日本産魔術師と異世界ギルド
17 依頼人
その後、やや高ぶったテンションを抑えた後に、時間潰しの為に俺達が行ったのは、アリスの家の棚に仕舞われていたチェスだった。
にしてもこの世界にも当たり前の様にチェスがあった事にはやや驚いたが、まあその辺は結局人間考える事は同じという風に考えてもいいんじゃないだろうか。一応外の外観を考えれば、チェスとかがあってもおかしく無いわけだし。
まあそれはそれとして、時間潰しに始めたチェスは、あくまで時間潰しだ。だから俺達は依頼の件も含めた適当な雑談を交わしながら、盤上の駒を動かしていく。
「にしてもさ」
俺はふと気になった事をアリスに尋ねてみた。
「今回狙われてるお偉いさん……企業の社長だっけ? 何をしてる会社なんだ?」
さっきは一々話の腰を折るのもアレだったからという理由で聞かなかったが、一応聞いておきたい。何をしたら誘拐何かされるのか……いや、ロベルトの考えが意味不明な以上、何もしてなくても誘拐されそうだけども。
「ヒント。今ロベルトがやっている事関連」
「……黒点病の薬作ってる所か」
「正解」
アリスはそう言って駒を進める。
「……アイツ、黒点病の薬に恨みでもあんのか?」
「さあ。やる事成す事全てが突拍子もなく意味のわからない事ばかりだから。分かる人なんて本人達位じゃないの」
「そうだな……あ、チェック」
「え、あ……ぐぬぬ。これで」
「チェック」
「じゃあこれ!」
「チェック」
「く……」
「チェック」
「……」
「チェック」
アリスは必死に起死回生の一手を考える様に唸るが、どう足掻こうともうチェックメイトである。
「……駄目だ。チェックメイト。参りましたぁッ」
「とりあえずコレで七連勝って所か」
どうもアリスはチェスが相当苦手なようだ。俺だってオンラインでたまにやる程度の実力なのに全く負ける気配がしなかった。
「裕也強すぎ」
「お前が弱いだけだろ」
想像を絶する位の弱さだった。なんというか、自ら見えてる地雷原に突入している感じだったもん。
「ま、まあこの失態は仕事で返すから」
「……そこの所は真剣に頼むぞ」
もう嫌だからな。始めて会った時の様な、生死を彷徨う様な状態のお前を見るのは。
でもまあ、あの時とは状況が違う。仮にそうなりそうな事態に陥っても、今は俺が居る。一人より二人だ。人数が増えれば状況も変わってくるだろうし、そう簡単にああいう事にはならない筈だ。
……というか絶対にさせない。
アイツらが何をしようとしているのかは分からなくても、それだけは絶対に回避する。どんな理由があろうと関係ない。
そのためにも、しっかりと依頼主の話を聞いておかねえとな。
「……で、そろそろ二時だな」
途中で昼食を交えたのと、アリスがやたらと長考する為、気が付けばもう二時である。
「そうね。もう来てもいい頃かしら」
その人が十分前行動を心掛けているとすれば、そろそろ依頼主がやって来てもおかしく無いだろう。
チェス中の会話で出た話だが、今回依頼の電話を掛けてきたのは秘書の女性だそうだ。
アリスはその人の事を律儀と言ったけど、チェス中にアリスが言っていた事を思い返すと、確かにそれは間違っていないのかなという感想を浮かべた。
アリス曰く、警備などの依頼、それに複数のギルドに同時に依頼するとなれば、詳細は電話や当日などの口頭説明で済まされる事も多いらしい。
にも関わらず、こうして出向いてくれるというのは、律儀と言ってもいいのではないだろうか。
……折角態々来てくれるんだ。あまり失礼な対応は出来ないなと思う。
「ちなみに一応聞いとくけど、茶菓子の準備とか出来てる?」
いや、聞いといてなんだけど、この世界にそういう文化があるのかは分かんねえけどな。
「……しまったぁ……ッ」
「……何してんだよ」
「いや、だって慣れてないし……普段殆ど依頼ないし……」
額を抑えて俯くアリスに、俺は思わずため息を付く。
慣れる慣れない以前の問題じゃありませんかね、ソレ。
「……大丈夫かな?」
「多少心象は悪くなるんじゃねえの?」
「……やっちゃったぁ……ッ」
本当にしっかりしてほしい所だが、もう嘆いても仕方が無い。時間も無いし。
ここで失敗した分は仕事で挽回するしかない。
そんなやりとりがあった直後、玄関の扉がノックされる。
「来たぜ、依頼人」
「……買っておけばよかった」
「もう行ったって仕方がねえだろ。ほら、行くぞ」
俺はアリスを促して立ち上がり、共に玄関へと足取りを進めた。
◆◇◆◇
ギルドは本来、所謂事務所の様な場所を構えているらしい。
だが残念な事に俺達には金が無いので、アリスの家が実質事務所の様な機能を果たす事になる。
となれば応対するのは客間という訳だ。
「すみません。茶菓子の一つも用意できなくて。なにぶん急でしたから」
「あ、いえいえ、お構いなく。こちらも急に押し掛けてすみません」
「いえいえ。充分時間があったのに、なんのご用意も出来なかったのは此方の落ち度です。誠に申し訳ございませんでした」
俺は依頼人である二十代前半程の女性に対して、とりあえず腰を低くしてそう頭を下げる。
本当になんの用意も出来なかった。茶菓子は勿論、コーヒーですらさっき俺達が飲んだ分で切れてしまっている始末。
挙句の果てに名刺交換の様な流れになった訳だが、それもまあ無かった訳で。こちらだけが一方的に貰う事になってしまった。
リリーブ社。アイネ・フランツ。その下に電話番号が書かれてある。
本当はこっちもこういうのを用意しとかなくちゃいけないんだよな。そこは日本もこの世界も変わらない。
……ところでえーっと、あってんのか。これ、お客さんに対する言葉使いであってんのか?
