかの微かなほほえみを浮かべる。
まだ小さいのに、小学校へ通うような年頃のはずなのに、繊細な作りの横顔ははっとするほど大人びていて。
たぶん、あのとき、既に惹かれていたのかもしれない。–––––彼女に。


明るい色の髪を長く伸ばし、薄汚れたワンピースを着たその少女は「井上理央」と名乗った。可愛い名前だね、と褒めると彼女は、弟とお揃いなのと嬉しそうに笑った。
あの出会いのあと、少しずつ交流をするようになって、何度かお互いの話もするようになった。
程なくして件の弟–––––「礼央」とも会う機会を得た。
出会い頭に技をかけられたときは、なんて生意気な子どもだろうと腹を立てたものだが、あとで幼いなりに姉を守ろうとしているのだと分かったときには、なんて不器用な奴なんだろうと思ったのを覚えている。


時折言葉を交わす二人が、けれどきちんとした生活をしているとは到底思えなかった。彼女らはいつもぼろぼろの服を着て、会う度にお腹を空かせていたから。でも、事情を根掘り葉掘り訊くほど不躾にはなれなくて、俺にできることといったら常にお菓子を持ち歩くくらいで。
普段は甘い物など食べないと知っている友人達に不審がられたこともある。


その時俺はまだ、一介の高校生に過ぎなかった。未熟で愚かな、クソガキだった。
助けたい、救いたい、その気持ちに偽りはなかったけれど。
何も知らない、「馬鹿」だった。
だから。全て手遅れになったあとで、思い知るのだ。如何に自分が、無力だったかを。




全てが動いたのは、理央が中学生になってしばらくしてからのこと。


ちょっと長めのモラトリアム期間を終え、当時俺はそこそこ真面目に大学生活を送っていた。
地元ではそれなりに有名で、卒業すれば大手企業も狙えると評判の大学は、ご当主様である祖母に厳命されて仕方なしに通っていた。もちろんそこで瑞穂や村崎といった友人に出会えたのだから、決して無駄ではなかったけれど。
大学近くの古い独身者用アパートが俺の城だった。長い夏休み、ずっと籠って読者ばかりしていた俺の元へ、ある日「彼女」は突然やって来た。
手ぶらで、あちこち汚れ、破れた制服姿のまま。身一つで。
「……理央? お前、その姿……、」
絶句する俺に彼女はただ一言。
「お願い裕臣兄さん、私を傍に置いてくれませんか。……何でもするから」
淡々とした、感情の薄い声。
もとより大人しくて落ち着いた雰囲気の少女だけれど、こんなに淡白な子じゃあなかった。
背中まであった柔らかい猫の毛みたいな髪はばっさり切られ、前髪なんて不揃いのまま。
何かあったのは間違いがなくて、でもどうして此処へ来たのか疑問は消えなくて。気付けば頷いていた。
放っておくのはできなくて、けれどどうしたらいいのか分からないままに。


今にして思えば。
あのとき、たとえ彼女が嫌がったとしても警察へ相談しに行くべきだった。そうすれば、のちのち「あんなこと」にはならないはずだった。


そうして始まった二人の生活。
意外にも家事に慣れていた彼女は、進んで掃除や洗濯をやってくれた。料理だけは苦手なんだと笑う理央は、しかしどこか疲れているようにも見えた。
けれど、その日々は長くは続かない。
他ならぬ、俺の手によって。



その日、俺は久々に井上家を訪ねていた。
いくら理由を訊いても答えない理央に痺れを切らし、誰よりあの子に近い礼央なら何か知っているはずだろうと思って。
俺の住むアパートよりも更に古い、六畳二間の小さな部屋が親子の住処だった。
ドアをノックすると、少し間を置いてから礼央が出迎えてくれた。
「あっ、ヒロにぃ! ひっさしぶりじゃんか! 何処行ってたんだよっ」
「わりーわりー、今大学通ってんだ。お前はちっとも背が伸びねえなあ。……ところで、今ウチに理央が来てるんだが、お前何か知ってるか」
そこで、無邪気なイタズラっ子の顔をしていた礼央がパッと表情を変える。
「そんな……! 帰ってこないと思ったら! ……頼むヒロにぃ、姉ちゃんを助けてぇ……!」
「……詳しく、事情を話してくれないか」
しかし彼はブンブンと首を振って俺にしがみつく。
「駄目だ、そんな暇ない! 今すぐ戻れ、でないと絶対大変なことになる!姉ちゃんが……っ」
「えっ……!?」


俺は、井上家へ来るべきではなかった。
「やつら」は、俺の不在を狙っていたのだから。



礼央の言葉を受け、急いで自宅へ帰った俺が見たものは。
変わり果てた、「彼女」の姿だった。



「理央……? おい、しっかりしろ、起きろよ……っ」
眠っているかの如く瞳を閉じた少女。その身体はぼろぼろで、凍てつくように冷たかった。
なんて、酷い、姿だろう。
着ていたはずの服は切り裂かれ、あちこちに手酷く殴られた痕が残る。肌は紙のように白く、綺麗な顔には赤い痣。
彼女が何をされたのか。
どんな酷いことをされたのか。
すぐに分かってしまった。
ただ殴られただけじゃない。それだけならば、『服を切り裂く必要なんてない』じゃないか。
身体を起こそうと手を伸ばしかけ、躊躇った。触れることさえ罪のような気がした。ただ、救えなかったことを悔いた。
「ごめん……、理央、ごめんなぁ……。俺の、せいだ……」


