可愛いことは、いいことだ!

いぬがみクロ

第二話

3.
 華笛高等学校、二年四組。昼休みの教室は、明るく盛り上がっていた。
 楽しいランチタイムに、お喋りの花を咲かせる小スズメたち。だがその中には一匹、珍妙な羽をした鳥が混じっている。

 「やーん!タカちゃんのお弁当、すごい可愛いー!それ、キャラ弁ってやつでしょ?」
 変声期を終えた低い声を裏返し、一人毛色の違う鳥は騒ぎたてる。
 「そうそう。遅ればせながら、お母さんとあたし、今ハマってんの」
 「タカは器用だもんね!あたし、料理なんてできないよー」
 「んーん、あたしだって、簡単なのしかできないって。ていうか、お母さんがすごいの。すぐ食べ終わっちゃうお弁当に、どんだけ時間かけてんのって感じで」
 「あははは!タカのお母さん、凝り性だもんね!」
 スズメたちは可愛らしい、鈴を転がしたような声で囀るから、余計その中に混じる奇妙な鳥の、その異質さが目立つ。しかし当人である戸延とのべ りょうは、周りから自分がどう見えているかなど全くお構いなしで、人一倍陽気にはしゃぐのだった。
 「いいな、いいな!ボクのお弁当って、彩りってもんがなくてさー!」
 言いながら彼が晒した弁当箱に詰められていたのは、昆布の佃煮、コロッケ、きんぴらごぼうと、見た目で言えば確かに華やかさに欠けていた。
 「でも、美味しそうじゃん。あたし、コロッケ大好き」
 「そうだよー。作ってもらってるだけでも感謝しなよ。うちなんてさあ、いっつもコンビニだよ」
 女子たちから贅沢だと非難され、諒は口を尖らせた。
 「まーね、ありがたいとは思ってるけどさあ……。
 あーあ、うちのオカン、親父の好みに合わせてお弁当作るんだよね。だからいつも、こんな渋いおかずになっちゃう」
 「おっ、ラブラブじゃん、諒タンち」
 「でも、子供はたまんないよ。たまには可愛いお弁当が食べたい!」
 諒がそう愚痴をこぼすと、自前の弁当を褒められた「タカ」という少女が笑って言った。
 「はは。そんなに言うなら、今度作ってきてあげようか?」
 「ホント!?ヤダ、うれしー!タカちゃん、優しい!」

 ――お弁当くらい、私が作るのに!
 和気藹々とガールズトークを繰り広げる諒に、腹が立ってしょうがない。眉間にシワを寄せながら、沙穂は、のりたまで黄色く染めたおにぎりに齧りついた。
 諒が女生徒たちと机を突き合わせ、弁当を囲む一角から、列でいえば横に二つ分、わずかに離れたそこで、沙穂も親友の多英と食事を摂りつつ、彼らの会話に聞き耳を立てていた。
 女子たちは、諒に対して優しい。女同士のランチの輪にも入れてあげるほどである。
 ――それは、彼を男だと思っていないから。
 いや、だからって、女とも思っていないだろうが。ただ、ちょっと変わった――そう、おもちゃのように見ているのだろう。女子が諒を構うのは、彼の行動や言動を面白がっているだけだ。
 そんなことは、諒自身だって理解しているはずだし、沙穂だって分かっている。だが、こういうのは理屈ではないのだろう。沙穂は、諒が他の女の子と仲良くしているのが嫌だ。それが恋というもので――。

 突然教室の引き戸が、ドカンと大きな音を立てて開いた。教室はしんと静まりかえり、生徒たちは開け放たれた戸に注目した。しかしそこに立っていた人物の正体を確かめると、皆パラパラと目を逸らし始めた。
 戸口のところで仁王立ちしていたのは、身の丈ニmの大男だ。サイドをガッチリ固め、前髪は大きく膨らませた、いわゆるリーゼントという髪型で、眉は細く、目つきは異様に悪く、鋭い。
 一昔前の漫画からそのまま抜け出してきたようなその男は、名を東山ひがしやま 大智たいちといった。 その、ある意味気合の入った格好は伊達ではなく、東山は中学時代、不良同士の闘争においては常勝無配の、伝説のヤンキーだったそうだ。
 東山もここ二年四組の一員だ。だが、その外見や経歴を恐れたクラスメイトは、誰も彼に話しかけようとはしなかった。――ただ一人を除いては。