チラリとアリスの方を見ているが、当のアリスは呆けた表情で俺の方を見てボソリと呟く。
「裕也のキャラが……変わった」
「馬鹿野郎、社交辞令ってのを知らねえのか」
俺は隣に座るアリスに軽く突っ込むように、ポンと手刀を頭に……あの、出した方も悪いんだけど、こういうお客さんが居る場で白羽取りは止めてくんない? なんか恥ずかしいぞオイ。
「なんだか面白いですね、あなた達」
ほら見ろ、アイネさん笑ってるじゃないか。
「ああ、それと、別にそんな慣れない敬語は使わなくても結構ですよ」
「……慣れてないって分かりました?」
「まあ少しぎこちなかったかなと」
……マジでか。不安だったとはいえ、改めて指摘されるとすげえ恥ずかしい……
「じゃあ、あの、えーっと……」
「自然体に、いつも通りの話し方でいいんです。その方が私も話しやすいですから」
そう言って秘書の方は笑みを浮かべる。
「そう言ってくれるとありがたいですけど、流石に目上の人には敬語を使いますよ」
でもまあ、敬語にだってレベルがある。俺が思い浮かべる営業マン的な敬語を止めて、なんとなく先輩に話す系統の敬語に切り替える。これだけで大分楽になるもんだ。
「あ、ちょっと感じ変わった」
「……お前は常に変わらねえなオイ」
常時同じ様な感じなんだけど……どうなのこれ。一組織のリーダーが客に対して取る態度としてどうなの? 先行きが不安になってくるんだけども……というかそもそも、なんで自然な流れで俺が応対してんだよ。リーダーお前だろ?
……まあ今はアリスがどうこうという内輪の話は置いておいて、やるべき事をやらないと。
俺は改めてアイネさんの方を向き、
「……さて、アイネさん。とりあえず、仕事の話をしましょうか」
「そうですね……ではとりあえずコレを」
アイネさんは持っていた封筒から数枚の資料を取り出す。
「そちらに書かれている内容が今回の警備依頼における所定位置などの情報になります。順を追って説明していきますので、分からない所があれば何でも聞いてください」
渡された資料に視線を落とすと、アイネさんの言った通り、そこには今回の依頼を遂行する為に必要な情報が書き巡らされていた。なんか小難しいんだがコレ。
「くれぐれも、理解しないまま当日を迎える様な事はない様にお願いします。当日も説明がありますが……アレには多くのフェイクを交えていますので」
「フェイク? どうしてそんな物を?」
アリスは首を傾げてそう言うが、俺にはなんとなくその意味が理解できた。
そして俺の考えていた事と、全く同じ事口にする。
「万が一、当日ロベルト達が警備の中に紛れ込んでいた場合、こうしてダミーを仕掛けておく事によって炙りだしが可能になります。まあ人を騙せるレベルの幻術を彼らが持ち合わせているかどうかは分かりませんが」
もし持っていた場合、誰かと入れ替わる可能性が出てくるからな。妥当な判断だと思う。
……だから事前の打ち合わせをしに来たんだな。
「では、説明の方に入らせていただきますが、よろしいですか?」
俺は大丈夫なので頷くけど……なんとなく、隣の奴は心配だ。
「……だ、大丈夫」
とりあえず、余すことなく頑張って暗記しよう。
アリスの言葉を聞いて、俺はそう決意した。
◆◇◆◇
「……以上が、本作戦の概要となります」
「ありがとうございます。これで当日は無事に動けそうです」
アイネさんの説明が終わった後、俺は思ったよりも軽い気分になっていた。
なんだろう。もっとややこしい話かと思ったけど、アイネさんが話上手だった事もあってかすいすいと頭に入ってきた。書面では伝わりにくい事もある。やはり会話というのは大切だ。
……で、案の定隣のリーダーさんは何にも理解していなさそうな表情を浮かべている。何にも分かって無い奴が、分かっているフリをしている時に浮かべる表情をしている。
……あとで俺の方から説明しておこう。
「それにしても……本当に大掛かりな警備ね」
恐らく数少ない分かった所なのであろう部分を拾い上げて、アリスはアンネさんにそう言う。
「まあ我が社とロベルトの間には少し因縁の様な物がありましてね」
「因縁?」
「まあ恐らくあちらは何も思っておらず、こちらが一方的に睨んでいるだけなのかもしれませんがね」
そう言った後、一拍開けてからアイネさんは言う。
「ロベルトは一度、ウチの工場を襲撃しているんです」
「襲撃……ですか」
……アイツ、買った奴から巻き上げるだけじゃなくて、生産元にまで手出してたのかよ。