彼女が暴行を受けた背景には、理央の母親の存在がある。
理央の母親–––––「未央みお」は金に困っていた。離婚した夫からの養育費の支払いが滞り、加えて勤めていた店を首になったことで、生活のために、付き合っていた彼氏から金を借りていた。
しかし、浪費癖のある彼女は結局借金が返せず別れを告げられる。
どうにかして恋人を繋ぎ留めて置きたかった彼女は–––––、娘を売った。
『お前の娘を寄越せ。それなら支払いを待ってやる』
恋人からそのように言われ、迷いなく頷いたのだという。


そして、理央は、犠牲になった。
望まぬ『行為』をさせられたことは一度や二度ではない。
暴行はエスカレートし、何度も何度も繰り返された。彼女はそれにじっと耐えていた。自分が逃げれば、今度は弟がどうなるか分からないから。


しかし、礼央は決死の覚悟で姉を逃がした。母親と男が出掛けた隙を見計らい、彼女を外へ送り出したのだ。
その後、理央は俺の元を訪ねてきた。
高校卒業後、一度だけ告げた引越し先の住所を彼女はずっと覚えていたのだ。
だが、理央の母親は俺の素性を知っている。春田家は地元ではかなりの力を持った家で、そこの跡取り息子として「春田裕臣」は知られていたからだ。
春田家は、時折周辺住民からの相談を受け付けている。その際に俺の住むアパートについて尋ねたのだろう。あの家はプライバシーという言葉など知らない。


–––––そして、悲劇は起きた。
家主である俺が外出した隙に彼女の母親と男は押し入り、そして長い間『行為』
に及んだとされている。
自宅から検出された『奴』の体液の量は夥しいものだったらしい。


だが、ここで一つ問題がある。
それは、こうした事件は「親告罪」であるということ。通常の強盗や殺人と違い、被害者が告訴しない限り立件できない。そして「被害者」の理央は、精神を病みしばらく病院を出ることさえできない状態だった。
追い詰めてやりたかった、どこまでも。


そして同じくらい悔しかった。
後悔は尽きない。
大切だったのに、幸せになってほしかったのに。
どうして、気付いてあげられなかったのだろう。
どうして、守ってあげられなかったのだろう。
どうして、どうして、どうして!!
肝心な時に役に立てない、俺は道化だ。無力で、愚かな、馬鹿野郎だ。
–––––こんなことになってから、彼女への恋心を自覚するなんて。


大学に通いながら、俺は彼女の入院する病院へ何度も訪れた。しかし理央が目覚める様子はなく、いつ来ても死んだように眠っていた。
いっそ目覚めなければいいのかもしれない。彼女にとって、きっとこの世界は生き地獄だろうから。
メディアも理央の周りも、きっと彼女を放っておかないだろう。起きれば取材や同情、憐憫の視線が待ち構えている。
ただ、静かに生きてほしいだけなのに。


姿を消そう、そう思った。
俺には彼女の傍に居る資格なんてない。きっと理央の邪魔になるだけだと。
長い長い夏休みのあと、俺は彼女の病院へ行くのを止めた。
弱かったんだ、俺は。
目覚めた彼女に糾弾されることを恐れた。責められたくなかった。
もしも拒絶されたら、憎まれたら。
そう考えるとただ恐ろしくて、逃げ出した。彼女から–––––全てから。




二年後。
そこそこ大きい会社に入り、新社会人としての生活をスタートさせた俺の元へ、礼央から一本の電話が入る。
『理央が目覚めた』–––––と。


山のような残業を村崎に押し付け、俺は彼女のいる病院へと向かった。
謝らなければ、それだけを思って。
しかし、意識を取り戻した彼女は、事件の記憶を全て失っていた。


「あっ、ヒロくんだー! 久しぶり、なんか大人っぽくなったねぇ」
ニコニコ笑う、この少女は誰だ。
理央は、もっと大人しい子だった。年の割に冷静で、いつも儚げな憂いを含んだ微笑みを浮かべる、そんな少女だった。
こんな、無邪気で明るい、活発そうな子どもだったろうか。
「ねぇ、せっかく来たならお土産くらい持ってきたんでしょー? 私、甘い物がいいんだけどなあ」


信じられるだろうか。二年ぶりに目覚めた彼女は、性格さえ変わってしまっていただなんて。
彼女の中には、幸せな思い出しかない。無理矢理に造り出された偽の記憶。
彼女の中での自分は、愛されて育った、ごく普通の中学生だ。
だけど、決定的な何かが欠けたまま。
「恋」を知る前に、奪われたものがある彼女は、だからもう決して恋をしない。
彼女の中にある「愛」はニセモノだ。
それは、まやかしでしかない。
この先、彼女は、何者も愛さないままに生きていくのだろうか。
そんな哀しいことってあるかよ。


「理央、俺と結婚してくれないか?」
そして、彼女は、いつものように笑顔で答えた。
「うんっ。もちろん、いいよ」





「愛してほしい」、「愛されたい」
その気持ちは今もある。ずっとずっとこの心に在り続ける。
それでも彼女が、いつか誰かを愛せるようになってくれるなら、きっともうそれだけでいい。「仮」の夫を演じることだって苦しくないよ。


だから、どうか。
あなたが本当の意味で誰かを愛してくれますように。
今は、ただ、それだけを願っている。

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