JKは俺の嫁

ノベルバユーザー91028

〈閑話〉レオ

いずれは許さなければならないと、分かっている。それでも『彼』が許せなかった。
だって、あいつは、俺の一番大切なものを奪っていったから。




久々に、何の予定もない休みの日。
天気も良く風は穏やかで、なんとも過ごしやすい一日だ。これで暑くさえなければ、遊びに出かけるには絶好の日和だったろう。
しかし、今の気温は35度を超えている。最近では「猛暑日」というらしい。
こんな日は、エアコンの効いた室内で映画でも見ようということで、裕臣と理央の二人はリビングでホラー映画を観ていた。
「ギャーッッ!! 待って、理央、お願い早送りしてえぇ!」
「えぇ……、まだ序盤だよ? ヒロくんは大人なのになんでそんな恐がりなの」
井戸から女幽霊が這い出てくるシーンでぬいぐるみに抱きつきながら叫ぶ彼に、理央は呆れたような視線を向ける。
「しっ、仕方ないだろっ。お、大人でも怖いもんは怖いの!」
ガタガタ震えながら暑いのに毛布をすっぽり被る、20歳すぎの男の姿は情けないの一言だ。私なんでこの人と結婚したんだろ、と理央は思わず遠い目になった。
と、その時。
携帯に見知った名前からの着信がかかり、彼女は我知らず口元を緩める。
「あっ、レオ! やだ、どうしたの急に!ええ、今からこっち来る? はっ? ちょっと、どういことなのっ!?」
プチッと電話が勝手に切られ、理央がリダイヤルしようとした途端、ピンポーンと間抜けた音のチャイムが鳴った。



「やっほー。来ちゃった♡」
それが、理央の弟–––––『井上 礼央』襲来の合図だった。


「ちょっとー!! 来るなら来るでちゃんと連絡寄越してよ!もう、こっちだって色々準備ってものがあるんだからっ!……って、聞いてるっ!? 」
真っ赤な顔で金切り声を張り上げる理央を綺麗に無視し、礼央は裕臣にプロレス技を掛けている。
これも毎度のことだった。
「ぎゃあああ、ちょ、いだだだだっ! もうやめて、ギブギブっ!!」
コブラツイストをかけてくる礼央にタップし、なんとかやめさせようとする裕臣だが、ニヤニヤ笑う少年はさらに別の技を試そうとする。
「ひゃっひゃ、相変わらずゲロ弱じゃんヒロ兄てば!ってか、俺がわざわざ来ずともウチ帰ってこいよー!」
「しょ、正月には帰省しただろ……」
「はあああ?? 俺がそれだけで満足できると思ってんのォ?? ……いいから、四の五の言わずに帰ってこいや」


中身はまるで似てないが、外見だけはそっくりの理央の弟『礼央』は、自分の彼女より姉が大好きな筋金入りのブラコンである。
明るい茶色に染めた髪のサイドをピンで留め、中学の制服を着崩している。やや中性的な顔は姉同様甘く整っており、将来は非常にもてるだろう。
もっと小さかった頃は、姉の傍を決して離れようとせず何処へ行くにもついてくるほどだった。カルガモの親子みたいな光景は微笑ましかったが、そこから全く変わらず成長してしまった残念例だ。
せっかく見た目はすこぶる良いのに、何よりも姉を優先する悪癖ゆえに恋愛が長続きしない。
誰よりそれを近くで見てきた、当の姉が心配していることも分かっていながらやるので尚更タチが悪いなと裕臣は思う。


「……はぁ。で、今日は何の用ではるばるここまで来たんだ」
「おう! お前らの結婚生活を邪魔しにきたぜ!」
あまりにもはっきり言うので、二人してポカンとしてしまった。
「ちょっと、そんなことのためにわざわざ何時間もかけてこっちに来たのっ?」
井上礼央という人間をよく分かっているはずの理央でさえ想定外だったらしい。思いっきり深々とため息をつき、こめかみを押さえている。
「はぁ!? そんなことって、すっげー大事なことなんだぜ姉ちゃん。俺はっ、姉ちゃんがこの間男に汚されてないかすーっごく心配なんだっ!くっそぉ、俺が弟なんかじゃなけりゃ今すぐ攫って嫁にするのにぃ!!」
「はっ? 嫁っ? あんた……世迷言も大概にしてよね……。お姉ちゃんすっごく頭痛いわ……」
そもそも裕臣は間男などではないのだが、一体かれの中ではどんな扱いを受けているのだろうか。実際、結婚すると決まった時もさんざんに泣かれた覚えがある。
「ハァ……、とりあえず夕飯のお買い物してくるから、二人はお留守番しててね。……あっ。せっかく男手あるわけだし、どうせなら荷物持ちしてくれるかな?」
言外に買い物を手伝わないなら夕飯はナシだぞと告げる理央に、二人が一も二もなくうなづいたのは言うまでもない。