「はい。そこで生産されたばかりの黒点病の特効薬を奪われまして。ただでさえ生産が追い付いていなく、需要と供給のバランスが崩れている時に……酷いと思いませんか? 挙句の果てに、購入者からも奪うなんて事をしている様ですし」
「そうね。酷い話だと思うわ」
……まあ俺もそう思う。
アイツが襲撃して、足りない薬が更に足りなくなった。それは由々しき問題だ。
「……だから皆ロベルトに対して怒りを露わにしていますよ。もちろん襲撃その物の事もそうですが……我々にとって黒点病の特効薬というのは、他の薬とはちょっと違う存在なんです」
「違う?」
「あの薬は、全く採算が取れない。作れば作るだけ赤字になる様な薬なるんですよ」
アイネさんはそう言って、少しだけ笑みを浮かべながら続ける。
「一応国からの補助金は出ています。ですがそれを含めてでも、一般市民が買える様な値段設定にすれば毎年少なくない損失が出る。それだけ生産にお金が掛る薬なんです。だから我が社以外の製薬会社は生産する為の設備なんて何処も導入してません。では、どうしてそんな状態で、我が社が黒点病の特効薬を作っているか、分かりますか?」
「自分達しか作れない……義務感の様な物ですか?」
「まあそれもありますけどね。でも結局のところ黒点病の特効薬を作っている理由の根底にあるのは善意なんです。自分達で言うのもなんですがね」
……善意、か。
まあ言ってしまえば、ボランティアに近い物なのだろうか。お金を取っているので厳密には違うだろうが、方向性はきっと同じなのだろう。
「だから現状でも高い事には間違いないのですが、充分に手の届く範囲にまで金額を落とているんです。大損害と言っていいレベルですよ。だからこそ、そういう思いを踏みにじってまで薬を奪って行ったロベルトは、私達にとって許されざる存在なんです」
そして、とアイネは続ける。
「今度はそうやって私達を引っ張ってきた社長を誘拐しようなどとぬかす訳ですから、もう徹底抗戦するしか無いでしょう」
徹底抗戦……この依頼の側面にはソレがある。
ただ守るだけでは無い。ロベルトを捕まえるという事も遂行すべき依頼の一部だ。
「だから今回の件。よろしくお願いします。あなたには期待していますから」
そう言ってアイネさんは俺に視線を向けてそう言う。
俺に……ね。
……まあ俺はお前に期待してんぜ、リーダーさんよ。
俺はアリスにちらりと視線を向けた後、再び視線をアイネさんに戻し、ちょっと気になった事を聞いてみる事にした。
「ところで、秘書さんってこういう場に出てくる様な役職でしたっけ? なんか社長を補佐するってイメージで、常に傍にいるイメージがあるんですけど」
この場に社長が来ているならば秘書のアイネさんが居る事に何とも思わないけど、秘書が一人でこうして動く事ってあるのだろうか。
「そうですね。他の企業はどうか知りませんが、普段は基本社長の近くで補佐をしてますよ。だからいつも通り、こういう事は部下に任せて通常の業務を行う筈だったのですが……まあ事が事ですがら。流石に何時も通りにはできませんよ。せめてあなた方だけでも実際にお会いしたかった」
「あなた方だけって事は……もしかして、アイネさんは私達だけに会いに来てるの?」
「はい。他のギルドには部下を行かせています」
「じゃあなんで俺達の所にはアイネさんが来たんですか? 俺達、他のギルドと違ってランク無しですよ」
「……だからですよ」
アイネさんは一拍空けてから続ける。
「ランク無しで実績が殆ど無いが故に、我々はあなた方の事をあまり知らない。だからせめてこの目で確かめたかったんです。雇うにふさわしい方々かを」
まあそれはそうか。
噂だけで辿りついたのなら、その真偽は確かではない。辿りつく過程で膨張している事もある。
だからこの目で確かめる。きっとその判断は間違ってはいない。
「大丈夫よ。裕也はAランク……いや、Sランクのギルドに居てもトップを狙える位に強いから。そして私もそれなりに強いから」
……あの、俺の事良く言ってくれるのはありがたいんだけど、現状ランク無しっていう立場上、堂々と言われるとなんか恥ずかしいんだが……。
「ああ、いえ。そういう事では無いんです。あなた方の実力が確かなのは情報屋の方からお聞きしましたから。なんでも件のドラゴンを討伐したそうで」
ああ……やっぱりリアから情報を買ってんのな。
「それが分かってるんなら、何を見たかったんですかアイネさんは」
