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可愛いことは、いいことだ!

いぬがみクロ

第六話

 「西野。てめえ、これはどういうことだ?シャレになってねえぞ……」
 もう一度苦々しげに友人の名を呼ぶと、東山はずかずかと体育館の内側へ足を踏み入れた。
 顎を上げねばその顔を拝めないほどの大男を、図らずも迎える形となった男たちは、ごくりと息を呑んだ。彼らは互いの顔を気まずそうに見回した。――誰が最初に出るのか。目と目で合図し合ったあと、恐らくは男たちの中で最も力が弱いのだろう一人が、東山に近づいて行った。わざと背を丸め、だらしなくガニ股で歩く彼は、明らかに虚勢だと分かる引きつった笑顔を浮かべて、東山の顔を無遠慮にじろじろと覗き込んだ。
 「気合いの入ったお兄ちゃんキターって感じ。あんたも一緒に楽しんじゃう?あの子、なかなか可愛いよねえー?
 それにしても、すごい髪型してるじゃん」
 東山の背中に庇われた格好の沙穂を顎で指してから、男はつま先立ちになり、東山の特徴的な頭髪のてっぺんを撫でようとした。その途端、パシンと乾いた音がして、男はその場に膝をついた。見れば、呻きながら鼻の辺りを抑えている彼の手の隙間から、ぽたぽたと赤い液体がこぼれ落ちている。それが血だと気付くのに、沙穂は時間を要した。
 ――東山が男を殴った。あまりに素早かったから、そんな荒事が起きていたなんてピンとこない。それに、例えば漫画やアニメだと、誰かを殴ったり蹴ったりする前は、睨み合ったり罵り合ったり、そういった前振りがあるはずなのに。現実はこんな風に突然、諍いの火蓋は切って落とされるものなのか。
 「てめえ!ふざけんな!」
 仲間をやられていきり立つ男たちの中で、だが西野だけは顔を青くし、後ずさった。
 「や、やめとけ……!ヒガシに勝てるわけがない……!」
 小さく掠れるような声でなされた制止は、誰の耳にも届かなかった。
 「……人様の学校に、図々しくも乗り込んで来やがったんだ。てめえら当然、そんだけの覚悟はあんだろうな?」
 くうを掴むように胸の辺りで掲げた手の先を、東山は男たちに見せつけるようにゆっくりと曲げた。ぽきぽきと不気味に指を鳴らし、薄い眉を吊り上げる彼の顔には、迫力のある笑みが浮かんでいる。
 笑っているのに、怒っている。後ろにいるからその表情が見えない沙穂にも、東山の憤りがひしひしと伝わってきた。
 男たちの一人が、躊躇なくナイフを取り出した。それを見た東山は、最初の標的を彼に決めたようだ。眉一つ動かさず間合いを詰めると、ナイフの先を向けて突っ込んできた男の腕を左の脇で抱え込み、東山は拳を繰り出した。腹や頬を次々に殴られ、男は逃げようともがくが、がっつりと挟まれた片腕はどうやっても抜けず、やられっぱなしになる。男の足がガクガクと震え、体重を支えられないほど萎えると、東山はようやく彼を離した。即座に別の男が背後から飛びかかってくるが、素早く身を翻し、バランスを崩して追い越していく男の背に、蹴りを入れる。慌てて向き直った男の顔面に、パンチをくれてやった。男の鼻は曲がり、鼻血が噴水のように噴き出した。
 男たちの動きには、協力だとか連携といった様子が全く見られず、一人一人がまるで吸い込まれるように東山に襲いかかっては、叩きのめされる、その繰り返しだった。
 東山には隙がなく、その拳で男たちを食らっているかのようだった。「餌食」という言葉が、沙穂の頭に浮かんだ。東山の表情が嬉々と輝いているのも、空恐ろしかった。
 「ちょ、待っ……!」
 最後に残った一人がさかんに首を振り、戦意のないことをアピールしているが、東山は容赦なく彼も殴りつけた。
 五人いた男たちを、これでほぼ全員倒したことになる。――あとは一人だけだ。
 顔を蒼白にして立ち尽くす西野と、東山は再び相対した。
 「西野……。お前……」
 「………………」
 氷のように冷たく張り詰めた空気を、しかし、どたばたとやかましい足音が割った。