 「ヒガシぃ!またあんた授業サボったの?お昼だけ出てくるなんて、どんだけ食いしんぼう……」
 彼もまた浮いた存在である女装男子、戸延 諒は、東山 大智に唯一親しく接するクラスメートである。
 ――だが。
 「うるせえ」
 ぴょんぴょんとウサギのように飛び跳ねてくる諒の頭を片手で掴むと、東山はボールでも投げるように、邪険に払った。
 「うああああん!?」
 情けない悲鳴を上げた諒は、廊下の壁に激突すると、そこに張り付いたまま動かなくなった。
 ――彼の友情は、どうやら片思いのようである。
 水を打ったようにますます静かになる室内を見渡すと、目的の人物を見付けた東山は、声を張った。
 「おい、島島とうしま!話がある。一緒に来い!」
 「えっ!」
 よく通る低い声で名を呼ばれて、沙穂は持っていた箸を落としそうになった。
 ――なんで!
 身に覚えなんて全くない。なにしろ沙穂だって、他の皆と同様に東山を恐れ、彼とは一言も口を利いたことがないのだ。
 だが無視したら、余計恐ろしいことになるだろうか……。恐る恐る振り返ると、東山は無言でこちらを睨んでいた。めちゃくちゃ怖い。
 ――どうしよう。
 「ね、ねえ、しましま。私も一緒に行こうか……?」
 震える手で、多英が制服の袖を引く。その心遣いは、大変ありがたい。だが、何が待ち構えているかは分からないから、親友を巻き込むことは避けたかった。
 「だ、だ、大丈夫……!でもお昼休みが終わっても、私が帰って来なかったら、け、警察呼んで……!」
 「わ、分かった!警察でも自衛隊でも、何でも呼ぶよ!」
 噂では東山は、不良百人を血祭りにあげたとか。そうだ、そんな恐ろしい男を倒すには、戦車か戦闘機が必要だ。
 親友に向かって「任せた」とばかりひとつ頷いてから、血の気の引いた顔色の沙穂は、ふらりと椅子から立ち上がった。




4.
 教室のあった二階の廊下を進み、一階へ降りて、昇降口を通り過ぎる……。
 東山は何も言わず、数歩先をスタスタと歩いている。
 ヤンキーと普通の女生徒。この珍しい組み合わせを不思議に思う他の生徒たちは、東山は怖いからか沙穂に、遠慮のない視線をぶつけてきた。沙穂は恥ずかしいやら戸惑うやらで、俯きながら歩いた。
 やがて、屋根付きの通路に差し掛かった。この先には体育館がある。東山は沙穂をそこへ連れて行こうとしているのだろうか。
 ――それにしても。
 丈の短い学ラン。裾がぼたっと広がっているズボンは、地面に引きずるほど長い。そのうえ、正確にいえばポンパドールというらしい、大きく膨らんだ奇抜な前髪である。
 ――行き過ぎた自由をみんなが黙認したせいで!「力こそ正義」の世界が構築されてしまったんだ!
 前を行く東山の後ろ姿を眺めながら、沙穂は心の中で、またもやどこから目線なのか分からない怒りを爆発させていた。
 不意に首だけ動かし、東山が振り向いた。それだけで沙穂は心臓が止まりそうになった。
 「――二つ、質問がある」
 「な、な、なんでしょうか……?」
 ふてぶてしい顔つきも、逞し過ぎる体躯も、地の底から響くような低い声も。どれを取ってみても、沙穂は彼が自分と同い年なんて、到底思えなかった。だからつい敬語を使ってしまう。
 「お前、なんで『しましま』って呼ばれてるんだ?」
 「えっ……」
 全く予想もしていなかったことを聞かれて、沙穂の目は丸くなった。
 「え、えーと……。私、苗字が『島島とうしま』だから。両方訓読みして、『しましま』ってなったんだと思います……けど」
 「なるほど。――謎が解けた」
 前に向き直り、東山は深々と頷いた。
 そんなに気になることだったのだろうか……。ヤンキーの思考はよく分からない。
 東山は再び目だけを沙穂に向けて、問いを重ねた。
 「お前と戸延 諒は付き合っているのか?」
 「えっ、ええええ!?」
 沙穂は思わず足を留めた。
 ――そりゃ、そうだったらいいけど。
 「な、なんで!?なんでそうなるんですか!?えっ、私、顔に出てる!?それとも態度に!?だってでも、なるべく普通にしようと……!」
 「?付き合ってるのか?付き合っていないのか?」
 東山もその場で止まり、動揺している沙穂に向き直った。
 「……付き合ってません。だって諒、女の子みたいなんだもの」
 「女?あいつほど男くせえ奴はいないと思うが……」
 東山は首を傾げた。
 「ええっ!だって諒、女装してるんだよ!?言葉遣いだって、態度だって……!」
 驚きのあまり、沙穂は普段の話し方に戻っていた。
 「あれは女装だったのか?そういえば、スカート履いてたな……。だがどう見ても、あいつは女には見えんだろう」
 「いやまあ、それはそうだけど……」
 背がやや低いことを除けば、諒の見た目は普通の男の子である。そんな彼の女装姿は「綺麗」とも「可愛い」とも形容し難く、正直な評価は「キモい」「不気味」と、こうなる。
 「あいつのあれは、妖怪の扮装でもしているのかと思ったんだが。コスプレとか、流行ってるだろう?」
 「妖怪だなんて!いくらなんでも諒が可哀想だよ!せめてモンスターとか……!」
 「モンスターって……。横文字にしても、結局お前だって、あいつのことを化け物だと思ってるんじゃないか」
 「………………」
 それにしても、諒のことを「男くさい」などと評した人間は、東山くらいだ。そういえば諒のほうも、東山に関して、意外なことを言っていた。
 ――「ヒガシはすごく優しいんだよ」。
 もしかしたら、二人は仲がいいんだろうか。
 吟味するように、沙穂は改めて東山を見上げた。目つきが凶悪なことを除けば、彼はなかなか整った顔立ちをしている。特にコワイということもないし、むしろ話しやすいタイプだ。はっきり言って、意外だった。
 「まあ、お前と戸延が付き合っていないなら、それでいいんだが。――もう一つ質問だ」
 あれ、三つ目がくるんだ……とは当然言えず、沙穂はおとなしく彼の質問に耳を澄ませた。
 「お前、今誰かと付き合ってるか?」
 「え、いや、誰とも……」
 幼い頃から諒一筋である。――そう思うと、なんだか自分が重たい女のような気がしてきて、沙穂は少し落ち込んだ。
 「なら、いい」
 東山は短くそう言うと、再び歩き出した。沙穂も彼を追った。