「簡単な話ですよ」
アイネさんは一拍開けてから言う。
「どんな人達かも知らない人に、我が社の社長の命を預ける事は出来ない。そう判断したから、私があなた方を知りに来たんです。どういう人達なのかを」
「……そんなもんなんですか? 護衛の人員の判断基準って」
「ただの高望ですよ。でもできる事なら、実力以外の面でも信用が置ける人を雇いたいのです」
そう言った上で、アイネさんは言う。
「あなた方は悪い人では無い気がします。安心して任せられそうです」
「……こんな短い会話で分かるんですか?」
「女のカンです」
「カンって……」
なんだよ……この世界の女性って、やたらと自分のカンに自信持ちすぎじゃね?
「やっぱり女のカンって馬鹿に出来ないわね。大正解よ」
「大正解って……それ、俺らが言える事じゃ無いだろ……」
こういうのは第三者が評価して初めて意味がある者なわけで……。
だけどアリスが引くつもりは無い様だった。
「まあ確かにそうなのかもしれないけど……だけど裕也は私を助けてくれたでしょ? そんな裕也がはかりに掛けられているんなら、私は裕也が悪く思われない様に裕也を立ててあげたい。それでどうこうなるかは分からないけど、私の自己満足の為だけでも、そうしておきたいの。別にいいでしょ?」
「お、おう……まあ、いいけど」
何だろう……なんか聞いてると少し恥ずかしくなってきた。いや、まあ嬉しいんだけども。
「……やっぱり、悪い人達ではなさそうですね」
そう言ってアイネさんは笑みを浮かべる。
……だからそんな判断基準でいいんですかねぇ。この人はアレだ。悪い人に騙されそう。なんかすげえ心配。
「……さて」
そう言ってアイネさんは立ち上がる。
「とりあえず判断すべき事はできました。早いですがこの辺でおいとまさせていただきます」
「ああ、はい」
俺達もアイネさんを見送るために立ち上がる。
そして本当にどうでもいいような雑談を交わしながら玄関へと向かい、そして別れ際。
アイネさんは最後に、笑みの中に真剣さを織り交ぜ、こう言った。
「それでは……よろしくお願いしますね」
その言葉を残して、俺にとって最初の依頼人は視界から姿を消す。
そうして玄関先には俺達二人が残された。
「裕也」
「どうした?」
「昼前にも言った事だけど、もう一度。この仕事、頑張りましょ」
「当たり前だろ」
俺は何となく恥ずかしかったので言うべきか迷ったが、まあこう思った事は事実だ。一拍開けてから、心の声をそのまま発する。
「お前に立てて貰ったんだから、頑張らねえわけにはいかねえだろ」
この依頼に向けるモチベーションを、様々な要因が引き上げてくれる。
ロベルトの事。アイネさんから聞かされた話。ギルドランクを上げる為の第一歩。
本当に、色々だ。
そんな中でもしかすると、アリスの思いに応えてやりたいという事が一番大きいのかもしれない。
当然、それはその時その時で変わってしまう意見だろう。
それぞれの要因が俺に取って大事な事であり、きっとその時何を聞いて何を考えたかで、その感情はきっと大きく揺さぶられる。
だけど今、この時だけは。
アリスの思いに答えたいというのが一番だ。
だとすれば、答えよう。
アリスの思いも、俺がこの一件に抱く様々な感情にも、全て答えよう。
犯行予定日は三日後。
俺は気合いを入れ直すべく、拳を握りしめた。
にしてもこの世界にも当たり前の様にチェスがあった事にはやや驚いたが、まあその辺は結局人間考える事は同じという風に考えてもいいんじゃないだろうか。一応外の外観を考えれば、チェスとかがあってもおかしく無いわけだし。
まあそれはそれとして、時間潰しに始めたチェスは、あくまで時間潰しだ。だから俺達は依頼の件も含めた適当な雑談を交わしながら、盤上の駒を動かしていく。
「にしてもさ」
俺はふと気になった事をアリスに尋ねてみた。
「今回狙われてるお偉いさん……企業の社長だっけ? 何をしてる会社なんだ?」
さっきは一々話の腰を折るのもアレだったからという理由で聞かなかったが、一応聞いておきたい。何をしたら誘拐何かされるのか……いや、ロベルトの考えが意味不明な以上、何もしてなくても誘拐されそうだけども。
「ヒント。今ロベルトがやっている事関連」
「……黒点病の薬作ってる所か」
「正解」
アリスはそう言って駒を進める。
「……アイツ、黒点病の薬に恨みでもあんのか?」
「さあ。やる事成す事全てが突拍子もなく意味のわからない事ばかりだから。分かる人なんて本人達位じゃないの」