今日の夕ご飯はハンバーグにしましょう、とニコニコ笑顔で言った理央は、現在果敢にもタイムセールに参戦中である。本日は合い挽き肉1パックが98円のセールらしく、主婦に紛れて必死に手を伸ばしていた。
ちなみにメニューをハンバーグにしようと言い出したのも、セール品を事前にチェックしていたからのようだ。
小柄ながらに肉や卵を着実にゲットしていく様子は歴戦の猛者の一言だ。さすがに三年の主婦歴は伊達ではない。
役に立たない男二人は、カラカラとカートを引きながらそれ以外の品を購入することになった。
牛乳だの朝食用のパンだの買い込み、一通り店内を回ってから理央を迎えに行くと、あちこちヨレヨレになりつつも彼女はしっかり戦利品を手にしていた。


料理をやろうとして一度ボヤ騒ぎを起こしかけた程度の腕前しかない裕臣は、理央より「男子厨房に入るべからず」を言い渡されている。
しかし、むしろ理央より料理上手である礼央は見事な手際で調理を進めていく。という訳で本日理央は、弟の手伝いに回っていた。
彼の料理はもはやプロの域であり、実際調理師を目指しているとか。中学卒業後は専門学校へ通うつもりらしい。
「すっごいなぁ……。なんでそんなあっという間に出来上がるんだ?」
「ふふ、そうしているとヒロくんって子どもみたいだね!」
キャッキャウフフと夫婦の会話を繰り広げる二人に、調理中の礼央はギリギリと唇を噛む。
「ちっくしょう! なんということだっ!! 俺としたことことが、こいつらにラブラブ時間タイムをプレゼントしちまうなんてっ!!!」
血の涙を流さんばかりな弟に、理央は呆れを通り越して生暖かい笑みしか込み上げてこない。
正直、彼の愛はちょっと重たいなと感じることもある(というかいつもそう思っている)のだが、今では唯一の身内なのでどうしても突き放せないのだった。
本当は、早く良い人を見つけて幸せになって欲しいのだが。


久しぶりに、夕食は賑やかなものになった。夫婦二人だけの時間も悪くはないけれど、みんなで食卓を囲むのも良いなと彼女は思う。
やっぱり人が増えるとそれだけ会話も多くなる。可愛い弟と旦那さんのやり取りは微笑ましく、なんだかいつもよりたくさん笑えた気がした。
ただ、ちょっとだけ隣人には申し訳なくなってしまうけれども。
(……お隣さんごめんなさいっ、今日だけなので許してくださいっ!)




–––––そして、夜半。
時間はもう11時を回っている。子どもはとっくに寝ているはずの時間だ。早起きしなければならない理央は既に眠りについている。


「……で、今日は何を言いに来た? まさか、あの冗談が本当ということもないだろう?」
大人の余裕で微笑む裕臣へ、しかし礼央も負けず不敵に笑う。
「ははっ、さすがにバレてーら。やっぱり裕臣兄さんには隠し事なんてできそうもねぇや」
熱いコーヒーに口をつけ、彼は15歳とは思えぬ程に大人びた表情を形作る。
「なぁ、あんたは、……あいつのことをどう思ってやがる」
–––––彼は、全てを知るただ一人の人間だ。
裕臣と理央の関係も、彼と彼女がそれぞれに抱える事情も、みんなみんな全部知っている。
だからこそ。
(……俺は、お前がひどく癇に障るんだよ……。)
理央がいる前では絶対口にできない、思いだった。


春田裕臣と井上理央の間に、恋愛感情は一切存在しない。
彼らが互いに共有するそれは、家族に向けるものと同様である。
だから、どれほど裕臣が彼女を愛おしく想えども、理央が彼を真に愛することは決して有り得ない。


何故ならば、彼女はあの時そのための感情を自ら失わせてしまったから。
ゆえに裕臣は彼女の傍に寄り添うのだ。誰かの悪意から、彼女を守るために。


「……あのとき、誰かがあいつの傍に居てやらなくちゃなんなかった。でも家族の俺じゃあ力不足で、だから大人のあんたを頼った。あんたなら、俺より遥かにあいつを守る力があると分かってたから。……けど、状況は、あれから全然変わってないんだろ。そうだよな、じゃなきゃほぼ女子高の桜ノ宮なんて行かないよな」
疲れたように、深い深い……とても深いため息を吐いた礼央は、カップの中のコーヒーをぐいっと飲み干した。茶渋のこびり付いた底を無感情に見つめ、口の端に自嘲混じりの笑みを刻む。
裕臣もまた、憂いを含んだ表情で淡々と告げる。己の掌へ視線を落とす彼は、ずいぶんと老けて見えた。
「……あぁ。酷くなることはないが、これ以上に良くなることもない。多分、あいつが昔の姿に戻るのは難しいだろう」