 体育館にようやく着くと、東山は通路から外れて壁に沿って進み、裏へと回った。手入れされていない、雑草が生い茂るそこには、一人の青年が立っていた。
 「あ、どうも……。ごめんね、急に呼び出して。でも俺、島島さんとはクラスも部も違うし、いきなり話しかけるのも変かなと思って」
 そう言って照れくさそうに頭をかく彼は、名を西野にしのといった。同じ学年の生徒だが、彼の言うとおりクラスも部も違う。だが沙穂は、西野のことを知っていた。なにしろこの男ときたら、爽やかイケメン、成績優秀、サッカー部のエースと美味しい要素を揃えており、女子の間では一番人気の男子なのだ。
 突然のことについていけず、沙穂はぽかんと間の抜けた顔で、西野を見詰めた。
 西野はしばらく言いづらそうに身動ぎしていたが、やがて意を決したような表情で用件を切り出した。

 「突然ごめんね。実は俺、前から君のこと………」




 それから数分後、体育館の裏には、男二人が残された。――沙穂はもういない。
 東山は腕を組み、友人にどう声をかけようか考えあぐねていた。本来彼は、こういった色恋沙汰は苦手なのだ。
 明るいスポーツマンの西野と、素行のよろしくない東山。一見接点がないように見える二人は、実は同じ中学の出身で、当時はよくつるんで遊んでいたのだった。だが高校入学を機に「心を入れ替え、真面目になる」と宣言した西野が、自分と仲良くしているせいで評判を落とさないようにと、東山は彼と人前で接触を持たぬよう配慮しているのである。
 「あー、なんだ、その……」
 「――――」
 東山が何か慰めようと口を開いたと同時に、西野も何ごとかつぶやいた。二人の声は被さり、東山は友人が何を言ったのか、正確には聞き取ることできなかった。
 「わり。お前、今、なんつった?」
 「いや別に。手間かけさせたな、ヒガシ。お前、こういうの苦手なのに」
 「お、おう。気にすんな」
 無理に笑う西野が痛々しくて、東山はそれ以上聞けなかった。
 ――確かに聞いた気がするのだが。

 温和な西野にしては、珍しい一言を。




つづく

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