「そうだな……あ、チェック」
「え、あ……ぐぬぬ。これで」
「チェック」
「じゃあこれ!」
「チェック」
「く……」
「チェック」
「……」
「チェック」
アリスは必死に起死回生の一手を考える様に唸るが、どう足掻こうともうチェックメイトである。
「……駄目だ。チェックメイト。参りましたぁッ」
「とりあえずコレで七連勝って所か」
どうもアリスはチェスが相当苦手なようだ。俺だってオンラインでたまにやる程度の実力なのに全く負ける気配がしなかった。
「裕也強すぎ」
「お前が弱いだけだろ」
想像を絶する位の弱さだった。なんというか、自ら見えてる地雷原に突入している感じだったもん。
「ま、まあこの失態は仕事で返すから」
「……そこの所は真剣に頼むぞ」
もう嫌だからな。始めて会った時の様な、生死を彷徨う様な状態のお前を見るのは。
でもまあ、あの時とは状況が違う。仮にそうなりそうな事態に陥っても、今は俺が居る。一人より二人だ。人数が増えれば状況も変わってくるだろうし、そう簡単にああいう事にはならない筈だ。
……というか絶対にさせない。
アイツらが何をしようとしているのかは分からなくても、それだけは絶対に回避する。どんな理由があろうと関係ない。
そのためにも、しっかりと依頼主の話を聞いておかねえとな。
「……で、そろそろ二時だな」
途中で昼食を交えたのと、アリスがやたらと長考する為、気が付けばもう二時である。
「そうね。もう来てもいい頃かしら」
その人が十分前行動を心掛けているとすれば、そろそろ依頼主がやって来てもおかしく無いだろう。
チェス中の会話で出た話だが、今回依頼の電話を掛けてきたのは秘書の女性だそうだ。
アリスはその人の事を律儀と言ったけど、チェス中にアリスが言っていた事を思い返すと、確かにそれは間違っていないのかなという感想を浮かべた。
アリス曰く、警備などの依頼、それに複数のギルドに同時に依頼するとなれば、詳細は電話や当日などの口頭説明で済まされる事も多いらしい。
にも関わらず、こうして出向いてくれるというのは、律儀と言ってもいいのではないだろうか。
……折角態々来てくれるんだ。あまり失礼な対応は出来ないなと思う。
「ちなみに一応聞いとくけど、茶菓子の準備とか出来てる?」
いや、聞いといてなんだけど、この世界にそういう文化があるのかは分かんねえけどな。
「……しまったぁ……ッ」
「……何してんだよ」
「いや、だって慣れてないし……普段殆ど依頼ないし……」
額を抑えて俯くアリスに、俺は思わずため息を付く。
慣れる慣れない以前の問題じゃありませんかね、ソレ。
「……大丈夫かな?」
「多少心象は悪くなるんじゃねえの?」
「……やっちゃったぁ……ッ」
本当にしっかりしてほしい所だが、もう嘆いても仕方が無い。時間も無いし。
ここで失敗した分は仕事で挽回するしかない。
そんなやりとりがあった直後、玄関の扉がノックされる。
「来たぜ、依頼人」
「……買っておけばよかった」
「もう行ったって仕方がねえだろ。ほら、行くぞ」
俺はアリスを促して立ち上がり、共に玄関へと足取りを進めた。
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ギルドは本来、所謂事務所の様な場所を構えているらしい。
だが残念な事に俺達には金が無いので、アリスの家が実質事務所の様な機能を果たす事になる。
となれば応対するのは客間という訳だ。
「すみません。茶菓子の一つも用意できなくて。なにぶん急でしたから」
「あ、いえいえ、お構いなく。こちらも急に押し掛けてすみません」
「いえいえ。充分時間があったのに、なんのご用意も出来なかったのは此方の落ち度です。誠に申し訳ございませんでした」
俺は依頼人である二十代前半程の女性に対して、とりあえず腰を低くしてそう頭を下げる。
本当になんの用意も出来なかった。茶菓子は勿論、コーヒーですらさっき俺達が飲んだ分で切れてしまっている始末。
挙句の果てに名刺交換の様な流れになった訳だが、それもまあ無かった訳で。こちらだけが一方的に貰う事になってしまった。
リリーブ社。アイネ・フランツ。その下に電話番号が書かれてある。
本当はこっちもこういうのを用意しとかなくちゃいけないんだよな。そこは日本もこの世界も変わらない。
……ところでえーっと、あってんのか。これ、お客さんに対する言葉使いであってんのか?