 「しましまーーーーー!」
 その絶叫を聞いて、沙穂はようやく幼なじみのことを思い出した。振り返ると、大きく開いたままの入り口から飛び込んできた諒に、抱きすくめられた。
 「大丈夫!?しましま、ひどいことされなかった!?」
 「う、うん……。へいき」
 ぜいぜいと忙しなく息継ぎをしつつ、肩をさすり、頬に触れ、諒は沙穂の無事を確めた。
 やっぱり来てくれたんだと感動した沙穂の気持ちは、だが胸と胸が触れ合った瞬間に砕け散った。
 諒の胸は――柔らかかった。そのうえ、ありえないほど盛り上がっている。
 ――人が大変な目に遭っているときに、何を遊んでいたのだろう、この男は。
 「諒のバカ!」
 諒の胸元でたわわにそびえる巨大な塊を殴りつけると、ぼよんと跳ね返された。
 この弾力には、覚えがある。沙穂は思わず、諒の胸を揉んだ。
 「これってもしかして、バレーボール?」
 「あっ、あっ、そんなにしちゃ、らめえ……!」

 「――行くぞ!」
 束の間薄れた緊張感を好機と取った西野の仲間たちは、大慌てで走り出した。東山は舌打ちをしただけで、男たちを追うことはしなかった。彼が用があるのは、もはや西野だけなのだ。
 自分を突き飛ばすようにして逃げていった男たちを見送り、諒は小首を傾げた。
 「ボク、来るの遅かった?」
 「うん、まあ、ちょっと……ちょっとだけね……。でも嬉しいよ、ありがとう」
 気を使って、沙穂は言葉を濁した。
 「ちょっと、ヒガシぃ!空気読みなよね!あんたが主役みたいになっちゃってるじゃん!」
 「うるせえな!どうしろって言うんだ!そもそも、てめえの足が遅いのが悪いんだろうが!」
 先ほど沙穂の危機にいち早く気付き、飛び出した諒だったが、友人の西野が気がかりであとから追いかけてきた東山に、あっさり抜かれてしまったのだった。
 「ボクは短距離向きなの!まあ、主犯を残しておいてくれたからいいけど。――ねえ、レイプ魔さん」
 挑発するような呼びかけに、西野は表情を一変させ、牙を剥いた。
 「ああ!?てめえみたいなオカマが、俺に勝てるとでも思ってんのかァ!?調子に乗んなよ!?」
 自分より劣る、その評価も独善的なものだが、だがそうやった定めた上下関係で、自らより下位にいる者に逆らわれること、舐められることを、決して許さない――。西野はそういった男だった。そもそも沙穂がこのような危険な目に遭ったのも、彼のくだらないプライドのせいだ。
 あまりに器の小さな西野を蔑むように一瞥すると、諒は沙穂に向き直った。

 何もかも思い出した。――思い出してしまった。
 諒が似合いもしないのに、女の子のふりをしているのは、もしかしたら自分のためかもしれない。
 ――異性を極端に恐れる自分を支えるために、側にいてくれるために、彼は自分の生き方を歪めたのではないか。
 罪悪感に胸を塞がれ、沙穂の目が揺れる。

 「おい、カマ野郎!来いよ!ボコボコに畳んでやるからよ!ヒガシに頼るんじゃねえ!」
 「吠えるな、ゴミが。勝負すんのは俺じゃねえよ」
 視線を沙穂に合わせたまま、諒は西野に冷たく言い放った。
 「けっ、臆病もんが!結局逃げんだろ!?ああ!?」
 醜く笑い、怒鳴る西野を、東山は眉間にシワを寄せて見据えながら、背後の諒に忠告した。
 「戸延とのべ。西野は口だけじゃなく、そこそこ強え。中坊んときは、俺と互角だった。油断すんな」
 「ありがと、ヒガシ。でもね、決着つけるのは、本当にボクじゃないの。
 一人の脇役として、ヒーローのアシストをしたい……。それがボクの生き方なんだ」
 どこかで聞いた台詞を明るく口にしながら、諒はジャージの上着に手を入れ、ボールを取り出した。
 そんなところに、何を入れているのだ……。呆れる沙穂に、諒はウィンクして見せた。
 「聞いて、しましま。しましまは、昔のことも、今だって、何も悪くないでしょ?よく考えてみて」
 「でも……!」
 お父さんは遠くへ行ってしまった。西野を怒らせてしまった。
 そして何より、諒の人生を変えてしまった。
 ――それは、自分の罪ではないのか。
 「いいから聞いて。ボクはボクのしたいようにしてるし、お父さんのことも、西野のことも、悪いのはあいつら。あいつら自身なんだ。難しく考え過ぎちゃダメだし、しましまのせいだなんて思ってもダメ」
 「……………………」
 諭すような幼なじみの言葉が、乾いた地面に降る雨のように、沙穂の胸の内へと染みていく。
 ――私は悪くない?それは、本当だろうか?
 諒は沙穂から数歩離れると、先ほど取り出したバレーボールをぽんとトスした。
 「そーれッ!しましまぁ!ファイトォ!」
 「!」
 天井すれすれまで高く上がったボールが、大きな弧を描き、下りてくる。条件反射だろう、沙穂は軽く助走すると、力強く床を蹴った。
 跳ね上がり、高い位置に至った瞬間、熱い何かが全身を巡った。
 悲しみでもなく、恐怖でもなく。
 それは、怒り。理不尽な暴力に対する、激しい怒りだった。