「いいや、それは別に望んじゃいない。それは、あいつが『アレ』を思い出すことにもなるから。……けどさ、やっぱり思うんだ。本当は、あんたを頼んない方が良かった、なんて」
「気にするな。……とは言えないけど。でも、俺は今の生活が好きだよ。あいつを居て、一緒に笑えて、だから満たされている」
「……っ、でも! あいつがあんたに向ける感情は、あんたが望むそれじゃないんだよ! なのに、それでもあんたはそれでいいって言えるのか」


–––––彼女はきっと、二度と誰にも恋をしないだろう。
それは、初めから分かっていたことだった。それを承知で彼は結婚した。
けれどもやはり、彼女に「好き」と言ってもらいたかった、その気持ちはどうやったって消せない。
つくづく憎く思う。
彼女から、「恋」を奪ったあいつらが。それはもちろん、この少年も同じだろう。


「このままでいいのか」–––––時折、彼女は不安を滲ませる。たとえ記憶がなくても、覚えているのだろうか。
自分に起きたことを、そして自分から「恋情」が消えてしまっていることを。


「……済まない、俺では力不足かもしれない。……どだい、無茶だったのかもしれんな。俺みたいなのが、あいつを立ち直らせる……だなんて」
「そ、そんなことないっ……。悪いのはあいつらだ、理央を傷付けたあいつらさえ、いなければ!」


あいつらさえ。
そう、あいつらさえ「いなければ」。
きっと、二人が結ばれることはなかっただろう。でも、彼女が傷付くことだってなかった、はずで。


「ごめん、ちょっと声が大きくなった」
「構わない。どうせ起きてこないから。……それより、これからどうするか、だったな。悪いけど明確な答えは出せそうにない。他ならぬあいつが変わらないことには」
「分かってる。意地悪な質問してごめん。でも、いい加減決めなくちゃいけないよな」
「それは、そうだが……」


お互い、現状に不満はない。しかし、このままでいいとはさすがに彼には思えない。どうしても、彼女に立ち直ってほしかったから。
「なあ、あいつの近くにはあんたしか男はいないの?」
「いや、一人いる。幼馴染みだそうだが……」
「なら、そいつも巻き込めばいいんじゃね?掻い摘んだ説明だけしてさ」
「いや、理央は彼には俺と結婚していることを話していると言っていた。もとより関係ない人間を巻き込むのは良くないだろう。……そもそも、彼は理央に『そういう』感情を抱いている様子だった」
裕臣の言葉に礼央は苦々しい表情になる。それが本当なら、確かに巻き込むのはまずいだろう。
「そっか……良いリハビリになるかと思ったけど、それ以前にあんたがいるんだから無意味か」
「長丁場になると最初から知っている。……あんまり急ぐ必要もないだろう」
「あんたは……、本当に、それでいいのかよ! 好き、だったんじゃないのか! あいつを、理央を!」
冷静に述べる彼の落ち着いた顔を真っ直ぐに捉え、少年は押し殺した声で言い募った。その眼は今にも泣きそうに潤んでいる。
「……あぁ。好きだよ。……けど、どうにもならないだろう! だって、どうして、怯えるあいつにそんなこと伝えられる? 拒絶されると、分かっているのに! なぁ、そこまで言うのなら、お前が教えてくれよ! ……どうすればいい? もう、分からない……」


現状に、不満はない。
満たされていると感じているのは、本当のこと。
彼女が共に居てくれて、小さな幸せも一緒に喜べる。これより嬉しいことはない。けれど、けれども。
心は叫んでいた。
「愛されたい、愛してほしい」–––––と。


「ごめんなさい……無神経なこと言った」
「いいさ、つい俺も感情的になりすぎた。……いけないな、これでは」
「今日はもう寝よう、……また今度ちゃんと話そうよ」
「ああ、そうだな……そうしよう」


リビングをそれぞれ離れ、裕臣は書斎代わりの自室に、礼央は客間へと向かう。その様子をじっと見つめていた者が一人。「彼女」は、呆然とした顔で小さく呟いた。
「ねぇ、一体、何のことを話していたの?ヒロくん、礼央……」




そして、いつか夜は明けるだろう。
けれど、やがて来る朝が希望に満ち溢れているなどと、どうして無邪気に信じられるだろうか。
様々な思いを抱えながら、それぞれの夜は更けていく。

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