チラリとアリスの方を見ているが、当のアリスは呆けた表情で俺の方を見てボソリと呟く。
「裕也のキャラが……変わった」
「馬鹿野郎、社交辞令ってのを知らねえのか」
俺は隣に座るアリスに軽く突っ込むように、ポンと手刀を頭に……あの、出した方も悪いんだけど、こういうお客さんが居る場で白羽取りは止めてくんない? なんか恥ずかしいぞオイ。
「なんだか面白いですね、あなた達」
ほら見ろ、アイネさん笑ってるじゃないか。
「ああ、それと、別にそんな慣れない敬語は使わなくても結構ですよ」
「……慣れてないって分かりました?」
「まあ少しぎこちなかったかなと」
……マジでか。不安だったとはいえ、改めて指摘されるとすげえ恥ずかしい……
「じゃあ、あの、えーっと……」
「自然体に、いつも通りの話し方でいいんです。その方が私も話しやすいですから」
そう言って秘書の方は笑みを浮かべる。
「そう言ってくれるとありがたいですけど、流石に目上の人には敬語を使いますよ」
でもまあ、敬語にだってレベルがある。俺が思い浮かべる営業マン的な敬語を止めて、なんとなく先輩に話す系統の敬語に切り替える。これだけで大分楽になるもんだ。
「あ、ちょっと感じ変わった」
「……お前は常に変わらねえなオイ」
常時同じ様な感じなんだけど……どうなのこれ。一組織のリーダーが客に対して取る態度としてどうなの? 先行きが不安になってくるんだけども……というかそもそも、なんで自然な流れで俺が応対してんだよ。リーダーお前だろ?
……まあ今はアリスがどうこうという内輪の話は置いておいて、やるべき事をやらないと。
俺は改めてアイネさんの方を向き、
「……さて、アイネさん。とりあえず、仕事の話をしましょうか」
「そうですね……ではとりあえずコレを」
アイネさんは持っていた封筒から数枚の資料を取り出す。
「そちらに書かれている内容が今回の警備依頼における所定位置などの情報になります。順を追って説明していきますので、分からない所があれば何でも聞いてください」
渡された資料に視線を落とすと、アイネさんの言った通り、そこには今回の依頼を遂行する為に必要な情報が書き巡らされていた。なんか小難しいんだがコレ。
「くれぐれも、理解しないまま当日を迎える様な事はない様にお願いします。当日も説明がありますが……アレには多くのフェイクを交えていますので」
「フェイク? どうしてそんな物を?」
アリスは首を傾げてそう言うが、俺にはなんとなくその意味が理解できた。
そして俺の考えていた事と、全く同じ事口にする。
「万が一、当日ロベルト達が警備の中に紛れ込んでいた場合、こうしてダミーを仕掛けておく事によって炙りだしが可能になります。まあ人を騙せるレベルの幻術を彼らが持ち合わせているかどうかは分かりませんが」
もし持っていた場合、誰かと入れ替わる可能性が出てくるからな。妥当な判断だと思う。
……だから事前の打ち合わせをしに来たんだな。
「では、説明の方に入らせていただきますが、よろしいですか?」
俺は大丈夫なので頷くけど……なんとなく、隣の奴は心配だ。
「……だ、大丈夫」
とりあえず、余すことなく頑張って暗記しよう。
アリスの言葉を聞いて、俺はそう決意した。
◆◇◆◇
「……以上が、本作戦の概要となります」
「ありがとうございます。これで当日は無事に動けそうです」
アイネさんの説明が終わった後、俺は思ったよりも軽い気分になっていた。
なんだろう。もっとややこしい話かと思ったけど、アイネさんが話上手だった事もあってかすいすいと頭に入ってきた。書面では伝わりにくい事もある。やはり会話というのは大切だ。
……で、案の定隣のリーダーさんは何にも理解していなさそうな表情を浮かべている。何にも分かって無い奴が、分かっているフリをしている時に浮かべる表情をしている。
……あとで俺の方から説明しておこう。
「それにしても……本当に大掛かりな警備ね」
恐らく数少ない分かった所なのであろう部分を拾い上げて、アリスはアンネさんにそう言う。
「まあ我が社とロベルトの間には少し因縁の様な物がありましてね」
「因縁?」