 父は何も分からぬ幼い娘を殴り、西野は逆恨みから女を襲おうとした。――傷つけられる側は、何も悪いことをしていないのに。
 ならば、泣いて耐える、そんな我慢を強いられるいわれは、ないのではないか?

 むしろ、怒っていい!

 お父さんのバカ!西野くんのバカ!
 「――クソヤロウどもがあああああ!」
 沙穂は渾身の力でボールを叩いた。
 「オラァァァッッ!!!!」
 ボールは炎が上がりそうなほどの勢いをつけ、まっすぐ一直線に、西野目掛けて飛んでいった。
 「ぐあああああっ!!!!!」
 時速六十km、いや、このときは恐らくもっと速度が出ていたであろう必殺スパイクを避けること叶わず、西野はそれを顔面で受け止め、真後ろにひっくり返った。
 「ナイススパイク!しましま、かっこいー!惚れ直すわー!」
 「当然よ!」
 頭上高くで待ち構えている諒の手の平に、自分のそれを重ね、パンと小気味良い音を立てた。
 正直、爽快だった。悪い奴に仕返しをしたという以上に、沙穂にとっては意味のある一打だった。
 ――何かが、吹っ切れた気がする。
 「さて……」
 諒は倒れたままの西野の元へ歩むと、シャツの胸倉を掴み、引っ張り上げた。
 「あーあ、二枚目が鼻血ブーで台無しだねえ。
 ――うん、みっともないから、もう学校来ないほうがいいかも。
 ほら、ボクってお喋りだから、今日のこと、みんなに喋っちゃうかもしれないしぃ。
 どうせ余罪もあんだろ?てめえの悪い噂――いや噂じゃねえな、男子の間ではかなり知れ渡ってるよ?」
 「……っ」
 西野は血に染まった唇を噛んだ。
 「――ダークな王子様でやってけんなら、頑張ってみるのもいいけどね?」
 諒の手を払い除けると、西野は何とか立ち上がり、ふらふらと覚束ない足取りで外へ出て行った。汗と血で汚れたかつての友人の後ろ姿を、東山は険しい目つきで見詰めていた。
 男たちが去り、館内が静かになると、沙穂は東山の前に回り、頭を下げた。
 「あの………。東山くん、ありがとう。助けてくれて。
 ケンカ、本当にすごく強いんだね。びっくりした」
 「いや……。西野がひどいことをして、すまなかった……。俺は……なんて言っていいか」
 自分が親しくしていた友人が、女性に対してあまりに非道なことを企んでいた。東山に全く非はないが、それでも彼は罪の意識を抱いてしまうのだろう。
 「東山くんは何も悪くないよ!私があの人に誘われて、のこのこついてったのがいけなかったんだし」
 「いや、お前は悪くない」
 「でも……」
 「いや……」
 遂に俯いてしまった二人の間に、諒が割って入る。
 「もー!二人とも悪くないよ!どー考えたって、西野一味が悪いに決まってんでしょ!」
 腰に手を当てて捲し立てると、諒はまず沙穂に指を突きつけた。
 「でもっ、しましまは、男をちょっとは疑うようにすること!」
 「はい……」
 沙穂がしおしおとうなだれると、今度は東山に指を向ける。
 「ヒガシは――西野のこと、大切な友達だと思ってたんなら、変な遠慮なんてしないで、側にいてあげるべきだったんだよ。人は弱いものだもん。一人だったら、悪いほうへ流れてしまうんだよ……」
 東山は、諒の言葉を噛み締めるかのようにしばらく沈黙したあと、ゆっくりと頷いた。
 「………ああ。お前の言うとおりだ」
 血の付いたジャージの上着を脱ぎ、肩にかけると、東山は体育館をあとにした。


つづく

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