「まあ恐らくあちらは何も思っておらず、こちらが一方的に睨んでいるだけなのかもしれませんがね」
そう言った後、一拍開けてからアイネさんは言う。
「ロベルトは一度、ウチの工場を襲撃しているんです」
「襲撃……ですか」
……アイツ、買った奴から巻き上げるだけじゃなくて、生産元にまで手出してたのかよ。
「はい。そこで生産されたばかりの黒点病の特効薬を奪われまして。ただでさえ生産が追い付いていなく、需要と供給のバランスが崩れている時に……酷いと思いませんか? 挙句の果てに、購入者からも奪うなんて事をしている様ですし」
「そうね。酷い話だと思うわ」
……まあ俺もそう思う。
アイツが襲撃して、足りない薬が更に足りなくなった。それは由々しき問題だ。
「……だから皆ロベルトに対して怒りを露わにしていますよ。もちろん襲撃その物の事もそうですが……我々にとって黒点病の特効薬というのは、他の薬とはちょっと違う存在なんです」
「違う?」
「あの薬は、全く採算が取れない。作れば作るだけ赤字になる様な薬なるんですよ」
アイネさんはそう言って、少しだけ笑みを浮かべながら続ける。
「一応国からの補助金は出ています。ですがそれを含めてでも、一般市民が買える様な値段設定にすれば毎年少なくない損失が出る。それだけ生産にお金が掛る薬なんです。だから我が社以外の製薬会社は生産する為の設備なんて何処も導入してません。では、どうしてそんな状態で、我が社が黒点病の特効薬を作っているか、分かりますか?」
「自分達しか作れない……義務感の様な物ですか?」
「まあそれもありますけどね。でも結局のところ黒点病の特効薬を作っている理由の根底にあるのは善意なんです。自分達で言うのもなんですがね」
……善意、か。
まあ言ってしまえば、ボランティアに近い物なのだろうか。お金を取っているので厳密には違うだろうが、方向性はきっと同じなのだろう。
「だから現状でも高い事には間違いないのですが、充分に手の届く範囲にまで金額を落とているんです。大損害と言っていいレベルですよ。だからこそ、そういう思いを踏みにじってまで薬を奪って行ったロベルトは、私達にとって許されざる存在なんです」
そして、とアイネは続ける。
「今度はそうやって私達を引っ張ってきた社長を誘拐しようなどとぬかす訳ですから、もう徹底抗戦するしか無いでしょう」
徹底抗戦……この依頼の側面にはソレがある。
ただ守るだけでは無い。ロベルトを捕まえるという事も遂行すべき依頼の一部だ。
「だから今回の件。よろしくお願いします。あなたには期待していますから」
そう言ってアイネさんは俺に視線を向けてそう言う。
俺に……ね。
……まあ俺はお前に期待してんぜ、リーダーさんよ。
俺はアリスにちらりと視線を向けた後、再び視線をアイネさんに戻し、ちょっと気になった事を聞いてみる事にした。
「ところで、秘書さんってこういう場に出てくる様な役職でしたっけ? なんか社長を補佐するってイメージで、常に傍にいるイメージがあるんですけど」
この場に社長が来ているならば秘書のアイネさんが居る事に何とも思わないけど、秘書が一人でこうして動く事ってあるのだろうか。
「そうですね。他の企業はどうか知りませんが、普段は基本社長の近くで補佐をしてますよ。だからいつも通り、こういう事は部下に任せて通常の業務を行う筈だったのですが……まあ事が事ですがら。流石に何時も通りにはできませんよ。せめてあなた方だけでも実際にお会いしたかった」
「あなた方だけって事は……もしかして、アイネさんは私達だけに会いに来てるの?」
「はい。他のギルドには部下を行かせています」
「じゃあなんで俺達の所にはアイネさんが来たんですか? 俺達、他のギルドと違ってランク無しですよ」
「……だからですよ」
アイネさんは一拍空けてから続ける。
「ランク無しで実績が殆ど無いが故に、我々はあなた方の事をあまり知らない。だからせめてこの目で確かめたかったんです。雇うにふさわしい方々かを」
まあそれはそうか。
噂だけで辿りついたのなら、その真偽は確かではない。辿りつく過程で膨張している事もある。
だからこの目で確かめる。きっとその判断は間違ってはいない。
「大丈夫よ。裕也はAランク……いや、Sランクのギルドに居てもトップを狙える位に強いから。そして私もそれなりに強いから」
……あの、俺の事良く言ってくれるのはありがたいんだけど、現状ランク無しっていう立場上、堂々と言われるとなんか恥ずかしいんだが……。
「ああ、いえ。そういう事では無いんです。あなた方の実力が確かなのは情報屋の方からお聞きしましたから。なんでも件のドラゴンを討伐したそうで」
ああ……やっぱりリアから情報を買ってんのな。
「それが分かってるんなら、何を見たかったんですかアイネさんは」
「簡単な話ですよ」
アイネさんは一拍開けてから言う。
「どんな人達かも知らない人に、我が社の社長の命を預ける事は出来ない。そう判断したから、私があなた方を知りに来たんです。どういう人達なのかを」
「……そんなもんなんですか? 護衛の人員の判断基準って」
「ただの高望ですよ。でもできる事なら、実力以外の面でも信用が置ける人を雇いたいのです」
そう言った上で、アイネさんは言う。
「あなた方は悪い人では無い気がします。安心して任せられそうです」
「……こんな短い会話で分かるんですか?」
「女のカンです」
「カンって……」
なんだよ……この世界の女性って、やたらと自分のカンに自信持ちすぎじゃね?
「やっぱり女のカンって馬鹿に出来ないわね。大正解よ」
「大正解って……それ、俺らが言える事じゃ無いだろ……」
こういうのは第三者が評価して初めて意味がある者なわけで……。
だけどアリスが引くつもりは無い様だった。
「まあ確かにそうなのかもしれないけど……だけど裕也は私を助けてくれたでしょ? そんな裕也がはかりに掛けられているんなら、私は裕也が悪く思われない様に裕也を立ててあげたい。それでどうこうなるかは分からないけど、私の自己満足の為だけでも、そうしておきたいの。別にいいでしょ?」
「お、おう……まあ、いいけど」
何だろう……なんか聞いてると少し恥ずかしくなってきた。いや、まあ嬉しいんだけども。
「……やっぱり、悪い人達ではなさそうですね」
そう言ってアイネさんは笑みを浮かべる。
……だからそんな判断基準でいいんですかねぇ。この人はアレだ。悪い人に騙されそう。なんかすげえ心配。
「……さて」
そう言ってアイネさんは立ち上がる。
「とりあえず判断すべき事はできました。早いですがこの辺でおいとまさせていただきます」
「ああ、はい」
俺達もアイネさんを見送るために立ち上がる。
そして本当にどうでもいいような雑談を交わしながら玄関へと向かい、そして別れ際。
アイネさんは最後に、笑みの中に真剣さを織り交ぜ、こう言った。
「それでは……よろしくお願いしますね」
その言葉を残して、俺にとって最初の依頼人は視界から姿を消す。
そうして玄関先には俺達二人が残された。
「裕也」
「どうした?」
「昼前にも言った事だけど、もう一度。この仕事、頑張りましょ」
「当たり前だろ」
俺は何となく恥ずかしかったので言うべきか迷ったが、まあこう思った事は事実だ。一拍開けてから、心の声をそのまま発する。
「お前に立てて貰ったんだから、頑張らねえわけにはいかねえだろ」
この依頼に向けるモチベーションを、様々な要因が引き上げてくれる。
ロベルトの事。アイネさんから聞かされた話。ギルドランクを上げる為の第一歩。
本当に、色々だ。
そんな中でもしかすると、アリスの思いに応えてやりたいという事が一番大きいのかもしれない。
当然、それはその時その時で変わってしまう意見だろう。
それぞれの要因が俺に取って大事な事であり、きっとその時何を聞いて何を考えたかで、その感情はきっと大きく揺さぶられる。
だけど今、この時だけは。
アリスの思いに答えたいというのが一番だ。
だとすれば、答えよう。
アリスの思いも、俺がこの一件に抱く様々な感情にも、全て答えよう。
犯行予定日は三日後。
俺は気合いを入れ直すべく、拳を握りしめた。
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